チャーリー・ウィルソン
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ケイトー。。。 どういうわけで チャーリー・ウィルソン を取り上げたのォ~?
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あのねぇ〜、バンクーバー市立図書館で借りていたDVDの中から一つ取り出してプレーヤーにかけたら次の映画が出てきたのですよ。。。
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チャールズ・ネスビット・ウィルソン
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1933年6月1日 - 2010年2月10日(76歳没)
チャールズ・ネスビット・ウィルソン(Charles Nesbitt Wilson)は、アメリカ合衆国の政治家。
通称はチャーリー・ウィルソン(Charlie Wilson)。
元アメリカ海軍士官であり、元テキサス州選出連邦下院議員である。
2003年に彼の伝記がジャーナリストのジョージ・クライルによって発表され、それを元にした映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』が2007年に公開されている。
1933年6月1日にテキサス州トリニティに誕生する。
パーティー好きで陽気な人柄で知られ、地元新聞からは「グッドタイム・チャーリー」のあだ名を付けられ、プレーボーイ的なイメージの一方で、冷戦時代の英雄の1人でもあった。
ウィルソンはCIA史上最大の極秘作戦を敢行した立志伝中の人物として知られる。
旧ソ連のアフガニスタン侵攻を食い止めるため、ウィルソンは下院の国防歳出委員会メンバーとして動き、メンバーを味方につけて当時アフガニスタンを侵攻していた旧ソビエト連邦軍に対するCIAのアフガン支援の秘密予算の大幅増額を図る。
当初500万ドルだった支援額は7年の内に10億ドルという空前の規模に達し、最終的に数十億ドルという多額の資金を調達した。
これによる武器を供給などの支援によりアフガンのイスラム武装勢力ムジャーヒディーンは、最新の武器を手に入れ劣勢を跳ね返し、ソビエト連邦軍に撤退を余儀無くさせた。
ウィルソンはこの功績から、ソ連のアフガニスタン撤退を決定づけた影の功労者として、CIAはそれまでCIA要員にしか贈ったことの無かった功労賞を、文民として初めて秘密裏に表彰。
この話を映画化したのが2007年に公開された映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』である。
しかしながら、アフガニスタンのイスラム武装勢力に行った軍事支援は、ソビエト連邦軍のアフガニスタン撤退以後アメリカにつきまとう災いの種となってしまった。
ウィルソンが支持し、CIAから何百万ドル単位の支援を受けたアフガニスタンの軍閥たちは現在、国際テロ組織アルカイダなどとのつながりをもつ危険なイスラム原理主義者とみなされており、その中にはグルブッディーン・ヘクマティヤール元首相や、アフガニスタンの旧支配勢力タリバンのジャラルディン・ハッカニ司令官など含まれている。
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しかしウィルソンはアメリカ同時多発テロ事件以後も、「われわれは悪の帝国(旧ソ連)と戦っていたのだ。(支援しないとすれば)それは第2次世界大戦中にヒトラーと戦うソビエト軍に供給支援を行わないのと同様だ。当時、タリバンなんていう名前を知っていた人間なんていただろうか?」と述べ、イスラム武装勢力たちの軍事強化に荷担したことを悔いることは無かった。
2010年2月10日にテキサス州の病院で心不全のため亡くなった。
出典: 「チャールズ・ネスビット・ウィルソン」
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つまり、チャーリー・ウィルソンが秘密予算を大幅に獲得したことにより、武器を供給などの支援によりアフガンのイスラム武装勢力ムジャーヒディーンは、最新の武器を手に入れ劣勢を跳ね返し、ソビエト連邦軍に撤退を余儀無くさせたのねぇ〜。。。
そういうことです。。。この功績によりCIAはそれまでCIA要員にしか贈ったことの無かった功労賞を、文民として初めてチャーリー・ウィルソンに秘密裏に表彰したのですよ。。。
どうして秘密裏に表彰したのよ?
