晩春
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デンマンさん。。。ずいぶん古い映画を取り上げましたねぇ〜。。。
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いけませんかァ〜?
いけないことは ありませんけれど、70年以上も前の映画ではありませんかァ〜!
そうです。。。戦後間もない頃の映画ですよ。。。1949年に制作された映画です。。。終戦から4年目。。。でも、焼け跡は見られなく、戦後の焼け跡だらけの東京は、すでに復興しているのですよ。。。戦争に負けても、落ち込んでないで頑張っている日本人の姿が映し出されている。。。日本経済大国を目指す日本人の逞(たくま)しさを感じる反面、当時の娘を演じる原節子さんの「紀子」と父親役の笠智衆(りゅう ちしゅう)の父娘の いかにも日本人らしい思いやりや、気遣いが実に見事に演じられている。。。
そう言えば、デンマンさんは原節子さんの熱烈なファンですよねぇ〜。。。
いや。。。それほど熱烈なファンではありません。。。でも、原節子さんの演じる役柄は、いかにも日本人の良き時代の良き娘、良き母を演じている映画が多いですよ。。。そういうわけで、僕は原節子さんの映画の中のイメージに好感を持っているのです。。。この映画の中の「紀子」という女性は僕の理想的な女性です。。。
でも、原節子さん自身は一生独身で過ごしたのですよねぇ〜。。。
そうです。。。「永遠の処女」のイメージを持ち続けました。。。
でも、それって、ちょっと異常ではありませんかァ〜?
そういう女の一生があってもよいではありませんかァ〜!? 本人は映画の中で、いろいろな役を演じて、十分に幸せな人生を過ごした、と思っていたかもしれませんよ。。。
けれど、原節子さんの事を色々と調べている人がいて、次のような動画を先日、たまたま観ましたわァ〜。。。
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結局、本人が一生独身で幸せだったか、どうか?… それは、本人だけが語ることですよ。。。他人の知るところではありません。。。
ところで、デンマンさんは どういうわけで70年も前の映画を取り上げたのですか?
つい最近、バンクーバー市立図書館でDVDを借りて、久しぶりに上の映画を観たのですよ。。。
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晩春
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『晩春』(ばんしゅん)は、1949年(昭和24年)に公開された小津安二郎監督の日本映画。
1949年度の「キネマ旬報ベスト・テン」の日本映画部門で1位に輝いている。
日本国外でも非常に高い評価を得ており、英国映画協会(BFI)選定の2012年版「史上最高の映画」で15位に輝いている。
また、2022年版では21位となっている。
解説
娘の結婚を巡るホームドラマを小津が初めて描いた作品であり、その後の小津作品のスタイルを決定した。
小津が原節子と初めてコンビを組んだ作品でもある。
なお、本作および後年の『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶこともある。
原作は、作家の広津和郎が熱海に滞在中に書いた小説『父と娘』である。
小津は本作以前にもホームドラマを数多く手掛けているが、結婚する娘と父の関係を淡々とした日常の中に描いたのは、本作が初となる。
戦後2作目となる前作『風の中の牝雞』(1948年)では、戦後の荒廃した世相を夫婦の危機に反映させた意欲作だったにもかかわらず観客の拒絶にあい、失敗作と認めざるを得なかった小津にとって、一転して娘の結婚をめぐるホームドラマという普遍的な題材は興味を引くものだった。
監督を承諾した小津は、『箱入娘』(1935年)以来14年ぶりにコンビを組む野田高梧と約1年をかけて脚本を執筆し、映画化にのぞんだ。
野田とのコンビによる約1年間の脚本共同執筆は、以後、小津の遺作となる『秋刀魚の味』(1962年)まで続くこととなるが、同時に、原節子とのコンビ、笠智衆演じる初老の父親が娘を嫁にやる悲哀など、いわゆる小津映画のスタイルも、すべて本作で初めて確立された。
また、ローアングルで切り返す独特な人物ショットの反復や、空舞台と呼ばれる風景カットの挿入などの映像スタイルは、必ずしも本作で初めて採用されたものではないが、以後遺作まで反復される娘の結婚というドラマと連動することによって、その説話的主題を明確にする映像スタイルとして機能することになる。
