立山から薬師岳を経て、
黒部五郎、三又蓮華を歩き
槍ヶ岳から上高地に下りたのは
大学2年の夏休みでした。
あれが私の二十歳の原点だったかもしれません。
子供のころから親父に連れられて
あちこちの山を歩きました。
記憶にある、もっとも古い山登りは、
六甲山。
植木に使う鹿沼土を調達しに行くとかで、
ロックガーデンから
山頂を目指して歩いたのが
小学校低学年のことです。
子供の脚なのでなかなか進まず、
身体が弱くてぐずる
ミニdoironをなだめながらの山行だったので
時間がかかったのでしょう。
山頂についたころには
日が暮れ始め、
土でいっぱいになったリュックを担ぎながら、
親父と二人でバスを待っていたのを覚えています。
バスに乗った頃はすっかり日も落ち、
ガスも出始め、
景色が見たいと一番前に座ったのに、
見えるのはバスのライトが照らす
数メートル先の道路のみで、
ちゃんと帰れるんだろうかと
不安になったものでした。
宮沢賢治の世界なら、
そのままバスは宇宙を走っていくのでしょう。
水木しげるなら、
霊界をさ迷っていたでしょう。
小学校低学年のdoironの心も
なんとなくファンタジック
かつミステリアスな
そのシチュエーションの中で
いつしか夢の世界にさ迷いこんで、
家に帰りたいよ~と
泣き始めた頃に駅について
目が覚めたみたいな記憶があります。
それからも、
日帰りで京都や奈良や三重のあちこちの山に
連れて行かれましたが、
貧しかったのと、
親父が忙しかったのとで
信州の山などには
一度も連れて行ってもらえませんでした。
大学1年のとき、
山登りの同好会に入って
白山に連れて行ってもらったのが、
初めて森林限界を超えた山行でした。
以来、夏山のとりこになって
二十歳の夏に一人でテントを担いで
縦走を試みたのが、
冒頭の山旅です。
夏というのに、
雪渓のスノウブリッジを渡ることや、
寒さに震えて朝食を作ったりすることが
楽しくて楽しくて、
このままここで暮らしたいと
思ったほどでした。
立山から薬師岳に向かう途中に
五色ケ原というところがあります。
ここは、花の名所で、
その頃はあまり高山植物に詳しくなかったのが残念です。
今ならきっと、
ニッコウキスゲや
チングルマ、シナノキンバイ、
ハクサンフウロ
(写真はいずれも25年以上前に北アルプスで撮影したものです)
に囲まれてラーメンをすするなんていう
贅沢はきっとブログに書くでしょうね。
森林限界を超えた、
俗に言う「お花畑」の代表的な光景が
そんな五色ケ原。
そこから女性的ななだらかな山容を誇る
薬師岳に上っていくと、
次の見所は稜線東側に見える
氷河時代の名残のカールです。
そこにあるS字の堆石「モレーン」は、
気が遠くなるほど
はるかな時を経てもなお
手付かずの大自然の姿です。
それを稜線で風に吹かれながら眺めていると、
あの初めての親父との山行で
夜とガスの中でバスに揺られたときによく似た
夢の世界にさ迷いこんでしまいそうに
なったもんです。
にぎやかな薬師平でテント泊して、
そこから南は北アルプスの最奥部の山群が連なります。
なかでも、黒部五郎岳は
僕の最も好きな山の一つで、
二十歳の頃に上ったそのときは、
その山では一人の登山者にも会わずじまいでした。
百名山の1座を独り占めしたわけですね。
三又蓮華で後立山の稜線と合流し、
そこからはほんとに賑やかになります。
多感な頃に山を
さ迷い歩いた記憶は
今もまだ鮮明に残ってます。
この後まだまだいろんなことがあった、
二十歳の原点となった夏山行。
そこからの槍ヶ岳登山や
大学三年に新潟から
岐阜まで3週間かけて
稜線伝いに歩いて縦走し
北アルプスを旅したことも
まだ昨日のことのように
覚えています。
たまには、それをひとつひとつ
思い出して
書いてみることにしようかな。
そして、今年は夏山にいける
休みがとれないかなあと
考えている今日この頃。
定年になったらこのコースを
もう一度歩いてみますかね。
ま、とりあえず
今夜は夏山の夢でも見ながら寝るとしよう。
黒部五郎、三又蓮華を歩き
槍ヶ岳から上高地に下りたのは
大学2年の夏休みでした。
あれが私の二十歳の原点だったかもしれません。
子供のころから親父に連れられて
あちこちの山を歩きました。
記憶にある、もっとも古い山登りは、
六甲山。
植木に使う鹿沼土を調達しに行くとかで、
ロックガーデンから
山頂を目指して歩いたのが
小学校低学年のことです。
子供の脚なのでなかなか進まず、
身体が弱くてぐずる
ミニdoironをなだめながらの山行だったので
時間がかかったのでしょう。
山頂についたころには
日が暮れ始め、
土でいっぱいになったリュックを担ぎながら、
親父と二人でバスを待っていたのを覚えています。
バスに乗った頃はすっかり日も落ち、
ガスも出始め、
景色が見たいと一番前に座ったのに、
見えるのはバスのライトが照らす
数メートル先の道路のみで、
ちゃんと帰れるんだろうかと
不安になったものでした。
宮沢賢治の世界なら、
そのままバスは宇宙を走っていくのでしょう。
水木しげるなら、
霊界をさ迷っていたでしょう。
小学校低学年のdoironの心も
なんとなくファンタジック
かつミステリアスな
そのシチュエーションの中で
いつしか夢の世界にさ迷いこんで、
家に帰りたいよ~と
泣き始めた頃に駅について
目が覚めたみたいな記憶があります。
それからも、
日帰りで京都や奈良や三重のあちこちの山に
連れて行かれましたが、
貧しかったのと、
親父が忙しかったのとで
信州の山などには
一度も連れて行ってもらえませんでした。
大学1年のとき、
山登りの同好会に入って
白山に連れて行ってもらったのが、
初めて森林限界を超えた山行でした。
以来、夏山のとりこになって
二十歳の夏に一人でテントを担いで
縦走を試みたのが、
冒頭の山旅です。
夏というのに、
雪渓のスノウブリッジを渡ることや、
寒さに震えて朝食を作ったりすることが
楽しくて楽しくて、
このままここで暮らしたいと
思ったほどでした。
立山から薬師岳に向かう途中に
五色ケ原というところがあります。
ここは、花の名所で、
その頃はあまり高山植物に詳しくなかったのが残念です。
今ならきっと、
ニッコウキスゲや
チングルマ、シナノキンバイ、
ハクサンフウロ
(写真はいずれも25年以上前に北アルプスで撮影したものです)
に囲まれてラーメンをすするなんていう
贅沢はきっとブログに書くでしょうね。
森林限界を超えた、
俗に言う「お花畑」の代表的な光景が
そんな五色ケ原。
そこから女性的ななだらかな山容を誇る
薬師岳に上っていくと、
次の見所は稜線東側に見える
氷河時代の名残のカールです。
そこにあるS字の堆石「モレーン」は、
気が遠くなるほど
はるかな時を経てもなお
手付かずの大自然の姿です。
それを稜線で風に吹かれながら眺めていると、
あの初めての親父との山行で
夜とガスの中でバスに揺られたときによく似た
夢の世界にさ迷いこんでしまいそうに
なったもんです。
にぎやかな薬師平でテント泊して、
そこから南は北アルプスの最奥部の山群が連なります。
なかでも、黒部五郎岳は
僕の最も好きな山の一つで、
二十歳の頃に上ったそのときは、
その山では一人の登山者にも会わずじまいでした。
百名山の1座を独り占めしたわけですね。
三又蓮華で後立山の稜線と合流し、
そこからはほんとに賑やかになります。
多感な頃に山を
さ迷い歩いた記憶は
今もまだ鮮明に残ってます。
この後まだまだいろんなことがあった、
二十歳の原点となった夏山行。
そこからの槍ヶ岳登山や
大学三年に新潟から
岐阜まで3週間かけて
稜線伝いに歩いて縦走し
北アルプスを旅したことも
まだ昨日のことのように
覚えています。
たまには、それをひとつひとつ
思い出して
書いてみることにしようかな。
そして、今年は夏山にいける
休みがとれないかなあと
考えている今日この頃。
定年になったらこのコースを
もう一度歩いてみますかね。
ま、とりあえず
今夜は夏山の夢でも見ながら寝るとしよう。