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スペインのトゥーランドット

2025-01-26 02:25:24 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽
 

スペインのトゥーランドット

 


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ケイトー、私は北京の故宮で上演された「トゥーランドット」を観たことがあるわァ。。。



マジで。。。? 実は、僕もそのオペラを見たことがあるんですよ。。。

 


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「トゥーランドット」がスペインで制作されたなんて知らなかったわァ。



実は、最近 バンクーバー市立図書館でDVDを借りてスペインで制作された「トゥーランドット」を観たのですよ。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』


 



 



スペインのバルセロナのリセウ大劇場で録画されたこのトゥーランドットのパフォーマンスは、まさに最上級の作品と言えるでしょう。

カタルーニャの劇団「ラ・フーラ・デルス・バウス」のメンバーでもあるスペインのアーティスト兼ディレクターのフランク・アレウは、あらゆる点で新たな基準を打ち立て、アンサンブルの創造力と芸術的才能を再び証明した。

この劇団はミュージカル、特にオペラの分野で高い評価を得ている。
これは主に、数々の受賞作品で印象的に強調されてきた壮大なコンセプトによるもの。
プロジェクションマッピングや3Dテクノロジーなどの新しいテクノロジーを巧みに応用したアレウの作品はプッチーニのトゥーランドットを未来の世界へと誘(いざな)う。

トゥーランドットの中国は、SFにインスパイアされたディストピアで、メトロポリスのデザインや美学から映画『2001』の中に出てくる惑星サイズの透明な球体、更にスターウォーズのライトサーベル、今日の数え切れないほどの映画に登場するバーチャルリアリティのヘッドセットまで、長年にわたって見てきたあらゆるSF映画から無数のオブジェをオペラの中で使ってます。

幕が上がると、コーラス、照明、ソリストが現れ、ガーゼのカーテンの後ろのビデオ投影と融合する舞台セットが登場します。

北京をおとぎ話のようなサイバーワールドにするために、劇団「ラ・フーラ・デルス・バウス」は、舞台セットとスーパーインポーズされたビデオ投影を組み合わせる技術を完成させ、セットを変形して2つのレイヤーを融合させた。

現代のテクノロジーの使用により、新しい次元が開かれ、舞台上の主人公たちも違ったフットライトを浴びる。

ビデオ投影により、トゥーランドットは実物よりも大きな人物として登場する。



 



あらっ。。。!…北京で上演された同じオペラとはかなり違うわねぇ〜。。。



そうなんです…スペインのトゥーランドットは未来の世界の出来事のような印象を与えます。。。上の説明にあるように、舞台はメトロポリスを思い出させますよ。

 


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スペインのトゥーランドットで使われるライトサーベルはスターウォーズを思い出させます。

 


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物語の中で、美しいトゥーランドット姫は、3つの謎を解けた求婚者とだけと結婚すると決めるのだけれど、謎を出して解けたら結婚するとか、死刑にしないとか、通行を許すとかという物語は他にもあるわよね。。。私は、ギリシャ神話の1つを思いだすわ。。。



その神話というのは、何と言うのォ〜?

『エディプスとスフィンクス』よ。。。ケイトーも聞いたことがあるでしょう?

聞いたこがあります。。。

 




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最もよく知られている神話では、エディプスはテーベのライオス王とイオカステ女王の間に生まれた。

ライオスは不吉な予言を阻止しようと、羊飼いの召使を遣わしてエディプスを山腹に置き去りにさせた。

しかし、羊飼いは赤ん坊を哀れに思い、別の羊飼いに引き渡した。

その羊飼いはエディプスをポリュボス王とメロペ女王に渡し、彼らの子として育てさせた。

エディプスはデルフォイの神託から、最終的に父を殺し母と結婚することになるという予言を聞いたが、自分の本当の親を知らず、ポリュボスを殺しメロペと結婚する運命にあると信じ、テーベに向かった。

その途中で、彼は年上の男性に会ったが、彼はその男性を知等なかったので、口論の末にその男を殺した。 実は、その男はエディプスの実の父親だった。

テーベへの旅を続けると、エディプスはスフィンクスに遭遇した。

スフィンクスはテーベへの旅人全員を呼び止め、謎をかけるのだった。

旅人が彼女に正しく答えられなければ、殺されて食べられてしまう。

正解すれば、旅を続けることができるのだった。

謎かけは「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足で歩くものは何?」というものだった。

エディプスは、それは人間だ、と答えた。幼児のときは四つん這いで歩き、成人すると2本足で歩き、老齢になると杖を使って3本足で歩くと。。。

エディプスはスフィンクスの謎かけに初めて正解した。

スフィンクスは誰かが自分の謎を解いたことに非常に恥ずかしくなり、崖から飛び降りて自殺した。

しかし、他のバージョンでは、エディプスがスフィンクスを殺したという事になっている。



 



 



トゥーランドットの物語では、ペルシャの王子が3つの謎に答えられず、次の月の出の時に斬首されるというのよ。。。



それはひどい話だねぇ〜。。。実は、日本にも似たような話があるんですよ。

あらっ。。。そうなのォ〜? 何という話なのォ〜?

「竹取物語」というのです。。。

 



竹取物語

 


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この物語では、光る竹の茎の中で赤ん坊がみつかり、その赤ちゃんが月の王女だということが解り、その「かぐや姫」の生涯を詳しく語る。

成長した後、彼女の美しさは結婚を求める5人の求婚者を引きつけるが、彼女は彼らにそれぞれ不可能な課題を課して彼らを断る。

彼女は、やがて日本の天皇の寵愛を受ける。
しかし物語の終わりに、かぐや姫は秘密を打ち明け、月に帰る。

この物語は、主人公にちなんで「かぐや姫の物語」としても知られています。

 

背景

「竹取物語」は、正確な執筆時期は不明ですが、現存する最古の物語と考えられている。
現存する最古の写本は 1592 年のもの。

宮廷生活を描いた 10 世紀の作品『大和物語』の中の歌では、延喜 9 年に宮中で催された月見の宴に軽く触れてこの物語が引用されている。

『竹取物語』で富士山から煙が上がるという記述があることから、この物語が作られた当時は火山がまだ活動していたことがうかがえる。
『古今和歌集』では、905 年までに富士山の煙は止んだとされている。
他の資料では、この物語は 871 年から 881 年の間に書かれたと示唆されている。

『竹取物語』の作者も不明であり、学者たちはこの作品を源下向 (911 年 - 983 年)、住職遍照、忌部氏、天武天皇に反対する政治派閥の一員、漢詩人の紀長谷雄 (842 年 - 912 年) の作とされている。

この物語が一人の人物によって書かれたのか、それとも複数の人物によって書かれたのか、また漢文、カナ、あるいは中国語で書かれたのかも議論されている。

 

物語

ある日、竹林で竹取の翁という年老いた竹取が不思議な光る竹の茎に出会う。
竹を切ってみると、親指ほどの大きさの赤ん坊が中に入っていて驚く。

子どものいなかった老人とその妻は、その赤ん坊を自分たちの娘として育てることにし、若竹の光る姫君(なよたけのかぐやひめ)と名付ける。

その瞬間から、老人が竹を切るたびに、中から小さな金塊が見つかる。

一家はすぐに裕福になり、わずか3か月で、かぐや姫は赤ん坊から普通の大きさで並外れた美しさを持つ女性に成長する。

最初、老人はかぐや姫のことを外部に隠そうとするが、その美しさの噂が広まるにつれて、求婚者が次々に現れる。

求婚者の中には、石作王、倉持王、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂足の5人の貴族がいる。

彼らはついに、かぐや姫にその中から相手になる男を選ばせるよう老人を説得する。

興味のないかぐや姫は、5つの無理難題を考案し、指定された品物を持ってこられる貴族と結婚することに同意する。
その品物とは、仏陀の石の托鉢、神話の島蓬莱の宝石の枝、火鼠の皮の衣、龍の首の色とりどりの宝石、ツバメから生まれたタカラガイ。

最初の貴族は、自分の仕事が不可能だと悟り、黒く焦がした壺で作った偽の石の鉢を差し出すが、かぐや姫がその鉢が聖なる光で輝いていないことに気付き、それがバレてしまう。

2番目の貴族は、国内最高の宝石職人が作った枝を差し出すが、職人の使者がかぐや姫の家に代金を取りに来た時にバレてしまう。

3番目の貴族は、中国から来た商人に騙され、火で試すと燃えるローブを売られる。

4番目の貴族は、海で龍を見つけようと出発するが、嵐に遭遇して計画を断念する。

5番目の貴族は、ツバメの巣に手を伸ばしているときに、非常に高いところから落ちてしまう。

この後、日本の皇帝がかぐや姫を訪ねてきて、恋に落ち、結婚を申し込む。
かぐや姫は、無理難題を課せられたわけではないが自分は天皇の国の人間ではないので、天皇と一緒に宮廷に行くことはできないと言い、結婚の申し込みも断った。
天皇とは連絡を取り続けたが、引き続き天皇のプロポーズを断り続けた。
3年が経ち、2人は手紙でやり取りを続けた。

その夏、かぐや姫が満月を見るたびに、彼女の目には涙があふれた。
養父母は非常に心配して問い詰めたが、彼女は何が悪いのかを話そうとしなかった。

彼女の行動はますます不安定になり、ついには自分が地球の人間ではなく、月の人々のところに戻らなければならないことを明かした。
彼女は、それ以上は語られていない何らかの罪に対する罰として、必然的に物質的な執着を抱くことになる地球に送られたと言われている。
その金は、かぐや姫の生活費として送られた月の人々からの給付金であった。

かぐや姫の帰還の日が近づくと、帝は月の人々からかぐや姫を守るために護衛を派遣するが、天界の使節団が竹取の家に降り立つと、護衛たちは不思議な光に目がくらむ。

かぐや姫は、地上の多くの友人を愛しているが、天界の使節団とともに月の本当の故郷に帰らなければならないと告げる。
彼女は両親と帝に悲しい謝罪の手紙を書き、自分の衣を形見として両親に渡す。

そして不老不死の妙薬を少し取り、帝への手紙に添えて護衛官に渡す。
彼女がそれを帝に渡すと、羽衣が彼女の肩にかけられ、地上の人々に対する彼女の悲しみと慈悲はすべて忘れ去られたように見える。

一行は空に昇り、かぐや姫を月の都(「月の都」)に連れ戻し、地上の養父母は涙を流す。

老夫婦は悲しみに暮れ、やがて病気で寝込んでしまう。
侍従は、かぐや姫が最後の死に際に彼に与えた品々を持って帝のもとに戻り、何が起こったかを報告した。

帝はかぐや姫の手紙を読んで悲しみに打ちひしがれ、家来たちに「天国に一番近い山はどこだ」と尋ねた。
答えとして、駿河の国の大山を勧める者がいた。
そこで帝は、遠く離れた姫に手紙が届くようにと、家来たちに手紙を山頂まで運んで燃やすように命じた。

また、帝は姫に会えないまま永遠に生きたくないので、不老不死の薬を燃やすようにも命じた。

伝説によると、不死を意味する「ふし」が富士山の名前になったという。
また、文字通り「武士があふれる山」と訳される山の漢字は、帝の軍が命令を遂行するために斜面を登ったことに由来すると言われている。

燃やした煙は今でも立ち上っていると言われている。 (昔、富士山は今より活発な火山だったため、多くの煙が発生していた。)




出典: 「竹取物語」
フリー百科事典『ウィキペディア』より


 


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すごいと思いませんか? 世界中にトゥーランドットのような物語があるようですわねぇ〜。。。



ありますよ。

トゥーランドットの原作はいつごろ出たのォ〜?

ある学者によると、トゥーランドットの始まりは、ペルシャの詩人ニザーミーによる12世紀の叙事詩「ハフト・ペイカル」にあるそうです。「ハフト・ペイカル」の物語の1つに、ロシアの王女が登場します。1722年にフランソワ・プティ・ド・ラ・クロワが「千日一夜」を出版した。これは中東の民間伝承や神話から取られたとされる物語集です。

つまり中東で始まったということねぇ〜?

そうですよ...ニザーミーに触発されたと思われる物語の1つに、トゥーランドクトという冷たい王女が登場します。

なるほど...トゥーランドクトがトゥーランドットになったのねぇ〜。

そうです...イタリアの劇作家カルロ・ゴッツィは、1762年にこの物語を「トゥーランドット」という劇に翻案し、その後、フリードリヒ・シラーが1801年に別の劇に翻案した。プッチーニが上記のオペラを書くきっかけとなったのは、シラーのバージョンだった。




この記事は次の英語の原文を自動翻訳して手を加えたものです。


『Spanish Turandot』

(2025-01-24)




 



【卑弥子の独白】



 

「蝶々夫人」はジャコモ・プッチーニのオペラで、イタリア語の台本はルイジ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザによる全3幕(当初は2幕)でござ〜ます。。。

 



 

プッチーニは、ジョン・ルーサー・ロングの短編小説「蝶々夫人」(1898年)を部分的に基にし、これをデイヴィッド・ベラスコが脚色したのですわ。。。

また、ピエール・ロティの小説「菊夫人」(1887年)も基にしているのでござ〜ます。。。

ある学者によると、このオペラは1890年代初頭に長崎で実際に起きた事件に基づいているということです。

このオペラのオリジナル版は全2幕で、1904年2月17日にミラノのスカラ座で初演されました。

ソプラノのロジーナ・ストルキオ、テノールのジョヴァンニ・ゼナテッロ、バリトンのジュゼッペ・デ・ルーカといった著名な歌手が主役を務めていたにもかかわらず、この作品の評価は非常に低かったのです。

これは主に完成が遅れたことと、リハーサルの時間が足りなかったことが原因だったのですわ。

プッチーニはオペラを改訂し、第2幕を2つに分けるなど、さまざまな変更を加えたのです。

1904年5月28日、このバージョンはブレシアで上演され、大成功を収めました。

1915年から1920年にかけて、日本で最も有名なオペラ歌手の三浦環(たまき)は、蝶々夫人役で国際的に名声を博しました。

 


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彼女の像はプッチーニの像とともに、オペラの舞台である長崎市のグラバー庭園にあります。

いずれにしても、あたくしは来世で「ロミオ」のような立派な男性に会いたいと思っているのでござ〜ますウ。。。

どうして、あたくしは、素晴らしい殿方との出会いがないのでござましょうか?

ダイアンさんがデンマンさんと出会ったように、あたくしの故郷で素敵な紳士に出会えたらいいなと思います。

意志あるところに道は開けるとよく言われます。

デンマンさんがまた面白い記事を書いてくれるといいですね。

また来てくださいね。

では、良い一日を!

さようなら...







お時間があれば、

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Hi, I'm June Adames.

こんにちは、ジューン・アダ厶スです。

ロイヤル・オペラ・ハウスは、単に「コヴェント・ガーデン」と呼ばれることが多く、1732 年にエドワード・シェパードの設計により「シアター・ロイヤル」として建設されました。

その歴史の最初の 100 年ほどは、劇場は主に芝居小屋であり、チャールズ 2 世から与えられた特許状によって、コヴェント・ガーデンとシアター・ロイヤル、ドルリー・レーンにはロンドンで朗読劇を上演する独占権が与えられていました。

1735年、ヘンデルの最初のオペラシーズンが始まりました。

彼のオペラやオラトリオの多くはコヴェントガーデンのために書かれ、ここで初演されました。

1945年以来、ここはロイヤルオペラ、1946年以来、ロイヤルバレエの本拠地となっています。

現在の建物は、1808年と1857年の破壊的な火災の後、この場所に建てられた3番目の劇場です。

ファサード、ホワイエ、オーディトリアムはエドワード・バリーが設計し、1858年に建てられましたが、現在の複合施設のその他のほぼすべての要素は、1990年代に1億7800万ポンドをかけて行われた大規模な改築で建てられたものです。

 





 

ロイヤルオペラハウスの座席数は2,268で、4層のボックス席とバルコニー、そして円形劇場のギャラリーで構成されています。

ロンドンに滞在する機会があれば、オペラハウスを訪れてみてはいかがでしょうか。

ボックス席で有名人を見かけるかもしれません。

 












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