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乙女の祈りだわ (PART 1)

2017-04-09 11:46:28 | 太田将宏批判
 

乙女の祈りだわ (PART 1)

 


(pray08.gif)


(ireba03.jpg)


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(ohta03.png)

デンマンさん。。。、お久しぶりです。。。 オイラのことを忘れてしまったのかと思って、寂しい気持ちでいっぱいでしたァ~。。。


(kato3.gif)

オイ! 気持ちが悪いから あまりウェブカムに近寄るなよ!

いいじゃあ、ありませんかァ~! しばらくぶりにお会いしたのです。。。 デンマンさんのお顔を もっとよく見せてくださいなァ~。。。

気持ち悪いから、ウェブカムから遠ざかれよォ~!

そんなに オイラを避けるようにするなら、どうして急にオイラをお呼びになったのですか?

ちょっと次のリストを見て欲しいのだよ!


(liv70407a7.png)


『拡大する』

『乙女の祈りと老人』




これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で4月5日の午後12時11分から午後6時23分までの約6時間の「生ログ」の一部だよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



4月5日の午後1時2分にGOOGLEで検索して『乙女の祈りと老人』を読んだのですねぇ~。。。

そうなのだよ。。。 名古屋市に住んでいる音羽 範子(おとわ のりこ)さんが熱心に読んでくれたのだよ。。。

デンマンさんのご親戚の女性なのですかァ~?

いや。。。 実は 上のリストを見るまで知らなかった女性なのだよ。。。

どういうわけで名古屋に住んでいる音羽 範子(おとわ のりこ)さんが オイラのことが書いてある記事を熱心に読んだということが判ったのですか?

IPアドレスを調べたのだよ。。。


(ip138210b.png)

『拡大する』



でも。。。、でも。。。、IPアドレスを調べてもプロバイダーのアクセスポイントは確定できても、アクセスした人物の名前までは確定できません。。。 デンマンさんは不正にハッキングして音羽 範子(おとわ のりこ)さんの個人情報を盗んだのですかァ~?



オマエは悪意のある事を言うのだねぇ~。。。 僕は不正にアクセスして音羽 範子(おとわ のりこ)さんの個人情報をゲットしたわけではないのだよ。。。 オマエのことが書いてある記事をきれいな女性が読んだということが判ると、オマエがスキップして喜ぶと思ったから、こうして調べてオマエを呼び出したのだよ。。。


(smilerol.gif)


わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

きれいで可愛い音羽 範子さんが

オイラのことが書いてある記事を

熱心に読んでくれました。。。

もう、こうなったら、デンマンさんが

不正にアクセスしたことなど、

どうでもいいですゥ。。。

オイラの気分はマジで

高揚してしまいましたァ~。。。

とっても嬉しいですうゥ~。。。

こうなったら、もうスキップしてしまおう!


(smilejp.gif)

ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン

もひとつおまけにィ~

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン




オイ!。。。 オイ!。。。 いい加減にしろよ! オマエを喜ばせるために、呼び出したのだけれど、調子に乗って そこまで喜ぶことはないのだよ! オマエがトッチャン坊やのように童心に戻って飛び跳ねているのを見たら、この記事を読んでいるネット市民の皆様はアホかと思って呆れてしまうのだよ!



オイラがせっかくスキップして喜んでいるのに、デンマンさんはバケツの水を頭からかぶせるような 冷たいことを言うのですねぇ~。。。

あのさァ~。。。、オマエが後でガッカリしないように、前もって忠告しているのだよ。。。

そんなことはどうでもいいですから、まずオイラに音羽 範子(おとわ のりこ)さんを紹介してください。。。


(soberano2.png)



オマエは音羽範子さんと お友達になりたいのォ~?



いけませんか?

いけないに決まってるだろう!

どうしてっすかァ~?

あのさァ~、何度も同じ事を僕に引用させるなよ! オマエは、かつて次のように書いたのだよ!




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。

長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。

その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。

Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。

私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。

ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。

しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。

S.D.G

コーダ(蛇足):

私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。

S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者

S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。

F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月

『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)




デンマンさんは、いったい何度この文章を引用すれば気が済むのですかァ~?



あのさァ~、僕だって この文章は もう見飽きているのだよ! だけど、オマエが音羽範子さんと お友達になりたいので紹介して欲しいと言うから、オマエにはその資格がないと言うつもりで上の文章を再度 引用したのだよ。。。

解りました。。。 長女は、私から去った。 次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。 家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなるので、オイラには音羽範子さんと お友達になる資格がないと言うのですねぇ~。。。

その通りだよ! 家族に見放されて、その寂しさを紛(まぎ)らわせるために、音羽範子さんと お友達になりたいというオマエの考えは甘いのだよ。。。 安直なのだよ。。。

分かりました。。。 で、音羽範子さんはGOOGLEでどのようにして検索して『乙女の祈りと老人』を読んだのですかァ~?

次のように検索したのだよ。。。


(gog70409a.png)


『拡大する』

『乙女の祈りと老人』

『現時点での検索結果』




音羽範子さんは「乙女の祈り デンマン」と入れて検索したのだよ。。。



あれっ。。。 オイラの名前じゃなく、デンマンさんの名前を入れたのですねぇ~。。。

当然だろう! オマエはネットで有名になっているけれど、でも記事の数で言えば、オマエは僕の足元にも及ばないのだよ。。。 だから、当然 オマエの名前よりも僕の名前の方が先に思いつくのだよ。。。

色の着いた枠で囲んである1番から9番までは、すべてデンマンさんが投稿した記事ではありませんかア!

そうだよ。。。 だから言ったろう! 音羽範子さんはオマエの名前よりも僕の名前を先に思い出したので、「乙女の祈り デンマン」と入れて検索したのだよ。。。

。。。で、いったい音羽範子さんは何を探して『乙女の祈りと老人』を読んだのですか?

オマエが 2015年の11月12日に僕のGOOのブログに書き込んだ次のコメントを まず読んだのだよ!


Identity theft をした

デンマンこと加藤明へ (Ⅵ)


コメント記入者: V. T.

2015-11-12 05:11:58 その四:

 

以上の加藤氏の狼藉にも拘らず、

心優しい私たち貴族の夫婦は、

彼と一緒にスキーをした事もあった、


(canski02.jpg)

彼が私たちをアルゴンキン パークに

ドライヴしてくれたこともあった、


(algon02.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/6uERTJ7d-RY?feature=player_detailpage" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とか、まがりなりにも、私を一晩、彼の部屋に泊めて、

ヴァンクーヴァを案内してくれた事もあった、


(mayumi40.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/TQqO1__1bzk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とか良かったことだけを憶えていて、嫌な事は最近まで忘れていたので、私は、ついつい、彼に出来立ての私の本を送ってしまった、という次第だったのです。

聞くも涙の物語でしょう(満場、シーンとして声もなし)。

加藤氏は、その私の本の最初の反応として、私への断りも無しに、私の文を、一部ではありますが、このBBSに転載して、さらに彼の<乙女の祈り>にまつわるsentimentalな駄文を付け加えて、彼の言う仮想の<世界>、つまり仲良しクラブに発表したのです。

それでも、心優しい私は、事後処置でありますが、私の作品を引用してもいいよ、と言ってやった次第でした(失笑)。

あの、加藤氏の<乙女の祈り>についての文章は、そんな事は、自分だけの胸だけに秘めておけばいい、という以外の何ものでもないではないですか。

読んでいる方が恥ずかしくなるような駄文ですねぇ(失笑)。

それと、あそこで引き合いにだされた女性、恵美子さんという方は、気の毒ですねぇ。


(cute0015.gif)

戸惑いを通り越して迷惑に思っているのではないか、と同情いたしました(ため息、そして失笑)。

彼を、無神経と言わなければ、無神経な人などは、世界中を捜してもいませんよねぇ(ため息、そして、失笑、又、ため息)。

その加藤さんが、自分史を書いているとか、書くとか、といっているのですよ。<世界>の皆様、身震いしませんか(ついに爆笑)。

それらを思いつつ、私は、また、新たに確認しました。

加藤氏は、無礼とか何とか言う以前の、まだ乳離れの出来ていない幼児が、際限なくダダをこね続けている様なものなのではないか、と。




『親愛なる将宏ちゃんへ』のコメント欄より
(2006年12月28日)




つまり、オイラが「あそこで引き合いにだされた女性、恵美子さんという方は、気の毒ですねぇ」と書いたことに 音羽範子さんは共感したのですねぇ~。。。 うししししし。。。



なんで、音羽範子さんがオマエのように共感しなければならないのォ~?

だってぇ~、誰だって そう思いますよ。。。

でも、音羽範子さんは そう思わなかったのだよ。。。 むしろ、オマエの感じ方が病的だと思いながら次の小文を読んだァ~。。。


ん? クラシックで片思い?


(violin03.gif)

そうなんですよね。
僕は多分、恵美子さんに片思いしていたと思うんですよ。


(cute0015.gif)

中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、
全校生徒が体育館に集まった時に
同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/loJY25HOIr4?feature=player_detailpage" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。

曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。

よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。

小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、
中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。

しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね?)

とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。

とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。


(piano2.jpg)

そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。

当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。


(breakup0.gif)

これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、
今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。

その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。

当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!

まず、このように書いても誰も信用してくれないと思いますが、これは実話です。
恵美子さんの名前は本名です。
僕の生まれは行田市です。

もしかして、この記事を恵美子さんが読む事があれば、すぐに僕が誰かと言う事が分かるはずです。
もちろん、僕は恵美子さんにまた会いたくなったから、と言うのでこの記事を書いているわけではありませんよ。

小学生のときに芽生えた“乙女”に対する思いが僕の“乙女の祈り”の演奏を聴いてもらう事によって完結した。
言ってみれば、そのような儚(はかな)くも淡い“恋”ではなかったのか?

もちろん、それは“片思い”にすぎなかったのだけれども、僕はその片思いをあのような形で完結したのだと。。。
今から思い返すと、そう思えるのです。

しかし、ずいぶんと下手くそで間違った演奏を聞かせたものだと、気恥ずかしくなりますよ。
この記事を恵美子さんがもし読む事があったら、夢のような馬鹿ばかしい思い出として、苦笑しながら思い出すことでしょう?

お恥ずかしい事ですが、クラシックだと言われている“乙女の祈り”を誰が作曲したのか?
この記事を書くまで知らなかったという“おまけ”までがついていますよ。うへへへへ。。。。
ついさっき調べたら次のような事が分かりました。



(girlwell.jpg)

1856年作曲

乙女の祈り (La prière d'une vierge)

テクラ・バダルジェフスカ (Tekla Badarzewska)

(1834年1月1日~1861年9月29日)

生誕地:ワルシャワ、 ポーランド


なんと、この人物は27歳で亡くなっているんですよね。
冥福を祈りたいですね。

とにかく、この人物が“乙女の祈り”を作らなかったら、僕は恵美子さんに会うことはなかったんですよ。

小学生の時に、恵美子さんのことを可愛い女の子だなぁ~と思っていただけで、一生会って言葉を交わす事はなかったはずです。

クラシックの“威力”なのでしょうか???

実は、この片思いの事は6月13日に書いた記事の一部です。全文はもっと長いのですよ。
興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
クラシックに限らず音楽好きの人なら面白く読めると思います。

『ん? クラシック興味ある?』

Realogで書いた、この記事に対してRealogのメンバーの藤守美愛さんから次のようなコメントをもらいました。
ありがとね。 (デンマン注: 残念ながら、Realogは閉鎖・消滅しました。)



(gal06c.jpg)

初です☆
クラシック好きなので、
タイトルに釣られて来てしまいました。
コントラバスしてたんですか?
私はペットとパーカッション&ドラムしてました(^O^)

乙女の祈りはエレクトーンで弾いたので懐かしい~
独学でピアノは大変ですよね。
とても素敵な想い出だと思います=^▽^=

 

by 藤守美愛 2006/06/14 03:45





『ん? クラシックで片思い?』より
(2006年6月19日)




分かるだろう!? 藤守美愛さんは「とても素敵な想い出だと思います=^▽^=」と、わざわざコメントに書いてくれたのだよ!



いえ、それは違います。。。 普通の神経を持っている人なら、恥ずかしくって とてもデンマンさんのようには書けないものですよ。。。 うへへへへへへ。。。

あのさァ~、そうやって、無理に笑いでごまかしている場合じゃないのだよ!。。。 「長女は、私から去った。 次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。 家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。」 オマエと家族との関係はこうなってしまったのだよ! つまり、オマエのオツムは、通常の共感脳がすっかり萎縮してしまっているのだよ! だから、藤守美愛さんのように共感することができない!

いえ。。。 オイラにも共感脳がありますよ。。。 オイラにもデンマンさんとの楽しい思い出があります。。。 うへへへへへへ。。。


太田将宏の楽しい思い出

コメント記入者: V. T.

2015-11-12 05:11:58 その四:

 

心優しい私たち貴族の夫婦は、

彼と一緒にスキーをした事もあった、


(canski02.jpg)

彼が私たちをアルゴンキン パークに

ドライヴしてくれたこともあった、


(algon02.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/6uERTJ7d-RY?feature=player_detailpage" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とか、まがりなりにも、私を一晩、彼の部屋に泊めて、

ヴァンクーヴァを案内してくれた事もあった、


(mayumi40.jpg)




だから、寂しい、寂しいと思ってないで もう一度共感脳を鍛(きた)えるのだよ。。。



共感脳は鍛えることができるのでしょうか?

できるのだよ! オノ・ヨーコさんがオマエにも参考になるようなことを書いている! ちょっと読んでごらんよ。。。



(onoyoko.jpg)

70歳になったときは、とても嬉しかった。
よくぞ70歳まで生きながらえたと思いました。

 (中略)

不運か幸運か私の人生には、激しい出来事ばかりが起こったので年齢のことを考えている余裕がありませんでした。
ですから、60歳になったときも、
「あなたも60歳ですね」
などと人から言われても、
「あれ、そお?」
なんて、ぐあいでした。

ところが、70歳を迎えたときはまったく違う感触でした。
ここまで生きながらえたことに対して誇りみたいなものを感じたのです。

 (中略)

自分がやりたい仕事がまだたくさんあります。
「あと50年ちょ~だい」
と言いたい。


自分というものをもっと生きてみたい。
今は私の人生のプロセスだと思っています。
私にとって人生はまだまだ未知数なのです。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




51-54ページ 『今あなたに知ってもらいたいこと』
著者: オノ・ヨーコ
2010年1月15日 第2刷発行
発行所: 株式会社幻冬舎




この文章を読んだときに僕はオノ・ヨーコさんが哀れで愚かで孤独で可哀想な70歳を過ぎた太田将宏老人のような人物を励ますために書いたのではないかと思ったわけだよ。



デンマンさんは、マジでそう思ってくれたのですか?

そうだよ! だから、オノ・ヨーコさんに負けないように元気を出して 共感脳を鍛えるのだよ!



(smilerol.gif)


わァ~~ うれしいなあああァ~。。。

デンマンさんがオイラの気分を

つに高揚させてくれましたァ~。。。

しかもデンマンさんのおかげで

オイラは日本語が分かる

126ヵ国のネット市民の皆様にも

知れ渡ってしまうかも。。。

さらに、デンマンさんがオイラの気分を

ウハウハさせてくれました!

こうなったら、もうスキップしてしまおう!


(smilejp.gif)

ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン

もひとつおまけにィ~

ルンルンル~♪~ン

ランランラ~♪~ン



(laugh16.gif)

やれやれぇ~。。。

馬鹿とは付き合いきれません。

あなただってそう思うでしょう!?



(foolw.gif)

 (すぐ下のページへ続く)



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