こちらはカトマンズではなくパタン、向かって右手が旧王宮、
左手前タレジュの鐘、その奥ハリシャンカール寺院
「王宮通り」のイメージは、こんなかんじだろうか。
こちらもパタン
こちらはバクタプル
バクタプルのニヤタポラ寺院
ニヤタポラ寺院から広場を見下ろした所
馬場あき子の外国詠 20(2009年8月実施)
【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)94頁~
参加者:N・I、Y・I、泉可奈、S・S、T・S、曽我亮子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
164 カトマンズ王宮通り赤牛は痩せ痩せて夜行する聖家族なり
(レポート)
夜のカトマンズのメインストリートを、痩せた赤牛がゆっくりと歩いている。それはまるでヨゼフとマリア、イエスの聖家族のようだと先生は言われる。比喩の背景には何があるのだろうか。(T・H)
(まとめ)
ネパールにはダルパール(王宮)広場というのがカトマンズ、パタン、バクタプルにそれぞれある。それぞれの古都に王宮があったわけなので、王宮通りもそれぞれの地にあるのかもしれないが、ここでは首都カトマンズの王宮通り。163番歌(カトマンズ今宵満月顔白く牛ら遊行す巷ひろらに)の「遊行」と違い、こちらは「夜行」である。163番歌とは見ている牛の種類が違うのだろうか、百鬼夜行を連想する。ネパールの王制はこの旅行後5年を経た2008年に崩壊したが、王宮のある通りを痩せ痩せて夜行する牛たちに聖なるものを見ている点に諧謔があるのだろう。世界でもっとも貧しい国のひとつであるネパールだが、王の一族はおそらくは贅沢に暮らしているのだろう。また、ネパールではカースト制が根強く残っていると聞くが、王と庶民の対比ではなく牛をもってきたところに歌のひろがりが出た。「聖家族」はイエスやマリアのイメージでは無く、一般名詞であり、聖なる家族というくらいの意味であろう。(鹿取)
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