2023年版 馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)175頁
参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、
藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
217 鳴沙山に怪異のごとき月出でてアメリカにうすい朝かげさすや
(レポート抄)
鳴沙山に出た月が「怪異のごとき月」とは、きっと大きな満月で、日本では見られないような、透明な大きさで、眼前に迫ってきたように思われたのであろう。そしてその月をご覧になって、なぜ「アメリカにうすい朝かげさすや」とお感じになったのだろうか。アメリカと敦煌では、時差が12時間ぐらいなのであろうか。(T・H)
(まとめ)
前の216番歌が「鳴沙山を静かに上る秋の月砂のみを照らし来しおそろしさもつ」だから、砂だけを照らしてきた月を「怪異のごとき」と言ったのだろう。『青椿抄』(1997年刊)には「人間はいかなる怪異あざあざと蛸切りて食ふを蛸はみてゐる」というこわい歌がある。蛸の歌では人間を「怪異」な存在とみているのだが、掲出歌では月が「怪異のごとき」と形容される。
レポーターの書かれている時差の問題だが、中国は広大な国だが全土が北京時間に統一されている。一方、アメリカには本土だけでも4つの異なる時間があり、本土内だけで時差が3時間もある。それに従えばアメリカと中国の時差は15~18時間くらいだろうか。しかしアメリカに朝かげが射すのは時差の上の話ではなく、鳴沙山に怪異のごとき月が出る頃、アメリカにはうすい朝の光が差し始めるのだという、あくまで感覚的な把握だろう。アメリカ、朝かげと頭韻を踏んで軽い仕上がりになっているが、怪異とアメリカはどこか精神の奥深いところで繋がっているのであろう。 (鹿取)
【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)175頁
参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、
藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
217 鳴沙山に怪異のごとき月出でてアメリカにうすい朝かげさすや
(レポート抄)
鳴沙山に出た月が「怪異のごとき月」とは、きっと大きな満月で、日本では見られないような、透明な大きさで、眼前に迫ってきたように思われたのであろう。そしてその月をご覧になって、なぜ「アメリカにうすい朝かげさすや」とお感じになったのだろうか。アメリカと敦煌では、時差が12時間ぐらいなのであろうか。(T・H)
(まとめ)
前の216番歌が「鳴沙山を静かに上る秋の月砂のみを照らし来しおそろしさもつ」だから、砂だけを照らしてきた月を「怪異のごとき」と言ったのだろう。『青椿抄』(1997年刊)には「人間はいかなる怪異あざあざと蛸切りて食ふを蛸はみてゐる」というこわい歌がある。蛸の歌では人間を「怪異」な存在とみているのだが、掲出歌では月が「怪異のごとき」と形容される。
レポーターの書かれている時差の問題だが、中国は広大な国だが全土が北京時間に統一されている。一方、アメリカには本土だけでも4つの異なる時間があり、本土内だけで時差が3時間もある。それに従えばアメリカと中国の時差は15~18時間くらいだろうか。しかしアメリカに朝かげが射すのは時差の上の話ではなく、鳴沙山に怪異のごとき月が出る頃、アメリカにはうすい朝の光が差し始めるのだという、あくまで感覚的な把握だろう。アメリカ、朝かげと頭韻を踏んで軽い仕上がりになっているが、怪異とアメリカはどこか精神の奥深いところで繋がっているのであろう。 (鹿取)
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