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大乗仏教の発祥地

2024-11-09 02:17:13 | 歴史四方山話


 

大乗仏教の発祥地

 


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ケイトー。。。 大乗仏教にハマっているのォ〜?


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いや。。。僕は宗教にはほとんど興味がないのですよ。。。

でも、そんな事をカナダで言ったら、奇妙な目で見られるわよ。。。

解ってます。。。日本人は、たいてい仏教徒だろうと思われてますからねぇ〜。。。でも、カナダ人だって、名目上キリスト教徒だと言っている人が多いけれど、毎日曜日に教会へ行く人は、そうたくさんいませんよ。。。

確かに、仕方なくキリスト教徒をやっている人もいるわ。。。でも、キリスト教じゃなくても信仰を持っている人は多いわよ。。。ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、シーク教徒、拝火教徒、もちろん仏教徒。。。信仰を持ってない人は、良識がない人、人間性にどこか欠陥がある人と見られてしまいかねないわァ。。。

でもねぇ〜、歴史的に見れば、宗教は地球上で大きな不幸をもたらしてきたのですよ。。。イスラム教徒とキリスト教徒の戦いは、これまでの千年の歴史で何千万人という人の命を奪った。。。現在でも、宗教戦争はありますよ。。。

つまり、ケイトーは、宗教は幸せよりも、むしろ不幸をもたらしてきたと言いたいわけぇ〜?

そうです。。。

ケイトーは何も信じてないのォ〜?

いや。。。信じてますよ。。。神がいるとすれば、僕は「宇宙の摂理」が神だと思えるのですよ。。。なぜなら、この地球上には、神がいると信じている人がいるけれど、世界では何千人という人が交通事故で亡くなっているし、癌で亡くなったりしている。。。神様が居るならば、そういうことがないようにするはずですよ。。。

「宇宙の摂理」は、神様のようなことをしている、とケイトーは言うのォ〜?

そうです。。。地球は生まれてから、気の遠くなるような年月を辿(たど)ってきたけれど、他の星や惑星と交通事故を起こしたことがありませんからねぇ〜。。。地球はこの宇宙で未だに死んでない! つまり、「宇宙の摂理」に守られている。。。この地球上で神様を信じている人は、いわば妄想で神を作り上げているだけなんですよ。。。そういう神は人間を救ってませんよ。。。僕は、そう思っているのです。。。

そんな事を聞いたら、イスラム教の原理主義者がケイトーを捕まえて首をちょん切るかもしれないわよゥ。。。うふふふふふふふ。。。で、どういうわけで大乗仏教を取り上げたのォ〜?

だから、人間は、いかに宗教を人間の都合のいいように作り変えたか?…大乗仏教が生まれたということは、そういう事を物語っているのですよ。。。

あらっ。。。そうなのォ〜?

キリスト教だってそうですよ。。。カソリックの坊さんが免罪符を作って商売をし始めたので、それではいけないというのでプロテスタントの宗教が生まれたわけですよ。。。そうでしょう?

確かに、そういう事が言われているわァ〜。。。

大乗仏教が生まれたのも、それまでの仏教は庶民にとって、とても世間離れした難しい宗教だったのですよ。。。働かずに、坐禅をして瞑想にふけって苦しみから逃れようとする。。。庶民には、とても受け入れがたい。。。それで、庶民は、もっとわかりやすい、容易に天国に逝けるような仏教を求めていたのですよ。。。

そうなのォ〜? 初耳だわ。。。ケイトーは何がきっかけで、大乗仏教を取り上げる気になったのォ〜?

たまたまユーチューブで次のクリップを観たのですよ。。。

 


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大乗仏教

 


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大乗仏教(Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の宗派。
出家者に限らず在家者を含めた一切の衆生の救済を掲げる仏教宗派の総称であり、単一の派を指しているわけではない。

日本の仏教は全て大乗仏教であるが、大乗仏教の経典は釈迦の死後、500年以降に成立しており、仏陀(ゴータマ・シッダッタ)の直説ではなく、後世に成立した偽経という批判(大乗非仏説)にあった。

大乗仏教は、出家による自力救済を説く初期仏教(阿含経に色濃く反映)の世界観・救済観を乗り越える形で形成・発展されてきたという経過があるため、釈迦の教えそのものから(少なくとも言語表現上)変容している面があり、その特色は初期仏教(阿含経)の内容と対比することでより鮮明になる。

大乗仏教に分類される代表的な仏教経典としては、般若経(般若心経はその核心を簡潔に記したもの)、法華経、浄土三部経、華厳経、(大乗の)涅槃経、大日経、金剛頂経などが挙げられる。

 

名称

大乗はサンスクリットのmahā-yānaの訳。
大乗とは、偉大な教え・優れた教えを意味している。
パーリ上座部の文献やスリランカの史書に出てくる方等部(ほうとうぶ)あるいは方広部(ほうこうぶ)という言葉は大乗を指していたと推定されている。

小乗という訳語は部派仏典には瞿曇僧伽提婆(ゴータマ・サンガデーヴァ)による漢訳『増一阿含経』に一例だけ見られる。

大乗仏教をさらに

「権大乗」(ごんだいじょう。仮の大乗仏教、すなわち衆生の機根にあわせて説いた方便の教説の意)
「実大乗」(じつだいじょう。本物の大乗仏教、すなわち仏の悟りを説いた真実の教説の意)
に分ける場合もある。

 

形成

大乗仏教は紀元前後に起こり、1世紀末にはほぼその姿がはっきりとしていたことが通説となっている。

エクリチュール説
(引用開始)釈迦(前463-前383)によって創始された仏教は、その開祖の入滅後、三、四百年のあいだは、口頭伝承のみによって教えを継承した。ところが、紀元前一世紀頃に文字が導入されると、教えのことばが存在する地平は、写本へと移し替えられはじめた。このとき、経師と呼ばれる経典伝承の専門家たちは、書写された経典を口頭伝承のための補助手段としてもちいるにとどめるものと、書記言語として結実するテクストの重要性に気づき、伝承された知識全体の見なおしにかかるものとに分岐した。前者は「伝統経典」の継承をつづけ、後者は大乗仏典を生み出した――教説伝承の媒体の変化をめぐって、およそこうした歴史が浮かびあがってくるのである。(引用終了)

下田正弘, 『仏教とエクリチュール』(東大出版会、2020年)p.321
大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられている。大衆部から生まれたという説、ヘレニズム思想が流入したという説、仏塔を崇拝する部派仏教と全く異なる在家集団から生まれたとする説(平川彰『初期大乗仏教の研究』による)、逆に平川説に対して部派仏教と連続したものとして捉える説などである。下田正弘のエクリチュール説では、紀元前1世紀ごろ書記経典の誕生とともに書物のなかで形成されたとする。

その発端は部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。
つまり、自らが悟りを開いて「阿羅漢」になることを目的とした姿勢を「利己的」と批判し、「(少数しか救われない)小乗」とさげすんだのである。

大乗仏教は普通名詞としての「仏」(buddha、「めざめた人」の意味)を目指したともいわれる。
「小乗」の言葉は現代でも侮辱用語にあたるため注意が必要である。

大乗仏教を体系化したのは、2世紀から3世紀に活躍した龍樹であり、大乗仏教の基盤となる般若経で強調される「空」の概念を説明し、諸宗派に影響を与えた。
龍樹の思想をもとに形成されたのが「中観派」である。

さらに、4世紀に入ると、瞑想(ヨーガ)を通じて心の本質を見る、瑜伽行唯識学派が登場、中観派とともにインド大乗仏教の二大流派を形成する。
瑜伽行唯識学派は弥勒を祖とし、無著と世親が教学を大成した。

大乗仏教運動に伴って、新しい思想・概念やエピソードを含む大乗経典が次々と出現し、大乗仏教徒はこれに依拠するようになった。

また文明の東西交流によりガンダーラなどで仏像が生まれ、仏塔に代わって崇拝されるようになった

 




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玄奘は『大唐西域記』で、大乗を学ぶ寺24、小乗を学ぶ寺60、大小兼学の寺15と記している。

 

教義

大乗仏教では特に般若波羅蜜(智度)が、空の思想や菩薩の在り方とともに重要な用語として位置づけられ教説されたこと、如来蔵説が唱えられたことなどがある。

これは、衆生皆菩薩・一切衆生悉有仏性・生死即涅槃・煩悩即菩提などの如来蔵思想や、釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づいて、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって六波羅蜜の概念の理解を通じ善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という修行仮説や死生観(地獄や空色を含む大千世界観)へと発展していった。

そうした教義を明確に打ち出した経典として『華厳経』、『法華経』、『浄土三部経』、『涅槃経』などがある。

自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行とは大乗以前の仏教界で行われていたものではない。

紀元前後の仏教界は、釈迦の教えの研究に没頭するあまり民衆の望みに応えることができなくなっていたとされるが、大乗の求道者は、阿羅漢ではなく他者を救済するブッダに成ることを主張し、自らを菩薩摩訶薩と呼んで、自らの新しい思想を伝える大乗経典を、しばしば芸術的表現を用いて創り出していった。

また、ブッダとは歴史上に現れた釈迦だけに限らず、過去にも現れたことがあるし、未来にも現れるだろうという考えはすでに大乗仏教以前から出てきていたが、大乗仏教ではこれまでに無数の菩薩たちが成道し、娑婆世界とは別にある他方世界でそれぞれのブッダとして存在していると考えた。

この多くのブッダの中に西方極楽浄土の阿弥陀如来や東方妙喜世界・浄瑠璃世界の阿閦如来・薬師如来などがある。
また、歴史的存在、肉体を持った存在であった釈迦の教えがただそのまま伝わるのではなく、大乗仏教として種々に発展を遂げ、さまざまな宗派を生み出すに至る。
三法印などすべての宗派に共通する教義も多々ある。

 

伝播

紀元前3世紀、インド初の統一国家となったマウリヤ朝の最盛期を築いたアショーカ王の時代、その保護の下でインド全域に広がった仏教は、やがて西北インドから中央アジアを経由して、紀元1世紀には中国まで伝播した

そして、さらに朝鮮、日本、ベトナムに伝わっている(北伝仏教)
北伝仏教は大乗仏教と同義ではなく、西北インドや西域諸国では部派仏教も盛んで、中国にもその経典が伝えられたが、受容は限定的だったという。

またチベットは8世紀より僧伽の設立や仏典の翻訳を国家事業として大々的に推進、同時期にインドに存在していた仏教の諸潮流を、数十年の短期間で一挙に導入、その後、チベット人僧侶の布教によって、大乗仏教信仰はモンゴルや南シベリアにまで拡大されていった(チベット仏教)。

7世紀ごろベンガル地方で、ヒンドゥー教の神秘主義の一潮流であるタントラ教(Tantra または Tantrism)と深い関係を持った密教が盛んになった。
この密教は、様々な土地の習俗や宗教を包含しながら、それらを仏を中心とした世界観の中に統一し、すべてを高度に象徴化して独自の修行体系を完成し、秘密の儀式によって究竟の境地に達することができ仏となること(すぐれた素質の者は今生で(即身成仏)、劣った素質の者でも十六生のうちに成仏)できるとする。

密教は、仏教圏全域に流布したが、東南アジア諸国では上座部仏教を国教と定めた各王朝が大乗仏教を排斥するのにともない消滅、インド本国では仏教自体が消滅、現存するのはインドからネパールに伝わったサンスクリット語の経典を用いる系統、インドから中国・朝鮮半島を経由して日本に伝わった漢訳経典を用いる系統、インドからチベットを経由してモンゴルにも伝わったチベット語経典を用いる系統が残存するのみで、土地の習俗を包含しながら、それぞれの変容を繰り返している。

考古学的には、スリランカ、そして東南アジアなど、現在の上座部仏教圏への伝播も確認されている。
スリランカでは東南部において遺跡が確認されており、上座部仏教と併存した後に12世紀までには消滅したようである。

また、東南アジアではシュリーヴィジャヤなどが大乗仏教を受入れ、その遺跡は王国の領域であったタイ南部からスマトラ、ジャワなどに広がっている。
インドネシアのシャイレーンドラ朝のボロブドゥール遺跡なども著名である。

しかしながら東南アジアにおいては衰退過程を辿り、インド本土と同様にヒンドゥー教へと吸収されたり、上座部仏教に敗れたりしていった。




出典: 「大乗仏教」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



ガンダーラで仏像が作られる前は、仏陀となった偉大な釈迦の姿は、もはや人の手で表現できないと思われていたのですよ。。。



仏像の代わりに何を拝んでいたのォ〜?

人々は釈迦の象徴としてストゥーパ(卒塔婆、釈迦の遺骨を祀ったもの)、法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現したもの)や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹、仏舎利(釈迦の遺骨だと信じられていたもの)などの前にヒザまづいて、拝んでいたのですよ。。。

。。。、で、仏像が作られたというのは何がきっかけだったのォ〜?

紀元前327年にはアレクサンダー大王がガンダーラに侵攻したのですよ。。。その時にギリシャ人の部下を数十人残していった。。。その子孫たちが主に仏像のつくり手になった。。。仏像が作られた当時はガンダーラはクシャン朝に支配されていた。。。クシャン人の王様のカニシカ王は仏塔を作らせたり、自分の像も作らせた。。。

 


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その延長で、それならばお釈迦様の像も作ろうということでクニシカ王はギリシャ人の職人に仏像を作らせた。。。彼は北西インドの都市プルシャプラ(現在のペシャワール)を首都とした。カニシカは一族郎党を引き連れ、夏はアフガニスタンの草原へ、冬はインドの平原へ移動した。地方の有力者を従属させ、「王の中の大王」として君臨したのですよ。東部領支配のため、今日のデリー近くのマトゥラーを副都とした。マトゥラー近郊のマート遺跡から出土したカニシカの立像は、中央アジア風の外套をまとい、ズボンをはき、フェルト製の長靴を履く。外套裾には「大王、王中の王、天子、カニシカ」の銘文がある。



カニシカ王は、仏教を信じていたのォ〜?

カニシカ王が仏教を保護したことは多くの仏典に記録されている。仏典の伝説によれば、カシミール地方の王にシンハと言う人物がおり、仏教に帰依して出家し、スダルシャナと称してカシミールで法を説いていた。カニシカは彼の噂を聞いてその説法を聞きに行き、仏教に帰依するようになったというのです。。。カニシカ王は各地に仏塔を建造したことが知られているほか、彼の治世に仏典の第四回結集(第三回とも)が行われたとも伝えられている。

クシャン朝のクシャン人も仏教を信じるようになったのォ〜?

そうです。。。それ以前はゾロアスター教(拝火教)を信じていたのだけれど、誰もが簡単に天国に逝けるよう教義ではなかった。。。

つまり、厳しい修行を積んだ人でなければ極楽に行けないという難しい教えではなく、誰もが比較的簡単に成仏できるという教えに惹かれて大乗仏教に乗り換えたのねぇ〜。。。

そういうことです。。。民衆の期待に答えた宗教になったのですよ。。。



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたも、大乗仏教を信じていますかァ〜?

ええっ。。。「日本の仏教は葬式仏教か、カルト宗教ばかりなので、信ずる気になれない。。。そんな事は どうでもいいから、他にもっと面白い話をしろ!」

貴方は、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

シルヴィーさんが登場する 興味深い面白い記事は たくさんあります。

興味があったら、ぜひ次の記事を読んでみてください。


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『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』

『インドのキリスト』

『宗教戦争』


(sunwind2.gif)

『西部戦線異状なし』

『だらしない政治家』

『マトリックスの世界』

『細菌戦争』

『マルキの闇』

『チ−37偽札事件』

『核弾頭を積んでいた』

『サンダーバード号事件』

『チャーリー・ウィルソン』

『海外美女ダントツ』

『証拠の捏造』

『放射能悲劇』

『トランプ対ハリス』

『キリスト教での悪魔』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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