阿三の森@フランス
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デンマンさん。。。 阿三の森というのは、落語の演題でござ~♪~ますよねぇ~。。。
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そうです。。。
つまり、この落語がフランスで話題になっているのですか?
そうなのですよ。。。ミーちゃん、ハーちゃんまでが話題にしているわけではないのだけれど、確実に日本文化に興味を持っているフランス人がいるのです。。。
その証拠でもあるのでござ〜ますかァ〜?
ありますよ。。。ちょっと次のリストを見てください。。。
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■『阿三の森』
これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で11月7日のアクセス者の記録の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。
あらっ。。。 11月7日の午後9時50分にピンタレストからやって来て 阿三の森 を読んだネット市民がいたのですわねぇ〜。。。
そうです。。。実は、フランスのニースに住んでいるキャサリン・モロウ(Catherine Moroe)さんが読んだのです。。。
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沙依さんはフランスのニースで何をしているのですか?
地元にあるコートダジュール大学で日本文化と日本語を勉強しているのですよ。。。
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コート・ダジュール大学(Université Côte d'Azur)は、フランスのニースおよび近隣地域にある公立の 研究大学です。ニース・ソフィア・アンティポリス大学は1965年に設立され、8つの学部、2つの自治研究所、1つの工学部で構成されていたが 2019年にコートダジュール大学に合併された。学生数は約 30,000 人で、そのうち 20% が留学生。大学および研究学校 (EUR) は 8 校ある。大学のキャンパスは、アルプ=マリティーム県のいくつかの都市(ニース、カンヌ、グラース、マントン) とソフィア アンティポリステクノロジー パークにある。
。。。で、キャサリンさんは、ピンタレストのどのページからやって来たのですか?
上のリストの赤いアンダーラインが引いてあるリファラのリンクをクリックすると次のページが表示されます。。。
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■『実際のページ』
■『阿三の森』
キャサリンさんは、緑の枠で囲まれたリンクをクリックして雲場池の軽井沢夫人 を読んだのですわねぇ〜。。。
そういうことです。。。キャサリンさんは、阿三の森 を読んだどこに注目したのですかァ〜?
「阿三の森」の怪談噺を興味深く読んだのです。。。
怪談阿三(おさん)の森
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あらすじ
深川牡丹町の近くにスズメの森が有ったが、誰言うとはなしに”阿三の森”と言われるようになった。
江戸時代の実話で、その由来についての噺です。
そのころ、本所に二千石をとる旗本・松岡家が有った。
そこに奉公に出ていた、漁師・善兵衛の娘で、十八になる”おかの”と言う美女がいた。
殿様のお手がついて妊娠、蛤町の実家に帰された。
月満ちて女の子を出産”阿三(おさん)”と名付けた。
実家の裏に離れを建てて、殿様もちょくちょく見えて何不自由ない生活をしていた。
しかし、間の悪い事に母親が亡くなり、続いて殿様も亡くなって、阿三は祖父に預けられたが、生活に困窮していた。
漁師を止めて、亀戸の天神橋のそばで団子屋を始めた。
梅見団子を売り出して繁盛し、十七の時には母親の器量を写して団子屋の看板娘となっていた。
幇間医者の藪井竹庵が、本所割り下水に住む”阿部新重郎”と言う跡取り息子を臥龍梅を見た帰り 、団子屋に連れてきた。
