どこの応天門
(kokyu10.jpg)
(kokyu11.jpg)
(emaki00.jpg)
(emaki03b.jpg)
(himiko93.jpg)
(himiko22b.gif)
デンマンさん。。。 「応天門」というのは、日本や中国や韓国に いくつかあるのでご〜♬〜ざますかァ〜?
(kato3.gif)
そうなのです。 ウィキペディアで調べると次のように、世界にいくつかあるのですよ。。。
応天門
(kokyu11.jpg)
(洛陽と同じ様式の故宮午門)
応天門(應天門)は、いくつかの宮城に作られた門の名である。
洛陽
洛陽では、皇城内部にあり、宮城の南の正門だった(宮城は皇城の内側にある)。
605年に建造。当初は則天門や紫微宮門と呼ばれていたが、王世充により、順天門と改められた。
しかしこの順天門は、李世民の攻城により、ひとたび焼失した。
唐代初期に再建され、則天門と改められた。
その後、睿宗の代に、母武則天の「則」字を避諱して、現在の名の応天門となった。
ただし、晩唐五代に一時、五鳳楼と改名されていた。
左右3回ずつ折れ曲がる「双向三出闕」という様式である。
これはのちの紫禁城の故宮午門と同じであり、故宮午門はこれに似せて作られたとも言う。
国事や外交の式典に使われた。
1959年、中州渠の開削により、ほとんどが失われた。
1992年、国家文物局が一部を修復した。
平城京
現在基壇のみが残る。朝堂院の正門。
朱雀門の真北にあり、そこから会昌門跡、大極殿が見える。
規模は朱雀門より小さく、平安神宮神宮の応天門と同じくらいである。(旧跡を示す碑などは無い。)
平安京
大内裏の内側にあった門で、朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院(八省院)の正門である。
朱雀門のすぐ北にあり、朱雀門・会昌門と並ぶ重要な門であった。
場所は2012年まで出世稲荷神社があった所付近(京都市上京区と中京区の南西の境界付近)とされる(旧跡を示す碑などは存在しない)。
扁額は空海の筆によるものと言われている。
「弘法にも筆の誤り」ということわざは、空海(弘法大師)が応天門の扁額を書いた際に「應」の一画目の点を書き忘れてしまった(まだれをがんだれにしてしまった)が、空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き足したという伝承に由来する。
866年(貞観8年)、応天門の変で放火されたことで有名であるが、その他にもたびたび失われては再建されたが、1177年(治承元年)の大火で失われて以降、再建されなくなった。
応天門の変の後の再建の際には、改名を論じられている。
平安神宮の応天門
(outenmon10.jpg)
平安神宮の応天門は、平安京の応天門を5/8のスケールで模したものである。
出典: 「応天門」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
でも。。。、でも。。。、どういうわけで「応天門」を取り上げるのでござ〜ますかァ〜?
実は、つい最近 次の記事にコメントを貰ったのですよ。。。
(art13-01-24.jpg)
■『拡大する』
■『応天門の火事』
あらっ。。。ガーゴイルさんが「応天門放火の応天門は京畿道の応天の門である」と書いたのでござ〜ますわねぇ〜。。。
そうなのですよ。。。京畿道(キョンギド、けいきどう、朝: 경기도)というのは、大韓民国北西部すなわち朝鮮半島中西部に位置する行政区で、朝鮮八道における「京畿道」からソウル特別市と仁川広域市、及び朝鮮民主主義人民共和国の統治範囲を除いた地域のことなのです。。。道庁所在地は水原市です。。。
(keikido11.jpg)
(ウィキペディア「京畿道」より)
応天門放火というのは、韓国で起こったことなのですかァ〜?
もちろん、日本で起きた放火事件ですよ。。。
応天門の変
(rashomon6.gif)
応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の貞観8年(866年)に起こった政治事件である。
大納言・伴善男(とものよしお)は左大臣・源信(みなもとのまこと)と不仲であった。
源信を失脚させて空席になった左大臣に右大臣の藤原良相がなり、自らは右大臣になることを望んでいたともされる。
(emaki03b.jpg)
応天門が放火され、大納言・伴善男(とものよしお)は左大臣源信の犯行であると告発したが、太政大臣・藤原良房の進言で無罪となった。
その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処された。
これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)は没落した。
藤原氏による他氏排斥事件のひとつとされている。
藤原良相は源信の逮捕を命じて兵を出し、邸を包囲する。
放火の罪を着せられた左大臣・源信家の人々は絶望して大いに嘆き悲しんだ。
参議・藤原基経(もとつね)がこれを父の太政大臣・藤原良房に告げると、驚いた良房は清和天皇に奏上して源信を弁護した。
源信は無実となり、邸を包囲していた兵は引き上げた。
朝廷は伴善男らを応天門の放火の犯人であると断罪して死罪、罪一等を許されて流罪と決した。
伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国、紀豊城は安房国、伴秋実は壱岐国、伴清縄は佐渡国に流され、連座した紀夏井らが処分された。
また、この処分から程無く源信・藤原良相の左右両大臣が急死したために藤原良房が朝廷の全権を把握する事になった。
この事件の処理に当たった藤原良房は、伴氏・紀氏の有力官人を排斥し、事件後には清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力を拡大することに成功した。
出典: 「応天門の変」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つうことわァ〜、ガーゴイルさんは間違っているのでござ〜ますかァ〜?
