仕事で座談会の司会をした。
インタビューはこれまで何度もしてきたので、
ある程度のコツは飲み込めているが
座談会となると結構難しい。
何が難しいかというと、
どんな話が飛び出すのか予測できないのだ。
インタビューでは、
記事の内容に合わせて、
対象者にあわせた質問事項を
あらかじめ考えてもおけるし、
こう聞けばこう答えてくれるだろうと、
事前のリサーチで予想もできるから、
あらかじめ記事を作っておくことも可能だ。
個々のインタビューの返答内容など
話した本人でも覚えていないことが多く、
主旨をはずさなければ記事になればたいていOKとなる。
が、座談会となるとそうはいかない。
三人のゲストを仮にAさん、
Bさん、Cさんとしよう。
Aさんの話を紹介するときに、
他のBさん、Cさんから、
「Aさんはそんなこと言ってなかった」
などとクレームが付くこともありえるわけだ。
また、座談者にはあらかじめテーマを与えておいて、
当日そのテーマについて
話し合ってもらうように依頼するわけですが、
うまく舵取りをしないと
座談者どうし盛り上がって、
意外な方向に話が展開していき、
記事の主旨とは逸脱した結論が出たりすることもある。
マラソンの素晴らしさを語ってもらおうと思っているのに、
トライアスロンの方がもっと素晴らしい
などという結論が出たりすると
(この場合はそもそも人選を間違えているのだが)、
忙しい中、
集まっていただいている関係上、
座談会をなかったことにするわけにもいかず、
座談会以外の記事全体を書き換えねばならなくなるし、
もっと下手をすれば
記事全体のタイトルまで変わってしまう
そんな場合だってありえるのだ。
始めに座談会ありきで、
そこから記事を作っていく場合ならそれでいいのだが、
はじめにテーマありきで
記事に厚みを持たせようとする場合などは、
その辺の舵取りが、
司会者に課せられた
最低限かつ重要な仕事となる。
さらに、
わが社のような出版物の性質上、
座談会でも市井の人に集まっていただくことが多く、
中には言っちゃ悪いが、
確固たる信念や
崇高な理念など持ち合わせている人のほうが少なくて、
なかなか思うように
話が進まないことがよくある。
そんな場合も、
司会者の役割は重い。
「ということは○○ということですねえ、Aさん」
と強引にねじ伏せ、
そのAさんが○○を肯定するような発言をすれば、
記事の中では
「Aさんは○○と語った」とこうなるわけだ。
新聞紙上などで何気なく読んでいる
座談会記事でも、
編集者の立場に立って読んでみると、
これはテーマ先行型なのか
座談会先行型なのかとか、
これは強引に
司会者が導いた結論ではないだろうかとか、
などと考えさせられ、
中味以外のところでなかなか興味深いものなのである。