歳22で、役者に近い美男であった。
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臥龍梅
上の浮世絵は広重の「亀戸梅屋鋪」
ここには元梅屋敷又は清香庵(せいきょうあん)とも称された梅園があった。
もともと浅草埋堀(浅草3丁目付近)の商人・伊勢屋彦右衛門の別荘で、沢山の梅を植え整備し、子孫の喜右衛門の頃には300本を越える梅園になった。
江戸中に知れ渡り、園内には龍が臥した様に枝が地中に入り、また地より離れて幹となり花を付けた名木があった。
水戸光圀がこの梅木を観て臥龍梅と名付けた。
しかし、明治43年水害により全滅、廃園になってしまった。
下の写真は亀戸 ・臥龍梅 (がりゅうばい)園跡(江東区亀戸3-51-10浅草通り・タクシー会社前)に咲く記念の梅の花が八分咲きになった時のもの。
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離れで、看板娘”阿三”と出会ったときに娘に一目惚れしてしまった。
同じように娘もブルブルっと、感じて一目惚れしてしまった。
その後、何日しても藪井竹庵が訪ねてこなかったが、呼びにやり団子屋に訪ねて行った。
それからは毎日のように一人で阿三の元に訪ねて、逢瀬を重ねた。
今では将来を約束する仲になっていた。
新重郎は松岡家から阿部家に養子に入っていた。
本家の実母の様態が悪いというので、お見舞いに訪れたが、その席で母親から意外な事実を聞かされた。
「父親が奉公人の娘に手を出し子供を作ったが、里に帰し、今では十七になる娘に成長しているはず。聞くところによれば亀戸で団子屋の娘として働く阿三だという。お前の実の妹なので陰ながら面倒を見て欲しい」という。
心のわだかまりがなくなったと見えて母親は亡くなった。
四十九日も過ぎたが、新重郎は実の妹と犬畜生と同じ関係になった事を悩んでいた。
今後は逢わない事を心に誓って、再出発する事にした。
しかし、その事を知らない阿三は彼が来ないのを気にかけて、亡くなってしまった。
久しぶりに藪井竹庵が訪ねてきて、阿三が亡くなった事を告げていった。
新重郎は閑静な向島に住まいを移し気持ちを切り替えていた。
お盆の夜、寝られないでいると、深夜庭先を「カラン、コロン」と下駄の音を鳴らしながら女性が通って行った。
間もなく戻ってきて、窓下で止まった。
「御前様」と声が聞こえたので、覗くと朝顔の花柄の浴衣を着た阿三であった。
死んだ事はなく老人がうるさく出られないので、小梅から深夜怖いのも忘れて訪ねて来たという。
抱き合って喜び、部屋に通し、お互い生きていた事を幸せにおもい、将来を改めて誓い合った。
夜ごと女が訪ねてくるので、婆やが不審に思い覗いてみると、煙のようなものと話しているのを目撃し、主人に報告。
菩提寺の法恩寺の住職に訳を話し、重三郎に言い聞かせ、窓にはお札を張ってもらった。
その夜から阿三は現れる事はなくなり、重三郎も元気を取り戻し、本所割り下水の屋敷に戻った。
1月を迎えたとき麻布の娘と仲人がたって祝言を上げた。
その席、二人の間に蛇が現れ恨めしそうにのぞき込んだ。
重三郎はキセルで蛇を殺したが、毎晩現れた。
その事を住職に相談すると、阿三が蛇に化身して出てくるので、出てきたら私の衣に包んで、その上から縄で結んでおくように言われ、その様にすると難なく捕まえる事が出来た。
住職は東の小高いところ”スズメの森”に埋めて、その上に祠(ほこら)を建てた。
その難を仏力で封じ込め”阿三の森”と言う様になった。
阿三の森はお産の森と言い換えられて、安産の御利益があるとたいそう繁盛し、稲荷となった。
1年して、妻が亡くなって、今後は妻をめとらないと、つむりを丸めてこの稲荷の側に庵を建てて菩提を弔らった 。
実際にあったと言われている、阿三の森の由来でした。
この怪談噺がどういうわけでキャサリンさんの興味を惹いたのでござ〜ますかァ〜?
あのねぇ〜、キャサリンさんは、この噺を読んで あの有名な英国の詩人のバイロンを思い出したというのです。。。
詩人のバイロンと「阿三」と いったいどのような関係があるのでござ〜ますかァ〜?
新重郎は実の妹と犬畜生と同じ関係になった事を悩んでいた、と書いてあるけれど、詩人のバイロンも実の姉と関係を持って女の子が生まれたのですよ。。。
あらっ。。。マジですかァ〜?
実の姉と言っても、腹違いの姉なのですよ。。。
ジョージ・ゴードン・バイロン
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1788年1月22日 - 1824年4月19日
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron)は、イングランドの詩人、貴族。
バイロン卿として知られ、単に「バイロン卿」(Lord Byron)というとこの第6代男爵を指すことがほとんどである。
ゲーテが「今世紀最大の天才」と賞賛した19世紀ロマン派の詩人。
ケンブリッジ大学では悪友と交わって遊び暮らしたが、外遊後、長編物語詩『チャイルド・ハロルドの遍歴』を発表して有名になった。
情熱家で、ギリシア独立戦争ではギリシア独立軍側で参加したが、熱病にかかり死亡した。
生涯と作風
ジョン・バイロン大尉(第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロンの甥)と2番目の妻キャサリン・ゴードンの間にロンドンに生まれ、2歳の時にスコットランドのアバディーンに移った。
1798年に従祖父の第5代バイロン男爵が亡くなり、他に相続人がいなかったため、10歳にして第6代バイロン男爵となり、従祖父が遺した土地と館ニューステッド・アビーを相続するため、ノッティンガムへ移った。
翌年ロンドンに出て1801年から1805年をハーロー校で過ごし、1805年にケンブリッジ大学に入学したが、学業を顧みず放埒な日々を過ごした。
詩集『懶惰の日々』(1807年)を出版したが、翌年エディンバラ・レビューに非難され、諷刺詩『イギリス詩人とスコットランド批評家』(1809年)を出版して鬱憤を晴らした。
1808年にケンブリッジを去り、1809年から1811年までポルトガル、スペイン、ギリシャなどを旅し(ナポレオン戦争の影響でこのグランドツアーの際には地中海地方を旅した。)
帰国後ロンドンに住み、1812年上院で紡績工のラッダイト運動を弾圧することに抗議する演説をおこなって名を挙げた。
この年旅行の成果である『チャイルド・ハロルドの巡礼』1・2巻(1812年)を出版、生の倦怠と憧憬を盛った詩風と異国情緒が時代の好尚に投じ、大評判になった。
その間社交界の寵児として恋に憂き身をやつしたが、1815年にアナベラ・ミルバンクと結婚した。
このときにもうけた子が世界最初のプログラマーとされているエイダ・ラブレスである。
だが翌年に別居し、その乱れた生活が指弾を受けたため、イギリスを去りスイスのジュネーヴでシェリーに会い、ともにスイス各地を巡遊し、ヴェネツィア、ラヴェンナ、ピサ、ジェノヴァで退廃した生活を続ける。
特にグィッチョーリ伯爵夫人との関係が有名である。
多くの作品の中で、冷笑と機知に満ちた『ドン・ジュアン』(1819年 - 1824年)がこの期の代表作である。
この作品の「事実は小説よりも奇なり」(Truth/Fact is stranger than fiction.)は現代でも使われるほど有名である。
1823年ギリシャ暫定政府代表の訪問を受けた彼は2年前から始まったギリシャ独立戦争へ身を投じることを決意、1824年1月にメソロンギに上陸し、コリンティアコス湾の要衝、レパントの要塞を攻撃する計画を立てたが、熱病により同地で死亡した。
彼の死後145年が経過した1969年にウェストミンスター寺院に彼を記念したコーナーが設けられた。
いわゆるバイロニズムは、当時の偽善と偏見を嘲罵し、イギリス・ロマン主義を代表する作風であり、ロシアをふくむヨーロッパ諸国の文学に影響を与えた。
日本でも明治以来もっともよく知られたイギリス詩人の一人である。
人物
数多くの女性との恋愛を重ねた。ジェーン・エリザベス・スコットと1812年まで関係を続け、同年キャロライン・ラム(のちのイギリス宰相メルバーン子爵ウィリアム・ラムの妻)とつきあったがすぐに2人は破局した。
その後もキャロラインは彼につきまとい続け、彼への思いから身をやつしやせ細った。
これに対してバイロンは骸骨のようだと述べている。
また異母姉のオーガスタ・リーと関係を結び、彼女はエリザベス・メドラ・リーを産んだ。
その後1815年1月2日、レディ・キャロラインの従姉妹のアナベラ・ミルバンクとダラムで結婚した。
同年12月10日、2人の間にはエイダ・ラブレスが産まれたが、翌1816年1月16日、アナベラは娘を連れて彼の元を去り、4月21日バイロンは離婚証書にサインをしている。
その後ヴェネツィアに滞在した際には既婚のマリアンナ・セガティ、22歳のマルガリータ・コーニと関係を持った。
コーニは読み書きが出来なかったが夫の家を離れ、バイロンと同居した。
2人はしばしば争いバイロンは自身のゴンドラで夜を過ごすことが多かった。
その後彼がコーニに家を出て行くよう言い放ち、彼女は運河に身を投げた。
1818年から1820年にラヴェンナに滞在した際にはグィッチョーリ伯爵夫人テレサと関係を持った。
そんなバイロンが僅か36年の生涯に、詩人として数多くの詩集や詩劇をものすることができたのは人並み外れた速筆の故である。
彼が詩集『ララ』を書いたのは、舞踏会から帰宅して衣服を脱ぎ換える間のことであり、詩劇『海賊』は4日間で、『アバドスの花嫁』は10日間で書いている。
また動物好きであり特に愛猫家であったため、愛猫5匹に加えて、馬や犬、猿、鳥を飼っていたという。
出典: 「ジョージ・ゴードン・バイロン」
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あらっ。。。詩人バイロンは、ずいぶんと女性との恋愛を重ねたのですわねぇ〜。。。
バイロンの専属医者とも同性愛を経験していたとも言われているのですよ。。。
あらっ。。。性別を問わずに豊かな恋愛遍歴を持っていたのですわねぇ〜。。。なんで、そんな事までデンマンさんはご存知なのでござ〜ますかァ〜?