占領下の日本において、鎌倉や京都の日本的な風景や能舞台などの日本文化をフィルムに焼きつけ、その中で描かれる余分な要素を一切排除した結婚ドラマは、公開当時、そこに日本的なものの復権を感じ取る観客層と、戦後の現実からの逃避とみなす観客層の二つに分かれ、評価は賛否両論となった。
しかし、あえて普遍的な人間ドラマをありのままに描こうとする小津の姿勢は、後にテレビ時代に入って本格化するホームドラマの製作スタイルに多大な影響を与えることとなった。
一方、映画で語られる人間の感情を描ききるためには映画文法を踏み外すことも辞さない小津の姿勢や、感情を映像化しようとするスタイルは、後に世界中の映画評論家やファンの議論の的となり、小津作品の中でも今なお最も語られることの多い一本である。
本作は、リンゴの皮を剥いていた父親がうなだれるシーンで終わるが、当初小津は父親役の笠智衆に「皮を剥き終えたら慟哭するように」と指示を出していた。
大仰な演技を嫌っていた小津からそのような要求を受けたことに驚いた笠は「それはできない」と答え、小津も無理にやらせようとはしなかったため変更になった。
小津の指示通りに演技をしていた笠が、唯一小津に異を唱えたのがこのシーンである。
笠は後に、小津自身も迷っていたのかもしれず、また自分にそういう演技はできないことを小津も分かっていたのだろうとした上で「できるできないは別にして、とにかくやってみるべきだった。
監督に言われたことはどんなことでもやるのが俳優の仕事」と語っている。
劇中の能の演目は小津が能楽師の金春惣右衛門に相談し、本作が恋物語であることから、金春が『杜若』を提案し、採用された。
『杜若』はカキツバタの精の話で、『伊勢物語』第九段に出てくる在原業平のカキツバタの和歌(遠く都に置いてきた妻を想う歌)を下敷きにしたもの。
クレジットには「杜若 戀之舞」とあるが、「戀之舞」の部分は編集時にカットされた。
シテを演じているのは梅若万三郎。
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あらすじ
大学教授の曾宮周吉(笠智衆)は娘の紀子(原節子)と二人、鎌倉で暮らしている。
戦中戦後の混乱の中で一時期体調を壊したこともあって未だ独身の紀子を周吉は心配しているが、紀子は周吉の助手の服部(宇佐美淳)とサイクリングに出かけたり、女学校時代の友人であるアヤ(月丘夢路)と夜通し歓談したりしながら、父との生活を楽しんでいる。
周吉は服部を紀子との結婚相手として考えたりもするが、彼が既に婚約していることを知ってがっかりするのだった。
ある日、叔母のまさ(杉村春子)から見合いの話を持ちかけられた紀子は、父をひとりにするわけにはいかないと言って断ろうとする。
まさは、周吉にも再婚の話があるからその心配は要らないと言って更に説得する。
帰宅した紀子は周吉に対し、本当に再婚する意志があるのかと問い詰め、周吉が頷くと大きなショックを受けて、父に対して心を閉ざしてしまう。
ぎくしゃくした日々が続いていたふたりだったが、見合いの後に紀子は結婚を承諾し、嫁入り前の最後の旅行として親子で京都に向かう。
周吉の友人の小野寺(三島雅夫)やその家族とも会って楽しく過ごした紀子だったが、明日は東京へ帰るという晩、やはりこのまま周吉と一緒に暮らしたいと心情を吐露する。
そんな娘に周吉は、結婚して新しい生活を築いていくことの大切さをこんこんと説き、紀子は「わがまま言ってすみませんでした」とうなずく。
紀子が嫁いだ晩、周吉はアヤと酒を飲みながら、自分の再婚話は紀子を結婚させるためについた「一世一代の嘘」だったのだと告白するのだった。
出典: 「晩春 (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
英国映画協会(BFI)選定の2012年版「史上最高の映画」で15位に、また、2022年版では21位だったのですわねぇ〜。。。
そうなのですよ。。。だから、僕のように何度も観る人がいるのです。。。上のカタログ・ページを見れば分かるように現在、6人が予約待ちしています。。。この映画は、現在、バンクーバーでも人気があるのです。。。ところで、次のシーンを観てください。。。
ぎくしゃくした日々が続いていた父と娘でしたが、見合いの後に紀子は結婚を承諾し、嫁入り前の最後の旅行として父娘で京都に向かう。。。その晩、父親と娘が枕を並べて寝るシーンですわねぇ〜。。。
そうです。。。
この場面が物議(ぶつぎ)を醸(かも)しだしたのですかァ〜?
いや。。。この映画を初めから観れば、このシーンは別に問題ありません。。。ごく自然な成り行きで父親と娘が枕を並べて寝るのです。。。
デンマンさんは、なぜこのシーンを取り上げたのですか?
僕は、下らないことだと思うのだけれど、この上のシーンの次に床の間に置かれた壺が一瞬写り込むカットがあるのです。。。
小百合さんは気づきましたか?
あらっ。。。見過ごしていましたわ。。。この壺が問題なのですか?
映画評論家の間で、未だに問題になっているのです。。。
壺のカット論争
これは、終盤近くの京都の旅館のシーンにおいて、父親と娘が枕を並べて眠っていると、床の間に置かれた壺が一瞬写り込むカットの意味をめぐるものである。
アメリカの映画監督ポール・シュレイダーは、これを父と別れなければならない娘の心情を象徴する「物のあわれ」の風情であると評している。
また映画評論家のドナルド・リチーは、壺を見ているのは娘であり、壺を見つめる娘の視線に結婚の決意が隠されていると分析する。
一方、この二人に対して異議を唱えているのが、『監督 小津安二郎』で小津映画の評価に新しい方向性を投げかけた蓮實重彦である。
蓮實は、まず小津映画において、父子とはいえ性別の異なる男女が枕を並べて眠っていること自体が例外的であり、またすべてを白昼の光の中に鮮明な輪郭を持って描いてきた小津が、月光によって逆光のシルエットになっている壺を描いたことも例外であるとする。
そして蓮實は、それらから父と娘の間に横たわる見えない性的なイメージを読み取ろうとしている。
娘が父に対して性的コンプレックス(エレクトラコンプレックス)を抱いているのではないかという憶測を最初に投げかけたのは、映画評論家の岩崎昶である。
岩崎は壺の意味については言及していないが、『キネマ旬報別冊 小津安二郎・人と芸術』(1964年)の中で、父娘の会話が旅館の寝床の上で交わされていることに注目し、父に対して性的コンプレックスを抱いていた娘が、この旅館のシーンを転機に父から性的に解放される名シーンであると論じている。
一方で、これらの推測は、娘が壺を見ているという前提があるからこそ成立するものであるが、編集されたフィルムを見る限り、娘は壺を見ていないとする反論もあり、性的か否か、壺を見ているか否かという論争は、今もなお決着がついていない。
小津生誕100年を記念して2003年に国際シンポジウムが東京で開催された際、出席者のひとりだったポルトガルの映画監督マノエル・デ・オリヴェイラがこの問題について明確に「父子相姦」と言及して、議論を巻き起こした。
なお、杉村春子はこのようなカットを撮影する際に、小津から「気持ちを残したように演技してください」と注文を受けたと語っている。
対して、女性史研究者の池川玲子は、詳細な画像分析に基づいて、これらと全く異なる解釈をおこなっている。
池川は、問題のカットの左端の暗がりに置かれた小さな塔に着目し、このカットが「壺と塔のセットを基準に、明暗、生死、陰陽といった二元論で構成されている」と指摘する。
その上で、その二元論の意味するところは「男女」であり「子宮とペニス」であると結論づけている。
さらに池川は、『晩春』の前年に制作された『幸福の限界』(大映京都、監督木村恵吾、脚本新藤兼人)においても、原節子演じるヒロイン由岐子の自室に大量の壺が設置されていることを指摘し、壺が「次世代を育む子宮」のメタファーであったと結論付けている。
出典: 「晩春 (映画)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小百合さんは、どう思いますか?
普通の人は、私のように壺など見過ごすと思いますわァ〜。。。映画監督も、この壺に意味を持たせるために、床の間に置いたわけではないと思います。。。映画評論家なので、重箱の隅を突っつくように、このような些細なことまで取り上げるのですわ。。。
なるほど、こういう些細な事、どうでもいい事を取り上げて飯のタネにするのですねぇ〜。。。
それ以外に考えられませんわ。。。《その二元論の意味するところは「男女」であり「子宮とペニス」であると結論づけている》…そんなのは、考えすぎですわァ〜。。。バカバカしいこじつけだと思います。。。あの愚かな神武君でも、そのようなバカバカしいことは言わないと思いますわァ〜。。。
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■『セクハラ止めない神武君』
神武君は、こういう文部科学省が推薦するような映画は絶対に観ません。。。セサミストリートか、日活ロマンポルノを観るのがせいぜいですよ。。。
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【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
あなたも神武君は文部科学省が推薦するような映画は絶対に観ないと思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
貴方は、そのような荒々しい口調で あたくしにご命令するのでござ〜ますかァ〜。。。
分かりましたわァ〜。。。
じゃあ、デンマンさんが日本へ帰省している間に 小百合さんとデンマンさんは台湾旅行をしました。
貴方も、その時の動画を観てくださいまし。。。
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■『台北夜市』
台湾では、おトイレに備え付けのペイパーが無いところがあるのですってぇ〜。。。
だから、あなたが台湾旅行するときにはトイレ用のマイペーパーを持参してくださいね。。。
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、更に そのような強い口調で あたくしに御命令なさるのでござ~ますかァ~?
分かりましたわ。。。
デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。
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■『拡大する』
■『もう一度クリスマスのページ』
上のリンクをクリックすると、
左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。
ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。
じゃあ、また。。。
ィ~ハァ~♪~!
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■『混浴とロマン@トルコ』
こんにちは。ジューンです。
“本音と建前”
よく聞きますよね。
さて、英語で何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
いろいろと言い方があると思います。
appearance and reality
見かけと実物そのまま
これも本音と建前と言い換えることができますよね。
form and substance
外観と実体
これも本音と建前と同じですよね。
one's real intention and
what one says on the surface
本音と建前を説明しているのですよね。
real motive and stated reason
これも間違いなく本音と建前ですよね。
what one says and what one means
本音と建前をこのように言うこともできますよね。
では、「本音と建前を使い分ける」を
英語でどのように言うのでしょうか?
ちょっと考えてみてください。
次のように言うことができます。
You should be tactful as to
when to tell real intention
and when to show form.
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら覗いてみてくださいね。
■ 『あなたのための愉快で面白い英語』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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