スパルタクス
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デンマンさん、スパルタクス というのは古代ローマで反乱を起こした奴隷のリーダーのことですかァ〜?
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そうです。。。
なぜ急にスパルタクスのことを取り上げるのですか?
最近、バンクーバー市立図書館でDVDを借りてスパルタクスの映画をいくつか観たのですよ。。。
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■『実際のページ』
上のリストの赤枠で囲んだタイトルのDVDを借りて映画を観たのです。。。
8つの映画の全てにスパルタクスが出てくるのですか?
そうです。。。
あらっ。。。バレーまで観てるじゃありませんか! バレーにもスパルタクスが出てくるのですかァ〜?
もちろん、出てきます。。。僕も、血なまぐさい あの残忍で残酷な物語がどうしてバレーになるのだろうか? 不思議に思ったのですよ。。。どのようにしてバレーにしたのだろうか?…そういう興味に引かれてバレーも観たのですよ。。。
男ばかりのバレーですか?
いや。。。女も出てくるのです。。。男ばかりのバレーじゃつまらないでしょう! 僕も、バレーを観る前は、男だけが戦闘をするだけのバレーだと思ったのですよ。。。
あらっ。。。女性戦士も出てくるのですか?
いや。。。女性の戦闘員はいません。。。
でも、私の知る限り女性がスパルタクスの反乱に加わっていたなんて聞いたことがありませんわ。。。
もちろん、僕だって聞いたことがありませんよ。。。それで、調べてみたのです。。。
スパルタクス
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(生年不詳 - 紀元前71年)
スパルタクス(ラテン語: Spartacus)は、共和政ローマ期の剣闘士で、「スパルタクスの反乱」と称される第三次奴隷戦争の指導者。
紀元前73年、仲間の剣闘士とともに南イタリアのカプアの剣闘士養成所を脱走してヴェスヴィウス山に立て籠もり討伐隊を撃退、さらに近隣の奴隷たちが反乱に加わって数万から十数万人の群衆に膨れ上がり、紀元前72年には執政官の率いるローマ軍団を数度にわたって打ち破ってイタリア半島を席巻。
しかし紀元前71年にクラッススの率いる軍団によってイタリア半島南端部に封じ込められ、クラッススとの決戦に敗れた奴隷反乱軍は全滅し、スパルタクス自身も戦死した。
近現代になると再評価され、カール・マルクスは「古代プロレタリアートの真の代表者」と評した。
出自と人物
1世紀の歴史家プルタルコスはスパルタクスの出自をトラキアの遊牧種族とし、勇気と力があるだけでなく、知恵があり温和な性格で出身民族よりもギリシャ人に似ていたと伝えている。
2世紀の歴史家アッピアヌスはトラキアに生まれ、ローマ軍の兵士となるが捕虜となり、剣闘士に売られたと記し、同じ2世紀のフロルスはやや詳細にトラキア人傭兵から兵士となり、逃亡して盗賊になり、そしてその強さから剣闘士となったと述べている。
プルタルコスはスパルタクスの出身をtū Maidikiū genūsと記している。
これは従来では「遊牧種族」の意味として捉えられており、碑文や出土品にスパルティコ、スパルトコスといった似た名前の人物がいるロドピ山麓のベッシ族とする説が有力だったが、ドイツの歴史学者ツィーグラーが当時のトラキアには遊牧民は存在せず、これはトラキアの部族名のマイドイ族(メディ族)の意味であると主張して有力になった。
一方で、これを史料の改竄として批判する意見も出されており、歴史学者トドロフはローマの兵士となったとのアッピアヌスの記述を元に、当時ローマに頑強に抵抗していたメディ族出身はありえず、同盟関係にあったオデュルサエ族出身説を提起した。
19世紀のドイツの歴史家モムゼンは、ボスポラス王国のスパルトキダイ家にスパルタクスと類似した名前が存在することから、王族の子孫であるとする説を唱えた。
ツィーグラーもその資質から指導者階級の出で、騎士的伝統を身につけていたと推測した。
この説に対してはローマを苦しめた指導者が卑賤な出身であって欲しくないという心情から出たもので、名前が似ているだけで論証がなにもないとの批判を受けている。
ベッシ族出自説を採る研究者は、スパルタクスはミトリダテス戦争においてポントス王国側の傭兵として参戦し、この過程でローマ側の捕虜となって補助兵として仕え、そののち逃亡したとしている。
オデュルサエ族出自説の場合は、この部族がローマとの同盟関係にあったことから、補助兵となったことは容易に説明がつき、その後に何らかの理由で逃亡し盗賊(または反ローマ闘争)になったことになる。
メディ族出自説の場合は、メディ族もポントス王ミトリダテス側だったので、スパルタクスもポントス王国側の傭兵となって戦い、その後の講和の成立によってローマ軍の補助兵となったが逃亡して反ローマ闘争を続け、敗れて捕虜になり剣闘士に売られたことになる。
いずれの出自説を取るにせよ、最終的にローマの奴隷となったスパルタクスは、南イタリアのカンパニア地方のカプアにあるレントゥルス・バティアトゥスなる興行師(ラニスタ)が所有する剣闘士養成所に属した。
トラキア出身のスパルタクスは幾つかある剣闘士の種類の内のトラキア闘士と呼ばれるスタイルの剣闘士だったと推測されるが、彼の剣闘士としての戦歴について古典史料は何も語っていない。
スパルタクスの生年についても不明だが、研究者たちはその指導力や行動から反乱を起こした時には35歳から40歳程度であったと推測している。
一方で、当時の剣闘士は20代前半がほとんどで、30代になるまでに木剣拝受者となって引退するか闘技場で死んでいるので、スパルタクスも20代の青年であったとする見方もある。
プルタルコスはスパルタクスと同族の女予言者の話を伝えており、ディオニューソスの秘儀によって霊感を受けた彼女は、スパルタクスが偉大な恐るべき勢力となるが、やがては不幸な結末を迎えると予言したという。
この女予言者は蜂起開始の際にスパルタクスと同じ建物にいて、伴に剣闘士養成所を脱走したと記述されており、現代の研究者の中にはこの女性は実在し、スパルタクスの妻であったと主張する者もいる。
蜂起
バティアトゥス養成所にはガリア人とトラキア人の剣闘士が多く所属していたが、興行師は邪な考えを持って彼らをひとつ所に押し込めていた。
紀元前73年、約200人の剣闘士たちが脱走を計画したが、密告によって露見してしまい、このうちのおよそ70人が養成所を脱走し、武器を奪って武装化しヴェスヴィウス山に立て籠もった。
剣闘士たちはガリア人のクリクススとオエノマウスそしてスパルタクスを彼らの指導者に選んだ。
古代の歴史家アッピアヌスはスパルタクスが指導者であり、他の2人はその部下であるとしているが、リウィウスやオロシウスは3人は同等の指導者であったことを示唆している。
近隣の奴隷もスパルタクスらの反乱軍に加わり、その規模は拡大していった。
元老院は、最初に法務官のグラベル、次いでウァリニウスを討伐に派遣するが、スパルタクスはこれを相次いで撃退した。
数万人に膨れ上がった反乱軍は南イタリアの幾つかの都市を略奪・占領して冬を越し、紀元前72年に北上を開始した。プルタルコスはアルプスを越えて奴隷たちを故郷へ帰すことが反乱軍の目的であったとする一方、アッピアヌスやフロルスはローマ進軍が彼らの目的であったとしている。
アッピアヌスは反乱軍の軍紀が厳正であったことを伝えており、スパルタクスは略奪品を平等に分配し、金銀の個人的な所有を禁じていた。
またサッルスティウスに拠れば、スパルタクスは無用な暴行と略奪といった逸脱行為を禁じたという。
この年任ぜられていた2人の執政官、レントゥルスとゲッリウスが率いる正規のローマ軍団が差し向けられ、反乱軍側はクリクススの率いる別動隊3万人が殲滅された。
この後、スパルタクスはこれら2人の率いるローマ軍団を撃破した。
スパルタクスは戦死したクリクススの霊を弔うために、ローマ兵の捕虜300人に剣闘士試合をさせその犠牲に捧げた。
スパルタクスの率いる反乱軍は北イタリアに到達したが、何らかの理由によって彼らはアルプス越えを行わず、スパルタクスは軍を反転させて再び南イタリアへと向かった。
元老院はレントゥルスとゲッリウスから軍権を剥奪して、新たに法務官に選出されたクラッススに反乱鎮圧を委ねた。
紀元前71年、スパルタクスの反乱軍は一度はクラッススの軍団を撃破したが、やがてイタリア半島最南端のカラブリア地方の都市レギウム(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)にまで追い込まれてしまう。
過去2度の奴隷戦争の舞台となったシキリアへの奴隷反乱の拡大を企図して兵の派遣を目論み、キリキア海賊に渉りを付けてシキリアへの渡航契約が成立したものの、海賊はスパルタクスから贈物だけをせしめて、約束の日に姿を現すことはなかった。
クラッススは包囲網を狭めており、陸峡にまたがる長城を建設して反乱軍の補給を絶ち、奴隷たちは飢えに苦しめられた。
元老院がヒスパニアから帰還したポンペイウスの軍団を反乱鎮圧に差し向けることを決定すると、スパルタクスは長城を強行突破して脱出を図った。
ガンニクスとカストゥスの別動隊がクラッススの軍団に捕捉殲滅されたが、スパルタクスは兵の向きを変えて追撃してきたローマ軍の騎兵集団を撃破する。
だが、この勝利によって兵たちが思い上がり、ローマ軍と戦うことを指揮官たちに強制しようとした。
さらにスパルタクスの故郷のトラキアでの反ローマ闘争が鎮圧され、マケドニアからルクッルスの軍団がブルンディシウムに到着したと知ったスパルタクスはあらゆることに絶望し、クラッススの軍団との決戦を決めた。
最期
現存する古典史料は、スパルタクスとクラッススとの最後の戦場の場所を明確にしておらず、その断片的な記述からルカニア、アプリアそしてブルッテイウム(現在のカラブリア)のいずれかの場所と推定され、オロシウスの「スパルタクス軍はシラルス川の水源に陣営を張った」との記述によってシラルス川の戦いと呼ばれている。
プルタルコスの伝えるところによれば、スパルタクスは決戦を前に自らの馬を引き出させて斬り捨て、「勝てば馬は幾らでも手に入る。負ければもう必要ない」と言い放って歩兵として戦いに加わったという。
スパルタクスはクラッススをめがけて押し進んだが叶わず、小隊長2人を殺し、仲間たちが逃げ惑う中も戦場に踏みとどまり、多くのローマ兵に取り囲まれて遂に斃れた。
アッピアヌスは「敵に包囲され槍で突かれて腿に傷を負い跪きながらも楯を前に掲げて戦い続けた」と伝えており、この戦場描写はポンペイ遺跡から発掘されたこの戦いを描いた壁画とも一致している。
フロルスは「スパルタクスは将軍になったかのように勇敢に前線で戦った」と述べている。
スパルタクスの死体は発見できなかった。
リウィウスによればこの戦いで反乱軍側は6万人が殺されたという。
クラッススは捕虜6千人をローマからカプアに至るアッピア街道沿いに十字架に磔にした。
第三次奴隷戦争の鎮圧後、古代ローマ時代に2度と大規模な奴隷による反乱が起こることはなかった。
評価
小プリニウスは、ローマ社会の退廃を嘆く文章の中で、スパルタクスが軍中の金銀の私有を禁じた話を想起して「逃亡奴隷にして、その心情の偉大さに顔色なからしむる」と述べた。
フロンティヌスは著作の『戦術論』でスパルタクスを窮乏と困難に耐える人物で、その戦術は彼の知る全ての将軍に勝ると評価している。
スパルタクスは古代ローマ人からは「ローマの敵」と見なされたため、悪名が語り継がれ、中世には忘却されたが、18世紀の啓蒙主義時代以降に再評価され、とりわけカール・マルクスをはじめとする社会主義者・共産主義者から高く評価されるようになり、抑圧からの解放を求める労働者階級の偶像となった。
出典: 「スパルタクス」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この反乱は紀元前73年に起こったのです。。。この反乱から約100年後に活躍した歴史家のプルタルコスによると、スパルタクスと同族の女予言者がディオニューソスの秘儀によって霊感を受け、スパルタクスが偉大な恐るべき勢力となるが、やがては不幸な結末を迎えると予言したというのですよ。。。さらに、この女予言者は蜂起開始の際にスパルタクスと同じ建物にいて、伴に剣闘士養成所を脱走したと記述されており、現代の研究者の中にはこの女性は実在し、スパルタクスの妻であったと主張する者もいるのですよ。
名前は何というのですか?
上の説明には名前までは出ていない。。。でも、バレーの解説には名前が出てくるのです。。。
スパルタクス (バレエ)
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『スパルタクス』(Spartacus)または『スパルタク』(Спарта́к,Spartak)は、アラム・ハチャトゥリアン作曲のバレエ作品。
『ガイーヌ』に並んで有名な作品である。
この作品は、ローマに対して反乱を起こした(第三次奴隷戦争)ことで知られる奴隷たちの指導者・スパルタクスの偉業を題材とした作品である。
ただし、バレエの筋書きは歴史的な記録からはかなり逸脱したところがある。
ハチャトゥリアンは1954年にバレエ音楽を作曲し、これによってその年のレーニン賞を受賞した。
本作は1956年にレオニード・ヤコブソンの振付によりレニングラードで初演されたが、限定的な成功しか収められなかった。
これは、ヤコブソンが自分の振付から慣例的な「ポワント」を捨て去ったためであった。
本作は1958年にイーゴリ・モイセーエフ振付により、モスクワのボリショイ劇場での初めての上演が行われた。
しかしながら、このバレエが最も賞賛されたのは、1968年にユーリー・グリゴローヴィチ振付で製作されたバージョンであった。
本作は現在でもハチャトゥリアンの最も有名な作品のひとつであり、ボリショイ劇場やその他のロシアおよび旧ソ連のバレエ団のレパートリーにおいても傑出した作品である。
主な登場人物
クラッスス - ローマの執政官
スパルタクス - 捕虜となったトラキアの王
フリーギア - スパルタクスの妻
エギナ - クラッススの内縁の妻
バレエのあらすじ
第1幕
ローマの執政官クラッススは、勝利を収めたばかりの戦いから、凱旋行列を組んでローマへ帰還する。彼が捕らえた捕虜の中に、トラキアの王スパルタクスとその妻フリーギアがいる。スパルタクスは囚われの身となったことを嘆き、クラッススの内縁の妻たちによるハーレムへ連れて行かれるフリーギアに苦い別れを告げる。
クラッススと側近たちを楽しませるため、スパルタクスは剣闘場に送られ、親友を殺すことを強要される。自分の行為に恐怖したスパルタクスは、仲間の捕虜たちに反乱を起こすよう煽動する。
第2幕
逃亡した捕虜たちは自由を祝う。一方、クラッススは貴族を楽しませるために気前よく娯楽を行い、その娯楽の中には目隠しをした剣闘士同士の戦いもあった。魅惑的なエギナは乱痴気騒ぎを引き起こす。スパルタクスと仲間たちは騒ぎを止め、フリーギアを含む奴隷の女性たちを救い出す。
侮辱されたエギナはクラッススに、すぐに奴隷兵士たちを追うよう要求する。恋人たちは逃亡を祝って、有名な「スパルタクスとフリーギアのアダージョ」を歌う。
第3幕
翌朝、エギナはスパルタクスの野営地を発見し、恋人たちがテントから姿を現すのを目にする。エギナはクラッススに知らせを送り、クラッススは追跡のために兵士を送る。スパルタクスの軍勢との間に血なまぐさい戦いが勃発する。
遂には、クラッススの軍勢はスパルタクスを発見し、彼を槍で串刺しにする。スパルタクスの最も忠実な部下たちが彼の亡骸を奪還して運び去り、フリーギアはスパルタクスを喪ったことを嘆く。
組曲
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ハチャトゥリアンは1955年に、バレエで用いられた楽曲を抜粋・編曲し、3つのオーケストラ組曲を製作した。
組曲第1番
序奏 - ニンフの踊り
エギナとハルモディウスのアダージョ
エギナとバッカナリアのヴァリアシオン
情景とクロタルムスの踊り
ガディスの娘の踊り - スパルタクスの勝利
組曲第2番
スパルタクスとフリーギアのアダージョ
商人たちの入場 - ローマの遊女の踊り
全体の踊り
スパルタクスの入場 - 口論
ハルモディウスの裏切り
海賊の踊り
組曲第3番
ギリシャの奴隷の踊り
エジプトの少女の踊り
夜の出来事
フリーギアの踊り - 別れの場面
競技場にて
これらから適宜抜粋する形で、コンサートのレパートリーとしてよく演奏される。
出典: 「スパルタクス (バレエ)」
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バレーではスパルタクスの妻はフリーギアと呼ばれている。。。次のシーンは、スパルタクスと妻の別れの場面です。。。
このバレーのバックグラウンドに流れている曲は、僕はこれまでに何度か聞いたことがある。。。このバレーのために作曲された曲だとは僕は全く知りませんでした。。。
きれいな曲ですわねぇ〜。。。
バレエの筋書きは歴史的な記録からはかなり逸脱したところがあるのですよ。。。でも、血なまぐさい戦闘場面が多い映画と比べると、やはり、バレーらしくて、躍動的ではあっても繊細で、高尚な印象を受けます。。。次のクリップは、映画の予告編ではなく ローマ軍と反乱軍の戦闘の場面を描いたものです。。。
実によくできた動画で、これは実写ではないのですよ。。。すべてコンピューター・グラフィクスで作ってあるのです。。。実によくできている。。。
あれっ。。。人間の役者ではないのですかァ〜?
よく見ると動きが、やはり人間の動きや馬の動きがぎこちないのです。。。
確かに、本物の人間や馬ではないですわねぇ〜。。。
それにしても、実際の戦闘では、6万人が殺されたというのです。。。
信じがたいほどの大人数ですわねぇ〜。。。
一つの町が全滅したようなものですよ。。。クラッススは捕虜6千人をアッピア街道沿いに十字架に磔(はりつけ)にしたというのです。。。死んでもそのままに放置して、腐るままにまかせた。。。その腐臭の匂いとやらは大変なもので。。。見せしめのために、ポンペイからローマまで並べたというのです。。。長い間見世物のように放置された。。。このため、反乱鎮圧後、古代ローマ時代に2度と大規模な奴隷による反乱が起こらなかった。。。
ちょっとすごすぎですわねぇ〜。。。
【ジューンの独り言】
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血なまぐさい、残虐なお話のあとでは、気分を変えるために面白い動画をお目にかけます。。。
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貴方は、上のワンちゃんが金魚を食べてしまうと思いましたか?
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、他にもっと面白いことを話せ!」
あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわァ。。。
デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。
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