もちろんですよ。。。僕は間違って書いたのかなァ〜? 一瞬、そう思ったのだけれど、99パーセント間違ってないという、ほぼ確信に似た自信があった。。。
でも、ガーゴイルさんは、どういうわけで間違ったコメントをわざわざ書いたのですかァ〜?
僕は、直感的に、これもコメントスパムだと思ったのですよ。。。それで次のように検索してみたのです。。。
(gog22-09-15.jpg)
■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
"京畿道の応天の門" と入れて検索したのですわねぇ〜。。。
そうです。。。すると、ガーゴイルが書いた同じコメントスパムが 1,070件もヒットするのですよ。。。
あらっ。。。こういう愚かなことをするコメントスパマーが居るのですわねぇ〜。。。
そうなのです。。。
日本語が解る韓国人の方でござ〜ますかァ〜?
いや。。。ガーゴイルは東京に住んでいる日本人ですよ。。。
(ip2118.jpg)
なぜ、間違ったことを書き回るような愚かなことをするのでしょうか?
馬鹿な暇人だから、たいくつして こういう愚かなことをして時間を潰しているのですよ。。。
こういうコメントスパマーは多いのでござ〜ますかァ〜?
多いのです。。。
(spam22-09-15.jpg)
■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
"コメントスパマー" と入れて検索すると 63,700,000件もヒットするということは、コメントスパマーがいかに多いか!ということの証拠ですよ。。。
(fool932.png)
すんまへん。。。
15年以上にわたって
名誉毀損、誹謗中傷、罵詈雑言、
嫌がらせのコメントを
書き回っている
自分でも認める
生きる価値がない
クズの廃人です。
オイラが遅かれ早かれ
死刑囚になるだろうと
デンマンさんが脅かすのです。
きゃはははははは。。。
■『現実主義者 馬鹿の見本』
この男も"コメントスパマー" の一人ですよ。。。
あらっ。。。同じようなコメントをネットで書きまわっているのでござ〜ますかァ〜?
そうです。。。次の検索結果を見てください。。。
(gog22-05-02.jpg)
■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
現実主義者 コメント と入れて検索してみたのですよ。。。すると、なんと 15,400,000件もヒットする!
あらっ。。。15,400,000件 ものコメントを書きまわったのでござ〜ますかァ〜。。。呆れてしまいますわねぇ〜。。。こういう愚か者がネットにはたくさんいるのですわねぇ~!?
そうなのですよ。。。ある意味で、ネットは愚か者の溜(た)まり場なのですよ。。。
(laugh16.gif)
【ジューンの独り言】
(june500.jpg)
ですってぇ〜。。。
あなたは、暇を持て余してもコメントスパムを書き回らないでくださいねぇ〜。。。
ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわァ。。。。
では、あなたもビックリするような
忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。
なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!
無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。
つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。
浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?
そのへんのところが詳しく映像に残っております。
観るだけの値打ちがありますわ。。。
では、どうぞ。。。
ところで、どうして小百合さんが
「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
(sayuri5.gif)
あなたは ご存知ですかァ?
実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。
そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。
(suikyu9.jpg)
それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。
そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。
軽井沢・雲場池の紅葉
軽井沢のイルミネーション
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
(hand.gif)
メチャ面白い、
ためになる関連記事
(linger65.gif)
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』
(house22.jpg)
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に
別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
(30june.jpg)
■ 『センスあるランジェリー』
(surfing9.gif)
(sayuri5.gif)
ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
(zurose2.jpg)
■『女帝の平和』
■『アタマにくる一言』
■『悪女レオタード@昌原市』
■『スウィートビーン』
■『ガチで浦島太郎やし』
■『ご苦労さま』
■『デンマンのはなし』
■『卑弥呼の墓』
■『室生犀星と人間学』
■『松平春嶽ダントツ』
■『英語は3語で伝わる』
■『くだらない物』
■『漢字で体操』
■『面白い漢字テスト』
(godiva05.jpg)
(byebye.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます