デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

どこの応天門

2022-09-20 01:27:33 | アクセス解析の面白い...

 

どこの応天門

 


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デンマンさん。。。 「応天門」というのは、日本や中国や韓国に いくつかあるのでご〜♬〜ざますかァ〜?


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そうなのです。 ウィキペディアで調べると次のように、世界にいくつかあるのですよ。。。

 



応天門

 


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(洛陽と同じ様式の故宮午門)

 

応天門(應天門)は、いくつかの宮城に作られた門の名である。

 

洛陽

洛陽では、皇城内部にあり、宮城の南の正門だった(宮城は皇城の内側にある)。

605年に建造。当初は則天門や紫微宮門と呼ばれていたが、王世充により、順天門と改められた。
しかしこの順天門は、李世民の攻城により、ひとたび焼失した。

唐代初期に再建され、則天門と改められた。
その後、睿宗の代に、母武則天の「則」字を避諱して、現在の名の応天門となった。
ただし、晩唐五代に一時、五鳳楼と改名されていた。

左右3回ずつ折れ曲がる「双向三出闕」という様式である。
これはのちの紫禁城の故宮午門と同じであり、故宮午門はこれに似せて作られたとも言う。
国事や外交の式典に使われた。

1959年、中州渠の開削により、ほとんどが失われた。
1992年、国家文物局が一部を修復した。

 

平城京

現在基壇のみが残る。朝堂院の正門。
朱雀門の真北にあり、そこから会昌門跡、大極殿が見える。
規模は朱雀門より小さく、平安神宮神宮の応天門と同じくらいである。(旧跡を示す碑などは無い。)

 

平安京

大内裏の内側にあった門で、朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院(八省院)の正門である。
朱雀門のすぐ北にあり、朱雀門・会昌門と並ぶ重要な門であった。

場所は2012年まで出世稲荷神社があった所付近(京都市上京区と中京区の南西の境界付近)とされる(旧跡を示す碑などは存在しない)。

扁額は空海の筆によるものと言われている。
「弘法にも筆の誤り」ということわざは、空海(弘法大師)が応天門の扁額を書いた際に「應」の一画目の点を書き忘れてしまった(まだれをがんだれにしてしまった)が、空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き足したという伝承に由来する。

866年(貞観8年)、応天門の変で放火されたことで有名であるが、その他にもたびたび失われては再建されたが、1177年(治承元年)の大火で失われて以降、再建されなくなった。

応天門の変の後の再建の際には、改名を論じられている。

 

平安神宮の応天門

 


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平安神宮の応天門は、平安京の応天門を5/8のスケールで模したものである




出典: 「応天門」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



でも。。。、でも。。。、どういうわけで「応天門」を取り上げるのでござ〜ますかァ〜?



実は、つい最近 次の記事にコメントを貰ったのですよ。。。

 


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『拡大する』

『応天門の火事』


 



あらっ。。。ガーゴイルさんが「応天門放火の応天門は京畿道の応天の門である」と書いたのでござ〜ますわねぇ〜。。。



そうなのですよ。。。京畿道(キョンギド、けいきどう、朝: 경기도)というのは、大韓民国北西部すなわち朝鮮半島中西部に位置する行政区で、朝鮮八道における「京畿道」からソウル特別市と仁川広域市、及び朝鮮民主主義人民共和国の統治範囲を除いた地域のことなのです。。。道庁所在地は水原市です。。。

 


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(ウィキペディア「京畿道」より)

 



応天門放火というのは、韓国で起こったことなのですかァ〜?



もちろん、日本で起きた放火事件ですよ。。。

 


応天門の変


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応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の貞観8年(866年)に起こった政治事件である。

大納言・伴善男(とものよしお)は左大臣・源信(みなもとのまこと)と不仲であった。
源信を失脚させて空席になった左大臣に右大臣の藤原良相がなり、自らは右大臣になることを望んでいたともされる。


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応天門が放火され、大納言・伴善男(とものよしお)は左大臣源信の犯行であると告発したが、太政大臣・藤原良房の進言で無罪となった。
その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処された。
これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)は没落した。
藤原氏による他氏排斥事件のひとつとされている。

藤原良相は源信の逮捕を命じて兵を出し、邸を包囲する。
放火の罪を着せられた左大臣・源信家の人々は絶望して大いに嘆き悲しんだ。

参議・藤原基経(もとつね)がこれを父の太政大臣・藤原良房に告げると、驚いた良房は清和天皇に奏上して源信を弁護した。
源信は無実となり、邸を包囲していた兵は引き上げた。

朝廷は伴善男らを応天門の放火の犯人であると断罪して死罪、罪一等を許されて流罪と決した。
伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国、紀豊城は安房国、伴秋実は壱岐国、伴清縄は佐渡国に流され、連座した紀夏井らが処分された。
また、この処分から程無く源信・藤原良相の左右両大臣が急死したために藤原良房が朝廷の全権を把握する事になった。

この事件の処理に当たった藤原良房は、伴氏・紀氏の有力官人を排斥し、事件後には清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力を拡大することに成功した。




出典: 「応天門の変」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



つうことわァ〜、ガーゴイルさんは間違っているのでござ〜ますかァ〜?



もちろんですよ。。。僕は間違って書いたのかなァ〜? 一瞬、そう思ったのだけれど、99パーセント間違ってないという、ほぼ確信に似た自信があった。。。

でも、ガーゴイルさんは、どういうわけで間違ったコメントをわざわざ書いたのですかァ〜?

僕は、直感的に、これもコメントスパムだと思ったのですよ。。。それで次のように検索してみたのです。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



"京畿道の応天の門" と入れて検索したのですわねぇ〜。。。



そうです。。。すると、ガーゴイルが書いた同じコメントスパムが 1,070件もヒットするのですよ。。。

あらっ。。。こういう愚かなことをするコメントスパマーが居るのですわねぇ〜。。。

そうなのです。。。

日本語が解る韓国人の方でござ〜ますかァ〜?

いや。。。ガーゴイルは東京に住んでいる日本人ですよ。。。

 


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なぜ、間違ったことを書き回るような愚かなことをするのでしょうか?



馬鹿な暇人だから、たいくつして こういう愚かなことをして時間を潰しているのですよ。。。

こういうコメントスパマーは多いのでござ〜ますかァ〜?

多いのです。。。

 


(spam22-09-15.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



"コメントスパマー" と入れて検索すると 63,700,000件もヒットするということは、コメントスパマーがいかに多いか!ということの証拠ですよ。。。

 


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すんまへん。。。

15年以上にわたって

名誉毀損、誹謗中傷、罵詈雑言、

嫌がらせのコメントを

書き回っている

自分でも認める

生きる価値がない

クズの廃人
です。

 

オイラが遅かれ早かれ

死刑囚になるだろうと

デンマンさんが脅かすのです。

きゃはははははは。。。



『現実主義者 馬鹿の見本』

 



この男も"コメントスパマー" の一人ですよ。。。



あらっ。。。同じようなコメントをネットで書きまわっているのでござ〜ますかァ〜?

そうです。。。次の検索結果を見てください。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



現実主義者 コメント  と入れて検索してみたのですよ。。。すると、なんと 15,400,000件もヒットする



あらっ。。。15,400,000件 ものコメントを書きまわったのでござ〜ますかァ〜。。。呆れてしまいますわねぇ〜。。。こういう愚か者がネットにはたくさんいるのですわねぇ~!?

そうなのですよ。。。ある意味で、ネットは愚か者の溜(た)まり場なのですよ。。。


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたは、暇を持て余してもコメントスパムを書き回らないでくださいねぇ〜。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


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メチャ面白い、

ためになる関連記事




(linger65.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』




軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


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白木屋お熊とセックス

2022-09-20 01:09:00 | エロいけれどためになる

 

白木屋お熊とセックス

 


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デンマンさん。。。 どうして わたしが2日続けて登場するのですかァ~?


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あのねぇ~、今日の話にもジューンさんが出てくるのですよ。

ご冗談でしょう!。。。

いや。。。 出だしから悪い冗談を言っていると、この記事を読み始めたネット市民の皆様が他のブログへ飛んでしまいますからねぇ~。。。 僕はそのような愚かな事はしません。。。

でも。。。、でも。。。、わたしは白木屋のお熊さんという人を知りませんわァ。

そのうち思い出しますよ。。。 まず次のリストを見てください。

 


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『拡大する』

 



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月1日から15日までの約2週間の「リンク元URL」のリストですよ。



あらっ。。。 相変わらずGOOGLEで検索して『宮沢りえブーム?』を読む人がダントツですわねぇ~。。。

 


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『宮沢りえブーム?』

 



あのねぇ~、今日は宮沢りえさんの話ではないのですよ。。。 上のリストの赤枠で囲んだ 18番に注目して欲しいのですよ。。。



あらっ。。。 次の記事が 6名のネット市民に読まれたのですわねぇ~。。。

 


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『大岡越前とセックスと白子屋お熊事件』

 



上の記事は 2007年の4月22日に書いたのです。。。 でも、けっこう読まれているのですよ。



どうしてでしょう?

やだなあああァ~。。。 決まっているじゃありませんか!。。。 タイトルが刺激的でしょう!?。。。 このタイトルにつられて読むわけですよ。。。

つまり、セックスが絡(から)んだ事件を大岡越前さんが裁いたのですわねぇ~。。。

そうなのです。。。 事件の内容を読んでみてください。

 


大岡裁き


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材木商白子屋の美しいわがまま娘「お熊」
出来の良いまじめなだんな「又四郎」を婿に迎えるが、質素でまじめな「又四郎」が気に入らない。
浮気相手の番頭「忠八」と母「お常」と共謀し、下女「きく」を使って「又四郎」を殺そうとするが失敗。
「又四郎」が事件を「大岡越前」に訴えた。

判決は
「お熊」引き回しの上死罪
「お常」引き回しの上島流し
「忠八」引き回しの上晒し首
「きく」死罪
「ひさ」(浮気の手伝いをした)引き回しの上死罪
白子屋の財産没収
「正三郎」(お熊の父)江戸から追い出し
「又四郎」お咎めなし

大岡越前、厳しいです。

有名な逸話「手を離したほうが本当のお母さん事件」は
旧約聖書や中国の古典が伝わってできたものらしいっす。
三方一両損も落語らしいっす。




『大岡裁き』より


 



あらっ。。。 このお裁きは厳しすぎるのではありませんかァ!?



そうなのです。。。 確かにこれは現在の裁判基準と比較すると あまりにも厳しすぎます。 「又四郎」が殺されて死んだのならともかく、この事件では誰も死んだ者がいないのに、「大岡裁き」によって4人が死罪になっている。

現代人の感覚では、無茶苦茶な裁きのように感じられますわァ。

でも、こんなに厳しい裁きをしたのに大岡越前は人気があったのです。。。 しかも、大名にまで出世した。

なぜですか?

つまり、それだけ世の中が乱れていたのでしょうねぇ~。。。 だから、乱れた世を批判的だった庶民の人気を集めたのですよ。。。 要するに、お熊が悪い女だったので、それを懲らしめた大岡越前が人気が出たのですよ。。。

お熊さんは、それほど悪い女だったのでしょうかァ~?

あのねぇ~、お熊は お金持ちの娘で、恐らくわがままに育てられたのでしょう。。。 美しいわがまま娘のお熊。。。 それに対して 出来の良い真面目な旦那の又四郎。

なぜ、お熊さんは 質素で真面目な又四郎が気に入らなかったのですか?

要するに、お熊は我がままで、甘やかされて育ったので、人を見る目がなかったのでしょうね。。。 つまらない草食系の男だと思ったのですよ。。。 質素で真面目すぎる又四郎の存在自体が、遊び人のお熊には面白くなかったのでしょう。。。 それで、浮気相手の番頭「忠八」と母「お常」と共謀し、下女「きく」を使って又四郎を殺そうとした。

確かに、ひどい事件ですわァ~。。。 でも、どうして、デンマンさんは また この事件を取り上げる気になったのですかァ~?

ちょっと次の部分を読んでみてください。

 


「白子屋お熊事件」が起きたのは江戸時代も中期です。
徳川吉宗の時代で質素倹約が叫ばれていた時でした。

5年後の享保十七年(1732年)には次のような事が起きています。

旗本千石の榊原家当主だった榊原政岑(さかきばらまさみね)は、
従兄にあたる榊原二代姫路藩主・政祐(まさすけ)の嫡子が無いことから、
末期養子(緊急避難的な跡取り養子)となり、政岑は19歳にして千石の旗本侍から、一気に姫路十五万石の大名になった。

もともと派手好きだったのでしょうね。
江戸城警護の役目の際に、奇抜な格好で大手門を警護したり、江戸にいる間は連日、新吉原へ繰りだした。

当時、将軍・吉宗の出していた質素倹約令を無視し、遊興に耽っていたのです。
挙句の果てに、新吉原三浦屋の名妓・七代目高尾太夫を1800両?(諸説あり)で身請けし、
姫路城へ連れ帰り、自分の側室とした。

 


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このことが将軍・吉宗の怒りを買い、寛保元年(1741年)9月に出府を命じられ、
榊原政岑は乱行ゆえに隠居、蟄居を命じられた。

つまり、こうした時代背景を考えると、「白子屋お熊事件」の厳しいお裁きは
“見せしめ”でもあったと言う事が良く分かりますよ。

贅沢三昧(ぜいたくざんまい)に遊び暮らして、
挙句の果てに人殺しまでして贅沢を押し通そうとしたお熊と共謀者に対して
“質素倹約”を怠ると、このようなことになりますよ!と言う見せしめだったようです。

貧乏暮らしを強いられている庶民にとっては、
“それ見ろ!いい気味だぁ~~”と思えたのでしょうね。

だから、大岡越前の厳しさを責める人よりも、彼の厳しさを褒める人の方が多かったようです。
そういう所に人気の秘密があったのかもしれません。

ところで、記憶と言うものは当てにならないですよね。
「白子屋お熊事件」を、どういうわけか僕は
金に目がくらんだ50代の女が栃木県鬼怒川のホテルオーナーを色仕掛けでおびき出して殺した事件だと思い込んでいた。

でも、こういう事件が実際にあったのですよ。
この事については、又別の機会に書きたいと思います。


 



金に目がくらんだ50代の女が栃木県鬼怒川のホテルオーナーを色仕掛けでおびき出して殺した事件というのは“ホテル日本閣殺人事件”と呼ばれる事件で、犯人は“小林カウ”という女なのです。

 


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つまり、この事件について いつか書こうと思っていたのに、書いてなかったので今日 その話をするのですか?



そうです。。。 いけませんかァ~?

いえ。。。 ぜひ聞きたいですわ。

あのねぇ~、 栃木県鬼怒川のホテルのオーナーを殺したと思い込んでいたけれど、調べたら、塩原温泉の“ホテル日本閣”でしたよ。 塩原温泉というのは、栃木県那須塩原市の塩原地区内にある温泉で、箒川沿いの谷間を中心に点在する11の温泉の総称だということです。

。。。で、その小林カウさんというのは、どのような女性なのですか?

「白子屋お熊事件」のお熊よりもひどい女ですよ。

 


小林カウは1908年、埼玉県大里郡玉井村(現・熊谷市)の農家に生まれた。
カウの家は集落の中では旧家だったが、例によって貧窮な家庭だった。
カウは7人兄弟の5番目の次女。
小学校を4年で終えて、5年ほど家事を手伝い、やがて都会に憧れて東京・本郷の旅館に女中奉公に出た。

1930年、カウ22歳の時、熊谷の在に嫁いだ姉の口利きで、新潟県柏崎市出身の林秀之助(当時27歳)と見合い結婚した。
秀之助は身長160センチもない貧弱な体格で、青黒いような顔をした青年だった。
結婚してみると、秀之助は慢性胃腸病と慢性淋病の持つ主で、カウは性的にも満足が得られなかった。

夫婦で熊谷市中で雑貨商を営んでいた1931年、長男が誕生するがまもなく死亡。
その後、娘が誕生した。

そのうち商売がうまくいかなくなり、夫婦は熊谷を離れ、東京近辺を転々とした。
この間、戦争が本格化し、秀之助も兵隊にとられるが、体を壊して戻ってきた。
以来、秀之助は気力のない中年男になっていた。

戦争が終わると、夫婦は熊谷に家を建て、自転車のタイヤのブローカーをする傍ら、ゴム、米、砂糖などの禁制品も扱い始める。
またカウは内職で 菓子の五家宝づくりを手がけた。

 


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さらに観光地向けの辛子漬や芋のつるの砂糖漬の土産物製造卸売りを始め、病みがちな夫に代わって、カウの働きで生計が支えられていた。
この頃からカウは金を稼ぐ楽しさを知り、物欲が強まっていった。

精力旺盛なカウは愛人づくりもマメであり秀之助はそれに気づいていたが黙認していた。

ある時、近くの交番の若い巡査が戸口調査簿を手に小林家に現れる。
この男の名は中村又一郎(当時25歳)。
独身ですらりとした男前だった。
闇物資を扱うカウの家では、この訪問は何か気味が悪い。

そこでカウはこの中村巡査に手厚いおもてなしをした。
中村は気をよくして、親しくカウの家を出入りするようになった。
当初、カウは中村を娘の婿に、と考えていた。
ところが欲望が満たされていくなかで唯一性的な満足がなかった40代の女と、おもてなしを好意と受け取った20代の男、そんな2人の関係ができあがってしまうのに時間はかからなかった。

2人の関係は続き、カウは中村と一緒になりたいと考える。
秀之助に「財産は何一ついらないから。暇をもらいたい」と頼んだが、聞き入れられなかった。
 
1952年10月2日、秀之助が突然異様な唸り声をあげて死んでしまった。
その声にびっくりした隣人が駆けつけると、カウは夫の死に顔を撫でていたという。
秀之助のかかりつけの医師は、保健所の医師立会いの元で脳出血と診断した。
カウ夫妻はたびたび派手な喧嘩をしていたことから、近所でもその死を疑う噂が流れたりしたが、熊谷署は捜査を打ち切った。

その後まもなく、カウは中村を家に引き入れて同棲を始める。
中村は以前からその行状が上司に知られており11月6日に懲戒免職となった。
しかし、そんな同棲生活も2年で終結する。
中村は母親ほどの女性に嫌気がさしたのか、カウを追い出し、若い娘と結婚したのだ。

やがてカウは 近県の温泉地をまわり、1954年、事件の舞台となった栃木県・塩原温泉郷に初めてやってきた。

 


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1956年春、カウはホテル明賀屋前の小店を一軒、1年分の家賃をポンと前払いして借り、「那珂屋物産店」の看板をあげた。
ここでカウは最初の一旗をあげた。

カウの商売魂はおさまらず、翌年春には隣りの店を買いとって、小食堂「風味屋」をひらいた。
店の売上は伸び、銀行預金を増やし、土地も買い、資産300万円ほどになっていた。
成功を手にしていながら、カウはさらに上を見る。

そして「温泉宿をひとつ持ちたい」と思うようになった。
旅館の仕事ならば女中奉公のキャリアがあるし、女主人はカウの理想であるステイタスだった。

1958年秋、カウは「ホテル日本閣」が安値で売りに出ていることを知る。
ホテル日本閣は名前こそ立派だが、実際は三流クラスの小旅館だった。
この日本閣が経営不振で3、400万円で投げ出すという噂があり、カウは飛びつくように交渉した。
しかし、主人である生方鎌助は まるで売る気はなく、話はいったん立ち消えた。

生方鎌助は温泉番頭などを経て、1957年春、ホテル日本閣の看板を掲げた。
しかし、やや強引に開業してしまったために温泉組合からはじき出され、引き湯の権利がとれなかった。
自費で送湯管を敷いたが湯が冷えて、ボイラーで沸かしなおした。

当然ながら、経営は厳しく、閑古鳥はなくばかりだった。
鎌助はおかげで一時気がおかしくなり、宇都宮の精神病院に入院した。
1958年夏に退院したが、誇大妄想に悩まされるようになっていた。

いっそのこと温泉宿は廃業にして出なおそう、と鎌助の妻・ウメは言った。
しかし、鎌助は聞かず、創価学会のご利益に頼って、1959年春には新館の増築にかかった。
だが途中で資金が尽き、未完成のみっともない姿に壊そうにも金がかかり、鎌助は途方にくれることになった。

ここで鎌助は前年交渉にきたカウを思いだし、すぐに融資をもちかけた。
この時の条件は「妻・ウメに対する手切れ金50万を出してくれれば、後釜に迎えてやる」というものだった。
カウは「50万で温泉旅館の内儀さんの座が買える」とこの生方鎌助という男に賭けてみる事にした。
しかし、手切れ金を30万に下げたところ、ウメは50万円を譲らなかった。
「どうせウメは承知しないだろう、こうなれば一文も手切れ金をだすのが惜しい」とカウはウメ殺害を考えた。

1960年1月中旬、カウは日本閣の雑役をしていた大貫光吉(当時36歳)にウメ殺害を命じた。
「手間賃2万円、成功したら抱いてやる」と言ってカウは大貫の手をとり股にはさんだ。
女ッ気のほとんどない大貫は思わずうなずいた。

2月8日、怖くなり殺害を躊躇しつづけていた大貫に、今度は鎌助が励ましの言葉をかける。
「ウメは体が弱っていて、ちょっと絞めればイチコロだから、今夜は間違いなくやってくれよ」
そしてこの夜、大貫はひとり寝ていたウメを首を麻紐で締めて殺した。

その後、カウは今度は邪魔になった鎌助を殺そうと思い立つ。
1960年の大晦日、日本閣の帳場の炬燵で3人はテレビを見ていた。
午後5時過ぎ、カウは夕食の仕度で台所に立ち、忍び足で戻ると、背後から鎌助の首を細引で絞めつけた。
そこへ大貫が鎌助にとびかかる。
カウの持っていた細引がぷつんと切れ、そこで大貫は鎌助を押し倒し首を絞めた。
カウが包丁を差し出すと、大貫は必死に抵抗する鎌助の首に刺し、殺害した。

しかし、悪事はやがて露見するもので、2月20日、ついに小林カウと大貫光吉は逮捕となった。
この時、カウ52歳、それでも小太り丸顔でチャーミングなところがあったという。


 



やっぱり悪事は いつか露見してしまうものですよ。。。 逮捕されてから、カウは夫も自分で殺したと白状したのです。



。。。で、その後は どうなったのですか?

もちろん、裁判で死刑の判決がでたのですよ。。。 でも、カウは「私は女だから、絶対に死刑執行はない。。。、いずれ減刑されて釈放されるわァ」と思い込んでいたのです。。。

あらっ。。。 マジで。。。?

釈放されたら、伊豆の大島に土地を買って 老人ホームを運営するんだという夢を抱き続けていたそうです。

。。。で、釈放されたのですか?

いや。。。 カウは15年ぐらいで出てこられると思っていたようだけれど、世の中は、なかなか思い通りには行かないものですよ。。。 1970年に死刑が執行され、女性では戦後初めて 絞首刑にされた死刑囚になったのです。




初出: 2016年3月16日



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
大変な女性がいたものですわァ。

でも、やっぱり、色仕掛けで共犯者を誘うというのは いけませんわよねぇ~。。。

だけど、女性の魅力というのは、殿方にとっては、無視できないようですわ。

実は、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”をお目当てに ネット市民の男性が あたくしの周りに寄ってくるのですわァ~。
うふふふふふ。。。

ちょっと次の検索結果を見てくださいましなァ~。。。


(gog60315a.png)

『現時点での検索結果』

「卑弥子 あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”」を入れて検索し、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を探し当てたのですわ。

あなたのために拡大してご覧に入れますわねぇ~。。。

うふふふふふふ。。。


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。
信じてくださいましなァ~。。。

ところで、あなたは『万夜一夜物語』を読んだことがござ~ますかァ~?

“千夜一夜物語”ではなくてぇ、“万夜一夜物語”ですわ。


(manya02.jpg)

『万夜一夜物語』

デンマンさんが書いたのでござ~ますわよう。

ええっ。。。 10,001の話が書かれているのかってぇ~。。。?

とにかく、上のリンクをクリックして読んでみてくださいませぇ~。。。

あなたも、絶対にビックリするようなお話が出てきますわァ。

あたくしも、そのお話にあやかってウェディング ドレスを着てみました。

ええっ。。。 どんなドレスかってぇ~。。。?

あたくしのウェディング ドレスは“プーフィー(poofy)”なのですわよう。

つまり、ふわふわと膨らんでいるようなドレスなのですわ。

極秘の お写真なのですけれど、あなたのために、ここに貼り出しますわねぇ~。。。

じっくりとご覧になってくださいまし。。。


(poofy09.jpg)

ジューンさんの真似をして金髪に染めてみましたわァ。

いかがでござ~ましょうかァ?

このお写真を見れば、きっと あたくしと結婚したい ハンサムな殿方が
プロポーズしてくれると思うのでござ~♪~ますわァ。

おほほほほほ。。。

ところで、ジューンさんが登場する面白いお話はたくさんあります。

興味のある方は、どうか次のリンクをクリックして読んでくださいましねぇ~。。。





(roten101.jpg+cleoani.gif)

『最新混浴風景なのね』

『下着にこだわるのね』

『男心をそそる女の秘密』

『デンマンさん、おかえり』

『なぜヴィーナスのえくぼ』

『マドンナと行田の黒い霧』

『お○○こ画像』

『タイトルの魔術』

『なぜ処女とおばさん?』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『やっぱり処女とおばさん』

『ウンコで走るバス』

『レダの卵』

『正月の熟女』

『新春画ネット散歩』

『愛と下着の美学』

『モナリザもビックリ』

『象が泣く』

『国際化に加速』

『美しき未亡人』

『ジューンさん、バイザイして』

『ジューンさん“いいね”が付いてるよ』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

『床上手なのねぇ~』

『外国人SEXデンマン』

『外国人SEXデンマン再び』

『大きいことはいいことじゃない』

『デンバー直行便でジューンさんの下着』

『ジューンさんのヌードを探して』

『半分のお尻で…』

『プーフィードレス』


(sylvie122.jpg)

『万夜一夜物語』

『ゆかじょうず』

『日本語じょうず』

『モナリザがニーハオ』

『おばさんの下着がいいの?』

『なぜ、ヤノマミ?』

『マタハラ』

『マタハラとrundll32』

ジューンさんの熟女下着
(30june.jpg)

『お尻のえくぼ』

『なぜカウチポテト?』

『あなたの混浴』

『夢の出会いを求めて』

『乙女と処女』

『戦場に行くことを教えた女教師』

軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人
(godiva05.jpg)

『桜井の別れと母上様』

『ダイアモンドは女の親友』

『愛のコリーダを訳す』

『マルタ島のロマン再び』

『大前研一 奇妙な検索』

『ついに千夜一夜』

『いいね攻略と良妻賢母』

『批判が無いとヒトラーがのさばる』

『混浴入浴風景』

『9日間の女王』

『あなたは敬語?』

『原節子とジューンさん』

『モナリザの妹』

『ナイアガラとマリリンモンロー』

『おばさんパンツ@大晦日』

『ヴィーナスのえくぼ@ジューン』

『乳房振動とブラの研究』

『G線上のアリア』

『悲愴と白鳥』

『ブッダと千夜一夜物語』

『絹の道と千夜一夜物語』

『ヤノマミの乙女』

『ジャータカと今昔物語』


とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。


(hand.gif)



(chiwawa5.gif)

こんにちは。ジューンです。

スパムメールが相変わらず多いですわよね。

あなたのメールボックスにも、

ジャンクメールがいっぱい入っているでしょう!?

スパムメールを飛ばしているのは

いったい、どういう人たちなのでしょうか?

出会い系サイトのオーナーたちが多いそうですわ。

彼らは会員を集めるためにスパムメールをばら撒きます。

そのためにメールアドレスのリストを購入しています。

では、そのようなリストを販売している人は

どうやってメールアドレスを集めているのでしょうか?

ロボット(自動巡回プログラム)によって

自動収集させているのです。

ところで、サーチエンジンの自動巡回ロボットは

毎日世界中のサイトを訪問し、

その内容をデータベースに書き込んでいます。

同じように、このメールアドレス収集巡回ロボットも、

HTMLソースを分析し、

メールアドレスらしきものをどんどん記録してゆきます。

でも、使っていないメールアドレスが

たくさんあるのですよね。

あなたの使っているメールアドレスのことを

考えてください。

あなたはメールアドレスをいくつ持っていますか?

一つだけではないでしょう?

10以上持っているのではありませんか?

多分、ほとんどのメールアドレスは使ってないでしょう?

そのために、現在実際に使っている

メールアドレスを集めるために、

怪しい人物が使用度の高いメールアドレスを

集めているのですわよ。

だから、あなたもむやみに信用できない人に対して

返信しないようにしてくださいね。

詳しいことはデンマンさんが次の記事で書いています。

『コメント魔』

(2012年4月3日)



(himiko92.jpg)

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。

『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ



(juneswim.jpg)


(byebye.gif)
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