キャサリンさんがメセージで書いてよこしたのです。。。
。。。でも、どういうわけでバイロンは異母姉のオーガスタ・リーと関係を結んで子供まで作ったのですかァ〜?
あのねぇ〜、オーガスタの母親は彼女を生んでまもなく亡くなったため、幼少期は母方の祖母レディー・ホルダーネスのもとで育てられたのです。成長すると、従兄にあたるジョージ・リー大佐と結婚したのです。 バイロンは上流家庭や貴族の子弟が通うハーロー校に寄宿していたため会うことはまれだったのですよ。。。
つまり、異母姉弟と言っても、まるで普通の男女といった感じだったのですわねぇ〜。
そういうことです。。。でも、2人は彼の母公認で文通し合う間柄であった。1804年、ジョージが実母キャサリンを亡くして悲嘆にくれていたとき、オーガスタが書き送った同情に溢れた手紙が2人を引き寄せ合う原因となったのです。
異母姉弟であるという事実は二人が接近する妨げにはならなかったのでござ〜ますかァ〜?
オーガスタとジョージは、連れ立っていても傍目には肉親には見えなかった。でも、彼らが愛し合っているのは、誰の目にも明らかだった。つまり、それほど二人はお互いに夢中になってしまったのですよ。バイロンの結婚が破綻するのも、彼が国を捨てて出国したのも、彼女との近親相姦の噂に押しつぶされたからだったのです。
そうでしょうねぇ〜、同性愛が法律で禁じられていた時代ですものねぇ〜。。。
そうです。。。異母姉弟とは言え、近親相姦に違いないのだから、やがてスキャンダルになった。1814年の春、オーガスタは三女エリザベス・メドラ・リーを出産した。出産の数日後、バイロンは姉のケンブリッジシャーの自宅を訪問した。彼は赤ん坊と会い、自分の子だと確信したといわれている。親しい友人であったレディ・メルバーンに、バイロンは手紙を書き送っていた。「ああ、しかし猿ではないよ。幸運なことにね。」 当時、近親相姦で生まれた子供は猿のようなものだと言われていたのです。。。
それにしても、バイロンも姉のオーガスタも大胆でしたわねぇ〜。。。
娘の「メドラ」という名前は、バイロンの詩に登場する女主人公にちなんだものです。彼はこの詩を書いていた1814年1月の3週間あまりを、妊娠中のオーガスタとともに過ごしていた。オーガスタの夫・リー大佐は、メドラの本当の父が誰か? 生涯疑問を持つことはなかったと言われている。
知っていたけれど、生涯黙っていたとあたくしは思いますわァ〜。
僕もそう思いますよ。。。できちゃったものはしょうがないですからねぇ。。。離婚でもしたら、それこそスキャンダルに輪をかけますから。。。
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【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたは、近親相姦の誘惑に駆られたことがござ〜ますかァ〜?
ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?
いけすかないお方ァ~。。。
分かりましたわ。
では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。
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どうでした?
ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」
あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?
いけすかないお方ァ~。。。!
分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。
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千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!
ええっ。。。 信じられないのですかァ?
じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。
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いかがでござ~ますかァ~?
男性が女装していると思いますかァ?
あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。
どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?
いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。
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では。。。
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