デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

6歳でアメリカ留学

2023-09-20 02:33:44 | 歴史四方山話

 

6歳でアメリカ留学

 


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スッキリと晴れました!

 


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2023年9月14日 木曜日 午前8時51分

 



 

7時40分起床!気温14度。
清々(すがすが)しい朝。
ルンルン気分で目覚めました!

小百合さん、おはよう!
元気ですか?
スッキリしなかったらビールでも飲んでね。
きゃはははははは。。。

バンクーバーはめっきり涼しくなりました。
秋です。

昨夜は、山川捨松という明治5年に
6歳の津田梅子たち4人と共にアメリカに留学した
女の子たちの物語をクリップで観ました。

 


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北海道開拓吏の黒田清隆の考え方に共鳴した
岩倉具視が女子にも教育を受けさせようと
欧州視察の旅に5人の女子を連れてアメリカ周りでヨーロッパに出かけた。

女子はアメリカに残して、彼女たちは10年間の留学を始めた。
途中、二人がホームシックにかかって体調を崩して日本に帰国。
残りの3人は無事に留学を果たしたのです。

最初に公募した時には、誰も応募しなかった。
それはそうでしょう。
当時は、「15でネイヤは嫁にゆき〜♬〜」という時代だったのですよ。
10年も異国で留学したら、嫁に行きそびれてしまう。

しかも、当時はアメリカにゆく定期船などなかった。
死ぬか生きるかの船旅に大切な娘を出すわけがない。

2度めに公募したときに、
食い詰めた幕府の娘と
官軍に負けた会津若松藩の家老の娘、山川捨松、
総勢5人が応募した。

津田塾大学を作ることになる津田梅子は6歳!
10年の間に、おそらく日本語を忘れてしまったでしょう!
よく親が出したものだと思います。

山川捨松はヴァッサー大学を卒業して
日本に戻り、当時の大山巌(西郷隆盛の従弟)の
後妻に収まった。

鹿鳴館が建設されたときで、
英語、ドイツ語、フランス語ができた山川捨松は
鹿鳴館の花として活躍した。

日露戦争の時には、従軍看護婦を組織したり、
日本が戦争で勝つために、支援してくれるように
アメリカのメディアに支援を要請したり、
大活躍したというのです。

 


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でも、ずいぶん苦労したらしく、
面白いエピソードも披露されました。

明治時代の男尊女卑は相変わらずで、
彼女たちは帰国しても、半ば埋もれていた。
だから、歴史では、彼女たちのことは、名前が出てきただけで、津田梅子が津田塾大学を作ったと言うぐらいしか、歴史の時間では語られることがなかった。

だから、彼女たちのことは日本人にはあまり知られていないのです。
男の留学生たちは出世していったけれど、
女の留学生たちは、男と比べると不遇な余生を過ごした人が多い!

ところで、来年の2月に帰省した時には、
軽井沢に近くの温泉か
あるいは仙台まで足を伸ばして
秋保温泉へ行き、小百合さんと一緒に命の洗濯をしたいよね。
楽しい、愉快で幸せな思い出を作りたい。
きゃははははは。。。

考えてみなくても、一生は一度きりです。
今年の秋は、どうしても無視できない行事に参加するため、どうやら日本へ帰省できそうにありません。
早くて来年の2月になるでしょう!

そういうわけで、小百合さんが10月か11月にバンクーバーに遊びにやって来ませんか?
お金が墓場まで持って行けません。
小百合さんもバンクーバーで命の洗濯をしてください。

バンクーバーの夏は終わりました。
夜は、涼しくなったよ。

軽井沢では残暑は消えましたか?
寝苦しい思いをしているのでは?
エアコンつけて寝ている?
エアコンはなるべく使わないほうがいいよ。
やっぱり、自然な状態がいい!

今年の秋には富岡のKENKENに行きたいよね。

 


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小百合さんと訪ねた時には閉まっていたんだよ!

うまいものを探して食べましょう!

 


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軽井沢では小百合さんと一緒にインドカレーを食べたいね。
それから温泉に入りたいです。
その前にヒシしようね。
きゃははははは。。。

軽井沢近郊に良い温泉はありませんか?
小百合さんと一緒に入浴して命の洗濯したいよね。

もし時間があったら仙台の郊外にある秋保温泉にも行きたいね。
学生時代に通学していたバス停には
秋保温泉行のバスがやって来たものです。

残念ながら、学生時代には一度も秋保温泉に行った事がない。
そういうわけなので、今年、帰省した時には、
ぜひとも行ってみたいと思うのですよ。

それは、ともかく、時間があったら次のピンタレストの写真でも見て楽しんでね。

 


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PINTEREST「秋保温泉」のページ

 

色々な写真をクリックして記事を読んでみてね。

では、小百合さんもコロナには感染しないようにくれぐれも気をつけてね。
じゃあ、気が向いたら、小百合さんも またメールを書いてね。
今日もルンルン気分で過ごしましょう!

 


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デンマンさん。。。、津田梅子が6歳でアメリカに留学したので感動したのですか?


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両親が6歳の娘をよく外国に出したと思いますよ。。。当時は、定期船もなかったし、船でアメリカへゆくのは生きるか死ぬかの大冒険のようなものです。。。

もしかして、両親はすでに亡くなっており、孤児になっていたのではありませんか?

僕も、もしかしたら、そうかも知れないと思ってウィキペディアで調べてみました。。。

 



津田 梅子

 


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津田 梅子(旧暦 元治元年12月3日〈新暦 1864年12月31日[1]〉- 1929年〈昭和4年〉8月16日)は、日本の女子教育家。
日本初の女子留学生の一人で、女子英学塾(現:津田塾大学)の創設者であり、日本における女子教育の先駆者と評価される。
また、欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性である。聖公会の信徒。

初名はうめ(「むめ」と書いた)。
戸籍上は梅であったが、1902年(明治35年)に父である津田仙の戸籍から分籍した際に梅子に改めた。

旧暦 元治元年12月3日(新暦 1864年12月31日)、津田仙・初子夫妻の次女として、江戸の牛込南御徒町に生まれる。
父である仙は、小島家(下総佐倉藩上士、禄高は120石)の三男として生まれて津田家(幕臣)に婿入りした人であり、梅子が生まれた時点では江戸幕府に出仕して外国奉行支配通弁(通訳官)を務めていた。

仙は、梅子が3歳の頃には幕府の使節の随員として福沢諭吉らと共に渡米するなどしたが、元号が明治に改まるとともに官職を辞した。
1869年(明治2年)、仙は外国人の旅行者のために設けられた「ホテル館」という洋風旅館へ勤めはじめ、津田家は向島へ移った。

その頃から梅子は手習を始め、浅草まで踊りの稽古に通った。
当時の梅子は踊りが好きで、その筋の良さを師匠も認めていたと伝えられている。

 

日本最初の女子留学生

 


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7歳の頃の梅子(ワシントンD.C.で撮影)

 

1871年(明治4年)に津田仙は開拓使嘱託となり、津田家は三田へ移った。
同年10月、アメリカ訪問時に男女平等・女子教育の必要性を実感した開拓次官の黒田清隆が正院(太政官の最高意思決定機関)に伺い出て実現させた開拓使による女子留学生のアメリカ派遣事業に、仙は梅子を応募させた。

梅子が渡米の9か月後に書いた"A little girl's stories" と題する英文の絵日記(2022年〈令和4年)現在、津田塾大学 津田梅子資料室 所蔵)には「父は、最初は姉の琴子(1862年-1911年)を留学に応募させるつもりでしたが、姉は拒否しました。その後で父から留学の話を聞いた私は、アメリカに行きたい、と自分の意志で答えました」という旨が記されている。

官費女子留学生(留学期間は10年)に提示された待遇は「日本政府が旅費・学費・生活費を全額負担した上で、さらに奨学金として毎年800ドルを支給する」という破格のものであったが、10年間の留学によって結婚適齢期を逃してしまう危惧もあり、官費女子留学生の募集に応じたのは、明治政府から冷遇されていた旧幕府側(幕臣または賊軍)士族の少女5名のみであった

 


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左から、永井繁子、上田悌子、吉益亮子、津田梅子、山川捨松

 

上田悌子(幕臣・上田畯の娘、満14歳〉
吉益亮子(幕臣・吉益正雄の娘、満14歳)
山川捨松(会津藩家老・山川浩の妹、満11歳)
永井繁子(幕臣・永井玄栄の養女]、かつ幕臣・益田孝の実妹、満8歳)
津田梅子(幕臣・津田仙の娘、満6歳)

※各人の満年齢は、日本を出国した新暦1871年12月23日現在。
開拓使は応募した5名全員を官費女子留学生に推挙し、正院にて承認された。

出発に先立ち、女子留学生5人は士族の女子としては歴史上初めて皇后への拝謁を許され、明治4年11月(旧暦)に他の官費留学生とともに岩倉使節団に随行して渡米した。

新暦1871年12月23日に横浜を出港し、1872年1月15日にサンフランシスコに入港。
同年1月31日にサンフランシスコを5両編成の貸切列車で出発し、大陸横断鉄道を経由してワシントンD.C. ヘ向かったが、40年ぶりとされる大雪により日程が遅れた(ソルトレイクシティで18日間待機)。

2月25日にシカゴに到着、翌日の夜にはワシントンD.C.に向けて出発した。
5人の女子留学生はアメリカに到着後もなかなか洋服を買ってもらえずにいたが、岩倉具視に談判の末シカゴでようやく洋服を買い与えられた。
シカゴで撮影した、洋装に着替えた5人の記念写真が残されている。




出典: 「津田 梅子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



両親ともに健在なのですよ。。。しかも、父親は幕府の使節の随員として福沢諭吉らと共に渡米した経験があるのですよ。。。だから、自分の娘をアメリカに留学させることは普通の庶民が考えるほど心配しなかったのでしょう!



でも、満6歳ですわァ〜。。。家族の誰かが付き添ってゆくのならともかく、一人だけでアメリカに出すのは、親としてできないと思いますわァ〜。。。

しかし、驚いたことに梅子自身が書いた絵日記には「父は、最初は姉の琴子(1862年-1911年)を留学に応募させるつもりでしたが、姉は拒否しました。その後で父から留学の話を聞いた私は、アメリカに行きたい、と自分の意志で答えました」と書いてある。。。梅子は、父親が米国に渡ったことを姉とは全く違うように受け止めていたのですよ。。。つまり、父が渡米したアメリカという国は、どういう国なのか? 梅子は自分でもアメリカの生活を体験したいという気持ちがあったに違いない。。。僕は、そう思いますよ。。。

つまり、デンマンさんがサヨナラニッポンしたのも、日本ばかりではなく、世界を見てみたいという強い思いがあったのですかァ〜?

 



『サヨナラニッポン』

 



そうですよ。。。そういう気持ちが本人にない限り、6歳の女の子に、海外へゆく気持ちなど起こりませんよ。。。彼女の姉のように。。。



それにしても、6歳で、そういう気持ちになれるものでしょうか?

梅子が日記に書いたように、彼女はそういう気持ちになれたのですよ。。。そうでない限り、米国に渡ってもホームシックにかかって、病気になるか、落ち込んで精神的に参ってしまいますよ。。。津田梅子は、その後の生涯を見ても解るように、強固な意志と、男勝(まさ)りな強い気概を持っていたのですよ。。。

ちょっと信じられませんわ。。。

信じる者は救われる、と昔の人は言いましたから小百合さんも信じてねぇ〜。。。

梅子が絵日記に「アメリカに行きたい、と自分の意志で答えました」と書いたのだから、確かに当時の少女とはオツムの構造が違っていたのでしょうねぇ〜。。。

しかし、そう云う小百合さんも普通のおばさんとは違いますよ。。。

あらっ。。。どういうところが。。。?

小百合さんは次のように書いてましたよ。。。

 




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Subj: RE: 長い電話お疲れ様でした。
Date: 01/10/2007 1:52:14 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 10月1日 午後5時52分 
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com


長い電話お疲れ様でした。
良くわかりました。

経理をしなくてはいけない。
それも13年分。
誰にたのもうか?
レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。

いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。 
バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした

あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。

こんな私でも欲しい物があります。
別荘です。
場所は長野(軽井沢)です。
買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。
よかったらデンマンさんも。

日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。

でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は私の人生にとって良かったと思います。
ではまた。。。

小百合より


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『バーナビーと小百合さん』より
(2007年12月6日)


 



小百合さんも満6歳ではなかったけれど、29歳から13年間バーナビーで夏休みを過ごした。。。小百合さん自身も、人生に取ってよかったと思っているのですよ。。。そうでしょう?



津田梅子のように大人になってから津田塾大学に発展するような塾を立ち上げたわけではないですけれど、海外生活をしたという経験は私にとって人生を豊かにしてくれましたから。。。

それに、軽井沢に別荘も持ったし。。。それなりに小百合さんは人生を自分の思い通りに生きてきたのですよ。。。

ある程度は、満足のゆく生活を送れましたわァ。。。

ニートで、家に引きこもりながら他人になりすまして、セクハラ、名誉毀損、誹謗中傷、嫌がらせのコメントを書きまわっている神武君や現実君と比べれば、小百合さんは素晴らしい人生を歩んでいるのですよ。。。

 



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『セクハラ止めない神武君』





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『現実主義者 馬鹿の見本』



 



小百合さんは健康的で、文化的にも豊かで、国際的にも幅広い交友関係を築いて充実した人生を歩んでいるのです。。。



そう言ってもらえると嬉しいのですけれど、最低な人間と比べないくださいなァ〜。。。

すいません。。。ついつい身近に、こういう悪い見本になる人間ばかりが目につくものですから。。。


 



【卑弥子の独り言】

 


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ですってぇ~♬~。。。

ニートで、家に引きこもりながら他人に成りすまして、セクハラ、名誉毀損、誹謗中傷、嫌がらせのコメントを書きまわっている神武君や現実君と比べれば、あなただって素晴らしい人生を歩んでいるのです。。。

だから、自信を持ってくださいまし。。。

落ち込んで、自殺をしようとしたり、怒りや不満を京アニ事件のときのように、全く関係ない、無実の人々に向け、ガソリンを撒いて殺してしまうことのないようにしてくださいませぇ〜。。。

ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから他にもっと面白い話をしろ!」

あなたは、あたくしに そのようにご命令なさるのでござ~ますかァ~?

分かりましたわァ。。。 あなたがそのようにおっしゃるのであれば、

元旦にバンクーバーで第100回寒中水泳があったのでござ~ますわよう。

その模様をお見せしますわねぇ~。。。

 


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(polswim01.jpg)


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ええっ。。。 「寒中水泳など つまらんから、もっと面白い話をしろ!」

あなたは、さらに、そのような強い口調で あたくしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

個人的なお話ではありますけれど、

次の検索結果を見てくださいまし。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

 

「卑弥子 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。

つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。

うふふふふふふ。。。

あなたも、ビックリするでしょう?

ジムに毎日通って“ヴィーナスのえくぼ”をゲットしたのですわァ。

 


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どうでござ~ますかァ?

ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?

どうしてよう?

ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?

あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、

最後には上のようなおヌードになるのですわよう。

信じてくださいましなァ~。。。

 

ところで、小百合さんが なぜ「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのか?

ご存知でござ~♪~ましょうか?

なぜ。。。?

実は簡単な事なのですわよう。

 


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小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。

 


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

 

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



 

とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。

だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。

じゃあねぇ~~。


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ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。


 


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『トランプ@マラウイ』

『きれじ』

『コッペパン』

『くだらない話』

『大蛇が破裂』

『グルーヴ』

『タスマニアデビル』

『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

『素敵な人を探して』

『カクセンケイ』

『博士の異常な愛情』


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『パレートの法則』

『こんにちわ@ブリュッセル』

『いないいないばあ』

『食べないご馳走』

『10分間に900件を越すアクセス』

『5分間に340件のアクセス』

『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

『露出狂と反戦』


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『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

『共産党ウィルス』

『馬が合う』

『オックスフォードの奇人』

『風馬牛』

『未亡人の苦悶』

『群青の石deロマン』

『露出で検索』

『テレポーテーション』

『露出狂』

『第6感』

『大邱の読者』


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『無重力の性生活』

『純子さんのクローン』

『肥後ずいき使用感』

『アナスタシア』

『検察が裏金作り』

『ガリポリから愛を込めて』

『らくだ』

『皇帝ペンギン』

『007秘話』

『笠森お仙』

『江戸風呂事情』

『思い出のチョコ2』

『ガンダーラ』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ。



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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
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"JAGEL - Soft Japanese Bagel"


(linger65.gif)

『センスあるランジェリー』

『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

『面白くて楽しいレンゲ物語』


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『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

『今すぐに役立つホットな情報』




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駅前のヌード

2023-09-20 01:27:42 | 美術・芸術

駅前のヌード



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デンマンさん。。。 ハルヴァの次にべーグルにハマったと思ったら今度はヌードですかァ~?


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いや。。。 別にヌードにハマってしまったわけではないのですよゥ。。。

でも、「駅前のヌード」というタイトルをつけているではありませんかァ!

実は、夕べ本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。
  

なぜ公園などの彫刻には

女性の裸像が多いの?



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駅前広場や公園など、野外の公共スペースに設置された彫刻には、なぜか女性の裸像が多い。
これは、日本独特の傾向といえ、イスラム教文化圏や儒教文化圏では、野外の裸像はまず存在しないといっていい。

欧米では、裸像もみられないことはないが、日本ほどリアルな作品はすくないという。
女性の裸を違和感なく公共のスペースに受け入れているのは、欧米人から見ても理解に苦しむことのようだ。

現在確認できる野外における最初の裸像は、1920年、東京駅前の日本工業倶楽部屋上につくられた無題の男女像だといわれる。

女性の裸像がにわかに増えだしたのは戦後のことで、民主主義で自由を謳歌できる世の中になって、裸像を西洋的で進歩的なイメージでとらえる雰囲気が生まれたことが背景にあったという人もいる。
また、日本の文化の土壌は、性的な要素を豊穣なめでたいものとするところがあり、それを日本に裸像が多い理由だとする説もある。

確かに、まわしひとつで相撲を取ったり、いまでも混浴の露天風呂があったりと、日本という国は、裸や性に関して解放的な国といえるのかもしれない。

(【デンマン注:】
写真はデンマン・ライブラリーより
読み易いように改行を加えています。
赤字はデンマンが強調。)




43ページ 『日本人の総疑問』
編者: 素朴な疑問探求会
2012年12月31日 初版第1刷発行
発行所: 河出書房新社


 



上の文章を読んだので、デンマンさんは駅前のヌードにハマってしまったのですか?



いや。。。 別に上の小文を読んだからってぇ、駅前のヌードにハマってしまったわけではありません。 あのねぇ~。。。 読みながら、不意に思い出したのですよ。 「そう言われてみれば、確かに駅前には女性の裸像がけっこう多いなァ~。。。」、と。。。

それほど多いのですか?

実は、上の本には写真はないのだけれど、僕が貼り付けた写真は埼玉県の与野駅前にある裸像ですよ。

でも、なんで私と話をするのに「駅前のヌード」を持ち出してきたのですか?

あれっ。。。 小百合さんは忘れてしまったのでっすかァ~?

何をですか?

何をですか?と訊くところを見るとすっかり忘れてしまったのですね。 僕は以前に次の記事を書いているのですよ。

 


着いたのが夕方だったので、ぶらっと高崎駅周辺を散歩し、適当に惣菜を買ってホテルでテレビを見ながらの夕食。
楽しい。
店を探したり、かってのわからないところで緊張しながら食べるのが、最近ますます嫌になってきた。
旅先で何を食べたってわたしの勝手だもーん、と開き直りたいが、まだ「これでいいのか?」という思いもある。
わたしは普段から保守的な人間だと思う。
「いつも食べに行く店で、どんどん友達が増えちゃって!」
などというオープンな生活スタイルなど、絶対に考えられない。

知らない客同士がしゃべるなんて、想像しただけで疲れる……。
嫌。
うらやましくない。
いろんな人に会って、人脈を広げ、自分を高めるチャンスをつかむ。
わたしにもやればできるのだろうか?
なんか寿命が縮まりそうだなぁ。
チャンスと寿命だったら、やっぱり寿命のほうが大事だよなぁ。
などと、群馬県と関係ないことばかり書くなっつーの!

 (中略)

去年、栃木県にひとり旅したとき、田楽屋で相席になったおばあさんたちが、
「群馬県の館林のつつじは、とってもきれいですよ」
とわたしに一生懸命、説明してくれたのだ。


(tsutsuji2.jpg)

わたしは、ほんの社交辞令で、
「じゃあ、ぜひ見に行きます!」
と答えていたんだけど、本当に行ってみる気になった。
知らない客同士が店で話すのなんか嫌い、と書いたものの、去年の栃木旅行では、初対面のおばあさんたちとわたしはおしゃべりをしていた。
適当に愛想よくしておけばよいという気持ちだったのだが、わたしは、そのおばあさんたちとの約束を果たすため館林に向かう。


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高崎から両毛線で伊勢崎まで行き、乗り換えて館林へ。
つつじが岡公園のつつじは、きれいに咲いていた。
人が多くてゆっくり見られなかったけど、おばあさんたちとの約束を守ったと思うと、つつじは、もうどうでもよかった。

赤字はデンマンが強調のため。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




154-156ページ
『47都道府県女ひとりで行ってみよう』
著者: 益田ミリ
2008年6月25日第1刷発行
発行所: 幻冬舎

 



あらっ。。。 益田ミリさんはつつじが岡公園へ行かれたのですわね。



そうですよ。 僕は思い込みで記事の中では「つつじヶ丘公園」と書いていたのですよ。 上の文章を読んで改めて調べてみたらつつじが岡公園が正しいのですよ。

その事を言うために館林の旅を取り上げたのですか。

いや。。。そうじゃありませんよ。 「つつじが岡公園」は僕にとって忘れられない場所だからですよ。

マジで。。。?

やだなあああァ~。。。小百合さんには「つつじが岡公園」の思い出はないのですか?

館林は私が生まれ育った町で、小さい頃からたびたび訪れているので、なんだかあまりにもありふれた風景になってしまって特に心に残る思い出はありませんわ。

そういうものかなァ~。。。? 僕にとって「つつじが岡公園」は小百合さんとの忘れられない思い出の場所なのですよ。 小百合さんも僕の記事を読んだでしょう?

ええ。。。読んだ覚えがありますわ。

もう忘れてしまったのですか?

読んだ覚えがあるから忘れてはいないのですわよ。 うふふふふふ。。。

ぜひもう一度読んでくださいよ。


11月に桜が咲いている!


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館林駅に着くと小百合さんが迎えに来てくれて「花山」へ行きました。
「花山」と呼ぶのは地元で育った40代の人たちが、そう呼ぶらしい。
館林市のガイドマップを見ると「県立つつじが丘公園」と書いてある場所です。


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五月ごろ来れば、きれいな“つつじ”がたくさん咲いているのでしょう。
当然のことですが、11月なのでつつじは咲いていなかった。
ところが桜が咲いているのですよね。

11月に桜が咲いている!
ビックリしました。
上の写真ほど見事なものではありませんでした。
でも、間違いなく桜の一種です。
小百合さんもビックリしていました。
名前は分かりません。

バンクーバーやバーナビーの植物園のように名札をつけてくれればいいのに!
小百合さんは、そう言っていましたね。
ごもっともです。


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旧秋元別邸(最後の館林藩主・秋元家の別邸)の菖蒲園(しょうぶえん)のすぐそばにある橋の近くに白鳥が3羽居ました。
泳ぎ疲れたのか3羽とも岸辺に上がって草原(くさはら)の上で羽を繕(つくろ)って、これから昼寝するところでした。
小百合さんは近寄るのが怖いと言うのですよう。

40代の女性の怖さを持っている小百合さんにも
こういう童女のような繊細さがあるのですよね。
小百合さんの“かわゆい”ところです。

僕は50センチまで近寄りましたが
その白鳥たちも、人に慣れているようで
全くビクビクしませんでした。

旧秋元別邸の近くに田山花袋が9歳から14歳まで住んでいたという旧居が保存されていました。


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田山花袋の『田舎教師』を読んだ事がありますが、僕の記憶では、主人公は羽生の田舎にあるお寺に下宿して僕の母校・熊谷高校(当時の旧制熊谷中学)に毎日、朝4時から5時ごろに起きて4時間歩いて通っていた、というような事を読んだことがあります。
初めて読んだ時、信じがたい事をしていたものだと驚きました。
僕が通ってた頃、校長室の前の廊下にガラス張りのケースがあって、その中に旧熊谷中学校第三回卒業生の写真の中に、小林秀三(林清三のモデル)の少年時代の姿を見たことがあります。

小百合さんが卒業した館林女子高校は田山花袋の旧居から歩いて5分のところにありました。
女子高時代、校門の近くの食べ物屋さんでラーメンだか、うどんだか、あるいはカップヌードルだったか。。。
それを買って戻って来る時に校門のすぐ前で、それをぶちまけてしまい、後片付けをしなければと思ったけれど、結局、何もしないでそのままにして教室に戻ってしまった。
そんな事をいつだったか小百合さんが書いていました。

12月にバンクーバーに戻るまでに
小百合さんの面白いエピソードが、もっともっと聞けるような気がするのです。
楽しみにしていま~♪~す。

では、小百合さんに捧げる短歌を。。。


 
 
館林
 
 
季節外れの
 
 
桜咲き
 
 
かわゆいきみに
 
 
胸ときめかせ

 
 


(cherry81.jpg+sayuri78.gif)





『味噌がビミョーな田楽』より
(2012年1月19日)


 



館林駅前で小百合さんを待っている時に、手持ち無沙汰のままブラリと広場に向かって歩いて行ったら次の裸婦像に出くわしたのですよ。

 


(tateba02.jpg)

 



。。。で、このヌードの像にデンマンさんはハマってしまったのですか?



いや。。。 別にハマったわけではありませんよう。 たまたま上の本を読んで懐かしく思い出したのですよ。

埼玉県にも駅前には裸婦像が多いのですか?

与野駅の裸婦像はすでに貼り出したけれど、東松山市にある、東武東上線高坂駅の西口を出ると歩道の両脇に裸婦像が並んでいるのですよ。

 


(matsuya2.jpg)


(matsuya3.jpg)


(matsuya1.jpg)

 



なんと32体の塑像が並んでいるのです。 まるで駅前の野外ギャラリーですよ。



有名な芸術家の作品ですか?

有名かどうか知らないけれど、高田博厚さんという彫刻家が制作したものですよ。 なかなか見ごたえがあります。

つまり、デンマンさんは 上の裸婦像を含めた32体の塑像が駅前の通りに並んでいることに 改めて感動して「駅前のヌード」というタイトルにしたのですか?

いや。。。 そればかりじゃありません。 考えてみたら、確かに アメリカやカナダの駅前には ヌードの像なんてどこにもないですよ。 少なくとも僕の記憶にはない。 バンクーバーの鉄道や地下鉄の駅前にも裸婦像はないですよ。

どうしてですか?

おそらく、ヌードの像は美術館だけで公開するという暗黙の了解事項になっているのかもしれませんよ。

じゃあ、なんで日本では駅前に裸婦像がたくさん展示されているのですか?

もちろん、はっきりとした理由は僕には解らないけれど、日本の場合は前例があると真似をしますからね。 日本人の特性として、隣がテレビを買うと、自分の家でもテレビを買いたくなるでしょう!? 隣が車を買うと、自分の家でも車を買う。 右向け右をすれが、日本人一億人が右向け右をするような。。。 “一億玉砕!” 戦争中は特にそのような傾向があったようですからね。。。

つまり、「1920年、東京駅前の日本工業倶楽部屋上につくられた無題の男女像」を真似て、西洋かぶれした駅長さんの一人が駅前広場に裸婦像を設置した。 そしたら、それを前例として日本各地の駅前広場に、裸婦像が設置されるようになったと言うことですかァ?

たぶんねぇ~。。。 それ以外に考えられないでしょう!?




初出: 2014年3月13日



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【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
実は、あたくしも裸婦像のモデルになってください、と頼まれたのでござ~ますわよう。
うふふふふふ。。。

でも、一糸もまとわずに男性の前に立つのは恥ずかしかったのですわァ。
だから、パンツとブラをつけたままならいいです、とお答えしたのですう。

「仕方ありません、卑弥子さんが そう言うのであれば、それでもけっこうです」ということでした。
それで、あたくしは次のような姿になって彫刻家の前に立ったのでござ~ますゥ。


(curtain5.jpg)

つまり、あたくしがモデルになって出来上がった裸婦像が、どこかの駅前に立っているのですわよう。


(hakoda02.jpg)

たぶん、こんな感じでしたわァ。
うふふふふふふ。。。

ところで、どうして小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
ご存知でござ~♪~ますか?

実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


(suikyu9.jpg)

それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』



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『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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■ 『さらに軽井沢ブーム』

■ 『バンクーバーの生活』

■ 『別れの朝に』

■ 『思い出の天の川』

■ 『隠し子』

■ 『ウィーンの空』

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『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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■ 『ホロドモール』

■ 『ワンダフルライフ』

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