デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

床上手と肥後ずいき(PART 2)

2012-10-27 12:54:08 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽

 
床上手と肥後ずいき(PART 2)


(hg20321.gif)



デンマン・シンジケート全体で「肥後ずいき」を入れて検索した人が延べ 207人居たのですよ。 この人たちがいったいどのサイトへ行ったのか? それを突き止めたのが次のリストです。


(hg20321c.gif)



あらっ。。。207人の内 204人までが Edita Excite705 サイトで 『肥後ズイキが性具になったきっかけは?』を読んだということですか?



そうなのですよ。 

。。。で、どれ程読まれたのですか?

デンマン・シンジケートの中のそれぞれのブログ・サイトのアクセス数のリストを見てください。


(hg20321b.gif)



あらっ。。。、Edita Excite705 サイトは Denman Blog (denman word press)についで アクセス数が多いのですわね。



そうです。 Denman Blog は『床上手な女の7つの見分け方』がよく読まれるのでトップになったのだけれど、Edita Excite705 サイトでは 『肥後ズイキが性具になったきっかけは?』がめちゃ読まれているために 2位に喰い込んだのですよ。

つまり、3月11日に調べた時には、たまたま「床上手」が検索キーワードランキングでトップだったけれど、「肥後ずいき」 の方が優勢だとデンマンさんは判断しているのですか?

その通りですよ。 ちょっと次のグラフを見てください。


(hg20310b.gif)



デンマン・シンジケートは 18のブログと 1つのホームページ (Beaverland Web)で構成されているのですよ。 でもねぇ、12月に急に全体のアクセス数が上昇したのは、去年の11月の下旬に 18のブログと Beaverland Web を加えたからなのですよ。 それまでは Denman Blog だけが記録されていた。 今年の1月20日に調べたリストを見て欲しい。


(hg20122.gif)



この時のアクセス数の構成比を見ると Denman Blogは 82.04% で Edita Excite705 サイトは 6.38% 3月22日に調べたリストでは次のように変化している。
 

(hg20321b.gif)



順位は変わっていませんけれど、 Denman Blogは 68.98% で Edita Excite705 サイトは 12.76% ですわね。



そうなのですよ。 つまり、Edita Excite705 サイトは追い上げているのですよ。

『肥後ズイキが性具になったきっかけは?』 がすごい勢いで読まれていると言うことでござ~♪~ますか?

そうですよ。

だから、どうして。。。?

あのねぇ~、『床上手な女の7つの見分け方』は、いわば総論なのですよ。 それに対して 『肥後ズイキが性具になったきっかけは?』は各論なのです。 つまり、興味が総論から各論に移っている。

どういうことでござ~♪~ますか?

ちょっと次のリストを見て欲しい。


(hg20223b.gif)



1月20日から2月23日までの訪問者を調べたものですよ。



あらっ。。。44カ国から訪問者がデンマン・シンジケートにやってくるのですか?

そうです。


(world3.gif)


(kiribati.gif)


(tuvalu91.jpg)

ツバル(Tuvalu)のビーチ


(tuvalu90.jpg)





珍しいところでは、ニュージーランドの北の海に浮かぶキリバスとツバルからも訪問者がやってくるのですよ。



日本語が解(わか)るのでござ~♪~ますか?

日本人の観光客がホテルのパソコンを使ってるのですよ。


(hg20127b.gif)



つまり、この期間 Edita Excite705 サイトを訪れた 4,780人というネット市民の皆様のほとんどが『肥後ズイキが性具になったきっかけは?』という記事を読んだのですか?



そうらしいのですよ。。。(微笑)

つうことわァ~、あのォ~。。。キリバスとツバルを観光旅行で訪れている日本人のカップルはデンマンさんの上の記事を読んで「肥後ズイキ」を愛用し始めているということでござ~♪~ますか?

うしししし。。。卑弥子さんは想像力がたくましいのですねぇ~。。。(微笑)

だってぇ、それ以外に考えられないじゃござ~♪~ませんか!?。。。興味が総論から各論に移っているという事は、そう言う事なのでしょう?

卑弥子さんの推理力には参りました。 (爆笑)

 (初出: 2012年3月23日)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
あたくしは決してエッチな女ではござ~♪~ませんわ。
デンマンさんが上のような結論にあたくしを導いていったのですう。

デンマンさんのような誘導尋問を受けたら、あなただってあたくしのような推理になると思うのですわよう。
うふふふふふ。。。

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。








ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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『パリの空の下で』

『愛の進化論』

『畳の上の水練(2011年3月15日)』

『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちは。ジューンです。

外国人が日本語を勉強するのに、

最も難しいのは敬語の使い方です。

日本人でさえ適切に敬語が使えない人が

増えていると聞いています。

だから、やっぱり敬語は難しいのですわよね。

英語にも敬語が無いわけではありません。

でも、日本語ほど体系的には使われていません。

ヨーロッパ近代語に敬語があるかないかは

敬語の定義次第です。

敬語を広く「人物間の上下関係や

親疎関係を反映した言語表現」と定義すれば

英語で丁寧な命令文に please を付ける例を始め

学校で生徒が教師に、

軍隊で兵士が上官に対する応答の文末に

sir や madam(ma'am)を付ける例があります。

英語の二人称代名詞である you はもともとは敬称でした。

英語話者が家族であろうと親しい友人であろうと

常に本来敬称であった you のみを使うようになったために

you が敬称としての意味を失い、

敬称でない形の thou が忘れ去られたのです。

現在では敬語表現としては

次のような形を使って表現することが多いです。

Could you ...?

Would you ...?

May I ...?


 
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ




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行田中央総合病院(PART 1)

2012-10-21 16:56:23 | 美容・健康・心の病気・ダイエット
 
 
行田中央総合病院(PART 1)





デンマンさん。。。お母さんは退院なさったのですか?



退院したのですよ。

よかったですわね。

それが良くないのですよ。

どうして。。。?

入院した時よりも悪い状態になってしまった。

どうして。。。?

あのねぇ、もともと膝が悪かったのですよ。 お袋は9月27日に入院したのです。 自宅の自分の部屋から出ようとしたのだけれど、激痛が走って歩けなくなってしまい、その場にうずくまってしまった。 弟が驚いて救急車を頼んで行田中央総合病院へ搬送したのです。

それで、いつ退院なさったのですか? 

10月16日ですよ。

なぜそれ程かかったのですか?

なにぶん、お袋は80歳を過ぎていますからね。。。、それに高血圧で糖尿病や腎臓病などを患ったこともあり、元気ではなかった。 それでレントゲン写真を撮ったり、いろいろと検査をしたのですよ。

それにしても9月27日から退院まで19日が経ってますわね。

そうです。 リハビリしてましたから。。。

。。。で、膝は治ったのですか?

いや。。。膝の水は抜いて退院しても良いという許可が先生から出たけれど、体力が弱って寝たきりになってしまった。

退院するのは無理ではなかったのですか?

でもねぇ、主治医の凌(りん)先生からは退院の許可が出た。 それに、本人も帰りたがった。 病院の医療食がまずくってとても食べられない。 お茶もまずい。

デンマンさんのお母さんは好き嫌いが激しいのですか?

いや、何でも食べていましたよ。 でもねぇ、健常者の僕が見ても医療食は、まずそうで食べる気がしませんでしたね。 最初の3日ばかり医療食を残さず食べたけれど、それから鼻について無理に食べようとすると嘔吐を催すので食べられなかった。

看護師さんか主治医の先生に相談すれば良かったではありませんか?

相談しましたよ。 次のような要望書も書きました。




皆様のご意見をお聞かせください。

皆様にご満足戴ける病院を目指してスタッフ一同努力しておりますが、様々な観点において皆様からお気付きの点・ご意見等がありましたら、ご遠慮なくお聞かせください。

記入日: 平成24年10月6日

207号室でお世話になっている患者(私の母)の長男、デンマンという者です。
スタッフの皆様の医療には感謝しております。
さて、母の食事表を見ますと、10月1日(月)には主食・副食ともハシをつけているようです。
しかし、日数が重なってゆき10月5日(金)、10月5日(土)を見ますと、主食・副食ともにゼロです。(食べていません。)
病院理念を見ますと「病気を診ずして病人を診よ」となっていますが、理念と現実があまりにもかけ離れているのを感じます。

委員のパンフレットを拝見しますと、食欲をそそられる素晴らしい(医療食の)写真が掲載されています。
ところが実際の医療食を見ますと、見ただけでもまずそうで、食欲を無くすようなメニューになっています。

貴医院には専属の栄養士・調理師は居ないのでしょうか?
母の生きがいは「食」にあります。
医療食とはいえ、患者の好みに応じたメニューを提供して欲しいと強く感じます。
なぜなら、入院中の患者にとって食事が唯一の楽しみだと思うからです。

医療食が人生の最後の食事になる患者さんも居ることでしょう。
「病気を診ずして病人を診よ」という理念に基づいて病人の気持ちと病状を考慮した医療食を提供していただきたいと切にお願いします。
宜しくお願いします。
乱筆で失礼いたします。



デンマン

行田市行田 TEL: 0485 (54) 9999




『言うことは誰でもできるけど…』より
(2012年10月8日)




行田中央総合病院には専属の栄養士・調理師が居ないのですか?



居るのですよ。 医療食をほとんど残すような患者さんには患者さんのベッドサイドに行って、好き嫌いを聞いて、できるだけ食べられるような医療食を提供していると言うのです。

つまり改善してくれたのですね?

ところが改善されたようには思えない。 僕は10月3日から毎日見舞いに行って食事も見ていたのだけれど、改善されてなかった。 相変わらず健常者の僕の目にもまずそうで食べる気がしない。

さらに要望すればいいではありませんか?

だから、僕もたびたび看護師や婦長さんに言ったのですよ。 病院のパンフレットには食欲をそそるような医療食の写真が載っているのです。


(hospfood.jpg)



あらっ。。。美味しそうではありませんか!



実はパンフレットに載っている医療食はもっと旨そうなのですよ。 でも、実際に出てくる医療食は健常者の目にもまずそうなのです。 食べ物の色にもつやがない。 見ただけで食べる気がしないような、まずそうな印象を与える医療食なのですよ。 しかも、法事茶が出てくるのです。 お袋は緑茶をいつも飲んでいるから法事茶には口をつけない。

病院の食べ物も水分も充分にとらなかったので、お母さんは弱ってしまったのですか?

その通りです。 だから、僕はお袋の好物の果物などを持って行ったのです。 そしたら、それは駄目だと言われてしまった。

つまり、出された医療食だけを食べなさいということですか?

その通りです。 でも、その医療食には患者の好きなものが出てこない。 だから、本人も入院している限り体力が回復しないと言ったほどですよ。

それで、退院の許可が出たので、すぐに退院したのですか?

そういうことです。 でもねぇ、入院した時に比べて、退院した時の方が体力がなくなってしまい、9月29日に見舞ったことがある僕の叔父などは、退院した時のお袋を見て「病院に入院したら悪くなってしまたったなんて、べらぼうじゃないか!」と言ったほどですよ。 整形外科病棟に入院したのがいけなかったのかもしれません。

だってぇ、膝が悪いのだから整形外科でしょう?

行田中央総合病院には「老人科」がないのですよ。 老人医療の専門家が居れば適切な対応をしてくれたと思うのだけれど。。。

でも、内科があるのだから、内科病棟に途中から変えればよかったではありませんか?

あのねぇ。。。、行田中央総合病院の理念は「病気を診ずして病人を診よ」ですよ。 素晴らしい理念を掲げている。


病院案内


(gyoda88.jpg)

埼玉県行田市の行田中央総合病院は、地域に根ざした医療サービスの提供を心がけております。
行田中央総合病院は、奉仕の精神に基づき、近代的医療設備と最新の医療技術を、全て地域の皆様のお役に立てることを念願しスタートいたしました。
私どもは医の倫理を忘れることなく、地域医療のため、医師はじめ看護師・職員一同が一丸となって、日夜努力いたしております。
当病院は、幸いなことに、その意を充分理解し、訓練されたスタッフが集まり、24時間体制のもとに、一般診療・二次救急医療・小児救急・人間ドック・成人病検診など、いかなる時でも、皆様方のお役に立つことができるものと確信いたしております。

基本理念

私たちは「病気を診ずして病人を診よ」の精神で、心温まる生涯医療センターを目指します。

私たちは患者様のために最善を尽くすことに誇りを持ち、笑顔で活躍できる職場作りを目指します。

1. 当院で働く職員全てが心を一つにして、思いやりと真心を込め、「医療」たる究極のサービスを目指します。

2. 患者様と信頼関係を大切にし、地域社会に密着した医療・保健・福祉サービスの提供を目指します。

3. 大病院、診療所、地域の介護福祉施設との連携を緊密にし、患者様に最も適した医療環境の提供を目指します。

4. 日進月歩する医療レベルの向上に努め、自らの責任を追及し続けます。

5. 高齢化社会に対する視点を持ち続け、お年寄りに快適な環境の提供を目指します。


私たちがより多くの人々の健康を願い、「病気を診ずして患者を診よ」を念頭に置き、患者様に「元気・希望・夢」を与えられるような医療を目指し、地域医療に貢献できる喜びをより多くの人々とともに味わいたいと願っております。





基本方針

1. 私達は、患者様の人権と意思を尊重し、相互理解に基づく医療を遂行します。

2. 私達は、医療の質の向上に努め、人格教養を高めることによって良質な医療を提供します。

3. 私達は、地域の人々により良い医療を提供する為に、地域医療機関との連携を推進し、一貫した医療の提供に努めます。

4. 私達は、病院医療に関わるあらゆる安全管理に最大の努力を払います。




『行田中央総合病院 - 病院案内』より




マジで理念を実践しているならば、医師は病人をしっかりと診て、整形外科から内科病棟に移して対応すべきだったのですよ。



つまり、病院の対応がまずかったとデンマンさんは言うのですか?

当然でしょう!

デンマンさんがもっとしつこく医師やスタッフに相談すべきだったのではありませんか?

できる限りの事はしました。 だから、これまでの事は記事にも書いたのですよ。




■ 『言うことは誰でもできるけど…』

■ 『病気を診ずして病人を診よ』

■ 『ネットと行田中央総合病院』

■ 『ネットの威力だよ!』




でも、こうして記事を書くことに意味がありますか?



もちろんですよ。 この記事を読む他の病院の医者やスタッフが患者の接し方や、その家族の接し方を考え直してくれる可能性がありますからね。。。

そうでしょうか? 実際、他の病院のお医者さんやスタッフの方々が読むでしょうか?

何も書かなければ誰も読んでくれませんからね。 でも、こうして書けば読んでくれる可能性はマジで増えますよ。

。。。で、ネットにおける記事の存在感ってあります?

小百合さんは悲観的な見方をしているのですね。 だったら、次の検索結果を見てください。

 (すぐ下のページへ続く)


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行田中央総合病院(PART 2)

2012-10-21 16:55:36 | 美容・健康・心の病気・ダイエット

 
行田中央総合病院(PART 2)


(gog21020.gif)



あらっ。。。10月21日現在でデンマンさんが行田中央総合病院について書いた記事が 1、120件公開されているということですか?



上のリストの中では 10件の内、8件が僕の書いたブログの記事です。

青枠で囲んであるページはデンマンさんが書いた記事ではないのですか?

これは「日本ブログ村」というサイトです。 リンクをクリックすると次のページが表示されます。


(gog21020c.gif)

『日本ブログ村 - デンマン・プロフィール』



赤枠で囲んであるページは、どんなページなのですか?



人間ドック口コミ情報のページです。 クリックすると次のページが表示されます。


(gog21020b.gif)

『「人間ドック 口コミ」のコンテンツ』



あらっ。。。3番目に『ネットと行田中央総合病院』の記事が紹介されていますわね。



でしょう!? 。。。 だから記事を書けば他のサイトでも紹介されて多くの病院の医者やスタッフの目にも触れるわけですよ。

でも、読まれるとは限らないでしょう?

記事を書かなければ絶対に読まれません。 書けば、検索結果に表示されて読まれる可能性が多いにあるのですよ。 だから、こうして書いているのです。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~
そうですわよねぇ~♪~。
患者さんのために医療食を作るのであれば、患者さんが残らず食べるようなメニューを常に心がけて作るようにすべきだと思いますわ。
それこそ、「病気を診ずして病人を診よ」の精神でござ~♪~ますわよ。

心温まる生涯医療センターを目指しているのであれば、行田中央総合病院はもう少し患者さんの身になって、デンマンさんのお母様の好きなものを取り入れて医療食を作ってあげるべきだったと思いますわ。
患者さんも、その方がうれしいでしょうし、
医療食を作る立場にある栄養士さんも、患者さんがすべて食べてくれるのであれば、医療食を作る「やりがい」につながると思うのでござ~ますわ。
あなたはどう思いますか?

とにかく次回も、興味深い話題が続きそうでござ~♪~ますう。
だから、どうか、またあなたも読みに戻ってきてくださいましね。
では。。。






ィ~ハァ~♪~!

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こんにちは。ジューンです。

あなたは RSS リーダーを使っていますか?

わたしは、つい最近まで知りませんでした。

使ってみると、とっても便利ですよね。

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あなたも、試してみたらいかがですか?

RSSリーダーがどういうものなのか?

よく分からない人は次の記事を

ぜひ読んでみてください。

『床上手な女とRSS』



ところで、英語の面白いお話を集めてみました。

もし、時間があったら読んでみてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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聖徳太子のママ(PART 1 OF 3)

2012-10-21 16:53:21 | 日本史
 
聖徳太子のママ(PART 1 OF 3)


(persian02.gif)

聖徳太子の母親は

ペルシャ人だった?




案内役の卑弥子でーす。

あたくし今度はこんな格好で出てきてしまいました。
これは、もうずいぶんと時代が下るんですよ。
Ghajar王朝(1779-1921)の皇女の服装なんです。
これしかないーつんですよ。
あたくし、これじゃあイヤーだあー、って言ったんですけど、とにかくペルシャのプリンセスの格好だから、格調高いんだと言われて、その気になってしまったんです。
どうですか?似合っているでしょうか?

上の絵だって、ペルシャには違いないんですけど、女の人すっかり顔を隠しているでしょう?
これはイスラムですよね?
だから、これも時代錯誤だと思うんですけど。
聖徳太子の時代はまだイスラム化されていないはずなんです。
640年にアラブ人がやって来て、それからペルシャ(今のイラン)はイスラム化が始まったんですから。

あたくしが、もうちょっとこの時代に合ったものをページに載せたほうがいいんじゃないんですか?と言ったら、これでいいんだ、って言うんです。
なぜですか?と尋ねたら、普通、日本人がペルシャ人に対して持つイメージって上の絵のように顔を隠しているんだと、言うんです。
これじゃないと、どこの国の人だか見当がつかないからだ、って言うんですよ。

このページを見るくらいの人は教養が高くて、そのぐらいの事は分かっていますよ、って言ったら、あたくしが、案内役なんだから、適当に説明しておけーつんです。
そんなわけで、こうして今、弁解がましくゴタクを並べているわけです。
まあ、そういうわけですので、あまり堅苦しいことは抜きにして、わたくしと一緒に見てゆきましょう。


渡来人


聖徳太子とその時代を考えるとき、私たちは日本古代史の中で考えようとします。
昔の日本で起こったことを考えるのだから、それも当然のことのように思えます。
しかし、「日本」古代史の「日本」って一体何なのか?
については、あまり考えてみません。


そんなことは決まってるじゃないか、昔の日本の歴史だよ!
地図を開いてごらんよ。
その地図の日本の中で、昔起こったことが、つまり日本の古代史さ。


と、多分、上のような答えが返ってくるでしょう。
でも、ここで下の地図を見てみましょう。



上の地図には書き込んでありませんが、中国沿岸からも、またもっと遠く、ベトナムの方からも線が引かれているものと考えてください。
「ベトナムはちょっと遠すぎるんじゃないの?」と言われそうですが、決して遠くありません。
そのことについては、このページ (今、日本に住んでいる人は日本人でないの?) で説明しています。
クリックすると新しいページが開きます。読んでください。

要するに、この当時の国際関係を一言で言ってしまえば、渡来人が日本人であって、日本人が渡来人であった、というような時代です。
この頃は、原日本人、つまり、そのメイン・メンバーであるアイヌ人の人たちは、東北地方へ押しやられた形で生活しています。
794年に桓武天皇が、都を京都に移してから、本格的に、蝦夷征伐を始めますが、それまでは原日本人は日本史に登場していません。
古事記と日本書紀には神話時代の話に、「熊襲」などと呼ばれて登場している程度です。

古事記と日本書紀を編纂した人たちが、「これが新しい日本史だ」と言うのを、当時のアイヌ人が耳にしたとしたら、きっとこう言ったでしょう。




あんたがたよそ者が勝手にこの土地へやってきて、争いばかりしくさって、そのあげく日本史を作ったと?いいかげんにせんかい!
わしら、あんたらが来る何千年も前から、この土地に住んでおるんじゃ。
迷惑ばかりかけおって。。。
何が日本史だい。わしらが日本史じゃわい!


「アメリカ人」という言葉を聞くとき、私たちはすぐにマリリン・モンローだとか、ボブ・ホープ、クラーク・ゲーブル、エジソン、リンカーン、あるいは、ケネディー、ロックフェラー、マイケル・ジャクソン、マドンナ、などというような人の名前がすぐに口をついて出てきます。
それでは、聖徳太子が生きていた当時のアメリカ人は?と言われると、「アメリカ人はその頃いなかったんだ」と言いたくなります。
しかし、もちろん、アメリカ大陸にも我われと同じ人類が生活していました。
現在のアメリカ・インディアンの祖先の人たちです。
従って、聖徳太子が生きていた当時も、間違いなくアメリカ・インディアンの人たちがちゃんと生活していたのです。

それとちょうど同じことが「日本」についても言えます。
現在では、日本人と原日本人との区別がほとんどつきません。
おそらく日本人の95から99パーセントの血は渡来人から受け継いでいるだろうと思われます。
アイヌ人の事についてはこのページ (平和を愛したアイヌ人) で書いています。
興味のある方は読んでください。

今このページで問題にしようとする聖徳太子の時代と言うのは、アメリカ史にたとえれば、イギリスから清教徒の一団がメーフラワー号でアメリカ大陸に移住してから、やがて13州が独立宣言をして、一人立ちしてゆくという時代に当ると思います。
そのうち、押し寄せてくる移民が、西部へ西部へと進んでゆきます。
それと共に騎兵隊がインディアンたちを、もっと西へと追いやります。
これが、日本史では、平安遷都のあとの蝦夷討伐に当たりそうです。


渡来人が来るのは分かるが、

ペルシャは遠すぎるンじゃない?


確かにペルシャは日本から遠い国で、聖徳太子が生きていた時代に、彼らが、日本に住んでいたとは思えないかもしれません。
しかし、「遠い」と言うとき、私たちは、現在のイランと日本の距離を考えてしまいます。
そう考えると、確かにペルシャと日本は距離的にずいぶんと離れています。

しかし、ペルシャ人は何も、インド洋を越え、マラッカ海峡を通り、東シナ海を経て、はるばる日本へやってくる必要はなかったのです。
もちろん、飛行機でやってくる、なんて言うつもりはありません。
つまり、中国人や、半島人と同じルートで日本へやってきました。
その当時すでに、お隣の中国や、朝鮮半島にたくさんのペルシャ人が住んでいました。

少し時代が下りますが李白(701ー762)の詩に「少年行」があります。


少年行
 
 

 
 
五陵の年少、金市の東

銀鞍白馬、春風を渡(わた)る

落花(らっか)踏み尽くして、

何(いず)れの処(ところ)にか遊ぶ

笑って入る、

胡姫酒肆(こきしゅし)の中


盛り場を貴公子が春風の中、馬に乗って走っていく。
白馬に銀の飾りのついた豪華な鞍をつけている。
見るからに金持ちの貴公子です。
花びらを踏み散らしながらどこへ行くのかと李白が見ていたら、やがて胡姫酒肆の中へ入っていった。
酒肆というのは酒場のことです。
この詩の中に現れる胡姫という言葉に注目してください。
 
胡という字はもともとは異民族という意味で使っていたのですが、唐の時代になるとペルシャ人をさすようになります。
中国語では別に「波斯」と書いてペルシャのことをそう呼びます。
これはペルシャ語によるペルシャの発音「ファルシー」の音訳です。
「胡姫」というのは胡の姫、つまりペルシャ人の女の子です。
だから胡姫酒肆とくれば、もう決まっています。
エキゾチックな可愛いペルシャ娘がお酌をしてくれるキャバレーです。
ここで卑弥子さんに再び登場してもらいますが、この酒場にいた女の子は、こんな感じの踊り子だったかもしれません。



卑弥子でーす。

今度はこんな格好を

させられてしまいました。

とても恥ずかしいんですけど、

無理して笑っています。

ではペルシャのお姉さんに

踊ってもらいます。





ペルシャ人は一体

いつ中国へやって来たの?


もちろん、唐の時代になってからペルシャ人が中国にやって来たというわけではありません。
すでに秦の始皇帝の時代に中国に多数のペルシャ人がいたと言う記録が残されています。
秦の始皇帝は、最初に中国を統一した人物です。
彼が始めた群県制という国家制度はそれまでの封建制にかわる新たな制度、
つまり中央集権のシステムでした。

この群県制は、ペルシャのアケメネス朝で採られた制度に非常によく似ていると言われています。
各地の豪族をその地の王として認めていく封建制と全く違って、群県制では地方を治めるのは中央から派遣された官僚です。
これは同様の中央集権制度を秦以前に確立していたアケメネス朝の制度に酷似しています。
このことなどから秦朝を外来民族による政権とする説は意外にも中国の研究者の間に多いのです。
そのためでしょうか、どの歴史の教科書も、秦を漢民族の国家とは断定していません。語族分類表でも、
シナ・チベット語族からはずされています.

