なぜブログを書くの?(PART 1)

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デンマンさん。。。 ブロガーはなぜブログを書くのですか?

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理由はさまざまですよ。。。
たとえば。。。?
まず、金儲けのために書く 拝金主義者がたくさん居るのです。
マジで。。。?
例えば、悪名高い“いいねスパマー”の「アジ」という拝金主義者が立ち上げたブログです。

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■『拡大する』
■『実際のページ』

この男は2015年10月1日にブログを立ち上げて記事を一つ書いてから、2015年の10月に合計 記事を3つ書いた。。。

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それから約2年間 お休みして2017年の7月30日に最後の記事を書いてから冬眠を始めたのですよ。。。今も眠ってます。。。

どういうわけで冬眠したのですか?
バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んだら その理由が次のように書いてあった。
36 ブログを書き続ける人が
ずいぶん減ってきた。

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面白かったのに更新が止まってしまうブログが多い。
たとえば、十年続いているものは滅多にない。(略)
最初はすべてが新しい情報だからなんでも書ける。
そこに自己表現の場を見つけて、本人も楽しい。
その楽しさが読むと伝わってくる。
しかし、表現すべき「自己」にも限界がある。
ネタが尽きるのだ。
日々の生活から拾うネタは、同じようなことの繰り返しになるから、「また同じことを書いているな」と自分でもつまらなくなるのだろう。
反響もまた同じような繰り返しになってくる。
たまに踏み込んだ意見を書くと、利害や意見の違う立場から批判的なコメントをもらったりするから、そういう壁にぶつかってしまう。
だんだん億劫になってくる。
そんな勢いのなさも、読む方には面白いのだが、そのうちインターバルが長くなり、そのまま終わってしまう。
ツイッタの方が気楽だし、時間もとられない。
自然に低い方へシフトする。
わけのわからない批判や、ストーカまがいの嫌らしさに接すれば、SNSに逃げ込むことにもなるだろう。
どこへ行っても、たいていは同じである。
ようするに現実の社会と同じで、そこに「場」ができてしまうと、良いことも悪いこともつき纏う。
実社会とまったく同じ。
知らない人から反応があるだけで嬉しかった最初のわくわく感は、いったいどこへ行ってしまったのか……。
遅かれ早かれ、ほとんどの人が感じるのは、ネットによる束縛である。
いつの間にか、ネットが義務になっている。 (略)
ブログを続けられる人は、仕事としての報酬を得ているか、あるいはボランティアか、のいずれかである。
いずれも、不可欠なのは不特定多数に対する「奉仕」の気持ちである。
サービス精神がなくては続かない。
自分が得たい、自分を売り込みたい、では続かないということだ。
これは、ブログに限ったことではない。
普通の仕事もそうだし、もしかしたら、恋愛も同じかもしれない。
自分をわかってほしい、と訴える人はきっと長続きしない。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
100-101ページ 『本質を見通す100の講義』
著者: 森博嗣
2015年7月25日 第1刷発行
発行所: 株式会社 大和書房

でも、「アジ」さんは英語講座を売って報酬を得ているのだから、ブログを書き続けられるはずでしょう?

報酬を得てないから、続けられないのですよ。。。 でも、何とかして金儲けしようとして、効果のない“いいね”を飛ばして集客しているのです。。。
それで、デンマンさんはFACEBOOKで次のようなコメントを投稿して「アジ」さんのサイトを晒しているのですわねぇ~。。。

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このサイトは“いいね”を飛ばして集客する悪徳サイトです。。。
不誠実で迷惑行為を続けています。
信用できません。。。
信頼できないサイトです。。
渡部義人は悪質な語学業者の責任者です!
スパムを飛ばして集客しています。
この悪徳業者に騙されないように!
http://adbaji.com は悪徳サイトですよ!
IPアドレス: 183.90.228.48
京都府京都市中京区
株式会社ベット
WEBサイトアドレス:
http://www.212525.com/
『マヒナ奈々 悪徳業者』
https://denman705.wordpress.com/badguys/nanabad/
■『実際のページ』

あのねぇ~、この拝金主義に凝り固まった「アジ」は、僕の記事を読まないくせに 37個も“いいね”を付けまくったのですよ!

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■『拡大する』

上の赤枠で囲んだのが「アジ」の記録です。

マジでデンマンさんの記事を読まずに“いいね”を飛ばしたのですか?
そうです。。。 「いいね自動配信ツール」を使って定期的にアメブロ会員のブログに“いいね”をバラ撒いているのです。。。
ところで、デンマンさんは2005年以来、ほとんど毎日 記事をブログに投稿してますよねぇ~。。。 やっぱり報酬を得ているので、10年以上も毎日 記事を書き続けることができるのですか?
いや。。。 僕は金儲けのためにブログを書いているんじゃないのです。。。
じゃあ、何のためですかァ~?
あのねぇ~、たまたまバンクーバー市立図書館で借りていた別の本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

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「アール・ブリュット」について紹介したいと思います。 (略)
私が彼らに深い共感を覚えるのは次のような話です。
彼らのお母さんや彼らを支援している先生たちから聞いたところによると、彼らは自分の作品が注目されることにあまり関心がありません。
立派なスタジオが用意されて、その創造性に周囲が期待をもちはじめると、とたんに描くのをやめてしまうケースもあるそうです。
それは、彼らは自分たちが生きてゆくために、作品をつくり続けているからなのかもしれません。
アートのために生きているのではなく、生きていくために切実なアートを生み出しているのかもしれない。
何かのためではない、それは無意味な充実かもしれないが、答えはわからない。
絶えることのない反復と増殖する自己表現は、彼らが「抱える環境」を得て、目の前の創造的な空虚に向き合っていることの表れかもしれない。
心の宇宙は、空よりも広く、海よりも深い。
まだまだその意味は読み取られて、言葉になるのを待っている。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
251-252ページ 『コブのない駱駝』
著者: きたやまおさむ
2016年12月26日 第3刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店

つまり、デンマンさんは生きていくために切実なブログを書き続けているのですか?

言葉に出して言えば、そういうことです。
ところで、「アール・ブリュット」というのが イマイチ分からないのですけれど、どういうものですか?
『ウィキペディア』には、次のように書いてあります。
アール・ブリュット

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アウトサイダー・アート(英: outsider art)とは、西洋の芸術の伝統的な訓練を受けていない人が制作した作品であるが、アートとして扱われているものを指す。
フランスのジャン・デュビュッフェが1945年にアール・ブリュット(生の芸術)と呼んだ、強迫的幻視者や精神障害者の作品は、1967年にパリ装飾美術館にて初めて展示され公的に認知された。
1972年にイギリスのロジャー・カーディナルがアウトサイダー・アートとして、社会の外側に取り残された者の作品で、美術教育を受けていない独学自習であるとして、概念を広げ精神障害以外に主流の外側で制作する人々を含めた。
プリミティブ・アートや、民族芸術、心霊術者の作品も含まれるようになった。
1990年にはオーストリアの精神病院内にあるグギング芸術家の家の芸術家が国家芸術賞を受賞したし、モーリス・タックマン(英語版)が企画し1992年よりアメリカ、日本など4か国を巡回した「パラレル・ヴィジョン」展を通じて、アウトサイダー・アートの認識は広まってきた。
2010年代には、日本のアウトサイダー・アートとして障害者の芸術が海外で展示され好評を得て、日本でもその認識は高まっている。
概念や背景とその展開
19世紀を通じて発生したアカデミーの制度は正しい絵画技法を要求しその範疇にない芸術表現を二流の地位へと追いやったが、実際にはその時代もゴッホやゴーギャンのような革新者に満ちあふれており、19世紀末にはアカデミーに入ることは既に目標ではなくなっていた。
1880年代後半にアドルフ・ヴェルフリのような収容された統合失調症患者が絵画を通じて自己表現を行ったときにアウトサイダーの歴史は始まり、伝統的な芸術の営みの外側においても芸術の才能は開花するものだと確信し、デュビュッフェはアール・ブリュット(生の芸術)と呼んだのである。
19世紀から1920年代までは、精神科医に患者の作品が認識されだした時期であり、その後1945年からデュビュッフェはそうした作品が芸術だと認知されるよう取り組み、1985年に死亡した。
デュビュッフェのコレクションは1967年に、パリ装飾美術館(フランス語版)にて初めて展示された。
これをもってアウトサイダー・アートが公的に認知されたとされる。
デュビュッフェの死後、一般にも認知されるようになり精神医学は関係なくなり、インサイドに取り込まれようとしている。
19世紀末からの古典期は患者の作品が集められたが、(1950年代に)治療法が変わり抗精神病薬が登場し入院期間が短期化されると、精神病院からの作品の供給は途絶えてこそいないが、かなり変化した。
(日本では社会的入院の問題が残っており事情が異なる)
画家のジャン・デュビュッフェが1945年に、アール・ブリュット(生の芸術)と呼んだのは、強迫的幻視者や精神障害者の作品である。
デュビュッフェが1923年に入手していたのは、ハイデルベルク大学付属精神病院の医師プリンツホルンの著書『精神病者の芸術性』であり、(1945年には)この著書にあるような患者や作品を探してフランスやスイスの精神病院を訪ねた。
そうして、アドルフ・ヴェルフリ(英語版)の遺作や、アロイーズ・コルバス、ルイ・ステーに出会った。
デュビュッフェは、精神の深淵の衝動が生のままむき出しに表出され、美しい造形に対する反文化的な造形だと考えていた。
アウトサイダー・アートの言葉を最初に使ったのは、イギリスの美術評論家のロジャー・カーディナル(英語版)であり、1972年の著書『アウトサイダー・アート』の中である。
これによれば、強迫的な幻視者や精神障害者などの社会の外側に取り残された者の作品で、美術教育を受けていない独学自習であるということである。
つまり、カーディナルは概念を広げ精神障害以外に主流の外側で制作する人々を含めたのである。
カーディナルの基準とは、訓練されずに、歴史的分類に規定されるような作品を作りたいという衝動である。
そうして、プリミティブ・アートや、民族芸術、ホームレスの作品などが含められるようになった。
1989年にイギリスでアウトサイダー・アートの専門誌である Raw Vision が創刊されたが、同誌はアール・ブリュット、コンテンポラリー・フォーク・アート(大衆芸術)、幻視芸術のような同類の分野も取り扱っている。
アウトサイダー・アートという言葉はアール・ブリュットよりも広く、大衆芸術、幻視芸術のような他の用語を取り込んでいっており、その範囲は極めて拡大していっておりあらゆる新しいジャンルを含めていっている。
1992年の「パラレル・ヴィジョン」展では、コンパルシヴ(強迫観念にとらわれた)、アントート(教育によらない)、ヴィジョナリー(幻視的)といった特徴のある作家が集められた。
これはデビュッフェが、アール・ブリュットと定義した概念と似ている。
企画者のモーリス・タックマン(英語版)は、当初、部族のシャーマン的美術やアボリジニの樹皮絵画、アクリル絵画、もちろん精神病院に隔離され完全に阻害された人々の美術を含めようとしていたが、収集がつかなくなたのか、強迫的幻視者と精神病者の造形に縮小された。
そこには心霊術者エレーヌ・スミスやマッジ・ギルの作品も含まれた。
欧州では、主として独学の強迫的幻視者や精神障害者による造形を指し、アメリカではより広くフォーク・アート、民族芸術などアウトサイダーのグループや個人までが含まれる。
日本ではアウトサイダー・アートは障害者アートと捉えられている。
ゴッホの扱いはやっかいであり、1950年代のベストセラーであるコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』では幻視者という理由でアウトサイダーだとされているし、デュビュッフェはゴッホを既成の芸術だと捉え、タックマンによれば精神を病み独学自習であったがプロの芸術家であるためアウトサイダーではないと断っている。
出典: 「アウトサイダー・アート」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本ではアウトサイダー・アートは障害者アートと捉えられていると書いてありますわねぇ~。。。

そうです。。。 でもねぇ~、次の箇所に注目して欲しい!

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19世紀を通じて発生したアカデミーの制度は
正しい絵画技法を要求し
その範疇にない芸術表現を
二流の地位へと追いやったが、
実際にはその時代もゴッホや
ゴーギャンのような
革新者に満ちあふれており、
19世紀末にはアカデミーに入ることは
既に目標ではなくなっていた。

ブログは、文学とか文芸と言われるものと比較すると、まさにアウトサイダー的なものですよ。。。 でもねぇ~、本来のブロガーは「抱える環境」を得て、目の前の創造的な空虚に向き合って 絶えることのない反復と増殖する自己表現をしているのですよ。。。

デンマンさんも、そうやってブログを更新していると言うのですか?
そうです。。。 いけませんか? 金儲けのためじゃありません!

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(すぐ下のページへ続く)