CIAも後ろめたいものを感じていたのですよ。。。つまり、秘密予算を大幅に獲得したことによりイスラム武装勢力に最新の武器を供給することができた。。。その結果、劣勢を挽回してソビエト連邦軍は撤退させることができた。。。
だったら別に秘密裏に表彰しなくてもいいじゃない。。。
でもねぇ〜、CIAはそれまでにも、数々の陰謀に関わってきたのですよ。。。
CIAが関わった事件・陰謀
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1940年代
時期不明 - ペーパークリップ作戦
1950年代
1953年 - アジャックス作戦:イラン・クーデター。シャー復帰。
イギリス秘密情報部と合同で行なったイランのモハンマド・モサッデク政権転覆・パフラヴィー朝復興作戦。2013年、機密指定解除になっていた1970年代の文書に関与が明記されていたことが判明。
1953年 - ポダルトン作戦(正力マイクロ波事件)
世界銀行より正力松太郎へ融資をさせ日本に軍事転用可能なマイクロ波通信網を設置しようとした。吉田茂が通信網は電電公社に任せると選択し失敗。
1953年 - CIAが公式にVENONAを報告し、防諜活動に協力を始めた。
1954年 - PBSUCCESS作戦・グアテマラ・クーデター1954
ユナイテッドフルーツと組んで行われた、グアテマラのハコボ・アルベンス・グスマン政権転覆作戦。グアテマラ内戦に繋がった。
1955年 - カシミールプリンセス号爆破事件
1955年 - 日本で保守合同を支援
自由民主党の結成に関与した。1964年まで行われていた事が機密指定解除となった外交文書に記述されている。
時期不明 - MKウルトラ計画
洗脳技術の研究を行った。1950年代初頭から1960年代末まで行われていたとされる。
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■『細菌戦争 MKウルトラ』
1960年代
1960年代 - アコースティック・キティー
猫を使った盗聴作戦。専用に生体改造された盗聴用の猫を盗聴先の現場へ送り込むというものであったが、失敗に終わった。
1960年 - U-2撃墜事件
1961年 - ピッグス湾事件
キューバの「反革命傭兵軍」による親米化クーデターを支援し、「反革命傭兵軍」をピッグス湾から上陸させて政権転覆を狙ったものの失敗に終わった。
1961年 - 大韓民国中央情報部(KCIA)の設立に関与
設立後は、育成、監督にも関与することとなる。
1962年 - コールドフィート計画
ソビエト連邦の北極基地での情報収集
1962年 - エンリコ・マッテイの飛行機事故。
イタリアENIによる独自のエネルギー路線に対する疑惑。
1963年 - ゴ・ジン・デイエム政権転覆支援:ベトナム
1963年 - アブドルカリーム・カーシム政権転覆支援
イラクのバアス党への資金提供で関与したとされる。
1963年 - 1964年 - ルイス・ポサダ・カリレスへの支援
カリレスはCIAの工作員であったが、後にクバーナ航空455便爆破事件やフィデル・カストロ暗殺未遂事件など一連のテロ活動に従事することになる。
1964年 - トンキン湾事件
民間不正規戦グループ(CIDG)計画および、特殊部隊の支援
1965年 - 9月30日事件
インドネシアの反スカルノクーデター関与とスハルトによる共産主義者粛清への支援
1967年〜1971年 - フェニックス作戦
1970年代
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1972年 - ウォーターゲート事件
工作員のジェームズ・W・マッコード・ジュニアが逮捕された。
1973年 - チリ・クーデター
社会主義政権のサルバドール・アジェンデ政権転覆をもくろみ、アウグスト・ピノチェト将軍のクーデターを支援。
1974年 - プロジェクト・ジェニファー
沈没した旧ソ連の629型潜水艦K-129のサルベージ作戦。
1975年 - 労働党ウィットラム首相解任工作:オーストラリア
1975年 - アンゴラ内戦への間接的介入
アンゴラ内戦の親米組織に元南ベトナム軍兵士や傭兵らを投入。
1977年 - パキスタン陸軍参謀長ジア・ウル・ハク将軍によるクーデター
ズルフィカル・アリ・ブットパキスタン元首相が処刑された他、後のハク将軍事故死にも関与説がある。
1978年 - グラディオ作戦
イタリアでの謀略活動
1978年 - アフガニスタン紛争(サイクロン作戦)
この紛争に際してCIAがアフガニスタンに共産政権を打ち立てたアフガニスタン人民民主党に対する抵抗運動を行ったムジャーヒディーンへ武器、資金を援助した結果、紛争は1989年まで続いた。
1980年代
1980年 - 全斗煥による光州事件:韓国
1980年 - カナダの策謀によりアメリカ外交官6人イラン脱出
1986年発覚 - イラン・コントラ事件
1990年代
1994年 - エイムズ・スパイ・スキャンダル
約9年に渡りソ連とソビエト連邦の崩壊後のロシアのために機密情報を提供していたとしてCIA工作員が逮捕された。
1995年7月 - VENONA FILEの一部が初めて公開される。
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■『ヴェノナ文書』
1998年 - スーダンの製薬工場へのミサイル攻撃
実際は製薬工場であった所をVXガスの製造工場であると主張してミサイル攻撃を行わせた。これはエジプト人情報提供者一人のみの情報を信用した結果であった。
2000年代
2002年 - ベネズエラにおける、クーデター未遂、コロンビア人民兵による武装蜂起未遂。
2003年 - イラク戦争
大量破壊兵器の存在を主張して開戦へと導いた。後に大量破壊兵器はまったく存在しなかったとコリン・パウエル国務長官が謝罪する結果となった。
2009年11月5日 - イタリアでイスラム教聖職者アブ・オマル(オサマ・ムスタファ・ハッサン・ナスール)師の拉致への関与
協力したSISMIのエージェントを含めた関係者達がイタリア司法当局に訴追され、欠席裁判でミラノの拠点責任者が8年、他に22人の要員が5年の禁錮刑となった。
2009年12月30日 - アルカイダへの二重スパイの派遣
CIAが派遣した人物は二重どころか、本来ならあり得ない三重スパイであり、完全に騙されたアフガニスタンのチャップマン前哨基地では自爆テロが発生した。CIA局員7人を含む9人が死亡。
時期不明 - 2001年のアフガニスタン紛争後のアフガニスタンにおいて成立したカルザイ政権内部の情報収集のために高官達へ資金提供
2010年代
2010年 - ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害に係る事前調査
2017年5月 - 2010年から中国でCIAの要員が次々と殺害されて中国でCIAのスパイ網が壊滅したとニューヨーク・タイムズは報じた。中国とロシアの当局は解読したCIAの通信方法の情報を共有したとも報じられている。また、北朝鮮の国家保衛省や対米外交を担当する韓成烈外務次官などはCIAと韓国の国家情報院が金正恩朝鮮労働党委員長の暗殺を試みたと主張し、暗殺に関与したCIA関係者や国家情報院トップの引き渡しと正式な謝罪を要求した。同年2月に死亡したと報じられた金正男はCIAの情報提供者だったと報じられている。
2019年6月、イランは「海外の複数の同盟国」とともにCIAのスパイ網を解体したと発表した。
2020年代
2020年8月17日(現地時間)、ハワイ在住の元CIA局員(かつ元FBI言語学者)の67歳の香港系帰化中国人の男性を彼の親戚と共に14日に逮捕したと発表した。二人による情報漏洩はCIA退職後の2001年に香港で中国情報機関へ「CIAの要員や作戦」、「通信手段などに関する情報」を現金5万ドル(約530万円)で売り渡した事から始まり、以来10年以上も国防情報を中国側に漏洩した疑いが持たれている。またハワイ移住後、中国側に渡す『米政府の機密情報』へのアクセスを得ることを狙ってFBIに職を求め、04年に中国語文書の翻訳などを担当する契約職員になり、6年間、機密扱いされた文書などをコピーするなどして盗み、中国を頻繁に訪問して渡していたとされる。中国側に渡った情報はCIAの暗号や工作員の情報、それに『海外での工作活動の状況』などとされていて、司法省は声明で「同僚と国家、そして自由民主主義の価値観を裏切った」と批判したうえで「裏切り者は必ず、見つけ出し裁きにかける」と警告を発した。
出典: 「中央情報局」
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つまり、大っぴらにチャーリー・ウィルソンを表彰したら、CIAの陰謀の数々が表沙汰(おもてざた)になって、マスコミが騒ぐとでも思ったのォ〜?
そうですよ。。。実際、この時のチャーリー・ウィルソンが関わった「サイクロン作戦」が2001年のアメリカ同時多発テロを生み出す潜在的な要因になったというのですよ。。。
サイクロン作戦
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サイクロン作戦(Operation Cyclone)は、アフガニスタン紛争中の1979年から1989年にかけて、ムジャヒディンに武器や資金の提供を行ったアメリカ合衆国中央情報局 (CIA) の計画に対するコードネーム。
隣国パキスタンの支援を受けたのみならず、ソビエト連邦による侵攻の前から、アフガニスタン民主共和国政権と戦闘行為を行っていたイスラム武装勢力への支援を強力に推進した。
1980年に数億ドル、1987年には63億ドルもの資金を投入しており、CIAが極秘裏に行った作戦としては最長かつ最も費用のかかったものの1つであった。
アフガニスタン内戦中にムハンマド・ナジーブッラー率いるアフガニスタン人民民主党 (PDPA) と戦闘行為を行った1989年以後も、ムジャヒディンに対する資金提供自体は続くこととなる。
背景
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アフガニスタンにおける共産政権の成立
1978年春、共産主義政党のアフガニスタン人民民主党がサウール革命により政権を掌握。
数ヶ月のうちに反政府派がアフガニスタン東部で反乱を引き起こし、ムジャヒディンによる内戦へと瞬く間に発展してゆく。
当時のパキスタン政府は訓練施設を反乱軍へ極秘裏に提供し、ソビエト連邦はPDPA政権に対し数1,000名もの軍事顧問を派遣することとなる。
この間PDPA内部でもハルク派とパルチャム派による内ゲバが深まった結果、パルチャム派閣僚が罷免されたり、同派の軍官が逮捕される事態となった。
その後ハルク派の大統領であるヌール・ムハンマド・タラキーは1979年9月、同じくハルク派に属していた同僚のハフィーズッラー・アミーンが引き起こしたPDPA内部のクーデターにより暗殺、アミーンが大統領に就く。
しかしアミーンはソビエトから不信感を抱かれていたため、12月には同国特殊部隊により暗殺されてしまう。
その後、パルチャム派ではあるが両派を纏め上げたバブラク・カールマルが政権を率い、一応は空白期間を埋めた。
アメリカ合衆国の動向
1979年半ばまでにはアメリカ合衆国がムジャヒディンへの資金提供を開始。
カーター政権下で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキーは、後に計画の目的を「ソビエトの軍事介入を誘発すること」と述べているが、ソビエトの侵攻は合衆国がソビエトの覇権主義を食い止められなかったために発生したことが後年明らかとなった。
エリック・アルターマンは『ネイション』誌の中で、サイラス・ヴァンスの側近であるマーシャル・シュルマンが「当時は極秘計画を知らされていなかったと言っているものの、国務省がソビエトに侵攻を思い留まらせるべく粉骨砕身したのであり、決してそれを誘発するために計画を行ったのではない。
ヴァンスは確かにゲイツの詳述を全て代表していたようには思えない」としている。
当時ソビエトが中東に足場を築くため、南方へと領土を広げようとしたと考えていた者が一部に存在。
こうした中カーター大統領は侵攻の後、いわゆる「カーター・ドクトリン」を発表。
合衆国は他のいかなる外部勢力が、ペルシャ湾を支配下に置くことを許さないというものであった。
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またソ連懐柔策として、1980年1月には小麦の輸出を決定し、デタントを演出しようとした。穀物の輸出は農業従事者に利益をもたらしたものの、禁輸措置は合衆国の農場主にとっては苦難の始まりを意味することとなる。
一方でカーターは同年、合衆国のアスリートがモスクワオリンピックに参加することを禁じ、若年男性への徴兵登録を復活させるに至る。
ソ連侵攻の後、合衆国はソ連の撤退に向け外交努力に努め、合衆国によるパキスタンでの難民計画への貢献は、アフガン難民を支援する上で重要な役割を果たした。
批判
ムジャヒディンへの資金提供がアメリカ同時多発テロの引き金となったという批判がある
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合衆国政府はパキスタンがグルブッディーン・ヘクマティヤールを「同志」と見なして、資金提供を許した廉で批判を行ってきた。
ヘクマティヤールは他のムジャヒディンを殺害し、合衆国から提供された武器を用いながら、2000名の犠牲者を出したカブール砲撃を含め、民間人を攻撃したためである。
またアルカーイダ創始者にして、マクタブ・アル=ヒダマトと呼ばれるアフガニスタンの義勇兵を支援していたオサマ・ビンラディンと親交があったとも言われる。
これを受けムハンマド・ジア=ウル=ハクはヘクマティヤールに対し、「アフガニスタンの指導者にしたのはパキスタンであり、無作法をし続けるのであれば、同様に殺害するのはパキスタンである」と警告。
ベーナズィール・ブットーパキスタン首相は1980年代末、イスラーム主義運動の台頭に懸念を表明し、ブッシュ大統領に「フランケンシュタインを造っているのはあなただ」と伝えている。
これに対し合衆国は、資金はあくまでアフガニスタンの反乱軍に当てられていると強弁し、オサマ・ビンラディンやムジャヒディンへの資金提供を否定。
しかしながら、アフガニスタン反乱軍の一部でさえタリバンに参加し、米軍に対する戦闘行為を行っている。
CIAがオサマ・ビンラディンに直接接したという証拠は無いものの、合衆国の資金提供はムジャヒディン集団に向けられており、同国の外交政策に批判的な者は、サイクロン作戦が2001年のアメリカ同時多発テロを生み出す潜在的な要因を造ったとしている。
ウィリアム・ハートゥングはアルカーイダの創設が、ソビエトのアフガニスタン侵攻時合衆国によるムジャヒディンへの支援と関係があると指摘。
一方クリストファー・アンドリューやソ連からの亡命者ヴァシリー・ミトロヒンによると、「CIAがビンラディンやムジャヒディンを支援することになった他のアラブ人義勇兵に資金提供を行っていたという主張」には何ら根拠が無いという。
ピーター・ベーゲンは「本当の問題はCIAが1980年代にビンラディンを支援していたのではなく、1996年1月局内にビンラディン課が立ち上げられるまで、その可能性に気付いていなかったことにある」としている。
出典: 「サイクロン作戦」
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チャーリー・ウィルソンも少しは後ろめたさを感じていたのですよ。。。だから、「われわれは悪の帝国(旧ソ連)と戦っていたのだ。(支援しないとすれば)それは第2次世界大戦中にヒトラーと戦うソビエト軍に(アメリカが)供給支援を行わないのと同様だ。当時、タリバンなんていう名前を知っていた人間なんていただろうか?」と述べた。。。そういうわけでチャーリーは、後ろめたさを感じながらもイスラム武装勢力たちの軍事強化に荷担したことを悔いることは無かったのですよ。。。
つまり、CIAの幹部は、こうなるだろうということを 薄々感じていたので大っぴらにチャーリー・ウィルソンの功績を表彰しなかったのねぇ〜。。。
そうですよ。。。だから、僕もこの映画を見るまでこの人物のことは全く知りませんでした。。。チャーリー・ウィルソンがイスラム武装勢力たちの軍事強化に荷担したことは、回り回ってオサマ・ビンラディンの勢力の強化にもつながる。。。その結果、バタフライ効果でアメリカ同時多発テロの引き金となったわけですよ。。。いわば、“時効になった”ので映画が作られたのです。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ〜。。。
あなたも、CIAのエージェントは、これまでに世界を駆け巡って紛争の種をばらまいてきたと思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんな事は どうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」
貴方は、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわ。。。
シルヴィーさんが登場する 興味深い面白い記事は たくさんあります。
興味があったら、ぜひ次の記事を読んでみてください。
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■『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』
■『真紀子落選(2013年1月14日)』
■『野火(2013年1月18日)』
■『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』
■『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』
■『インドのキリスト』
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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。
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ィ~ハァ~♪~!
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