「写経をしてみたい」
何故そう思ったのか、
自分でも分からない。
お世辞にも習字は得意じゃないし、
お経に深い興味があるわけでもない。
ましてや救いを求めているわけでもない。
あえてあげるなら、
静かなところで余計なことは一切考えず、
ただ文字と向きあってみたいといったところだろうか。
自分史の中で、
下地はあったのかもしれない。
自治会役員としてお葬式には、必ず筆を使う。
御芳名録、御香典帳、焼香順位などは、
表紙を含めて必ず筆で書くし、
場合によっては
葬儀場の表に立てかける大きな木の看板に、
太い筆で故人の名前を書いたりすることもある。
たいていの人は、
「いやいや私は字が下手だから」
と尻込みをするから、
役員のわしにお鉢が回ってくるのだ。
大勢の人目に触れる看板、
しかも消しゴムで消せるようなものではないから、
それを書くときの緊張たるや、
筆舌に尽くし難い。
そして、緊張すればするほど、
微妙な力加減が要求される筆の穂先は安定せず、
ミミズが這ったような字ならまだましだと思えるような、
見るも無残な字となる。
だから受付をしながら、
その看板を見ている人の反応がやたら気になるのだ。
お葬式に来ている人を笑わせたらどうしようとか、
そこへやってきた坊さんが名前を読み間違えたらどうしよう、
誰がこんな下手な字を書いたんだと、
故人の親戚の人が怒り出したらどうしよう。
なんて考え出したらドキドキものだ。
今まで5本ほど書いたが、
満足に書けたものは、
正直1本もない。
ただひとつ、
参列者の人が名前を記帳する冊子の表紙に
太い筆で
「御芳名録」
と書いた作品で、
我ながらなかなかの出来栄えだったものがある。
思わず携帯でこっそり撮影しようかと思ったほどだ。
そのときは、パタパタとお葬式が続いた時で、
比較的筆を使い慣れていたこともあったのかもしれない。
その後、
それ以上に満足のいく作品はモノにしていない。
家で、練習するわけにもいかないしね。
自分の部屋で墨を摺って、
「御芳名録」とか「御香典帳」とか書いてたら、
高齢の両親が不審に思うだろう。
せめて、人に見せても笑われないような、
筆使いができたらなあ。
というのが、
冒頭の「写経をしてみたい」のきっかけのひとつだろう。
そして、
もう二つ目は、
葬式の中で唱えるお経。
「般若心経」
浄土真宗などの一部の宗派を除く
仏教の各宗派で唱えるお経のひとつだが、
高齢者の人々はお坊さんの唱えるこのお経を、
そらで唱和するのだ。
お経に書かれてあるところの
意味は分からないが、
何かを一心不乱に唱えるのは、
流行歌をそらで歌うのと同じ快感があるのではないかと、
なんとなく思ってしまうのだ。
また頭を空っぽにしながら、
何かに集中するって
ランニングと似ているところがあるような、
そんな気もするのだ。
いつかは、そんなこともできたらいいなと
思ったこともきっかけとなって、
その般若心経を書き写す
「写経をしてみたい」
という気持ちにつながっていったのだろう。
ということで、
ネットで写経ができそうなところを検索してみて、
比較的近いところのお寺に行くことにした。
奈良薬師寺
初体験は今年初めての冬型の気圧配置で、
どんよりと曇った昨日の日曜日であった。
初めての写経体験の紹介。
続きは明日以降ということで、
今日はこれくらいにしときます。
合掌。
何故そう思ったのか、
自分でも分からない。
お世辞にも習字は得意じゃないし、
お経に深い興味があるわけでもない。
ましてや救いを求めているわけでもない。
あえてあげるなら、
静かなところで余計なことは一切考えず、
ただ文字と向きあってみたいといったところだろうか。
自分史の中で、
下地はあったのかもしれない。
自治会役員としてお葬式には、必ず筆を使う。
御芳名録、御香典帳、焼香順位などは、
表紙を含めて必ず筆で書くし、
場合によっては
葬儀場の表に立てかける大きな木の看板に、
太い筆で故人の名前を書いたりすることもある。
たいていの人は、
「いやいや私は字が下手だから」
と尻込みをするから、
役員のわしにお鉢が回ってくるのだ。
大勢の人目に触れる看板、
しかも消しゴムで消せるようなものではないから、
それを書くときの緊張たるや、
筆舌に尽くし難い。
そして、緊張すればするほど、
微妙な力加減が要求される筆の穂先は安定せず、
ミミズが這ったような字ならまだましだと思えるような、
見るも無残な字となる。
だから受付をしながら、
その看板を見ている人の反応がやたら気になるのだ。
お葬式に来ている人を笑わせたらどうしようとか、
そこへやってきた坊さんが名前を読み間違えたらどうしよう、
誰がこんな下手な字を書いたんだと、
故人の親戚の人が怒り出したらどうしよう。
なんて考え出したらドキドキものだ。
今まで5本ほど書いたが、
満足に書けたものは、
正直1本もない。
ただひとつ、
参列者の人が名前を記帳する冊子の表紙に
太い筆で
「御芳名録」
と書いた作品で、
我ながらなかなかの出来栄えだったものがある。
思わず携帯でこっそり撮影しようかと思ったほどだ。
そのときは、パタパタとお葬式が続いた時で、
比較的筆を使い慣れていたこともあったのかもしれない。
その後、
それ以上に満足のいく作品はモノにしていない。
家で、練習するわけにもいかないしね。
自分の部屋で墨を摺って、
「御芳名録」とか「御香典帳」とか書いてたら、
高齢の両親が不審に思うだろう。
せめて、人に見せても笑われないような、
筆使いができたらなあ。
というのが、
冒頭の「写経をしてみたい」のきっかけのひとつだろう。
そして、
もう二つ目は、
葬式の中で唱えるお経。
「般若心経」
浄土真宗などの一部の宗派を除く
仏教の各宗派で唱えるお経のひとつだが、
高齢者の人々はお坊さんの唱えるこのお経を、
そらで唱和するのだ。
お経に書かれてあるところの
意味は分からないが、
何かを一心不乱に唱えるのは、
流行歌をそらで歌うのと同じ快感があるのではないかと、
なんとなく思ってしまうのだ。
また頭を空っぽにしながら、
何かに集中するって
ランニングと似ているところがあるような、
そんな気もするのだ。
いつかは、そんなこともできたらいいなと
思ったこともきっかけとなって、
その般若心経を書き写す
「写経をしてみたい」
という気持ちにつながっていったのだろう。
ということで、
ネットで写経ができそうなところを検索してみて、
比較的近いところのお寺に行くことにした。
奈良薬師寺
初体験は今年初めての冬型の気圧配置で、
どんよりと曇った昨日の日曜日であった。
初めての写経体験の紹介。
続きは明日以降ということで、
今日はこれくらいにしときます。
合掌。