これだけペルシャのアケメネス朝の影響を受けているわけですから、もしかすると、始皇帝にはペルシャ人の血が混じっているかもしれません。
そう考える理由はまだ他にもあります。
始皇帝は赤い髪に青い眼、つまりコーカソイド(白人種)の特徴を備えていたと伝えられるからです。
肖像画に描かれている彼がいつもベールのような冠をかぶっているのは、この異相を隠すためだったと言う歴史研究家もいます。

事実、中国の史書のなかには、始皇帝が秦王室の血を正しく受け継いでいないということを述べているものもあります。
しかも秦は戦国の諸国家の中で、最も西にあった国です。
そういうわけで、チベットやペルシャなどの西域諸民族の血が流入しやすいことも確かです。
また中国ではローマ帝国のことを大秦国といいますが、これも秦が西方系であることを示しているとも考えられます。

始皇帝時代のペルシャといえば、ヘレニズム時代に、アルサケス朝パルティアが成立した時期です。
この国は中国の史書には安息国として登場します。
活発な交易活動により東方の国々にもその存在を良く知られていました.

当時のペルシャは、ソグド人やユダヤ人を多く抱える商業的な国家であり、その文化は商人となって活躍する彼らと共に、遠く東の国々へ伝わりました。
また秦の建国自体がアケメネス朝の滅亡時期と重なっており、秦それ自体が西方系国家だったとすれば、この混乱の時期に大挙して亡命してきたペルシャ人がその基盤となったことも十分に考えられるわけです。

また、秦は実利主義に徹していましたから、有能ならば外国人であろうとその国籍を問わずにどんどん重用しました。
事実、財務関係の官職にはたくさんのペルシャ人が就いて秦の財政に携わっていました。

このような秦の歴史を見れば、始皇帝がペルシャ人の血を受け継いでいないとしても、ペルシャ人が彼の回りに多数居て、政治、経済、通商、財政の面で手助けしていたと考えても先ず間違いありません。




『聖徳太子の母親はペルシャ人だった?』より
(2003年8月3日)




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聖徳太子のママ(PART 2 OF 3)

2012-10-21 16:52:31 | 日本史


 
聖徳太子のママ(PART 2 OF 3)



デンマンさん。。。どうして、あたくしが案内役をやっている古代史サイトの記事などを持ち出したのでござざ~♪~ますか?



この上の記事にコメントをもらったのですよ。

どのような。。。?

ちょっと読んでみてください。


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楽しく読ませていただきました。
ペルシャのことを波斯国と中国で呼ばれたことですが、同じ国名が「うつぼ物語」のなかにでてきますが聖徳太子の母の名が「穴穂」が冠されていますので、穴穂で「うつほ」と著者の源順は充てていると考えています。

これを、引継いで紫式部が源氏物語を書いたと思います。
うつほ物語の中では波斯国の琴が中心に書かれていて「仏教」に掛けられています。
ここを抑えて読まなければ、聖徳太子のことや、うつほ物語、源氏物語も正しい翻訳さえ怪しいものとなってしまいます。


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デンマンさんは「うつほ物語」をご存知でござ~♪~ましたの?



名前だけ知っていましたよ。 でも、一度も読んだことはありません。 どのような内容なのですか?

ここで説明するのは面倒なのでウィキペディアの説明を読んでくださいな。


うつほ物語

『うつほ物語』(『宇津保物語』と表記されることもある)は、日本の平安時代中期に成立した長編物語。
全二十巻、著者は不明だが源順説などがある。
『竹取物語』にみられた伝奇的性格を受け継ぎ、日本文学史上最古の長編物語である。

写実的な描写などは『源氏物語』の成立へ影響を与えたと言われている。
当時の貴族にとって、その演奏が教養でもあった楽器のひとつ「琴(きん)」の音楽をめぐって物語が展開していく。
当時の年中行事を記した日記的な記述が多くみられる点も特徴のひとつである。
『枕草子』に源涼と藤原仲忠の優劣論争が記され、『源氏物語』の「絵合」巻に「『うつほ』の俊蔭の物語絵」が見えている。

あらすじ

遣唐使清原俊蔭(としかげ)は渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着する。
天人・仙人から秘琴の技を伝えられた俊蔭は、23年を経て日本へ帰着した。
俊蔭は官職を辞して、娘へ秘琴と清原家の再興を託した後に死んだ。
俊蔭の娘は、太政大臣の子息(藤原兼雅)との間に子をもうけたが、貧しさをかこち、北山の森の木の空洞 - うつほで子(藤原仲忠)を育てながら秘琴の技を教えた。
兼雅は二人と再会し、仲忠を引き取った。〔俊陰〕

そのころ、源正頼娘の貴宮(あて宮)が大変な評判で求婚者が絶えなかった。
求婚者には春宮(皇太子)、仲忠、源涼、源実忠、源仲純、上野宮、三春高基らがいたが続々と脱落し、互いにライバルと認める仲忠と涼が宮中で見事な秘琴の勝負を繰りひろげたものの、結局、あて宮は春宮に入内し、藤壺と呼ばれるようになった。〔藤原の君〜あて宮〕

仲忠は女一宮と結婚し、その間に娘の犬宮(いぬ宮)が生まれた。
俊蔭娘は帝に見いだされ尚侍となる。
仲忠は大納言へ昇進し、春宮は新帝に、藤壺腹の皇子が春宮になった。〔蔵開・上〜国譲・下〕

仲忠は母にいぬ宮へ秘琴を伝えるようお願いし、いぬ宮は琴の秘技を身につける。いぬ宮は2人の上皇、嵯峨院と朱雀院を邸宅に招いて秘琴を披露し、一同に深い感動を与えるシーンで物語は終わる。〔楼上・上〜下〕




出典: 「うつほ物語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なるほど。。。日本文学史上最古の長編物語で、写実的な描写などは『源氏物語』の成立へ影響を与えたと言われているのですね。



そのとおりですわ。 京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している源氏物語研究者として、あたくしは「うつほ物語」をずいぶんと読んだものでござ~♪~ますわ。

齋藤さんは次のように書いているけれど、卑弥子さんはどう思いますか?


うつほ物語の中では波斯国の琴が中心に書かれていて「仏教」に掛けられています。

ここを抑えて読まなければ、聖徳太子のことや、うつほ物語、源氏物語も正しい翻訳さえ怪しいものとなってしまいます。


波斯国の琴が中心に書かれていて「仏教」に掛けられています」と書いてありますけれど、仏教について書こうと思ったことが作者の動機ではないと、あたくしは思いますわ。

。。。というと?

『竹取物語』に見られる伝奇的性格を受け継ぎながらも、もっと現実性を強調して写実性を取り入れたのですわ。 その写実的な描写が『源氏物語』へと受け継がれてゆくのでござ~♪~ますわ。 つまり、『うつほ物語』は『竹取物語』と『源氏物語』のいわば“中継物語”なのですわ。

なるほど。。。文学史的にはそのような意味があるのですか。。。

あたくしは、そのように解釈しているのですわ。 ところで齋藤さんは、聖徳太子の母の名が「穴穂」が冠されていますので、穴穂で「うつほ」と著者の源順は充てていると考えています、と書いていますわね。 でも、上の記事には“穴穂”は出てきませんけれど、どのページに出てくるのでござ~♪~ますか?

上のページの次のページなのですよ。 その部分を書き出しますから卑弥子さんも読んでください。


聖徳太子のママの謎

当時ペルシャ人をハシ人と呼び、波斯人と書きました。
太子の個人教授の一人である覚袈(かくか)がペルシャ系の人ではないかという推測は、太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。
間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないか!と、いうわけです。
太子が赤い髪の毛をしていたという伝承があります。この伝承に真実が隠されているのではないか?
もしそうだとするなら、太子の母親がペルシャ人であるということも決して荒唐無稽な事ではありません。

Family tree of Prince Shotoku (shotoku03.gif--366x617)

聖徳太子の父は用明天皇、母は蘇我稲目の孫娘です。
この稲目の父は高麗(こま)で、高句麗からやってきたのですが、実は
この人がペルシャのサカ族の出身だと言う研究家も居ます。
しかし、そんな遠いところにペルシャ人を持ってゆかなくてもよいのです。
私はその説よりも、むしろ穴穂部間人の母親、つまり小姉君(おあねぎみ)がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないか、とみています。

もし当時、ペルシャ人が日本へやってきて、どの一族を頼りにするかといえば、当然、飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我氏の元を訪れたことでしょう。
その頃、渡来人を掌握していたのが蘇我氏だからです。
ペルシャ人の中には、蘇我氏との絆を確固なものにするために、蘇我稲目に娘を側室として差し出す親も現れたでしょう。
そのようにして穴穂部間人が生まれた、と考えるわけです。

小姉君の父はたしかに稲目なのですが、母親の出自について日本書紀は沈黙しています。
なぜ沈黙する必要があるのか?
その答えを出すには誰が日本書紀を書いたかが分かれば簡単です。
天武天皇の息子の舎人親王が編集長だったと言うように書かれていますが、彼はむしろ発行人であり、実際に編集に当たっていたのは藤原不比等です。
藤原氏は、元、中臣氏ということで、日本古来の氏族となっていますが、不比等のおじいさんの御食子(みけこ)は百済からやって来ました。
従って、自分たちが「よそ者」であるということを書きたくなっかたように、穴穂部間人の出自についても沈黙していたのです。

では、なぜ、不比等は自分の名前を編集長として書紀に書かなかったのか?
それには、これまた事情があります。
そのことについてはこのページ (『壬申の乱』は天智帝暗殺で始まった) で説明しています。

しかし、この説を採ると、飛び越えねばならないハードルがあります。
どういうことかというと、実は、小姉君の母親が物部氏出身と思える節があるのです。

というのは、当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通でした。
そして育った土地の名前をつける慣習がありました。
飛鳥で育った大王の娘なら飛鳥皇女と呼ばれるわけです。
すると穴穂部間人皇女の穴穂も地名に由来することになります。
大和周辺に穴穂の地名は河内と奈良の石上にあります。
皇女がどちらで育ったか分りませんが、どちらも物部氏の領地なのです。

つまり小姉君は蘇我稲目の娘であると同時に、物部氏の娘でもあったのです。
しかも穴穂部間人皇女は物部の土地で成長しました。
しかし、ご存知のように、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立し、それまでの史上最大の戦闘を繰り広げました。
したがって、このようなことがあり得るだろうかと、あなたは疑問に思うかもしれません。

ところが、それ以前、朝廷で権力を握っていた大伴氏を退けるため、蘇我氏と物部氏は手を握り合ったことがあります。
どういうことかというと、小姉君は、蘇我氏と物部氏が宮中で勢力を伸ばす方策として、互いに婚姻関係を結んでいた当時の産物ということになります。
「友情の証」として、蘇我稲目かあるいは彼の父親の高麗が自分の側室の中から美しいペルシャ人の娘を物部の氏の長者に与えたのでしょう。
このようなことは、この当時よくあることでした。
軽皇子(後の孝徳天皇)が小足姫(おたらしひめ)を中臣鎌足(藤原鎌足)に与えたのもこのような例です。
このことについては、このページ (藤原鎌足と軽皇子) で述べています。

そのお返しに、今度は、物部氏がペルシャ人の女性から生まれた娘を蘇我稲目の側室として与えたわけです。
その娘から生まれたのが小姉君だというわけです。
したがって、小姉君の体内にはペルシャ人の血が4分の1流れていたわけです。
彼女の娘が穴穂部間人皇女です。
確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになります。
太子が赤い髪の毛をしていたという伝承は、このことによって説明がつきます。

また、後に推古天皇を生む堅塩媛(きたしひめ)と小姉君の間の確執も、このことによっていっそう良く理解することができます。
つまり、この腹違いの姉妹は共に欽明天皇の後宮に入ります。
ところが、若くてきれいな小姉君へと天皇の愛は傾いてゆきます。
それも分かるような気がします。
エキゾチックなペルシャ人の血を引いている小姉君は、天皇の目には、さぞかし魅惑的に映ったことでしょう。

しかし、堅塩媛(きたしひめ)にしてみれば我慢のならないことです。
このようなことを身近に見て来た娘の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)も、当然、この混血児の叔母のことを良く思うはずがありません。
母親からずいぶんとグチをきかされたことでしょう。
この豊御食炊屋姫が推古帝です。

推古天皇は、後年、この小姉君の血を引き継いでいる皇子(聖徳太子も含めて)が天皇になることを極力避けようとしています。
推古帝の身になってみると、2重の意味でこのような皇子を排除したかったでしょう。
先ず「よそ者」の血が流れているということ。
しかも、この混血児の叔母のために、自分の母親がつらい目にあってきたということ。
このように考えてゆくと、つまり小姉君にペルシャ人の血が流れているとすれば、このあたりの事情が非常にすっきりと説明できます。

しかし、これだけに止まりません。
なぜ、聖徳太子は厩戸王子と呼ばれたのか?
母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本書紀などに見られます。
これはキリストの生誕を彷佛とさせます。
しかし、納得ゆくような説明が見当たりません。

ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居たことを考えると、このことも、非常にうまく説明がつきます。
では、次のページでもっと詳しくこのことを見て行こうと思います。




『聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた』より
(2003年8月3日)


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聖徳太子のママ(PART 3 OF 3)

2012-10-21 16:49:08 | 日本史


 
聖徳太子のママ(PART 3 OF 3)



なるほど。。。デンマンさんの説では聖徳太子のお母様のお名前の“穴穂”は地名から取ったと言うのですわね。



そうです。。。当時、そのように皇子や皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通だった。 そして育った土地の名前をつける慣習があったのですよ。

つうことは。。。“穴穂(あなほ)”を“うつほ”という齋藤さんの説は、こじつけだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか? 

