馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
司会と記録:鹿取 未放
404 聖なるもの観光として見ることに疲れゐつ荘厳(しやうごん)のビート聖堂
(当日発言)
★自分の思想とはかけ離れているビート聖堂ということだと思う。自分が担当した「マリア
はこちらを見ない」という意味の歌に通じる。(藤本)
★「観光としてわが見るマリアわれを見ず初秋のやうにさびしきその瞳(め)」ですね。見
るこちら側の人間の質を問うている。信仰というものを突き詰めて考え(といって信者に
なるということではないが)もっと裸の人間として向き合いたいが慌ただしく観光で来て
いる今はそれができない。聖なる対象との間にどうにもならない距離を感じていてじれっ
たく、そのことが作者を疲れさせているのだろう。自分自身が変革されたかたちでしか荘
厳なるものとの本質的な対峙はできないというのだろう。(鹿取)
【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)
司会と記録:鹿取 未放
404 聖なるもの観光として見ることに疲れゐつ荘厳(しやうごん)のビート聖堂
(当日発言)
★自分の思想とはかけ離れているビート聖堂ということだと思う。自分が担当した「マリア
はこちらを見ない」という意味の歌に通じる。(藤本)
★「観光としてわが見るマリアわれを見ず初秋のやうにさびしきその瞳(め)」ですね。見
るこちら側の人間の質を問うている。信仰というものを突き詰めて考え(といって信者に
なるということではないが)もっと裸の人間として向き合いたいが慌ただしく観光で来て
いる今はそれができない。聖なる対象との間にどうにもならない距離を感じていてじれっ
たく、そのことが作者を疲れさせているのだろう。自分自身が変革されたかたちでしか荘
厳なるものとの本質的な対峙はできないというのだろう。(鹿取)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます