ロバート・ケネディ暗殺
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ケイトー。。。どういうわけで ずい分前に起こった ロバート・ケネディ暗殺 を取り上げるのォ〜?
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実は、ネットサーフィンしながら 調べることがあって YouTube のクリップを観ていたら 次のビデオに出くわしたのですよ。。。
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「誰がロバート・ケネディを殺したのか?」というタイトルのクリップなんだけれど、そんな事はもう決まっていることじゃないか?。。。と、僕は思ったのですよ。。。
そうねぇ〜。。。子供の頃にアメリカに移住したパレスチナ系アメリカ人でサーハン・ベシャラ・サーハンという若い男が犯人だということになっているわよねァ〜
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そうなのですよ。。。でもねぇ〜、この暗殺事件は、当時からサーハンの単独犯行ではないだろう、ということが囁(ささや)かれていた。。。
サーハン・ベシャラ・サーハン
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2016年の15回目の仮釈放聴聞会の前日のサーハン
サーハン・ベシャラ・サーハン(سرحان بشارة سرحان、Sirhan Bishara Sirhan、1944年3月19日 - )は、パレスチナ系アメリカ人で、元アメリカ合衆国司法長官で大統領候補であったロバート・ケネディの暗殺犯。
職業 元サンタアニタパーク競馬場社員。
イギリス統治下のパレスチナ、エルサレムで生まれたサーハンは、12歳の時に家族とともにアメリカのニューヨーク州に移民した。
その後カリフォルニア州に移ったサーハンは、パサデナ・シティ・カレッジを卒業後の1965年にサンタアニタパーク競馬場に就職した。
ロバート・ケネディ暗殺
詳細は「ロバート・ケネディ暗殺事件」を参照
1968年6月5日に、民主党選出の大統領候補で元司法長官でもあるロバート・ケネディが、ロサンゼルスのアンバサダーホテルの宴会場で行われた予備選の祝勝会で演説した後、会場を出るための近道として調理場を通る途中に、サーハンが22口径の銃でロバートを撃ち、さらに周辺にいた5人にも重軽傷を負わせた。
サーハンはその場で無傷で取り押さえられたものの、ロバートは右脳を損傷し、翌6日早朝死亡した。
疑惑
その後サーハンは暗殺動機を「ケネディが親イスラエル的言動を行ったため」と発言したものの、その後「銃撃の瞬間のことは覚えていない」と発言したことや、銃撃後その場から逃げようとするどころか銃を構えたまま立ちつくしていたなど、不自然な言動を取ったことから、「サーハンは犯行時に何者かによって催眠術を施されていた」という説もある。
また、銃撃直前にサーハンがホテル内のバーで会話をしていた白人女性が、なぜか事件後に衣服を事件現場周辺に脱ぎ捨てたまま姿を消したほか、ロサンゼルス市警察が2000枚以上の証拠写真等をなぜか焼却廃棄し早々に捜査を切り上げるなど(その後FBIが捜査を受け継いだ)、捜査状況についても不審とされる点が多い。
さらに複数の研究者が目撃証言や解剖結果、弾道解析を受けて調査した結果、サーハンが銃撃したという捜査結果と矛盾する点があるという結論に達したなど、現在に至ってもサーハンの単独犯行説に異議を唱える者が多い。
現在
その後行われた裁判でサーハンは(死刑から)終身刑となり、数度に渡り裁判のやり直しを求めたもののすべて却下されている。
なお、サーハンは1989年にインタビューに応じ、「銃撃の瞬間については覚えていないものの、自分が犯人である」と述べている。
現在はカリフォルニア州のプレザントヴァレーにある刑務所に収監されている。
2021年8月27日、カリフォルニア州当局は仮釈放を勧告した。
出典: 「サーハン・ベシャラ・サーハン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィキペディアの説明にも書いてあるけれど、現在に至ってもサーハンの単独犯行説に異議を唱える者が多いのですよ。。。
上のクリップも、サーハンの単独犯行ではないと、多くの事件関係者や刑事事件専門家が言ってるようねぇ〜。。。
そうなのですよ。。。僕は、この事件を日本で暮らしていた頃に耳にしたのだけれど、初めからなんとなく 胡散臭い事件だという印象を持ったのですよ。。。
それで、上のクリップを観て改めて この暗殺事件を考えてみようと思ったわけなのォ〜?
そういうことです。。。確かに、上のクリップで説明しているように 僕も単独犯行ではないと思う。。。つまり、ロバート・ケネディに致命傷を追わせた もう一人の犯人がいたのですよ。
でも、どのニュース映像を見ても、サーハンだけが映し出されて、もうひとりの犯人は画面に出てこないじゃないのォ〜?
だから、そこにいても不思議でない人がもうひとりの犯人なのですよ。。。そこにいても不思議でない人だから、誰もその犯人に注目しなかった。。。最初の銃を発射したサーハンだけが注目されてしまったのですよ。。。
でも、そう言ったところでケイトーの言うことは説得力がないわァ〜。。。その証拠でもあるのォ〜?
あるのですよ。。。もちろん、上のクリップに出てくるのだけれど。。。まず、当時は、発見されてなかったのだけれど、ポーランドのジャーナリストが現場にいて、その時の演説を録音テープに記録しておいたのですよ。。。スイッチを切るのを忘れていたので、その後の拳銃の音が録音されていたというわけです。。。そのテープの銃撃音をポーランドのジャーナリストが2005年に発見して、音響の専門家に分析を依頼した。。。それを調べてみると、なんと13発の弾が発射されていたことが判った。。。
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上の写真の波形で分かるように 13発の弾丸が発射されていることが判る。。。ところが、サーハンが使った22口径の拳銃には銃弾が8つしか入っていなかった。。。
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サーハンは、こうしてロバート・ケネディの向かって斜め左前から拳銃を撃ったのですよ。。。2発撃ったあとで、近くの人達に捕まえられて、取り押さえられ、格闘している最中に更に6発を撃って、弾倉はからになった。。。
あとの5発は誰が撃ったのよ?
もうひとりの犯人が撃ったのですよ。。。実は、ロバート・ケネディの致命傷は、右耳の後ろから撃たれた銃弾なのですよ。。。
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この銃弾によって脳が損傷して死に至った。。。つまり、ロバート・ケネディの斜め後ろにいた犯人が致命傷をおわせたのです。。。
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あらっ。。。この制服と帽子を被った男がロバート・ケネディに致命傷を負わせた別の犯人なのォ〜?
そうです。。。でもねぇ〜、この犯人の後ろに黒幕が居るのですよ。。。
つまり、ロバート・ケネディ暗殺を計画し、それを実行させた黒幕がいるわけぇ〜。。。?
そうです。。。要するに、サーハンは、JFK大統領暗殺のオズワルドと同じ役目を負わされただけで、実際の致命傷を負わせた犯人は別に居たというわけです。。。
。。。で、その黒幕はいったい誰なのよゥ?
ロバート・ケネディ暗殺は、1968年6月5日に起こった。。。この当時の似たような事件に、ブラックパンサー党のリーダーの一人が暗殺された。。。この事件は、翌年1969年12月4日に起こった。
フレッド・ハンプトン
Fred Hampton
フレッド・ハンプトン(1948年8月30日 - 1969年12月4日)は、アメリカ合衆国の黒人社会運動家で、ブラックパンサー党の指導者の一人である。
1948年8月30日、イリノイ州シカゴに生まれ、のちに両親とともにルイジアナ州へ移り、両親は銀行で働いた。
高校時代、ハンプトンは陸上競技で優秀な成績を収めた。
大学時代に全国有色人向上協会(NAACP)に加盟していたハンプトンは卒業後にブラックパンサー党に入党し、カリスマ的な指導力で有名となり、イリノイ州の代表に選ばれた。
彼は党を指導したほか、プエルトリコ人の自衛組織ヤングローズや白人低所得層の政党ヤングパトリオットのオルグを積極的に行った。
1969年12月4日の夜、ハンプトンの行動に危機感を抱いていた地元警察は、ブラックパンサー党と敵対関係にあった連邦捜査局(FBI)と共同でハンプトンのアパートを襲撃し、ベッドで寝ていたハンプトンと党員の一人マーク・クラーク(Mark Clark)を射殺した。
この際警察側はハンプトンが先に発砲したと公表している。
生前彼は言語学者・思想家のノーム・チョムスキーから「ブラックパンサー党の中で、最も才能があり前途有望な指導者の一人」と評価された。
出典: 「フレッド・ハンプトン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この暗殺はFBIのエドガー・フーヴァー長官が指揮を取ったようなことを言ってるわねぇ〜。。。
そうなのですよ。。。ブラックパンサー党がアメリカで革命を起こすのではないか? フーヴァー長官はマジでブラックパンサー党に危機感を覚えていた。。。なんとかしなければならないと思い込んでいた。。。
それで、カリスマがあり、有能なブラックパンサー党の指導者の一人であるフレッド・ハンプトンが暗殺されたというわけなのォ〜?
そういうことです。。。このエドガー・フーヴァー長官は、FBIを立ち上げて、長官の椅子に なんと 48年近くしがみついていたのですよ。。。
ジョン・エドガー・フーヴァー
John Edgar Hoover
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(1895年1月1日 - 1972年5月2日)
アメリカ連邦捜査局(FBI)の初代長官である。
1924年5月10日に司法省内の捜査局(Bureau of Investigation:BOI)の第6代長官に任命され、組織がFBIに改称された後の1972年に死去するまで長官職にとどまった。
就任当時の第29代カルビン・クーリッジから第37代リチャード・ニクソンまで、8代の大統領に仕え、これは現在に至るまで合衆国で、最も長く政府機関の長を務めた人物の記録となっている。
なお彼以降はFBI長官任期は、10年に制限されている。
フーヴァーはFBIを巨大な犯罪捜査機関として強化したことや、指紋ファイルや法医学研究所などの捜査技術の近代化と科学的な捜査手法を導入したことで称賛された。
晩年と死後、フーヴァーは権力の乱用が明らかになり議論の余地のある人物となった。
彼はFBIの管轄権を超え、政治的な反対者や活動家に対してFBIを使って秘密ファイルを作成し、不正な方法を使って情報を収集したことが判明した。
その結果、フーヴァーには権力が集中し、大統領をも脅かす立場となった。
伝記作家のケネス・アッカーマンはフーヴァーの秘密ファイルが大統領による罷免から彼を守ったという考えは誤っているとする。
しかしリチャード・ニクソンは1971年にフーヴァーを罷免しなかった理由の1つとして、フーヴァーからの報復を恐れていたと述べている。
ハリー・S・トルーマン大統領によれば、フーヴァーはFBIを秘密警察へと変えた。
トルーマンは次のように述べている。「ゲシュタポや秘密警察は欲しくない。FBIはその方向に向かっている。彼らはセックススキャンダルと明らかな脅迫に手を染めている。J・エドガー・フーヴァーは優位に立つためなら右目すら差し出すだろう。上院と下院の全ての議員は彼を恐れている。」
ジョン・エドガー・フーヴァー、J・エドガー・フーヴァーなどと表記されることもある。
生い立ち
ワシントンD.C.生まれと自称していたらしいが、生い立ちの詳細はほとんど知られていない。
出生証明書は彼が43歳となった1938年までファイルされなかった。
よく知られる初期のプロフィールは、ジャーナリストのジャック・アレグサンダーが1937年にニューヨーカー・マガジンに執筆したものによる。
実父は、連邦政府職員であったが心を病み療養生活に入っていた。
高校卒業後、アメリカ議会図書館で働きながら、ジョージ・ワシントン大学で学士号を取得後、1916年、ジョージ・ワシントン大学ロースクールを卒業。
1917年にはジョージ・ワシントン大学から法律学の修士号を取得、また司法試験にも合格した。
学生時代にフラタニティの1つである「カッパ・アルファ・オーダー」のメンバーとなった。この図書館勤務でファイリング術を体得している。
司法省からFBIへ
大学卒業後、司法省に入省し、在留敵国人登録課長としてその有能さをすぐに証明した。
1919年に司法省の新しい諜報部門の長となった(ギャングのパーマー襲撃を参照)。
1921年には捜査局副長官、1924年に29歳の若さで長官に就任した。
就任当時、捜査局には441人の特別捜査官を含むおよそ650人の職員が在籍していた。
彼はそれまで予算も少なく腐敗した弱小官庁だったFBIの組織改革に意欲的に取り組んだ。
職員の私生活を調査し、不倫・同性愛・借金、さらには体重などを理由に次々に職員を解雇していった。
代わりにアメリカ全土から優秀な警察官を採用した。
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ただ、フーヴァーは人種差別主義者であり、当時のFBI捜査官に有色人種をほとんど起用しなかった。
一方、日系人の強制収容には「スパイと思しき者たちは真珠湾攻撃の直後にFBIが既に拘束している」として反対し、罪と能力への偏見を明確に分けていた。
就任中は、1930年代のギャング狩り、第二次世界大戦中のスパイ摘発、戦後の冷戦期初期に台頭したマッカーシズム(いわゆる赤狩り)には非米活動委員会と協調した諜報活動を行うなど、時代の要請に応じて様々な活動を指揮した。
こうした彼の指揮する諜報活動は連邦議会議員にまで及んでおり、そこで得たスキャンダル情報を盾に政治家さえも対応に窮するほどであった。
こうした中、捜査局は1933年に捜査部(Division of Investigation:DOI)に、1935年に連邦捜査局(Federal Bureau of Investigation:FBI)に変革改名され、1939年にはFBIが国内の諜報分野で卓越した能力と権限を持つことになり、1924年から1971年まで連邦議会はFBIの予算審議をいっさい行えないほどの「聖域」を築いた。
1939年に米国科学アカデミーより公共福祉メダルを受賞し、1966年にFBI長官としての功績に対し栄誉賞を受賞した。
1959年のフーヴァー
フーヴァーは人々の情報、特にFBIの記録とは別に非公式に政治家達の情報を収集してファイルに収録することでその影響力を蓄えていった。
アメリカ大統領を筆頭にした政権の閣僚のスキャンダルも収録していたので、大統領さえも彼に手を出せなかった。
『大統領たちが恐れた男』の原題であるOfficial and Confidential(公式かつ機密)は、フーヴァーが収録したファイルの名前を元にしている。
「フーヴァー・ファイル Files of J. Edgar Hoover」には、有名人に対する恐喝や政治的迫害が記録されている。
ジョンソン大統領は、自分が上院議員だった頃の電話を盗聴したのかフーヴァーに何度も電話で尋ねた。
ケネディ大統領は、海軍に勤務していた20歳当時、女性との性的な関係を実際に盗聴されてしまった。
政治家からの追及
1960年代の始め、上院議員のエドワード・ロングは聴聞会を開き、FBIの盗聴を追及した。
フーヴァーはこれに激怒し、彼に命じられた側近とFBI捜査官の2人が、ロングのスキャンダルをいくつか収録した「公式かつ機密」ファイルを本人に見せに行った。
以後、ロングの追及は尻すぼみになった。
1961年に大統領に就任したジョン・F・ケネディもフーヴァーを免職しようとした。
フーヴァーはすぐにケネディのもとに行き、もし免職したら自分が持っている情報(ケネディの女性問題や、自らも親しいジアンカーナなどのマフィアとの関係)を公開すると言い放ったという。
ロバート・ケネディがFBIを厳しく締め上げたとき、フーヴァーの片腕のクライド・トルソンは「誰かが奴を撃ち殺してくれればいいのに」と言い残している。
フーヴァーの死の直後、リチャード・ニクソンが部下に命じてフーヴァーの書斎を調査させた。
その「遺産」の内容を見たニクソンは激怒したと言われている。
その非公式の「遺産」は膨大な量だったと言われ、事実、秘書のヘレン・ギャンディが処分に数日を費やしたほどだった。
マフィアとの関係
競馬など賭博好きのフーヴァーは、当時勢力を強めていたこともあり存在感とともに非難が高まっていたものの、賭博に強い影響力を持っていたフランク・コステロやサム・ジアンカーナ、マイヤー・ランスキーなどのマフィアに対して、「FBIの管轄外である」として強い態度に出ることはなかった。
また、マフィアから収賄があったことが死後明らかになっている。
私生活
フーヴァーが同性愛者であり、服装倒錯者だったという推測及び噂が生前から多く出回っていたが、上記のように自らの記録を残さないようにしていたこともあり明確な証拠は殆ど残されていない。
フーヴァーはFBIの副長官(Associate Director)であったクライド・トルソンと40年以上の付き合いがあり、彼らはしばしば共に休暇を取り、毎日昼食を共にとっていた。
トルソンとの関係を証明する写真をマフィアが所有していたという噂もある。
また、彼らは両方とも生涯独身であり、フーヴァーは1938年に母親が亡くなるまで母親と同居していた。
フリーメイソンのメンバーでもあった。
出典: 「ジョン・エドガー・フーヴァー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あらっ。。。フーヴァーFBI長官は、ずいぶんと問題のある人物だったのねぇ〜。。。
そうなのですよ。。。すでにトルーマン大統領の頃から問題を指摘されていた。。。ハリー・S・トルーマン大統領によれば、フーヴァーはFBIを秘密警察へと変えたと言うのですよ。。。伝記作家のケネス・アッカーマンはフーヴァーの秘密ファイルが大統領による罷免から彼を守ったという考えは誤っていると書いているけれど、ニクソン大統領を含め、上院下院の議員たちもフーヴァー長官を恐れて口出しができなかった。。。だからこそ、48年間もFBI長官の椅子にしがみつくことができた。。。
つまり、フーヴァーをFBI長官の椅子から引きずり降ろそうとすれば、彼はそれを喰い止めるために、何でもするとケイトーは思うわけぇ〜?
そうですよ。。。事実、ロバート・ケネディがFBIを厳しく締め上げたとき、フーヴァーの片腕のクライド・トルソンは「誰かが奴を撃ち殺してくれればいいのに」と言い残しているのですよ。。。1961年に大統領に就任したジョン・F・ケネディもフーヴァーを免職しようとしたのです。。。
要するに、ロバート・ケネディが大統領になるとフーヴァーはFBI長官の椅子から引きずり降ろされるに違いないと思ったわけねぇ〜?
そうです。。。当時の暗殺事件を見てください。。。ブラックパンサー党のリーダーの一人であるフレッド・ハンプトンの暗殺だけじゃなく、黒人の人権擁護のリーダー、マーチン・ルーサー・キング暗殺にもFBIは深く関わっている! そうであるならば、当然、疑惑が出ているロバート・ケネディ暗殺にもFBIが関わっているということは、ごく自然なことなんですよ。。。
つまり、フーヴァーFBI長官がロバート・ケネディ暗殺の黒幕だとケイトーは言うのォ〜?
いや。。。僕は、断定しているわけではありません。。。ここまで読んできたネット市民の皆さんに判断してもらいますよ。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも、ロバート・ケネディ暗殺では、フーヴァーFBI長官が陰から指揮していたと思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」
あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわァ〜。。。
では、シルヴィーさんが出てくる面白い記事のことでも。。。
次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。
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■『熟女ヌード@デンマン』
■『ロッキード事件の真相』
■『政府と役人と嘘』
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■『あげつらう』
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■『三島由紀夫の謎』
■『ヒラリートランプ現象』
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とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。 バーィ。
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