デンマンのブログ

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スパルタクス

2023-02-15 03:45:06 | 歴史四方山話

 

スパルタクス

 


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デンマンさん、スパルタクス というのは古代ローマで反乱を起こした奴隷のリーダーのことですかァ〜?


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そうです。。。

なぜ急にスパルタクスのことを取り上げるのですか?

最近、バンクーバー市立図書館でDVDを借りてスパルタクスの映画をいくつか観たのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



上のリストの赤枠で囲んだタイトルのDVDを借りて映画を観たのです。。。



8つの映画の全てにスパルタクスが出てくるのですか?

そうです。。。

あらっ。。。バレーまで観てるじゃありませんか! バレーにもスパルタクスが出てくるのですかァ〜?

もちろん、出てきます。。。僕も、血なまぐさい あの残忍で残酷な物語がどうしてバレーになるのだろうか? 不思議に思ったのですよ。。。どのようにしてバレーにしたのだろうか?…そういう興味に引かれてバレーも観たのですよ。。。

男ばかりのバレーですか?

いや。。。女も出てくるのです。。。男ばかりのバレーじゃつまらないでしょう! 僕も、バレーを観る前は、男だけが戦闘をするだけのバレーだと思ったのですよ。。。

あらっ。。。女性戦士も出てくるのですか?

いや。。。女性の戦闘員はいません。。。

でも、私の知る限り女性がスパルタクスの反乱に加わっていたなんて聞いたことがありませんわ。。。

もちろん、僕だって聞いたことがありませんよ。。。それで、調べてみたのです。。。

 



スパルタクス

 


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(生年不詳 - 紀元前71年)

 

スパルタクス(ラテン語: Spartacus)は、共和政ローマ期の剣闘士で、「スパルタクスの反乱」と称される第三次奴隷戦争の指導者。

紀元前73年、仲間の剣闘士とともに南イタリアのカプアの剣闘士養成所を脱走してヴェスヴィウス山に立て籠もり討伐隊を撃退、さらに近隣の奴隷たちが反乱に加わって数万から十数万人の群衆に膨れ上がり、紀元前72年には執政官の率いるローマ軍団を数度にわたって打ち破ってイタリア半島を席巻。

しかし紀元前71年にクラッススの率いる軍団によってイタリア半島南端部に封じ込められ、クラッススとの決戦に敗れた奴隷反乱軍は全滅し、スパルタクス自身も戦死した。
近現代になると再評価され、カール・マルクスは「古代プロレタリアートの真の代表者」と評した

 

出自と人物

1世紀の歴史家プルタルコスはスパルタクスの出自をトラキアの遊牧種族とし、勇気と力があるだけでなく、知恵があり温和な性格で出身民族よりもギリシャ人に似ていたと伝えている。

2世紀の歴史家アッピアヌスはトラキアに生まれ、ローマ軍の兵士となるが捕虜となり、剣闘士に売られたと記し、同じ2世紀のフロルスはやや詳細にトラキア人傭兵から兵士となり、逃亡して盗賊になり、そしてその強さから剣闘士となったと述べている。

プルタルコスはスパルタクスの出身をtū Maidikiū genūsと記している。
これは従来では「遊牧種族」の意味として捉えられており、碑文や出土品にスパルティコ、スパルトコスといった似た名前の人物がいるロドピ山麓のベッシ族とする説が有力だったが、ドイツの歴史学者ツィーグラーが当時のトラキアには遊牧民は存在せず、これはトラキアの部族名のマイドイ族(メディ族)の意味であると主張して有力になった。

一方で、これを史料の改竄として批判する意見も出されており、歴史学者トドロフはローマの兵士となったとのアッピアヌスの記述を元に、当時ローマに頑強に抵抗していたメディ族出身はありえず、同盟関係にあったオデュルサエ族出身説を提起した。

19世紀のドイツの歴史家モムゼンは、ボスポラス王国のスパルトキダイ家にスパルタクスと類似した名前が存在することから、王族の子孫であるとする説を唱えた。
ツィーグラーもその資質から指導者階級の出で、騎士的伝統を身につけていたと推測した。
この説に対してはローマを苦しめた指導者が卑賤な出身であって欲しくないという心情から出たもので、名前が似ているだけで論証がなにもないとの批判を受けている。

ベッシ族出自説を採る研究者は、スパルタクスはミトリダテス戦争においてポントス王国側の傭兵として参戦し、この過程でローマ側の捕虜となって補助兵として仕え、そののち逃亡したとしている。

オデュルサエ族出自説の場合は、この部族がローマとの同盟関係にあったことから、補助兵となったことは容易に説明がつき、その後に何らかの理由で逃亡し盗賊(または反ローマ闘争)になったことになる。

メディ族出自説の場合は、メディ族もポントス王ミトリダテス側だったので、スパルタクスもポントス王国側の傭兵となって戦い、その後の講和の成立によってローマ軍の補助兵となったが逃亡して反ローマ闘争を続け、敗れて捕虜になり剣闘士に売られたことになる。

いずれの出自説を取るにせよ、最終的にローマの奴隷となったスパルタクスは、南イタリアのカンパニア地方のカプアにあるレントゥルス・バティアトゥスなる興行師(ラニスタ)が所有する剣闘士養成所に属した。

トラキア出身のスパルタクスは幾つかある剣闘士の種類の内のトラキア闘士と呼ばれるスタイルの剣闘士だったと推測されるが、彼の剣闘士としての戦歴について古典史料は何も語っていない。

スパルタクスの生年についても不明だが、研究者たちはその指導力や行動から反乱を起こした時には35歳から40歳程度であったと推測している。
一方で、当時の剣闘士は20代前半がほとんどで、30代になるまでに木剣拝受者となって引退するか闘技場で死んでいるので、スパルタクスも20代の青年であったとする見方もある。

プルタルコスはスパルタクスと同族の女予言者の話を伝えており、ディオニューソスの秘儀によって霊感を受けた彼女は、スパルタクスが偉大な恐るべき勢力となるが、やがては不幸な結末を迎えると予言したという。

この女予言者は蜂起開始の際にスパルタクスと同じ建物にいて、伴に剣闘士養成所を脱走したと記述されており、現代の研究者の中にはこの女性は実在し、スパルタクスの妻であったと主張する者もいる。

 

蜂起

バティアトゥス養成所にはガリア人とトラキア人の剣闘士が多く所属していたが、興行師は邪な考えを持って彼らをひとつ所に押し込めていた。
紀元前73年、約200人の剣闘士たちが脱走を計画したが、密告によって露見してしまい、このうちのおよそ70人が養成所を脱走し、武器を奪って武装化しヴェスヴィウス山に立て籠もった。

剣闘士たちはガリア人のクリクススとオエノマウスそしてスパルタクスを彼らの指導者に選んだ。
古代の歴史家アッピアヌスはスパルタクスが指導者であり、他の2人はその部下であるとしているが、リウィウスやオロシウスは3人は同等の指導者であったことを示唆している。
近隣の奴隷もスパルタクスらの反乱軍に加わり、その規模は拡大していった。

元老院は、最初に法務官のグラベル、次いでウァリニウスを討伐に派遣するが、スパルタクスはこれを相次いで撃退した。
数万人に膨れ上がった反乱軍は南イタリアの幾つかの都市を略奪・占領して冬を越し、紀元前72年に北上を開始した。プルタルコスはアルプスを越えて奴隷たちを故郷へ帰すことが反乱軍の目的であったとする一方、アッピアヌスやフロルスはローマ進軍が彼らの目的であったとしている。

アッピアヌスは反乱軍の軍紀が厳正であったことを伝えており、スパルタクスは略奪品を平等に分配し、金銀の個人的な所有を禁じていた。
またサッルスティウスに拠れば、スパルタクスは無用な暴行と略奪といった逸脱行為を禁じたという。

この年任ぜられていた2人の執政官、レントゥルスとゲッリウスが率いる正規のローマ軍団が差し向けられ、反乱軍側はクリクススの率いる別動隊3万人が殲滅された。
この後、スパルタクスはこれら2人の率いるローマ軍団を撃破した。

スパルタクスは戦死したクリクススの霊を弔うために、ローマ兵の捕虜300人に剣闘士試合をさせその犠牲に捧げた。
スパルタクスの率いる反乱軍は北イタリアに到達したが、何らかの理由によって彼らはアルプス越えを行わず、スパルタクスは軍を反転させて再び南イタリアへと向かった。

元老院はレントゥルスとゲッリウスから軍権を剥奪して、新たに法務官に選出されたクラッススに反乱鎮圧を委ねた。
紀元前71年、スパルタクスの反乱軍は一度はクラッススの軍団を撃破したが、やがてイタリア半島最南端のカラブリア地方の都市レギウム(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)にまで追い込まれてしまう。

過去2度の奴隷戦争の舞台となったシキリアへの奴隷反乱の拡大を企図して兵の派遣を目論み、キリキア海賊に渉りを付けてシキリアへの渡航契約が成立したものの、海賊はスパルタクスから贈物だけをせしめて、約束の日に姿を現すことはなかった。

クラッススは包囲網を狭めており、陸峡にまたがる長城を建設して反乱軍の補給を絶ち、奴隷たちは飢えに苦しめられた。
元老院がヒスパニアから帰還したポンペイウスの軍団を反乱鎮圧に差し向けることを決定すると、スパルタクスは長城を強行突破して脱出を図った。

ガンニクスとカストゥスの別動隊がクラッススの軍団に捕捉殲滅されたが、スパルタクスは兵の向きを変えて追撃してきたローマ軍の騎兵集団を撃破する。
だが、この勝利によって兵たちが思い上がり、ローマ軍と戦うことを指揮官たちに強制しようとした。

さらにスパルタクスの故郷のトラキアでの反ローマ闘争が鎮圧され、マケドニアからルクッルスの軍団がブルンディシウムに到着したと知ったスパルタクスはあらゆることに絶望し、クラッススの軍団との決戦を決めた。

 

最期

現存する古典史料は、スパルタクスとクラッススとの最後の戦場の場所を明確にしておらず、その断片的な記述からルカニア、アプリアそしてブルッテイウム(現在のカラブリア)のいずれかの場所と推定され、オロシウスの「スパルタクス軍はシラルス川の水源に陣営を張った」との記述によってシラルス川の戦いと呼ばれている。

プルタルコスの伝えるところによれば、スパルタクスは決戦を前に自らの馬を引き出させて斬り捨て、「勝てば馬は幾らでも手に入る。負ければもう必要ない」と言い放って歩兵として戦いに加わったという。

スパルタクスはクラッススをめがけて押し進んだが叶わず、小隊長2人を殺し、仲間たちが逃げ惑う中も戦場に踏みとどまり、多くのローマ兵に取り囲まれて遂に斃れた。

アッピアヌスは「敵に包囲され槍で突かれて腿に傷を負い跪きながらも楯を前に掲げて戦い続けた」と伝えており、この戦場描写はポンペイ遺跡から発掘されたこの戦いを描いた壁画とも一致している。

フロルスは「スパルタクスは将軍になったかのように勇敢に前線で戦った」と述べている。
スパルタクスの死体は発見できなかった。

リウィウスによればこの戦いで反乱軍側は6万人が殺されたという。
クラッススは捕虜6千人をローマからカプアに至るアッピア街道沿いに十字架に磔にした。
第三次奴隷戦争の鎮圧後、古代ローマ時代に2度と大規模な奴隷による反乱が起こることはなかった。

 

評価

小プリニウスは、ローマ社会の退廃を嘆く文章の中で、スパルタクスが軍中の金銀の私有を禁じた話を想起して「逃亡奴隷にして、その心情の偉大さに顔色なからしむる」と述べた。

フロンティヌスは著作の『戦術論』でスパルタクスを窮乏と困難に耐える人物で、その戦術は彼の知る全ての将軍に勝ると評価している。

スパルタクスは古代ローマ人からは「ローマの敵」と見なされたため、悪名が語り継がれ、中世には忘却されたが、18世紀の啓蒙主義時代以降に再評価され、とりわけカール・マルクスをはじめとする社会主義者・共産主義者から高く評価されるようになり、抑圧からの解放を求める労働者階級の偶像となった




出典: 「スパルタクス」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



この反乱は紀元前73年に起こったのです。。。この反乱から約100年後に活躍した歴史家のプルタルコスによると、スパルタクスと同族の女予言者がディオニューソスの秘儀によって霊感を受け、スパルタクスが偉大な恐るべき勢力となるが、やがては不幸な結末を迎えると予言したというのですよ。。。さらに、この女予言者は蜂起開始の際にスパルタクスと同じ建物にいて、伴に剣闘士養成所を脱走したと記述されており、現代の研究者の中にはこの女性は実在し、スパルタクスの妻であったと主張する者もいるのですよ。



名前は何というのですか?

上の説明には名前までは出ていない。。。でも、バレーの解説には名前が出てくるのです。。。

 



スパルタクス (バレエ)

 


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『スパルタクス』(Spartacus)または『スパルタク』(Спарта́к,Spartak)は、アラム・ハチャトゥリアン作曲のバレエ作品。
『ガイーヌ』に並んで有名な作品である。

この作品は、ローマに対して反乱を起こした(第三次奴隷戦争)ことで知られる奴隷たちの指導者・スパルタクスの偉業を題材とした作品である。
ただし、バレエの筋書きは歴史的な記録からはかなり逸脱したところがある

ハチャトゥリアンは1954年にバレエ音楽を作曲し、これによってその年のレーニン賞を受賞した。
本作は1956年にレオニード・ヤコブソンの振付によりレニングラードで初演されたが、限定的な成功しか収められなかった。

これは、ヤコブソンが自分の振付から慣例的な「ポワント」を捨て去ったためであった。
本作は1958年にイーゴリ・モイセーエフ振付により、モスクワのボリショイ劇場での初めての上演が行われた。

しかしながら、このバレエが最も賞賛されたのは、1968年にユーリー・グリゴローヴィチ振付で製作されたバージョンであった。

本作は現在でもハチャトゥリアンの最も有名な作品のひとつであり、ボリショイ劇場やその他のロシアおよび旧ソ連のバレエ団のレパートリーにおいても傑出した作品である

 

主な登場人物

クラッスス - ローマの執政官
スパルタクス - 捕虜となったトラキアの王
フリーギア - スパルタクスの妻
エギナ - クラッススの内縁の妻

 

バレエのあらすじ

第1幕

ローマの執政官クラッススは、勝利を収めたばかりの戦いから、凱旋行列を組んでローマへ帰還する。彼が捕らえた捕虜の中に、トラキアの王スパルタクスとその妻フリーギアがいる。スパルタクスは囚われの身となったことを嘆き、クラッススの内縁の妻たちによるハーレムへ連れて行かれるフリーギアに苦い別れを告げる。

クラッススと側近たちを楽しませるため、スパルタクスは剣闘場に送られ、親友を殺すことを強要される。自分の行為に恐怖したスパルタクスは、仲間の捕虜たちに反乱を起こすよう煽動する。

第2幕

逃亡した捕虜たちは自由を祝う。一方、クラッススは貴族を楽しませるために気前よく娯楽を行い、その娯楽の中には目隠しをした剣闘士同士の戦いもあった。魅惑的なエギナは乱痴気騒ぎを引き起こす。スパルタクスと仲間たちは騒ぎを止め、フリーギアを含む奴隷の女性たちを救い出す。

侮辱されたエギナはクラッススに、すぐに奴隷兵士たちを追うよう要求する。恋人たちは逃亡を祝って、有名な「スパルタクスとフリーギアのアダージョ」を歌う。

第3幕

翌朝、エギナはスパルタクスの野営地を発見し、恋人たちがテントから姿を現すのを目にする。エギナはクラッススに知らせを送り、クラッススは追跡のために兵士を送る。スパルタクスの軍勢との間に血なまぐさい戦いが勃発する。

遂には、クラッススの軍勢はスパルタクスを発見し、彼を槍で串刺しにする。スパルタクスの最も忠実な部下たちが彼の亡骸を奪還して運び去り、フリーギアはスパルタクスを喪ったことを嘆く。

組曲
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ハチャトゥリアンは1955年に、バレエで用いられた楽曲を抜粋・編曲し、3つのオーケストラ組曲を製作した。

組曲第1番
序奏 - ニンフの踊り
エギナとハルモディウスのアダージョ
エギナとバッカナリアのヴァリアシオン
情景とクロタルムスの踊り
ガディスの娘の踊り - スパルタクスの勝利

組曲第2番
スパルタクスとフリーギアのアダージョ
商人たちの入場 - ローマの遊女の踊り
全体の踊り
スパルタクスの入場 - 口論
ハルモディウスの裏切り
海賊の踊り

組曲第3番
ギリシャの奴隷の踊り
エジプトの少女の踊り
夜の出来事
フリーギアの踊り - 別れの場面
競技場にて
これらから適宜抜粋する形で、コンサートのレパートリーとしてよく演奏される。




出典: 「スパルタクス (バレエ)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



バレーではスパルタクスの妻はフリーギアと呼ばれている。。。次のシーンは、スパルタクスと妻の別れの場面です。。。

 



 



このバレーのバックグラウンドに流れている曲は、僕はこれまでに何度か聞いたことがある。。。このバレーのために作曲された曲だとは僕は全く知りませんでした。。。



きれいな曲ですわねぇ〜。。。

バレエの筋書きは歴史的な記録からはかなり逸脱したところがあるのですよ。。。でも、血なまぐさい戦闘場面が多い映画と比べると、やはり、バレーらしくて、躍動的ではあっても繊細で、高尚な印象を受けます。。。次のクリップは、映画の予告編ではなく ローマ軍と反乱軍の戦闘の場面を描いたものです。。。

 



 



実によくできた動画で、これは実写ではないのですよ。。。すべてコンピューター・グラフィクスで作ってあるのです。。。実によくできている。。。



あれっ。。。人間の役者ではないのですかァ〜?

よく見ると動きが、やはり人間の動きや馬の動きがぎこちないのです。。。

確かに、本物の人間や馬ではないですわねぇ〜。。。

それにしても、実際の戦闘では、6万人が殺されたというのです。。。

信じがたいほどの大人数ですわねぇ〜。。。

一つの町が全滅したようなものですよ。。。クラッススは捕虜6千人をアッピア街道沿いに十字架に磔(はりつけ)にしたというのです。。。死んでもそのままに放置して、腐るままにまかせた。。。その腐臭の匂いとやらは大変なもので。。。見せしめのために、ポンペイからローマまで並べたというのです。。。長い間見世物のように放置された。。。このため、反乱鎮圧後、古代ローマ時代に2度と大規模な奴隷による反乱が起こらなかった。。。

ちょっとすごすぎですわねぇ〜。。。



【ジューンの独り言】


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血なまぐさい、残虐なお話のあとでは、気分を変えるために面白い動画をお目にかけます。。。

 


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貴方は、上のワンちゃんが金魚を食べてしまうと思いましたか?

ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」

あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ。。。

デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。

 


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『拡大する』


『もう一度クリスマスのページ』

 

上のリンクをクリックすると、

左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。

ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。

ええ。。。、「そんな暇ないよ!」

じゃあ、たまには、古代のお話も読んでみてくださいね。

意外に面白いですわよ。。。

あなたも古代の謎に挑んでくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

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『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


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『37年後に出現した飛行機』

『ほほえましい動物たち』

『愉快な動物たち』

『サイトコピーツール』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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田中角栄と軽井沢

2023-02-15 02:55:36 | 歴史四方山話

 

田中角栄と軽井沢

 


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大正9年建築の徳川家の別荘だったが、

その後、田中角栄元首相の所有となり、

現在は財団法人「田中角栄記念館」の分館



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(sayuri55.gif)

デンマンさん。。。今日は角さんと軽井沢の別荘のお話ですか?


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いけませんか?

別にかまいませんけれど、私が軽井沢に別荘を持ているので、比較のために角さんの別荘を持ち出したのですか?

 


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別に、小百合さんの別荘と角さんの旧別荘を比較するつもりではないのですよ。



じゃあ、どういうわけで角さんの別荘を取り上げたのですか?

あのねぇ~、夕べ バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。

 


日中国交回復が米国を怒らせた


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キッシンジャーにとり、人生最大の業績は1972年2月のニクソン訪中です。
キッシンジャーは隠密外交を展開し、ニクソン訪中を実現しました。
前年7月の計画発表時には、日本に事前通知をしないことで、佐藤首相に繊維問題の報復も行いました。

しかし、訪問はしたものの、中国との国交樹立は1979年まで、できませんでした。
台湾に利権を持つ勢力からの圧力で、米国議会が賛成しなかったからです。 

そんななか、報復したはずの国の新しい首相、田中角栄が1972年9月、日中国交正常化を実現しました。
結果としてニクソン訪中の果実を横取りしたことになります。

キッシンジャーは1972年8月の日米首脳ハワイ会談の直前に、バンカー駐南ベトナム大使と会談し、ここで日本に対する怒りを爆発させています。
「汚い裏切り者どものなかで、よりによって日本人野郎(the Japs)がケーキを横どりした」

こともあろうに、キッシンジャーが日ごろ、つねにバカにしていた日本人にしてやられたことになりました。 (略)

その怒りを目撃していた記者がいました。
元朝日新聞記者ですが、彼は私に次のように話してくれました。

「キッシンジャーはハワイ会談直前に来日し、田中総理との会談を要請しました。
田中総理は、『オレがなんで補佐官と会わなきゃならないんだ』と、会うのを一度断りました。
そこであいだに人が入り、キッシンジャーは田中総理の別荘があった軽井沢まで出かけ、ようやく会えることになったのです。

 


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そのときキッシンジャーは『日中国交正常化を延期して欲しい』と頼んだのですが、田中総理は一蹴しました。
(略)私(記者)は田中総理に会談の中身を聞いてみましたが、いえるはずがないだろうといわれました。
激しかったのでしょうと聞くと、当然だという返事でした」

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




171-173ページ 『戦後史の正体』
著者: 孫崎 享
2012年8月20日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 創元社


 



軽井沢で角さんとキッシンジャーが、このようにして会ったのですよ。。。 軽井沢に別荘を持っている小百合さんとしては、興味深いのではありませんか?



でも、この当時 私はまだ軽井沢に別荘を持っていませんでしたわァ~。。。

でもねぇ~、つい最近 『小百合物語』の中でもたびたび登場する卑弥子さんが角さんの事で 次のような興味深いことを言っていたのですよ。

 



(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
CIAがそれほどまでに日本の政治やメディアや科学の分野にまで深くかかわっているのでしょうか?

あなたは、どう思いますか?

たまには、あなた自身で調べてみてください。

まず、「日本とCIA」と入れてGOOGLEで検索してみてくださいねぇ~。

驚くべき事実を発見できると思いますわ。

CIAは戦後日本で、いろいろな事件に関わりを持ってきました。

田中角栄のロッキード事件。

竹下登が内閣総辞職することになったリクルート事件。
橋本龍太郎が派閥会長を辞任することになった日歯連事件。
小沢一郎が強制起訴を食らった西松建設事件と陸山会事件。

どれにもCIAの関与がウワサされています。

あなた自身で調べてくださいまし。。。

ところで、話は変わりますけれど、
実は、あたくしは毎日ジムに通って女の魅力を鍛えたのでござ~ますわ。

ええっ。。。 どんな女の魅力かってぇ~。。。?

“ヴィーナスのえくぼ”でござ~ますわよう!

うふふふふふ。。。

あなたは信じられないでしょう?

じゃあ、ここでお見せしますわねぇ~。。。


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どうでござ~ますかァ?

この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。

うふふふふふふ。。。

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、
最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。




『ブッダと物理学』より
(2016年4月19日)


 



あらっ。。。 卑弥子さんは“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわねぇ~。。。



あのねぇ~、今日は“ヴィーナスのえくぼ”とは全く関係ない話なのですよ。。。 ここで小百合さんが“ヴィーナスのえくぼ”に注目すると話が横道にそれてしまうのですよ。。。

だってぇ~、デンマンさんが卑弥子さんの“ヴィーナスのえくぼ”の写真まで貼り出すからいけないのですわァ。。。 どうしたってぇ、“ヴィーナスのえくぼ”に注目してしまいますわァ~。。。 うふふふふふ。。。

やだなあああァ~。。。 “ヴィーナスのえくぼ”は、また別の機会に話題にするので、今日は角さんのヴィーナスのえくぼ。。。 いや、角さんの別荘の話に関心を向けてください。

デンマンさんは、どういうわけで角さんの別荘にこだわるのですかァ~?

あれっ。。。 やだなあああァ~。。。 もともと僕に角さんの別荘を教えたのは小百合さんなのですよう。

 


(kaku04.jpg)


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小百合さんの愛車の このベンツで僕を旧軽井沢の別荘の森に案内して 門の前で車を止めて「ここからでは別荘は見えないけれど、これがあの有名な角さんの別荘なのよ。。。」と、小百合さんが言ったのですよ。。。 覚えているでしょう!?



あらっ。。。 デンマンさんは見かけによらず記憶力がよいのですわねぇ~。。。 私はすっかり忘れていましたわァ。

要するに、小百合さんも角さんのスキャンダルについて関心を持っていたのですよ。

デンマンさんは角さんも CIA の陰謀により政治生命を絶たれたと思っているのですかァ~?

まず間違いありません。。。 CIAが直接関わってないにしても、間接的に日本人を動かしていたことは確かなのですよ。

その証拠でもあるのですか?

僕は直接の証拠を握っているわけじゃないけれど、状況証拠ならばたくさんあります。。。 まず次の小文を読んでみてください。

 


特捜部は米国と深い関係


(tokuso02.jpg)

 

歴史的に特捜部は米国と深い関係をもっています。
まず1947年、東京地検特捜部が占領下で、GHQのために働く捜査機関として発足します。

敗戦直後は、それまで旧日本軍が貯蔵していた莫大な資材が、さまざまな形で横流しされ、行方不明になっていました。
1945年10月にはGHQ自身が、東京の三井信託の地下倉庫からダイヤモンドをなんと16万カラットも接収しています。


(diamon9.jpg)

そうした不当に隠された物資を探し出して、GHQの管理下に置くことを目的に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が、東京地検特捜部の前身です。
「GHQの管理下に置くことを目的にする」という点に注意してください。
つまり、GHQのために「お宝」を見つけ出す特別の捜査機関。
それが東京地検特捜部の前身だったのです。

 (中略)

過去の東京地検特捜部長のなかで、もっとも興味をひくのは布施健(ふせたけし)でしょう。
彼は戦前、ゾルゲ事件の担当検事として有名でした。
私はこの事件が1941年9月に発覚し、対米戦争の回避を模索していた近衛内閣が崩壊する一因となった裏には、米国の工作があったと考えています。
ゾルゲと親交のあった尾崎秀実は上海でアグネス・スメドレーと親交を結びますが、このスメドレーは1941年に米国国内で、対日戦争の呼びかけを行っていました。

いずれにせよ、G2のウィロビーはゾルゲ事件の報告書をまとめて陸軍省に送っていますから、ウィロビーと布施には密接な関係があります。
さらに布施は、一部の歴史家が米軍の関与を示唆する下山事件(国鉄総裁轢死事件)の主任検事でもあります。

そして田中角栄前首相が逮捕されたロッキード事件のときの検事総長でした。

ゾルゲ事件といい、ロッキード事件といい、いずれも闇の世界での米国の関与がささやかれている事件です。
そのすべてに布施健は関わっています。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




83-85ページ 『戦後史の正体』
著者: 孫崎 享
2012年8月20日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 創元社


 



あらっ。。。 三井信託の地下倉庫からダイヤモンドを16万カラットも接収したのですわねぇ~。。。



あのねぇ~、今日は16万カラットのダイヤモンドの話ではないのですよ。。。 アメリカの諜報機関と深い関わりを持っていた布施健(ふせたけし)に注目して欲しいのですよ。

つまり、ゾルゲ事件もロッキード事件もアメリカの諜報機関が関係しているとデンマンさんは言うのですか?

いや。。。 僕が言い出したわけじゃなくて、昔から そういう話は裏の社会では当然の事実としてささやかれていたのです。。。 初めて日本社会の表に出したのは“日本の黒い霧”を暴露した松本清張さんだったようです。。。

 


黒い霧


(seicho09.jpg)

1960年、松本清張が発表したノンフィクション『日本の黒い霧』によって生まれた流行語。

松本は第二次世界大戦後のGHQ占領下に起きた事件に取材し、背後に不正や犯罪などが隠されていることを黒い霧にたとえた。

一般には、主に政界・財界の汚職・不祥事に使われた。

現実の汚職・不祥事にも、「黒い霧事件」と名付けられたものが複数存在する。


 



つまり、ロッキード事件もアメリカの諜報機関と その息のかかった日本人のアメリカ追随派の仕業(しわざ)だとデンマンさんは考えているのですか?



いや、僕が言い出したわけじゃなく、『ウィキペディア』にも次のように書いてありますよ。

 


ロッキード事件

ロッキード事件は、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件。

この事件は1976年(昭和51年)2月にアメリカ合衆国上院で行われた上院外交委員会多国籍企業小委員会(委員長フランク・チャーチの名から「チャーチ委員会」)における公聴会にて発覚しており、アメリカとの間の外交問題にも発展した。

アメリカ陰謀説

ロッキード事件はアメリカ合衆国の当局が仕掛けた陰謀だ、という説がある。
ホワイトハウス在住記者ジュリー・ムーン(文明子)がヘンリー・キッシンジャー国務長官に「ロッキード事件はあなたが起こしたんじゃないんですか?」と問いただしたところ、キッシンジャーは「オフ・コース(もちろんだ)」と答えている。

中曽根康弘は自著で、事件当時のジェラルド・フォード政権の国務長官であったヘンリー・キッシンジャーが東京に来た際、『ロッキード事件をあのように取り上げたのは間違いだった』と中曽根に語り、「キッシンジャーはこういうことはやるべきでなかったと反対したらしい」と記述している。
さらに同著では「ロッキード事件の原点は角栄の石油政策にある」とも述べている。

他の説

その他にも、この事件が発覚する過程において、贈賄側証人として嘱託尋問で証言したロッキード副社長のコーチャンと元東京駐在事務所代表・クラッターが、無罪どころか起訴すらされていない点、ロッキード社の内部資料が誤って上院多国籍企業小委員会に誤配されたとされる点など、事件に関連していくつもの不可解な点があったため、ソビエト連邦やアラブ諸国からのエネルギー資源の直接調達を進める田中の追い落としを狙った石油メジャーとアメリカ政府の陰謀だったとする説がある。

または中華人民共和国と急接近していた田中を快く思っていなかったアメリカ政府が田中を排除する意味があったとする説が田原総一朗の書いた記事などで当時から有力だ。

また、田中による中華人民共和国との国交成立に反発していた右翼や自民党福田派、その他、田中の政治手法を良しとしない者達が警察と絡んで仕組んだ陰謀説もある。

さらに、三木武夫総理が人気取りと内閣延命のために検察を使って田中を逮捕したという説もある。

検察が対潜哨戒機P3Cの導入がらみの事件を全日空のトライスター受注をめぐる事件としてロッキード事件を捏造したとする説もある。




出典: 「ロッキード事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



要するに、最近 日本がダメになっているのは、アメリカの諜報機関と その息のかかった日本人のアメリカ追随派が表になり陰になり動いているからだ、とデンマンさんは言うのですか?



いや、僕が言っているわけじゃないのですよ。。。 『戦後史の正体』にも次のように書いてありますよ。

 


日本で原発建設が始まったのは

米国の意向



(daigo02.jpg)

日本で原子力開発が始まったのは、米国の意向を反映したものでした。
その理由は、第五福竜丸の被爆によって日本人が、急速に半原子力、反米に動くのを阻止することでした。 (略)

日本に原子力発電所を作る動きは1950年代に確立しています。
日本の経済はまだ高度成長が始まる前の段階で、石油が自由に手に入る時代です。
なのに1955年12月に原子力基本法が成立し、翌年1月に原子力委員会が設立され、原子力発電への流れが本格化します。
いったいそれはなぜだったのでしょう。

それは米国の意向を反映したものでした。
1950年代、原子力開発に積極的に関与した人物に中曽根康弘氏と正力松太郎氏がいます。
二人とも米国と強い結びつきを持っています。
CIAは正力氏にポダムというコードネームを与えて利用しようとしていました。

 (中略)

第五福竜丸がビキニ環礁水爆実験で被爆します。
これを契機に、杉並区の女性が開始した原水爆実験反対の署名運動はまたたくまに3000万人の賛同を得、運動は燎原の火のごとく全国に広がった。 (略)
ワシントン政府までが深刻な懸念を抱くようになり、日米双方ともに日夜対策に苦慮する日々がつづいた。

 (中略)

(正力氏の)読売新聞が中心になって、日本国内に原子力平和利用の動きが展開されていきます。
正力松太郎氏はその後入閣し、初代の原子力委員会委員長になります。 (略)
湯川秀樹、石川一郎、藤岡由夫、有沢広巳が委員となります。

こうして、正力松太郎がしかけた原子力発電所への道は大成功を収めます。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




174-177ページ 『戦後史の正体』
著者: 孫崎 享
2012年8月20日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社 創元社

『ブッダと物理学』に掲載
(2016年4月19日)


 



あらっ。。。 原発にはアメリカのCIAも絡(から)んでいたのですかァ~。。。!?



そういうことですよ。。。 CIAは日本の政治やメディアや科学の分野にまで深くかかわっているのですよ。




初出: 2016年4月21日



(foolx.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif)

ですってぇ~。。。
CIAがそれほどまでに日本の政治やメディアや科学の分野にまで深くかかわっているのでしょうか?

あなたは、どう思いますか?

たまには、あなた自身で調べてみてください。

まず、「日本とCIA」と入れてGOOGLEで検索してみてくださいねぇ~。

驚くべき事実を発見できると思いますわ。

アメリカの諜報機関と その息のかかった日本人のアメリカ追随派の動きにも興味を駆り立てられますけれど、
やっぱり食べ物のお話の方が現実的ですわ。

あたくしはデンマンさんのふるさとの行田を訪れたことがござ~ますわァ。

「行田のフライ」というのが名物なのですけれど、
喰い意地がはっている あたくしは さっそくいただきましたわァ。



なんとなく素朴な味わいでした。

それから、「さきたま古墳公園」を訪ねたのですけれど、
駐車場の近くに「さかもと」というおみやげ物屋さんがあるのです。
そこでゼリーフライを売っていましたわァ。


(sakamoto1.jpg)


(sakamoto2.jpg)

これは なんだか複雑なお味がしましたわァ。
デンマンさんは食べながら 子供の頃の思い出が湧き上がってきたと言いましたわァ。
その当時は“ゼリーフライ”とは言わずに“ゼニ(銭)フライ”と呼んでいたそうです。

このようなことを書いていたら、なんだか お腹が空いてきました。
あたくしも何かを作って食べようと思いますゥ。

あたくしの好物は 具のたくさん入った“あんかけ焼きそば”でござ~♪~ますう。
あなたのために、作り方を教えますわねぇ。


(joe306.jpg)



どうですか? 美味しそうでしょう?

でも、あたくしは これだけでは満足できませんのよう。
デザートに“たいやき”をいただくのでざ~♪~ますわよう。
うふふふふふふ。。。

最近では、餡に替わってクリームや溶かしたチョコレート、キャラメル、カスタードクリームなどの洋菓子素材を詰めたものもでてきましたわ。

サンドウィッチ式に肉類や生野菜、各種ソースやリゾットなどを挟む「おかずたい焼き」もあらわれました。


(taiyaki5.jpg)

あなたも 好きなものを“たいやき”に詰めてみませんか?

では、あなたのために あたくしが育った地元の京都の“たいやき”をお見せしますわね。
うふふふふふ。。。



お腹がすいてきて、“たいやき”が食べたくなってきたでしょう?
でも、この記事を最後まで読んでから、近くの“たいやき屋さん”に走ってくださいね。

ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


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