いや。。。こじつけだと言うつもりはありません。 そのような考え方も面白いと思いますよ。 


俊蔭の娘は、太政大臣の子息(藤原兼雅)との間に子をもうけたが、貧しさをかこち、北山の森の木の空洞 - うつほで子(藤原仲忠)を育てながら秘琴の技を教えた。


空洞 - うつほ と“穴穂(あなほ)”の「穴」は「中が空っぽ」という意味で共通しますからね。 だから、“穴穂”を「うつほ」と読ませても不思議ではない。

じゃあ、『うつほ物語』の作者も、そう考えたのでござ~♪~ますか?

いや。。。『うつほ物語』がマジで聖徳太子のお母さんと関係ある話であれば『宇津保物語』としないで『穴穂物語』としたでしょうね。 でも、実際には『うつほ物語』と聖徳太子のお母さんは関係ありません。

つまり、齋藤さんのコメントは見当違いだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?

いや。。。全くの見当違いでもありません。 遣唐使清原俊蔭(としかげ)は渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着するのですよ。 唐でもなく、琉球でもなく、お隣の高麗でもなく、ましてや呂宋(ルソン)や越南(ベトナム)でもない。

作者は、どうして波斯国(ペルシア)をえらんだのでござ~♪~ましょうか?

要するに、当時でも遣唐使清原俊蔭(としかげ)が渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着したとしても荒唐無稽な話ではない程にペルシャ人がけっこうたくさん京都に住んでいたという証拠ですよ。

つまり、波斯国(ペルシア)は遠い国かもしれないけれど、ペルシャ人は身近にも居たということでござ~♪~ますか?

その通りですよ。 『竹取物語』には伝奇的性格が強い。 それと比べれば、『うつほ物語』は当時の“世話物語(現実的物語)”ですよ。 そのような現実的な話の中にペルシャが出てくるということ自体、ペルシャ人が当時、身近に居たという証拠だと僕は思いますね。 だから、聖徳太子のお母さんにペルシャ人の血が流れていたとしても不思議なことではないのですよ。

 (初出: 2012年3月8日)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
あたくしはすでにデンマンさんの説に洗脳されてしまっていますけれど、あなたは、どう思いますか?
当時の京の都に、マジでペルシャ人が歩いていたと思いますか?

とにかく、次回も興味深い記事が続きますわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。








ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

外国人が日本語を勉強するのに、

最も難しいのは敬語の使い方です。

日本人でさえ適切に敬語が使えない人が

増えていると聞いています。

だから、やっぱり敬語は難しいのですわね。

英語にも敬語が無いわけではありません。

でも、日本語ほど体系的には使われていません。

ヨーロッパ近代語に敬語があるかないかは

敬語の定義次第です。

敬語を広く「人物間の上下関係や

親疎関係を反映した言語表現」と定義すれば

英語で丁寧な命令文に please を付ける例を始め

学校で生徒が教師に、

軍隊で兵士が上官に対する応答の文末に

sir や madam(ma'am)を付ける例があります。

英語の二人称代名詞である you はもともとは敬称でした。

英語話者が家族であろうと親しい友人であろうと

常に本来敬称であった you のみを使うようになったために

you が敬称としての意味を失い、

敬称でない形の thou が忘れ去られたのです。

現在では敬語表現としては

次のような形を使って表現することが多いです。

Could you ...?

Would you ...?

May I ...?


 
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。バーィ





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ネットの威力だよ!

2012-10-19 18:51:21 | 病める日本・高齢化社会

 
ネットの威力だよ!





ネットの威力だよ!!



デンマンさん。。。ネットの威力ってどういうことでござ~♪~ますかァ?



ちょっと次のリストを見てくださいよ。


(ame21018.gif)



これは「デンマン・シンジケート」の中の一つ、アメブロ(http://ameblo.jp/barclay/)の統計なのですよ。 9月19日から10月18日までの30日間の人気記事リストです。



あらっ。。。英語で書かれた記事が2つともダントツで読まれているのですわね。


(vanc889.jpg)


4 『Vancouver Earthquake』

5 『Birthplace』




そうなのですよ。 驚きました。 まさか、上の2つの記事がこれほど読まれているとは思いませんでした。



どうして英語で書かれた記事が読まれたのですか?

国際化・グローバル化した読者がやって来たのですよ。

信じられませんわ。

じゃあ、その証拠を見せますよ。 次のコメントを読んでみてください。


(ame21006.gif)

『Birthplace』



あらっ。。。上の英語の記事に六本木で OL をやっている24歳の女性がコメントを書いてくれたのでござ~ますわね。



そうなのですよ。 たぶん外資系の会社に勤めている英語を話せる女性だと思うのです。

でも、この女性だけがコメントを残したのでしょう? 他の人はちょっと覗いただけで英語の記事を読んでいないと思いますわ。

要するに、卑弥子さんは、実際にたくさんの人が英語の記事を読んでいるという事が信じられないのですね?

そうですわ。 ダントツで読まれるほど読んでいないと思いますわ。 クリックして英語で書かれているので、ちょっと見るだけで他の記事へ飛んでしまうと思いますわ。

じゃあ、次のリストも見てください。
 
 
 
海外からのアクセス


(wp21019map.gif)


(wp21019.gif)



あらっ。。。75カ国のネット市民の皆様が『Birthplace』を読んだのですか?



いや。。。2012年の2月25日から今日(10月19日)までに「デンマン・シンジケート」のDenman Blog (http://denman705.wordpress.com/)に掲載された英語の記事を 75カ国のネット市民の皆様が読んだということです。

マジで。。。?

そうです。

『Birthplace』という記事は Denman Blog にも掲載されているのですか?

そうです。 次のリンクをクリックするとDenman Blog の同名の記事を読むことができます。



『Birthplace』



つまり、75カ国のネット市民の皆様に読まれたことを自慢したいのでござ~ますか?



やだなあああァ~。。。、自慢するためにこの記事を書き始めたわけではありません。

じゃあ、なんのためですか?

だから、ネットの威力のことですよ。 もう一度、このページのトップのリストを見てください。


(ame21018.gif)



上のリストの28番を見てくださいよ。



『ネットと行田中央総合病院』



10月14日に投稿した上の記事が40人のネット市民の皆様に読まれたのですわね。



そうです。

でも、『ネットと行田中央総合病院』を読んだのはたったの40人ではござ~ませんか!

あのねぇ~、「デンマン・シンジケート」の中でアメブロ(ameblo)のアクセス数の占める割合は次のリストで見るように 7位なんですよ。


(hg21013.gif)



見て解るようにアメブロのアクセス数は1位、2位、3位のブログと比べると断然に少ない。 全体の3%にすぎない。



つまり、「デンマン・シンジケート」全体では『ネットと行田中央総合病院』はたくさんの人に読まれていると言いたいのですか?

その通りですよ。

でも、イマイチ説得力に欠けていると思いますわ。

じゃあ、次のリストも見てください。


(gog21019b.gif)

『行田総合病院 詳細』



あらっ。。。『全国病院の評判 クチコミランキング (埼玉県編)』の「行田総合病院」の「注目記事ランキング」でデンマンさんが投稿した記事が1位から3位を占めているではありませんか。



そうです。

どうしてですか?

『ネットと行田中央総合病院』の記事の中で次の記事のリンクを貼ってあるからですよ。



『デンマンの書きたい放題:

ロマン・ロランも理解した(PART 3 OF 4)』




つまり、記事の中のリンクをクリックして上のロマン・ロランを読んだということですか?



その通りですよ。 要するに『ネットと行田中央総合病院』が読まれているということですよ。

。。。で、それがネットの威力なのですか?

そうですよ。 行田中央総合病院は決して評判の悪い病院ではない。 でもねぇ、完璧な病院はない。 「病気を診ずして病人を診よ」という理念を掲げて医師やスタッフが医療に当たっているのだけれど、実際には理念だけが先走りして、実践がついてゆかない。

その事についてデンマンさんは記事を書いたのですか?

そうです。 だから、『全国病院の評判 クチコミランキング (埼玉県編)』で「行田総合病院」のブログ情報を調べると僕が投稿した記事が表示されるのですよ。


(gog21019.gif)

『行田総合病院 ブログ情報』



あらっ。。。マジで表示されていますわね。 つまり、これがネットの威力だとデンマンさんは言うのですか?



その通りですよ。 僕自身は有名でも何でもない何億というブロガーの一人だけれど、一つの記事を書くことで、たくさんのネット市民に読まれる。 行田中央総合病院が理念に沿った医療を心がけないで患者や家族の不満をそのままほおって置くと、悪い噂が広まって患者が離れ、病院の経営の悪化につながるかもしれない。 

常に理念に沿った医療を心がけないと駄目だと言うのですか?

そうです。 患者や家族の不満や苦情を真面目に受け留めて、どの病院もより良い医療を目指して欲しいと思いますね。 


【ジューンの独り言】



ですってぇ~。。。
確かに患者さんや家族の不満や苦情を無視していたら、やがて悪い噂が広まって、患者さんは病院に寄り付かなくなってしまいますよね。
どのような病院も、口先だけではなく理念に沿った医療を施して欲しいと思います。

ところで、卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。


『感じてストで和露他』

『笑える漢字クイズ』

『哀れなネアンデルタール』

『佐伯今毛人は臆病者か?』

『笑わせる漢字でござ~ます』

『卑弥子@婚活』

『プロメテウスの第2の火』

『うむうむ、ふむふむ人間』

『コギャルと甘え』

『癒しと水墨画』

『東電八分』

『怒りっぽいあなたに』

『床上手だよ!』

『床上手@docomo』

『漢字で体操ざ~ます』

『曲屁(きょくべ)』

『天神様と東日本大震災』

『日本は良い国か?』

『日本をマジで良くしたいと思う人、全員集合!』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。






ィ~ハァ~♪~!

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坊っちゃんと敬語(PART 1)

2012-10-19 18:50:39 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
  
坊っちゃんと敬語(PART 1)


(kiyo003.jpg)


(kiyo002.jpg)



デンマンさん。。。あんさんは敬語に対して反感を持ってますのやねぇ?



出鼻からそうそう、めれちゃんは、どうしてそないな事を言うのやァ~?

そやかて、あんさんは次のよな事を言うてましたやないかいなァ。




(keigo03.jpg)

敬語には・尊敬語・丁寧語・謙譲語・美化語・気くばり語の5種類があり、人間関係や生活感情の潤滑剤になっている。
「日本は敬語が多くてわずらわしい」という学者先生や芸術家がいるが、どう致しまして、欧米にだって敬語表現がヤマのようにある。
一例を挙げると、丁寧語の言葉の使いわけは、日本語は7対3だが、アメリカは9対9である(井出祥子・日本女子大文学部教授)。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




19ページ
『きれいな敬語 羞(はず)かしい敬語』
著者: 草柳大蔵
2002(平成14)年3月1日 初版第5刷発行
発行所: 株式会社 グラフ社




僕は人生の半分以上を海外で、主に欧米で暮らしている。 アメリカでも、カナダでも暮らしたことがある。 カナダには20年以上住んでいる。 でもねぇ~、実感として「日本は敬語が多くてわずらわしい」のですよ。



あたくしもバンクーバーに行ってから、そう感じるようになったのでござ~♪~ますわ。

そうでしょう? 可笑しな敬語を使っている卑弥子さんならば、マジでそう実感したでしょう?

そうなのですわよ。 あたくしは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのですけれど、女子学生からも、あたくしの敬語の使い方が可笑しいと言われるのでござ~♪~ますわ。

解(わか)りますよ。 卑弥子さんの日本語は源氏物語の影響を受けてかな~り時代錯誤していますよ。 (微笑)

そうでござ~♪~ますでしょうか?

今時、卑弥子さんのように源氏物語の時代を感じさせてくれる女性なんて日本でも化石的な存在ですよ。

つまり、あたくしは化石のような女なのでござ~♪~ますか?

その通りですよ。

。。。んで、デンマンさんは草柳さんに対して反論があるのですか?

もちろんですよ。。。あのねぇ~、アメリカやカナダに住めば dumb という言葉は日常茶飯事のように、よく耳にする。 自分は使わなくても子供たちが使うから耳に入ってくる。

 (中略)


(dumb01.gif)

SOURCE:"Urban Dictionary"



つまり、dumb という単語は(北米では)子供時代からよく使う言葉なのですわね?



その通りですよ。 ネットの俗語辞典などにも載っています。 つまり、これほど頻繁に耳にする言葉なのにもかかわらず、草柳さんは耳にしたことがない。 おそらくアメリカやカナダに旅行に出かけたことはあるかもしれないけれど、日本人とだけ話していたのでしょう。 もちろん、北米で暮らした経験はまずないでしょう。 暮らしたとしても3ヶ月程度で、日本人だけと話していたのでしょうね。

でも、どうして、そのようなことがデンマンさんに判るのですか?

実に簡単なことですよ。 草柳さんは次のように書いている。



(ikeda02.jpg)

「えひめ丸」のときも池田小学校のときも、「いま、どんなお気持ちですか」のダムベストな声を聞かされたのである。




「dumbestな声」を北米で暮らしたことのある人ならば、「ダメストな声」と書くものですよ。 「b」は発音しないのですよ。 確かに、英語にも敬語の表現はあります。 でも、日本語の敬語の体系と比べたら、現実の生活では、ほんのわずかしかない。 草柳さんは欧米にだって敬語表現がヤマのようにあると書いているけれど、自信がないから丁寧語の言葉の使いわけは、日本語は7対3だが、アメリカは9対9であると井出祥子・教授の言葉を引用している。 



丁寧語の言葉の使いわけは、アメリカにはないのでござ~♪~ますか?

学問的にはあるかもしれないれど、現実の生活で日本人が敬語の使い方を気にするように、丁寧語の言葉の使いわけをアメリカ人が気にしているなんて考えられない。 それはアメリカで暮らしてみれば3ヶ月以内に、どんなに遅くとも3年以内には、はっきりすることですよ。 日本の敬語表現がエベレストぐらい高いヤマに相当するとすれば、アメリカの丁寧語など元横綱の高見山ぐらいの高さですよ。





そんな程度ですか?



もちろんですよ。 草柳さんは「敬語には・尊敬語・丁寧語・謙譲語・美化語・気くばり語の5種類があり、人間関係や生活感情の潤滑剤になっている」と書いているけれど、僕は敬語が潤滑剤になっているとは思えない。 むしろ、人間関係や生活感情の邪魔になっている。 だから敬語が廃(すた)れてくるのですよ。

デンマンさんは、敬語はない方がいいと主張るのでござ~♪~ますか?

いや。。。敬語を廃止しろ!とは言いませんよ。 でもねぇ、草柳さんは次のようにも書いている。




葉書にせよ電話にせよ、人と会話をはじめ会話を終わるときの、人間としての敬虔(けいけん)な態度がなければ、敬語を遺漏(いろう)なくふんまえた手紙は、かえって、“つくりもの”の味が濃厚になってしまうのではないだろうか。

つまり、「最初に敬語ありき」ではなくて、「最初に態度ありき」なのである。
その「態度」とは、通信をする相手の状況による。
結婚への祝いの言葉、破婚や失恋を慰める言葉、子どもが誕生したことへのよろこび、肉親を失ったことへの慰め、昇進ないし受賞した人へのよろこび、倒産失業した人へのいたわり……つまり、人生の光のスポットに自分の手紙を落とすとき、人生の陰の叢(くさむら)にメッセージを落すとき、それで心構えができるだろう。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




136-137ページ
『きれいな敬語 羞(はず)かしい敬語』
著者: 草柳大蔵
2002(平成14)年3月1日 初版第5刷発行
発行所: 株式会社 グラフ社




つまりねぇ、敬語の使い方を考えること自体が本末転倒なのですよ。 問題は心なのですよ。 心に人を敬(うやま)う気持ちがあれば、どのような言葉を使おうが、その人の態度に敬語の意味が表現されている。



そうでしょうか? そんなに簡単に言って済ませていいものでござ~♪~ましょうか?

だってぇ、現に敬語が廃(すた)れているのですよ。 言葉は生き物なのですよ。 無駄な敬語は無くなっても当然なんですよ。 それが自然の成り行きなのです。




『愚か者と敬語』より
(2012年2月18日)




確かに、わてはこのように言うたでぇ~。。。 その事が、めれちゃんには気になるのんかァ~?



わたしは敬語は日本の文化の大切な一部やと思うてますねん。

わてかてぇ、そう思うとるのやでぇ~。。。

そないな風には、よう見えしまへんがなァ~。

あのなァ~、言葉は生き物なんやァ~。。。人がああせい、こうせい、と言うたところで言葉は政治家や時の権力者の思い通りにはならへん。 その証拠に江戸時代の武家の言葉は現在、使われてえ~へん。 現在は庶民の世界やんかァ! 男は刀も差してえ~へんし、ちょんまげも結(ゆ)うてへん。 女は腰巻もつけてえ~へんし、髷(まげ)も結うておらへん。

あたりまえやんかァ! 時代が違いますやん。

そうやろう!? そやから言葉かてぇ、時代とともに変わってゆくんのが当たり前なんやァ。 そやのに、一昔前の敬語にこだわるのは、男はちょんまげを結うて、女は腰巻をつけろ!と言うてるようなものやんかァ!

そうやろかァ~?

あのなァ~、米谷ふみ子さんも次のような興味深いエピソードを書いていたのやァ。 めれちゃんも、ちょっと読んでみィ~なァ。




敬語がいかに人間関係を難しくしているかを、あるフランス語の(日本人の)教授のエッセイが如実に示していた。
教授が授業を終えて教室を出た時、入り口で待っていた学生に呼び止められ、何かパンフレットのようなものを見せられて「これを訳してもらいたいんだけど」と言われた。
教授はそのものの言い方にむっとしたと書いている。
そしてよくみると、女性の避妊具の説明書きであった。
医者のところに行って相談しなさいぐらいに言ってその場を去ったと書いていた。
とにかくこの頃の学生の言葉遣いや態度に呆れたというのだ。

これを私はアメリカ人の夫に英語に訳して聞かせた。
彼は「なんと若者に不親切なんだろう。 若者に分からないことを教えてやるのが先輩としての義務ではないか」と言ったのだ。

つまり、英語には敬語がないからこの教授が失礼だと怒っている理由が分からないのだ。
日本では真実に入る前にこの敬語で人間関係を壊してしまう。
両者にとって不幸なことである。
永年アメリカで英語の生活をしていると、日本に帰った途端にこの人は私の上か下かと地位を考えねばならず、それが脳を充たし、肝心の重要な真実を、どこの世界にも通じる倫理的思考を、考えるスペースが脳からなくなってしまうように感じる。
人間は平等でないと真実を追究できないのではないかと思うようになった。
ことに自然科学分野では上下関係は有害である。

日本語は要らないことにエネルギーを消耗させている。
そして、それが美であるというまやかしをベールとして、日本人は騙されているのである。


赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストと動画はデンマン・ライブラリーより)




154-155ページ
『なんや、これ? (アメリカと日本)』
著者: 米谷ふみ子
2001年6月5日 第2刷発行
発行所: 株式会社 岩波書店




このエピソードを見る限り敬語に対する中年の教授と女子大生の考え方は喰い違ってるねん。 女子大生が教授を見下したり、馬鹿にしたようには思えん。 それにもかかわらず敬語を使わなかったというだけで教授はムカついている。



そやけど、若い女子大生といえども常識的な敬語の使い方ぐらい知っているべきやと私は思うわ。

その常識かて敬語と同じやァ。。。時代と共に変わってゆくのやでぇ~。。。腰巻や、ちょんまげは江戸時代には常識やったのやァ。 今時、そないな物を身に着けていたら、チンドン屋と間違われてしまうでぇ~。。。そのチンドン屋も、わての子供の頃には行田市でも、よう見かけたけど最近、帰省しても全く見かけんようになってしもうたのやァ。 常識も変わる、時代も変わる、敬語も変わるものなんやァ。。。ただ、心だけは変わらへん。 そやから、アメリカ人である米谷さんの夫は、敬語抜きで教授と女子大生のやり取りを読んで、教授が不親切やと思うたのやないかいな。 それが変わらぬ心というものやんかァ。 日本語にあるような複雑な敬語を知らないアメリカ人の目から見たら、教授が女子大生の質問に対して誠意を持って答えるのが当たり前やァ。

そうやろか?

そうやァ。。。ところが日本人は敬語にこだわる人が居る。 草柳さんも、そのうちの一人やァ。 それで次のようなことも言うている。


敬語はそれが意識されずに語られたり書かれたりすると、まるで生命(いのち)あるもののように、いきいきとしたり、冴(さ)えわたったりするようである。
その心地よさ、おもしろさを味わって頂こうと、日本の名作八篇から素敵に運ばれている会話の部分を収録した。
「素敵」の条件は、会話の中の言葉がその位置にふさわしいこと、短切(たんせつ)な表現なのに過不足なく意味と情感を伝えていること、一人の話にリズムがあって、しかも二人の会話にひびきあうものがあること、以上の四つである。

 (中略)

夏目漱石の作品からは明治・大正の会話を選んだ。
昭和の言葉の基礎になっているからそれほど大きな違いはないが、それでも言葉の響きの微妙な違いが聞き取られると思う。
『坊っちゃん』では、清(きよ)という、“ばあや”の言葉を伝えている。
わずかに江戸時代の武家言葉が残っているのではないだろうか。


(kiyo004.jpg)

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
イラストはデンマン・ライブラリーより)




182-183ページ
『きれいな敬語 羞(はず)かしい敬語』
著者: 草柳大蔵
2002(平成14)年3月1日 第5版発行
発行所: 株式会社 グラフ社




その例として次の『坊っちゃん』が紹介されてるう。

 (すぐ下のページへ続く)

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坊っちゃんと敬語(PART 2)

2012-10-19 18:48:12 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

  
坊っちゃんと敬語(PART 2)



(kiyo003.jpg)

清はおれがうちでも持って独立したら、一所(いっしょ)になる気でいた。
どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。
おれも何だかうちが持てるような気がして、うんおいてやると返事だけはして置いた。
ところがこの女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町ですか麻布ですか、御庭へぶらんこを御こしらえ遊ばせ、西洋間は一つで沢山ですなどと勝手な計画を独りで並べていた。
 (略)
そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。
すると、あなたは慾がすくなくって、心が綺麗(きれい)だと云(い)って又賞(ほ)めた。
清は何と云っても賞めてくれる。
 (略)
愈(いよいよ)約束が極(き)まって、もう立つと云う三日前に清を尋ねたら、北向きの三畳に風邪を引いて寝ていた。
おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊っちゃん何時(いつ)家(うち)を御持ちなさいますと聞いた。
卒業さえすれば金が自然とポケットの中に湧(わ)いて来ると思っている。
そんなえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのは愈馬鹿げている。
おれは単簡(たんかん)に当分うちは持たない。
田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子(ようす)で胡麻塩の鬢(びん)の乱れを頻(しき)りに撫(な)でた。
余り気の毒だから「行く事は行くがじき帰る。 来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。
それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴(ささあめ)が食べたい」と云った。
越後の笹飴なんて聞いた事もない。
第一方角が違う。
 (略)
出立(しゅったつ)の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。
 (略)


(kiyo001.jpg)

車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もう御別れになるかも知れません。 随分御機嫌よう」と小さな声で云った。
目に涙が一杯たまっている。

おれは泣かなかった。
然(しか)しもう少しで泣くところであった。
汽車が余(よ)っ程(ぽど)動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。
何だか大変小さく見えた。
 (略)
それから二 三日して学校から帰ると...清からの便りだ。 ...坊っちゃんの手紙を頂いてから、すぐ返事をかこうかと思ったが、生憎(あいにく)風邪を引いて一週間ばかり寝ていたものだから、つい遅くなって済まない。
その上今時の御嬢さんの様に読み書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、かくのに余っ程骨が折れる。
甥に代筆を頼もうと思ったが、折角(せっかく)あげるのに自分でかかなくっちゃ、坊っちゃんに済まないと思って、わざわざ下たがきを一返(いっぺん)して、それから清書をした。
清書をするには二日で済んだが、下た書きをするには四日かかった。
読みにくいかもしれないが、これでも一生懸命にかいたのだから、どうぞ仕舞いまで読んでおくれ。

 (略)

おれは早速辞表を書こうと思ったが、何と書いていいか分からないから、私儀都合有之(これあり)辞職の上東京へ帰り申候(もうしそろ)につき左様御承知被下度(くだされたく)候以上とかいて校長宛(あて)にして郵便で出した。
 (略)
清の事を話すのを忘れていた。
---おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄(かばん)を提(さ)げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰ってきて下さったと涙をぽたぽたと落とした。
おれも余り嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。

その後ある人の周旋で街鉄(がいてつ)の技手になった。
月給二十五円で、家賃は六円だ。
清は玄関付きの家でなくっても至極満足な様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹(かか)って死んでしまった。
死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんの御寺へ埋めて下さい。
御墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。

だから清の墓は小日向(こびなた)の養源寺にある。

赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)




『坊っちゃん』
著者: 夏目漱石
新潮文庫 2001年刊




敬語はそれが意識されずに語られたり書かれたりすると、まるで生命(いのち)あるもののように、いきいきとしたり、冴(さ)えわたったりする」 マジで、その通りやと、わても思うねん。 つまり、上の『坊っちゃん』の二人の会話が「いきいきとしたり、冴(さ)えわたっ」ているのは、もうすでに読み手の心に敬語が意識されてないからやないかいなァ! この上の部分を敬語を全く使わずに英語に訳しても、坊っちゃんとお清さんの心の交流は間違いなくアメリカ人にもカナダ人にも伝わる。



そうやろかァ?

第一、わては上の文章を読んで、敬語が全く日本語に溶け込んでいるので、どれが敬語なのか?と考える気にもならへんかった。 つまり、坊っちゃんとお清さんの心の交流は敬語を越えている。 だから、敬語を意識しなくても、すんなりと読めるのやないかいなァ! 敬語が重要なのではなくて、心の交流が大切なのやがなァ~。

(初出: 2012年3月2日)


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
あたしは坂本九ちゃんが主演している『坊っちゃん』を観ましたわ。

坂本九 映画『坊っちゃん』


(kiyo005.jpg)

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/k_h0Uhi8_CE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

とっても面白い映画でした。
でも、あの悲惨な飛行機事故で坂本九ちゃんは帰らぬ人となってしまいましたわ。
本当にお気の毒なことでした。

とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。
また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、また。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

和製英語って聞いたことがあるでしょう?

日本で作られた英語風のカタカナ言葉のことです。

ただし、英語圏ではまず通じないものが多いようです。

「フォアボール」は英語では「base on balls」です。

「ベースアップ」は「pay raise」。

「レベルダウン」は「level decrease」。

「ファンタジック」は「fantastic」というのが

英語本来の言葉です。

また、「ワープロ」は「word processor」。

worpro と言っても通じません。

「パソコン」は「personal computer」

pasocom といっても北米人には通じないでしょう。

「エンゲージリング」は

「engagement ring」です。

engagering と言えば、

頭の回転が速い北米人には、

なんとなく意味が判るかもしれませんが、

普通の人は多分聞き返してくるはずです。

ところで、卑弥子さんが面白いサイトを

やっています。

興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして

覗いてみてください。



『あなたのための笑って幸せになれるサイト』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ





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KIFF (PART 1 OF 3)

2012-10-17 15:13:51 | 海外留学・国際化・グローバル化

KIFF (PART 1 OF 3)
 


 
 
KATO

INTERNATIONAL

FILM

FESTIVAL




 


 





 
(maiko19.png)
 




Subj:What a gorgeous day

we have here today!



(roseg03.jpg)

From: barclay1720@aol.com
To: diane@vancouver.ca
Date: Sat., September 29, 2012 4:47:58 PM
Pacific Daylight Saving Time


Hi Diane,

What a gorgeous day we have here today!
You must be busy hopping around the VIFF and are enjoying viewing a lot of movies.
But be well-prepared.

Vancouver International

Film Festival

An open mind is advised!


<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/TAJ1vs6KzBs" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

...be well-prepared...?
What for?---you may ask.

Well..., a super earthquake will hit Vancouver in the near future.

Don't scare the shit out of me, Kato! --- you might as well say that. he, he, he, he, he, ...

I'm pretty sure, you wanna know how come I'm telling you this.
Well..., I've just written an article about Vancouver super-quake.

To find it out, please click the following link:

"Vancouver Earthquake"

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/YCuqTRq_jJw" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

...hope you'll enjoy it to the bone.



Your careful quake-dodger, Kato
with a lot of love

 



(dianef02.jpg)

Subj:
Oh yes, I enjoy

forest-bathing.


From: diane@vancouver.ca
To: barclay1720@aol.com
Date: Sun, Sep 30, 2012 12:03 pm
Pacific Daylight Saving Time




Hi Kato,

What a gorgeous day it is!
You're right on about that.
You're also right about the VIFF being in progress.
I went to a fabulous Danish one last night "Teddy Bear," which was exceptional, really, and my cinephile buddies felt the same way.


Teddy Bear

Directed by Mads Matthiesen
Genre: comedy
Country: Denmark




Dennis (Kim Kold), a bodybuilder and part-time security guard at a slaughterhouse in Copenhagen, has a problem:
At 38 years of age, he’s still living at home with mom.
And what a mom Ingrid (Elsebeth Steentoft) is: Stern and domineering, she is unable to allow Dennis to grow up and, God forbid, start to date.
But eventually, Dennis decides to grow wings – flying to Thailand on a secret vacation (he tells mom he’s attending a bodybuilding tournament in Germany), where after a few awkward hookups with local Thai prostitutes he meets Toi, the accidental owner of a local gym (a facility she inherited from her late husband).

Love ensues – but watch what happens when Toi visits Dennis in Denmark.
Kold is masterfully understated as the painfully awkward hulk – a man whose only real power can be exercised with weights.




Sept. 28, 6 p.m., Granville 3
Oct. 2, 11:40 a.m. Granville 3




SOURCE: 【VIFF movie review: Teddy Bear】


<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/f0O0UPwSNGc" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

It drew us all in and made you feel like you understood the lead actor and his quandry.
We were on the edge of our seats hoping that things would work out for him. Great.
Not going to as many as I used to but should see 10 or so before it's through.

Thanks for this update on Vancouver quakes.


(plates93b.gif)


(plates98.jpg)

I do remember a small one that occurred during working hours in my office.
Everything just started shaking and before we could figure out what was going on it stopped.
My mother used to have a earthquake preparedness kit which she refreshed religiously.
She had it for YEARS.
She's passed on now since 1991 so you can see why I don't take this stuff seriously.

I like the Bible quote that goes something like this.

"Do not worry about tomorrow,

for tomorrow will

worry about itself."


They say that most of the things we worry about never come to pass ... so what the heck, right kiddo?
Hope you're having fun at Joe Fortes!
Maybe I'll see you at the VIFF.


(dianelin3.jpg)

Love, Diane ~


(To be followed)


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KIFF (PART 2 OF 3)

2012-10-17 15:12:40 | 海外留学・国際化・グローバル化




KIFF (PART 2 OF 3)




So, Diane, you enjoyed viewing "Teddy Bear," didn't you?



Yes, I did ... very much so.  By the way, what is KIFF?

Well ... Vancouver International Film Festival is over now.

Yes, it is.  I really miss it.  I wish I'd seen all the movies.

I know ... I know ... That's the reason I set up "Kato International Film Festival" especially for you.

How do you mean?

You can see as many international movies as possible for free.

No kidding!

I'm not joking nor jesting.

Where on earth can I see those movies?

On the net, of course.

Show me the list of your international movies.

I'd love to. See the following list.


(lib21016.gif)

【Actual Listing】


(lib21016b.gif)


(lib21016c.gif)



This is a list of your books and DVDs you commented on at Vancouver Public Library, isn't it?



Yes, it is.

I see the Polish movie at the top of the list.

If you click the title on the list, you can see my comment like this:


(lib21016d.gif)

【Actual Listing】



So, you saw the movie on September 27, then commented on that, didn't you?



Yes, I did.  Likewise, you can see all the movies in the list.

Kato, did you actually see all the movies in the above list.

Yes of course, I did.

Amazing! ... How did you like the Polish movie.

I like it.

But, Kato, your comment sounds otherwise, doesn't it?


A Year of the Quiet Sun


(quietsun2.jpg)

A Year of the Quiet Sun (Polish: Rok spokojnego słońca) is a 1984 Polish film written and directed by Krzysztof Zanussi.
It tells the story of a romance between a Polish refugee (Maja Komorowska) and an American soldier (Scott Wilson) in spite of the language barrier and the many cultural divisions that separate them.

The performances of Komorowska and Wilson are superb, but the script has several flaws.
First of all, the film doesn't tell painful memories of their pasts.
It simply touches the surface of their pasts---not enough for the audience to emphasize with both of them.

Furthermore, the film suddenly jumps from 1946 to 1963.
What has happened in between?
I'm totally puzzled.

Someone said, if a script is superb, bad actors could achive some success, but when a script has some flaws, even great actors could not make the film superb.




Personally, I've found some flaws in the movie, but I'm pretty sure that you will love it.



What makes you think so.

...'Cause I know what kind of films you love.

Do you?

Oh yes, I do most definitely.  In any case, I've just picked up the first three parts out of 11 parts for you.  So just view those three parts.  I know you love these clips.

A Year of the Quiet Sun


(quietsun.jpg)

(PART 1 OF 11)

<iframe width="500" height="350" src="http://www.youtube.com/embed/TwrrPNevmeY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(PART 2 OF 11)

<iframe width="500" height="350" src="http://www.youtube.com/embed/5O20E6cXa6A" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

(PART 3 OF 11)


<iframe width="500" height="350" src="http://www.youtube.com/embed/mlNRn7O4BJg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>



Hmmmm ... quite interesting!  I think I'll borrow the DVD from Joe Fortes Library.



Please do.

But how come you recommend this movie to me?

...'Cause we love each other in spite of the language barrier---just like the hero (Scott Wilson) and heroine (Maja Komorowska).





【Himiko's Monologue】



Wow! I wonder if Kato and Diane love each other in spite of the language barrier.
What do you think?

By the way, did you see the following clip about the Tōhoku Earthquake 2011?

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/rzhw6a5CBWA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Whenever I see the above clip, I feel scared to death.
What an awful and devastating quake it is!

I hope I'll never experience a super quake in my lifetime.
But I hear that a big quake will hit Kyoto within next 30 years.
I'm living in Kyoto---the anciant capital of Japan.
Nobody knows exactly when the big one hit the region, but many seismologists predict that the big one will definitely come in the future.
Well..., I'd better be well-prepared for that.

In any case, I hope Kato will write another interesting article soon.
So please come back to see me.

Have a nice day!
Bye bye ...






(To be followed)

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KIFF (PART 3 OF 3)

2012-10-17 15:12:11 | 海外留学・国際化・グローバル化


KIFF (PART 3 OF 3)



If you've got some time,

Please read one of the following artciles:





"Net Travel & Jane"

"Net Love"

"Complicated Love"

"Electra Complex"

"Net Début"

"Inner World"



"Madame Riviera and Burger"

"Roly-poly in the North"

"Amazing Grace"

"Diane in Paris"

"Diane in Montmartre"



"Diane Well Read"

"Wantirna South"

"Maiden's Prayer"

"Bandwidth"

"Squaw House and Melbourne Hotel"



"Tulips and Diane"

"Diane in Bustle Skirt"

"Diane and Beauty"

"Lady Chatterley and Beauty"

"Victorian Prudery"



"Diane Chatterley"

"From Canada to Japan"

"From Gyoda to Vancouver"

"Film Festival"

"Madame Taliesin"

"Happy Days"

"Vancouver Again"

"Swansea"



"Midnight in Vancouver"

"Madame Lindbergh"

"Dead Poets Society"

"Letters to Diane"

"Taliesin Studio"



"Wright and Japan"

"Taliesin Banzai"

"Memrory Lane to Sendai"

"Aunt Sleepie"

"Titanic @ Sendai"

"Birdcage"


(sylvie121.jpg)

"Roly-poly in the wild"

"Silence is dull"

"Zen and Chi Gong"

"Piano Lesson"

"Dangerous Relation"

"Electra Complex"


(juneswim.jpg)

"Covent Garden"

"Fatal Relation"

"Notre Dame"

"Anne Frank"

"Biker Babe"

"Diane Girdles the Globe"

"Diane in Casablanca"

"Infidelity Neighbourhood"

"Forest Bathing"

"Enjoy Ramen!"

"Sex, Violence, Love"

"Halifax to Vancouver"

"A Thread of Destiny"

"Fujiyama Geisha"

"Beaver Lake"

"God is Near!"

"Holy Cow@Rose Garden"

"Birthplace"

"Vancouver Earthquake"






Hi, I'm June Adams.

Japan's National Police Agency said on 3 April 2011, that 45,700 buildings were destroyed and 144,300 were damaged by the quake and tsunami.

The damaged buildings included 29,500 structures in Miyagi Prefecture, 12,500 in Iwate Prefecture and 2,400 in Fukushima Prefecture.

Three hundred hospitals with 20 beds or more in Tōhoku were damaged by the disaster, with 11 being completely destroyed.

The earthquake and tsunami created an estimated 24–25 million tons of rubble and debris in Japan.

Among the debris, a Harley-Davidson motorcycle came to shore on Haida Gwaii (Queen Charlotte Islands) in British Columbia of Canada.

Harley from Tsunami

Comes to Shore


<iframe width="500" height="350" src="http://www.youtube.com/embed/e-Z1F9VccZc" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

It traveled from the east coast of Japan to Haida Gwaii (Queen Charlotte Islands).

It took some forty days.




ところで、愛とロマンに満ちた

レンゲさんのお話をまとめて

『レンゲ物語』を作りました。

もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、

次のリンクをクリックしてくださいね。

『愛とロマンのレンゲ物語』



『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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足袋御殿(PART 1)

2012-10-17 15:07:58 | 海・河のスポーツ・旅行・車
 
 
足袋御殿(PART 1)
 
 










Subj:あの足袋御殿はでた?

From: sayuri@hotmail.com
To: denman@coolmail
Date: 2011年10月16日 16:22:25


こんにちは。。。
久しぶりに実家に帰って
のんびりと癒されていますか?



デンマンさんとご一緒にいただいた「田舎っぺきのこ汁うどん」はメチャ美味しかったですよ。
手打ちなのですね。
“こし”があって、なかなか噛み応えのある手打ちウドンでした。
いつか子供を連れて、また食べてみようと思います。



「行田のグルメ20」に選ばれただけのことはありますね。



「きんぴら」は栃木の「きんぴら」とは違って、とても大きく切ってあるのでビックリしました。
埼玉県では、あのように大きな「きんぴら」を食べるのですか?

水城公園ではゆっくりとお話ができて気分がすっきりとしました。
今まで気づきませんでしたけれど、
「ホテイアオイ」の花がたくさん咲いていたのには驚きました。





「ホテイアオイ」の花

ところで次の記事を読みました。
 

 
『タリアセン夫人と再会』

(2011年10月13日)


デンマンさんは私のメールをそのまま記事の中で使ってしまうのですね。
それってぇ、かなりムカつくのですよ。
名前や地名がすぐにでるんだから。。。
んもお~~。

。。。と書いても、またこのメールも記事の中で使うのでしょうね。
半ば諦めていますが、ほどほどにしてください。
私の堪忍袋がブチ切れないうちに止めてくださいね。(苦笑)





水城公園から見た「足袋御殿」は昭和の古い時代を垣間(かいま)見せているようでした。
「足袋御殿」のオリジナルの建物の写真はネット上で公開されていますか?

また水城公園でのんびりとお会いしたいですよ。
そのうち電話します。
では。。。

小百合より



 




Subj:小百合さん、おはよう!

ゆったりとした気分で

コーヒーを飲みながら

「足袋御殿」の応接室に居る

気分に浸ってね。

きゃはははは。。。






From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月18日
(火曜日)午前10時39分


アイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズを調べてみましたか?
日本ではあまり人気がないようで
このコーヒー豆を売っている店は極めてまれです。



10日ほど前にYAHOO!で検索した時にゲットした Irish Cream Coffee Beans の画像は10月16日に画像検索した時には見つけることができませんでした。

今日調べてみたら次の画像が見つかりました。



『ハワイ島のコナ地区から生まれた

世界の名品コナコーヒー』
より

バンクーバーで売っているアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズと比べると約2倍の値段ですよ!

それにしても小百合さんがアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズにハマっているのはちょっと不思議な気がします。
やっぱりカナダの思い出と強く結びついているのだろうね。

僕にとってはとりわけ印象に残るコーヒーではないけれど、
小百合さんが選んだコーヒー豆ということだけが記憶に残っていますよ。

しいて言えば、甘いコーヒー豆の香りが強烈で、
この香りを嗅ぐと小百合さんを思い出すようにになりました。
きゃはははは。。。

僕にとってアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズは小百合コーヒー・ビーンズになりましたよ。

「足袋御殿」をじっくりと調べてみました。
今では御殿は懐石料亭になっています。






足袋御殿で食べる国産黒毛和牛懐石
昭和の初め、足袋の産地として栄えた行田。
その行田に”足袋御殿”と呼ばれた邸宅があります。
彩々亭はその足袋御殿を懐石料亭として生かしたもの。
洋館と日本家屋からなる和洋折衷造りは、何か懐かしさの漂う落ちついた雰囲気です。



昭和天皇がご覧になられた庭園を眺めながら、国産黒毛和牛の、そして、季節の懐石料理をお楽しみください。
きっと普段の喧騒さを忘れて料理を堪能し、往時のゆっくりした時の流れもお楽しみいただけます。




『彩々亭ご紹介』より


「足袋御殿」の建物と歴史も調べてみましたよ。




水城公園と南大通りの間にある懐石料亭「彩々亭」。
南大通りの入り口正面から。



上の写真は、水城公園の散策路からの様子です。
元々は、足袋製造業者であった新井八郎氏が大正14年に現在地(佐間)に工場を建設するとともに、昭和元年頃に写真のようにモダンな緑色の洋風瓦が特徴的なスクラッチタイル貼りの外壁を持つ2階建ての事務所兼住宅を建設し、その後西側に3階建ての離れ等を増築したと言われています。

往時には政財界で活躍した八郎氏の迎賓館的な役割を果たし、昭和天皇をはじめとする多くの名士が訪れており、「足袋御殿」と称されていました。
歴史あるこの建物は、平成19年に国の「登録有形文化財」に登録されています。




『行田市内の見所』より


調べた限りでは、あの建物は建てられたまま改築されたということが書いてない。
おそらく僕の記憶違いだとしか思えない。

しかし,僕の記憶の中にある建物は、もっと荘厳な石造りの建物で、印象的には国会議事堂のような厳(いかめ)しい感じを与えたものでした。
小学生の目にはそのように見えた。

現在建っているようなちゃちな物とは大違いでした。

それにしても小百合さんがどうして「足袋御殿」にこだわるのか?

小百合さんとの思い出を手繰(たぐ)り寄せながら考えてみて判りましたよ。



あの軽井沢タリアセンの中に建っている「睡鳩荘」に小百合さんはこだわりを見せたけれど、ちょうど同じような気持ちで「足袋御殿」に強く惹かれるのだろうね。

心の中に軽井沢タリアセン夫人としての上流志向があるのかもね?
きゃはははは。。。

では、今日もアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズをドリップして、ゆったりとした気分でコーヒーを飲みながら「足袋御殿」の応接室に居る気分に浸ってね。



明日も、また会えるといいね。
今度は「さきたま古墳公園」で“ゼリーフライ”でも食べましょう。
じゃあね。






私が「足袋御殿」にこだわるのは軽井沢タリアセンにある「睡鳩荘」にこだわるのと同じだとデンマンさんは考えているのですか?



その通りですよ。。。いわゆる「昭和の上流社会」を覗いてみたいという気持ちが小百合さんにはあるのではありませんか?

そうかしら。。。?

だから小百合さんは無意識のうちに「軽井沢タリアセン」に惹かれるのですよ。


軽井沢タリアセン
 
 
<iframe width="400" height="335" src="http://www.youtube.com/embed/oZVCA7xYSrY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 
 


デンマンさんとご一緒に出かけた時には閉まっていましたわね。



 レストラン 湖水



小百合さんは、このレストランを知っていたのですか?

私は軽井沢タリアセンには子供をつれて何度か行ったことがありましたから知っていますわ。




 
 
 睡鳩荘(すいきゅうそう)

<iframe width="400" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/eLnaIG7VBlI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 
 


小百合さんと一緒に行った時には睡鳩荘(すいきゅうそう)を見て、それからレストラン・ソネットへ行ったのですよね。



 レストラン ソネット
(1階がレストランで2階は「深沢虹子・野の花美術館」)







そうでしたわ。 チーズケーキをいただきながらコーヒーを飲んだのでしたわね。



そうでした。 寒い日で、園内には数えるほどの人しか居なかった。 「レストラン湖水」 が閉まっていたのも納得がゆきましたよう。 確か11月の寒い日で、季節外れだったのですよね。

でも、またいつか行く機会があると思いますわ。

じゃあ、来年の秋に、小百合さんと一緒にブイヤベースを食べましょう。





ブイヤベースはないと思いますわ。 うふふふふ。。。



マジで。。。?

デンマンさんは、何かといえばブイヤベースですわね? 他に気のきいた料理の名前を覚えてないのですか?

もちろん、他にも料理の名前ぐらい覚えていますよう。。。でもねぇ、ブイヤベースの響きが、なんとなく格調高くありませんか?

そうでしょうか?




『しんみりした曲ですね』より
(2010年12月27日)




こうして読み返してみると、小百合さんには「昭和の上流社会」を覗いてみたいという気持ちがあると僕には思えるのですよ。



私自身はそのような事を考えたこともありませんけれど。。。

そういうものですよ。。。自分では分からないものです。

。。。で、デンマンさんは現在の懐石料亭「彩々亭」の建物は改築されたものだと思うのですか?

そうですよ。。。僕の記憶の中にある建物は現在建っている建物とは全く違っているのですよ。

何十年かの間にデンマンさんの記憶が変化してしまったのではありませんか?

う~ん。。。確かに、その可能性がないわけじゃないけれど、現在の建物のと僕の記憶の中の建物を比べてみると、なんだか狐に鼻をつままれた感じですよ。

でも、どうしてそれほど印象深く昔の建物がデンマンさんの思い出の中に強く残っているのですか?

あのねぇ~、それには訳がある。。。

どのような。。。?

僕は小学校5年生と6年生の時、理科クラブでプランクトンの研究をしていたのですよ。

マジで。。。?

毎朝、職員会議が行われる自習時間に水城公園へ出かけて採集ネットでプランクトンを集めた。

 (すぐ下のページへ続く)

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足袋御殿(PART 2)

2012-10-17 15:07:07 | 海・河のスポーツ・旅行・車

 
足袋御殿(PART 2)


忍沼のプランクトンの研究





その当時の小学校の僕の担任の先生が志保田先生だった。この先生は理科クラブの部長だった。それで、僕も理科クラブに入っていた。



何を研究したのですか?

今でもあるけれど行田市の水城公園に忍沼があるのですよう。



この忍城は1988年(昭和63年)に本丸跡に再建されたものですよう。僕が小学生の頃は、この城が建っている場所はグラウンドになっていて少年野球の会場になっていた。忍沼は、昔は城を巡る外堀だったところです。そこへ毎朝、先生が職員会議をしている自習時間に、同じクラブのメンバーの二人と3人でプランクトンを取りに行ったものですよう。

それで、そのプランクトンをどうするのですか?

放課後、理科実験室で顕微鏡で覗いてプランクトンが泳いでいる様子を写生するのですよう。そうやって研究した訳ですよう。

何か賞でももらったのですか?

もらいましたよう。当時、オリンパスが理科の全国コンクールをやっていたのですよう。

オリンパスってあのカメラのオリンパスですか?

そうですよう。オリンパスは顕微鏡も作っていたのですよう。多分、その関係で理科のコンクールを開いていたのでしょうね。

それで、入選したのですか?

そうですよう。3人(山田君、松本君、それに僕)で取り組んだ「忍沼のプランクトンの研究」が優秀賞に選ばれて、カメラ3台と顕微鏡3台をもらったものですよう。

一人それぞれ1台づつもらったのですか?

カメラと顕微鏡は学校に寄付ですよう。その代わり、当時の田高校長先生から水銀の寒暖計をもらいましたよう。

それで、その事と工学部と関係があるのですか?

志保田先生の話で電子頭脳というのが面白かった。僕が小学校5年生の頃は電子計算機と言わずに電子頭脳と呼ぶ人の方が多かった。とにかく、その電子頭脳が東京の丸ビルぐらい大きい、と志保田先生が言ったのですよう。

それで、デンマンさんは電子計算機の道へ進んだ訳ですか?

そうなのですよう。




『光さす庭 (2008年6月20日)』より






これってぇ、マジですか?



もちろん真面目な話ですよ。 嘘や“でまかせ”ではありません。 当時は、今のようにきれいな公園になっていなかった。 葦(アシ)が茂る広大な沼地だった。 その沼地の向こうに石造りの「足袋御殿」が聳(そび)え立っているように見えたものですよ。 子供の目には国会議事堂のような尊厳な建物に見えたものです。

それだけのことですか?

いや、それだけじゃない! 小学校を卒業して行田中学に入学した。 それで僕は1年2組に入ったのですよ。 そのクラス50人の中に新井久代さんという名前の頭の良い可愛い女の子が居た。





この女の子が足袋御殿と関係あるのですか?



ありますよ。。。大有りですよ。 その久代さんは「足袋御殿」に住んでいたのですよ。

あらっ。。。「足袋御殿」のお嬢様だったのですか?

そうなのですよ。

デンマンさんは、小学生の時には久代さんのことを知らなかったのですか?

僕は中央小学校だった。 久代さんは南小学校だったのですよ。 だから小学生の頃、僕は彼女に一度も会ったことがない。

。。。で、中学1年生の頃に新井久代さんの住んでいる「足袋御殿」に遊びに行ったことがあるのですか?

小百合さんも、そう考えるでしょう? でもねぇ、残念ながら一度も彼女の住んでいる「足袋御殿」に遊びに行ったことがないのですよ。 今から考えると本当に残念なことをしました。 僕がクラスの委員長で彼女がクラスの副委員長というようなこともあった。 それなのに僕は純情可憐な男の子だったから久代さんの家に遊びに行きたいなんてとても言い出せなかった。

信じられませんわ。 デンマンさんならば、何が何でも押しかけてゆきそうじゃありませんか!

だから、当時の僕は気の小さい控(ひか)えめな少年だったのですよ。

信じられませんわ。

人間は年とともに変わるものなのですよ。

そうでしょうか。。。?

(初出:2011-10-18)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
小学生時代のデンマンさんは気の小さい控(ひか)えめな少年だったと、あなたは信じることができますか?
あたくしには想像もつきませんわ。(微笑)

確かに、時と共に、性格は多少は変わってゆくと思いますけれど、“三つ子の魂百までも”と申しますわ。
性格は極端には変わらないものでござ~♪~ます。

あなたの小学生時代を思い浮かべてくださいまし。
現在のあなた自身と性格が変わっていますか?
それほど変わってないでしょう?

ええっ。。。あたくしですか。。。?

考えて見れが、ずいぶんと性格が変わりましたわ。

どうしてかってぇ~。。。?

だってぇ、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますわ。
ビートルズの影響だと思うのですわ。



“キャ~ 素敵ィ~♪~”





お分かりでしょう!?
ビートルズのファンは熱烈なのですわ。
だから、性格までも変わってしまうのですわ。
うふふふふふ。。。

<iframe width="400" height="335" src="http://www.youtube.com/embed/iim6s8Ea_bE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

でも、日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ~♪~ますう。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。




滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、

このカフェテラスに下りてきたのですよ。

わたしたちに「おはようございます」と

日本語であいさつしたものですわ。

いつも庭に面した一番奥の席にすわって、

他のお客様には背を向けるような格好で

腰掛けていました。

ジョン・レノンのお気に入りは

ローヤルミルクティーでしたわ。



『幸福の谷』より
(2008年4月6日)


あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますゥ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。

とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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下着・ランジェリーを見つけませんか?』


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『軍隊のない国(2011年3月21日)』

『アナクロニズム(2011年3月27日)』





こんにちは。ジューンです。

あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?

私はデンマンさんとご一緒に

一度だけ訪れたことがあります。



この湖は“Swan Lake”という

英語名がついているのですわ。

昔、宣教師の方が軽井沢に

別荘を持っていたのですって、

その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。

10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
 
 
軽井沢・雲場池の紅葉

<iframe width="420" height="300" src="http://www.youtube.com/embed/Dt3k9--4xLE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 
 
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、

湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、

どこからともなく白鳥が飛んできそうな

感じがしましたわ。



そう言えば、バンクーバーの

クイーン・エリザベス・シアターで

デンマンさんとご一緒に

バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
 
 
<iframe width="420" height="345" src="http://www.youtube.com/embed/b2XaCFsUQhg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 
 
<iframe width="420" height="345" src="http://www.youtube.com/embed/T_5WCZ-XvG4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
 
 
あの時のチャイコフスキーの曲が

聞こえてきたものですわ。

それで、私はいつになく

感傷的になったことを覚えています。

ところで、日本に帰省してから

デンマンさんが小百合さんのことで

次のような記事を書いています。

時間があったら覗いてみてください。

『白鳥はどこに?(2011年10月8日)』

『思い出の軽井沢(2011年10月7日)』

『日本は汚染される(2011年10月4日)』

『おばんざい(2011年10月4日)』

『バーナビーと小百合さん(2011年10月3日)』

『杜の都で食べる PART 1(2011年10月2日)』

『杜の都で食べる PART 2(2011年10月2日)』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





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ネットと行田中央総合病院(PART 1)

2012-10-14 13:48:09 | 病める日本・高齢化社会
 
 
ネットと行田中央総合病院(PART 1)







デンマンさん。。。どうして、ネットと行田中央総合病院が関係あるのですか?



ちょっと次のリストを見てくださいよ。


(ame21013.gif)


『言うことは誰でもできるけど…』

(2012年10月8日)





10月8日に書いたばかりの上の記事が「人気記事リスト」に入っているのですよ。



人気記事の内で27番目ですわね。

そうです。

確か、行田中央総合病院について書いた記事ですわね。

そうですよ。 病院の「理念」には素晴らしい事が書いてあるけれど、実践が伴っていないということを書いたのですよ。


病院案内


(gyoda88.jpg)

埼玉県行田市の行田中央総合病院は、地域に根ざした医療サービスの提供を心がけております。
行田中央総合病院は、奉仕の精神に基づき、近代的医療設備と最新の医療技術を、全て地域の皆様のお役に立てることを念願しスタートいたしました。
私どもは医の倫理を忘れることなく、地域医療のため、医師はじめ看護師・職員一同が一丸となって、日夜努力いたしております。
当病院は、幸いなことに、その意を充分理解し、訓練されたスタッフが集まり、24時間体制のもとに、一般診療・二次救急医療・小児救急・人間ドック・成人病検診など、いかなる時でも、皆様方のお役に立つことができるものと確信いたしております。

基本理念

私たちは「病気を診ずして病人を診よ」の精神で、心温まる生涯医療センターを目指します。

私たちは患者様のために最善を尽くすことに誇りを持ち、笑顔で活躍できる職場作りを目指します。

1. 当院で働く職員全てが心を一つにして、思いやりと真心を込め、「医療」たる究極のサービスを目指します。

2. 患者様と信頼関係を大切にし、地域社会に密着した医療・保健・福祉サービスの提供を目指します。

3. 大病院、診療所、地域の介護福祉施設との連携を緊密にし、患者様に最も適した医療環境の提供を目指します。

4. 日進月歩する医療レベルの向上に努め、自らの責任を追及し続けます。

5. 高齢化社会に対する視点を持ち続け、お年寄りに快適な環境の提供を目指します。


私たちがより多くの人々の健康を願い、「病気を診ずして患者を診よ」を念頭に置き、患者様に「元気・希望・夢」を与えられるような医療を目指し、地域医療に貢献できる喜びをより多くの人々とともに味わいたいと願っております。





基本方針

1. 私達は、患者様の人権と意思を尊重し、相互理解に基づく医療を遂行します。

2. 私達は、医療の質の向上に努め、人格教養を高めることによって良質な医療を提供します。

3. 私達は、地域の人々により良い医療を提供する為に、地域医療機関との連携を推進し、一貫した医療の提供に努めます。

4. 私達は、病院医療に関わるあらゆる安全管理に最大の努力を払います。




『行田中央総合病院 - 病院案内』より




あらっ。。。とっても素晴らしいことが書いてあるではありませんか!



そうでしょう? 小百合さんだってそう思うでしょう?

ええ。。。もちろんですわ。 とっても素晴らしい病院だと思いますわ。 この病院の理念が“誇大広告”だと、デンマンさんは言うのですか?

そうですよ。

。。。で、上の記事を読んだ人たちは、どんな反応を示しているのですか? どなたかコメントを書いてくれたのですか?

いや。。。まだコメントを書いてくれた人は居ないのですよ。 でもねぇ、記事を書いただけの手応えがありましたよ。

どのような。。。?

次のリストを見てください。


(gog21008c.gif)

『実際のページはここをクリック!』



これは「全国病院の評判・口コミランキング」の行田中央総合病院のページなのですよ。



デンマンさんが作ったページですか?

いや。。。僕が作ったページではありません。

じゃあ、行田中央総合病院が作ったのですか?

いや。。。僕とも病院とも全く関係ない第3者が作ったページですよ。

上のリストの赤枠で囲んである記事はデンマンさんが書いたものですか?

そうです。


デンマンの書きたい放題 : ロマン・ロランも理解した(PART 3 OF 4)



その前に僕は行田中央総合病院の緊急医療体制には問題があると批判し始めたのですよう。
マジで。。。? もちろんですよう。副院長はギョッとしたような表情を浮かべたけれど、あくまで冷静でした。
(デンマン注: あとで分かったことだ ...
クリック数:9 - 投稿日:2011/05/22 08:42:58




『実際のページはここをクリック!』

『全文はここをクリック!』





去年(2011年)の5月22日に投稿した記事です。



上の記事が最近になって読まれているのですか?

そうなのですよ。 上のリストは10月8日に調べたものです。 行田中央総合病院についた記事がたくさんあるのだけれど、9ページ目に表示されているのですよ。 1ページに10の記事が表示されているから、803番目に僕の記事が表示されているということです。

今日も調べてみたのですか?

そうです。 その結果を見てください。


(gog21014b.gif)

『全国病院の評判・口コミランキング』



あらっ。。。1ページ目に表示されていますわね。



そうなのですよ。 803位から3位にランキングがあがったのですよ。

それだけ読まれているということですか?

そうです。

なぜ読まれているのですか?

GOOGLEの検索結果を見てください。


(gog21014.gif)



「行田中央病院 デンマン」で検索すると僕が書いた記事が表示されるのですよ。



あらっ。。。1ページに表示されているのは、ほとんどが「デンマン・シンジケート」のブログに投稿された記事ではありませんか!?

そうです。



『言うことは誰でもできるけど…』(10月8日)

『病気を診ずして病人を診よ』(10月10日)




3日前と5日前に書いた記事が検索結果の中に表示されるのですよ。



上の記事の中に貼られているリンクをクリックして『 ロマン・ロランも理解した(PART 3 OF 4)』を読む人が居るので「全国病院の評判・口コミランキング」で 803位から3位に上昇したのですか?

その通りですよ。

そんなに急に上昇するものですか?

あのねぇ~、次のリストをもう一度見てください。


(ame21013.gif)



これはアメブロ(http://ameblo.jp/barclay/)だけの統計なのですよ。 この統計の27番目を見ると記事を読んだ人が30日間に 39人だけれど、実は、この同じ記事が「デンマン・シンジケート」の他のブログにも掲載されている。


(denmansyn.gif)


(hg20831q.gif)

海外からのアクセス
 
 

(wp20924map.gif)


(wp20924.gif)



「デンマン・シンジケート」には18のブログと1つのウェブページが含まれているのですか?



その通りです。 だから1つの記事を書くだけでも 19のサイトに記事が掲載されるのですよ。 それで日本語が解かる73カ国の人々に読まれるのですよ。

でも、アメブロで30日間にたったの39人に読まれたというのは、少ないではありませんか?

あのねぇ~、「デンマン・シンジケート」のアクセス数を調べるとアメブロのアクセス数は決して多い方ではないのですよ。 次のリストを見てください。


(hg21013.gif)



見て解るようにアメブロのアクセス数は「デンマン・シンジケート」の中では7位なのですよ。 1位、2位、3位のブログと比べると断然に少ない。 全体の3%にすぎないのですよ。



。。。ということは全体では少なくとも 39人 ÷ 0.03 (3%)= 1,300 人が『 ロマン・ロランも理解した(PART 3 OF 4)』を読んだ可能性があるということですか?

その通りです。 それで『 ロマン・ロランも理解した(PART 3 OF 4)』が 803位から3位に上昇したのですよ。

行田中央総合病院のスタッフも『 ロマン・ロランも理解した(PART 3 OF 4)』を読んだのでしょうか?

確認してないけれど、遅かれ早かれ行田中央総合病院のスタッフも『 ロマン・ロランも理解した(PART 3 OF 4)』を読むと思いますよ。

つまり、まだ読んでないのですね?

読んだかもしれないけれど、病院の対応は改善されてません。

どうして。。。?

だから、もしスタッフが読んだとすれば、僕が院長先生に言ったことが無視されたのでしょうね。 実は、今年(2012年)の9月27日に救急車で運ばれて、母がまた入院したのですよ。 僕がバンクーバーから成田に着いたのが10月2日ですよ。 翌日すぐに病院へ行って担当の先生に話を聞こうとした。

お話を聞くことができたのですか?

ところが担当の凌(りん)先生は不在。 以前は二人の先生が担当医になっていたのだけれど、今回は一人だけ。 主治医以外の担当者として看護師長の峯川さんの名前が書いてあった。

。。。で峯川さんにお会いしたのですか?

そうです。 でも、医者ではないから治療の詳しいことなどは一切説明してくれない。 せっかくバンクーバーからやって来たのだから、なるべく早く担当医の先生から説明が聞きたいのに便宜を図ってくれようともしない。 結局「検査が一通り終わってから担当の先生とお話してはどうですか?」ということになったので、今回は緊急を要する治療が必要ではなさそうだから、「じゃあ、来週の月曜日(10月8日)にでも。。。」ということになったのですよ。 でもねぇ、検査は10月4日に終わっていたのに、担当の凌(りん)先生と会って話を聞くことができたのは入院の日から12日が経過した10月9日ですよ。

それまでに、どうしてデンマンさんに連絡しなかったのですか?

だから、担当医の先生と担当の看護師さんと患者、あるいは患者の家族とのコミュニケーションがうまく取れてなかったのですよ。 伝言板だとか連絡ノートだとか。。。そういうものが患者のベッドサイドに用意されてない。 つまり、お袋が救急車で病院に運ばれてから12日経過して初めて家族の者が担当医から説明を聞いたことになるのですよ。

ちょっと異常ですわね。

小百合さんもそう思うでしょう?

。。で、問題はそれだけですか?

いや、実は、他にも問題があった。

どのような。。。?

証拠を残すために、今回はフィードバックフォームに書いたのですよ。 ちょっと読んでみて下さい。

 (すぐ下のページへ続く)



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