ロマンとデジャヴ(PART 1 OF 4)
日付: Fri, 14 Nov 2008 10:24:11 +0900 (JST)
差出人: "dominion@yahoo.co.jp"
件名: 11月14日
宛先: "デンマンさん" greenok@infoseek.jp
11月11日、わざわざ館林に来てくれて ありがとう。
今日は 次男坊の三者面談もあって 家に居ます。
デンマンさんは風邪ひいてないですか?
私は昨日からの暖かさで 少し調子がいいですよ。
行田に着いてから「かどや」に立ち寄ったのですね。
私にとっても懐かしい思い出の場所です。
「かどや」の ゼリーフライが食べられてよかったね。
焼きそばも食べたの?
私も食べたくなってきました。
去年、デンマンさんと一緒に食べることができなかったので、
今年はデンマンさんも ぜひ「かどや」で 一度 食べてから
バンクーバーに帰って 欲しかったのです。
お母さんも お土産に持ち帰った焼きそばを食べて
喜んでくれたのですか。
良かったですね。
イイ 思い出の 味になりましたね。
私も後で 行田に行って「かどや」で食べようと思います。
今日もミルミルに着きましたか。
お天気が良かったら、私も一度行ってみようと思います。
ところで、来週 軽井沢に来れますか?
お天気の良い日に来てください。
デンマンさんの都合があるでしょうから、
16日(日曜)のお昼までに
メールかケイタイに連絡してくださいね。
館林ではデンマンさんとお話ができて楽しかったです。
バナナパイを食べ、コーヒーを飲みながら
ゆっくりとくつろげました。
デンマンさんが ご飯も注文せずに
餃子だけを食べながらコーヒーを飲んでいたのでちょっと驚きました。
やっぱり、カナダ生活が長くなると日本人には思いつかないような組み合わせで注文するのでしょうね。(微笑)
コーヒーと甘いもの ごちそうさまでした。
小百合より
『夢とロマンの小径 (2008年11月16日)』より
デンマンさん。。。去年、行田に帰省したときに小百合さんから受け取ったメールでござ~♪~ますか?
そうですよう。。。うししししし。。。
11月11日に館林に行ってガスト(GUST)で餃子を食べたのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。
小百合さんが次のようにビックリしていましたわね?
デンマンさんが ご飯も注文せずに
餃子だけを食べながら
コーヒーを飲んでいたのでちょっと驚きました。
やっぱり、カナダ生活が長くなると
日本人には思いつかないような
組み合わせで注文するのでしょうね。
実は、軽井沢の四川料理店でも餃子を食べたのですよう。
やっぱり、餃子とコーヒーでござますか?
中華料理店でしたからねぇ、さすがにコーヒーと餃子を一緒に注文しませんでしたよう。ラーメンと餃子を食べましたよう。
デンマンさんは、それほど餃子が好物なのでござ~♪~ますか?
好きですね。でも、バンクーバーでは、ほとんど餃子を食べないのですよう。
どうしてでござ~♪~ますか? チャイナタウンへ行けば安くておいしい餃子をたくさん食べる事ができるのでしょう?
そのとおりですよう。でもねぇ、バンクーバーに居ると不思議に餃子を食べたいと思うことがあまりない。
。。。んで、日本へやって来ると餃子が食べたくなるのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。もともと餃子は中国が本場なのだろうけれど、僕が初めて餃子を食べたのは日本ですからね。多分、そういう無意識が働いて日本に帰省すると無性に餃子が懐かしくなるのかもしれません。
。。。んで、軽井沢の餃子はどうでござ~♪~ました?
あのねぇ~、不思議なのは四川料理店で食べた餃子は一皿680円でした。館林へ行ったときに ガスト(GUST) で小百合さんと一緒に食べた餃子は一皿260円ほどでした。
それで、お味の方はどうだったのでござ~♪~ますか?
どちらもうまいのですよう。つまり、味はほとんど変わらないのですよう。要するに、軽井沢で食べた餃子には“軽井沢”と言う場所代が含まれていると、しみじみと感じさせられましたよう。うしししし。。。
。。。んで、館林の餃子には何か思い出があるのでござ~♪~ますか?
あのねぇ、館林のつつじヶ丘公園で白鳥を見たあとで小百合さんと館林のガストへ行ったのですよう。メニューを見たら、うまそうな餃子の写真が載っている。もう衝動的に餃子を注文しましたよう。
小百合さんは。。。?
当時、中国製の毒入り餃子がニュースになっていたせいか、小百合さんは餃子を全く食べませんでしたよう。
。。。んで、お飲み物は。。。?
僕はコーヒーです。小百合さんはチーズケーキとコーヒーでした。
デンマンさんは餃子とコーヒーでござ~♪~ますか?
そうですよう。そういう組み合わせは見たことがないと小百合さんは言ってましたよう。ウへへへへ。。。。
。。。んで、何が思い出深かったのでござ~♪~ますか?
だから、小百合さんと恋人同士のようにテーブルについて、本当に久しぶりに餃子を食べたのですよう。愛する人を目の前にして餃子を食べる。その時、これ以上のロマンチックな設定はないだろうと思ったのですよう。うしししし。。。
デンマンさんのロマンは260円の餃子でござ~♪~ますか?
そうですよう。
小百合さんは子供の頃からの聖地に別荘を持ったのでござ~♪~ますよね?
あのねぇ~、260円の餃子であろうが、2億6千万円の別荘であろうが、ロマンに値段の差はないのですよう。幸せをじっくりと自分のモノとして味わうこと。。。それがロマンの醍醐味ですよう。うしししし。。。
。。。んで、今日は「ロマンとデジャヴ」ですけれど、デジャヴって、なんでござ~♪~ますか?
日本語では「既視感」と訳すらしいですよう。僕が日本で暮らしていた頃には「既視感」なんて聴いた事も見た事もなかったし、もちろん、「デジャヴ」と言う言葉も知らなかった。
英語ですか?
もともとは déjà-vu というフランス語ですよう。『ウィキペディア』の説明を読んでみてください。
既視感 (デジャヴ)
既視感(きしかん)とは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。
日本語では「デジャヴ」、「デジャブ」、「デジャヴュ」などとも呼ばれる。
原語の「vu」(「見る」を意味する動詞「voir」の過去分詞)、訳語の「視」は、いずれも視覚を意味するものであるが、聴覚、触覚など視覚以外の要素もここでいう「体験」のうちに含まれる。
歴史
"Déjà vu" という語は、超能力研究をしていたフランスの超心理学者・エミール・ブワラック (Émile Boirac) がシカゴ大学在学中に執筆した「超心理学の将来」 (L'Avenir des sciences psychiques, 1917年) の中で提唱されている。
概要
一般的な既視感は、その体験を「よく知っている」という感覚だけでなく、「確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感を伴う場合が多い。
「過去の体験」は夢に属するものであると考えられるが、多くの場合、既視感は「過去に実際に体験した」という確固たる感覚があり、夢や単なる物忘れとは異なる。
過去に同じ体験を夢で見たという記憶そのものを、体験と同時に作り上げる例も多く、その場合も確固たる感覚として夢を見たと感じるため、たびたび予知夢と混同される事もあるが、実際にはそうした夢すら見ていない場合が多く、別の内容である場合も多い。
既視感は統合失調症の発病の初期や、側頭葉てんかんの症状として多く現れることがあるが、健全な人に多発することも稀ではなく、一般的な感覚である。
一般大学生の72%が経験しているという調査結果もある。
過去の文学作品においても言及が見られ、近年現れ始めた現象ではないことを示している。
しかし、実験で既視感を再現することは非常に困難であるため、実験を通しての研究法は確立していない。
記憶喪失や夢などのギミックと組み合わせて物語の伏線として利用されることもある。
科学的見方
20世紀末から、既視感は心理学、脳神経学的研究対象として注目された。
科学的には、既視感は予知、予言ではなく、記憶が「呼び覚まされる」ような強い印象を与える、記憶異常であると考えられている。
ほとんどのケースではその瞬間の記憶のみが強く、その記憶を体験した状況(いつ、どこで等)についてははっきりしない事が多い。
同様に時間の経過により、既視感の経験自体が落ち着かない経験として強く記憶に残り、既視感を 引き起こした事象や状況の記憶はほとんど残らないことが多い。
これは短期記憶と長期記憶の重なり合いが原因と考えられている。
体験している事象は脳の意識的に働いている部分が情報を受け取る前に記憶に蓄えられ、処理されるからである。
他の説明としては、視覚によるものがある。
その理論によると、片目がもう片方の目より僅かに早く見た部分的な視覚が記憶され、ミリ秒後にもう片方の目で見た「同じ」光景が強い既視感を引き起こすと言うものである。
しかしこの説明は、既視感のきっかけが聴覚によるものや指先によるものである場合を説明できない。
また、隻眼の者も既視感を経験することが報告されており、これも説明出来ない。
未視感
既視感と逆に、見慣れたはずのものが未知のものに感じられることを「未視感」という。
「ジャメヴ」、「ジャメブ」、「ジャメヴュ」
(フランス語: jamais vu)とも呼ばれる。
雑学
多くの場合、初めて訪れた場所の風景や会話の内容などに、既視感を持つ場合が多い。
この現象には、様々な説があるが、人間の感覚から神経を通ってきた信号が、脳内で認識され記憶されるという段階で、脳内で認識される作業以前に、別ルートを通り記憶として直接脳内に記憶として蓄えられ、脳が認識をした段階で、既に記憶として存在するという事実を再認識する事によりおこる現象ではないかという説がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(すぐ下のページへ続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます