ダイヤの魔法

嵐・相葉くん大好き

柔道2

2017-11-03 06:39:07 | 
グッと!スポーツ。
柔道男子のメダリスト大野選手の続きです。
よろしくお願いします。

泣くなよ「最強」への一歩。
大野選手のルーツを探るため、故郷の山口県山口市へ行き、
小学生時代の恩師の植木さんにお話を伺いました。
いきなり山口刑務所が出てきてビックリしましたが、
何も悪い事をしたわけではありません(笑)
刑務所の敷地内にある刑務官の方の道場で、
子供向けの柔道教室で、お兄さんの影響もあり柔道を始めたのだそうです。
植木さん曰く、見るからに弱そうで小さい子だったそうで、
よく泣いていたそうです。
女の子に攻められて泣いていたので、普通は頑張れと声援が飛ぶのに、
大野選手には「泣くなよ~」と声援が飛んでいました。
雅紀は「大野選手はずっとエリート街道を来たわけではないんですね」
と言っていましたが、私も意外に思いました。

小学校を卒業と同時に上京して、全寮制の柔道私塾講道学舎に入門し、
そこで恩師の持田治也さんと出逢いました。
大野選手は入門の試験はおそらく舌から2番目か3番目だったのではと、
あまり存在感のない、目立たない選手だったそうです。
では何故?こんなに強くなったのでしょうか?
稽古に対する執着は他の選手と違っていたので、
入門から1年後に持田さんは大野選手に、
「真っ向から組み合い、前に出て自分から技をかけろ」と
アドバイスをしたそうです。
そこが大野選手の柔道人生のターニングポイントだと語っていました。
1日1000本その練習を繰り返した結果、
高校2年でインターハイ優勝。
2013年の世界選手権では全て1本勝ちをしました。
上京してからは何かもかも生活面も自分でやらなければならなくて、
とにかく生き抜くのに必死で、先輩にしがみついて、
本当に大変でしたね~。

辛くて投げ出したいのに、逃げ出したらもっと辛いのが分かっていたので、
プライドや、親に迷惑はかけられないと、必死だったそうです。
その話しだけでも泣けてきますね-。
親としては迷惑なんて思わないんですけど、
優しい大野選手の気持ちにグッときました。
持田さんからのメッセージもありました。
大野選手は弱さも知っているので、その部分が一番の強みになるという言葉が、
印象的でした。私が言うのも何ですが深いお言葉ですね。
人を惹きつける柔道家になって欲しいという先生の思いは、
大野選手に通じていると思いました。

コレイチ
「挑」さらなる強さを求めて。
写真は全日本選手権の無差別級に出場した時のものでした。
小柄な大野選手は他の選手に埋もれていました。
リオで目標だった金メダルを取ったあと、
次の目標を見いだせなくて、闘志が燃上がらなくなったそうです。
これは王者だけが分かる世界なのかもしれません。
五輪以降全ての試合を見送っていたそうです。
大野選手は相撲の伊勢が浜部屋へ出向き、
横綱日馬富士に話しを聞きにきていました。
日馬富士は自分が軽いとは思っていないと、
大切なのは自分自身の気持ちだけだと、
挑戦する気持ちを受け取ったそうです。
そして無差別級に挑戦することを決断したと言っていました。
「前へ出て、攻め続ける」
対戦相手は100㎏級の選手、果敢に攻めていきましたが、
延長戦の末、2年ぶりの敗戦となってしまいました。
そこに持田さんもいらっしゃって、
「五輪チャンピオンのあとに、負ける勇気を持てた彼を誇りに思います」と、
嬉しそうに話していて、
もう~、感動してしまいました。

負けて得たものは?
それまでの過程だそうです。
苦しい練習に耐えて、試合までにたどりつけたという自信というのは、
大野選手にとってはかけがえのないものなのでしょうね。
グッときたポイントは?
大野選手を大外刈りで投げたことでした。
柔道の楽しさを分かっくれた事が嬉しいと大野選手が言ってくれて、
なんて良い人なんだと、その人柄にもグッときますね~。
これからは絶対に応援しようと思っています!!


本日11月3日は嵐のCDデビュー記念日です。
本当におめでとうございます。
賀状のCMで結成当時の嵐の写真を見て、
改めて嵐がこの5人で本当に良かったと思っています。
ずっと、ずっとこの5人でいてほしいと願っています。
例えどんなことがあっても、
これからもしっかりついて行きたいと思っておりますので、
よろしくお願いします。
泣いたり、笑ったり、ワクワクしたり、今もこれからも共に…。