悪魔のおにぎりで
小腹を補った後は、
頑張って進んでいきましょう。
遠く離れた「津」を歩くというのは
とても楽しみにしていました。
「津」とは
「船舶の碇泊する所。ふなつき。港」
の意味があります。
古くは、安濃津として文献にも
記される良港であり、
平安京にとって重要な港だったことから
単に「津」とも呼ばれていた
とも言われています。
まあ海、港としての重要な
地だったわけですね。
doironの住んでいる市の名前とも
共通点がありますね。
そんな津の市内地を
「ああ、津ってこんなところかあ」
と思いながら進み、
こんなデパートにたどりついたところで、
右に大きな川が見えてきます。
「岩田川」です。
先ほどチラッと見てきた
津城の外堀にも使われていた川ですね。
市の中心を流れ、
人々と深く関連している川です。
この先の観音橋のところでは、
七夕祭りも行われており、
夏の風物詩になっているようです。
今はこの観音橋もこんな感じで
少し寂しい感じです。
ここからさらに海の方に
向かって歩いていきましょう。
あ、津のマンふたはこんな感じ。
市の花であるツツジと
海の上のヨットが刻まれていますねえ。
津市は日本で最初に設置された
31市のうちのひとつで
歴史があります。
もともとは過去の津波なんかでも
崩壊した土地なんだそうですが、
なんとか発展をし続けてきました。
でもやはり、大空襲や
伊勢湾台風などの影響を
強く受けた市でもありました。
そんなせいなのか町は意外に
すっきりとした区域に
なっているような気がします。
風の流れからか海が
近づいてきたのですが、
ここに寒松院というところがあります。
藤堂高虎の戒名の一部
「寒松院」と名付けられた
藤堂家の墓所です。
これが高虎の墓。
ここに伊勢津藩主の藤堂氏の墓が
ずらりと並んでいるのです。
解説を読んでいて、
ふと思ったのが高虎の父の名前が
藤堂虎高だって、
そんなことに気づいたりした
墓所めぐりでした。
ここからまっすぐに海に
向かう道を進みます。
ここにあったのが、
「贄崎台場」跡です。
沿岸警備のために津藩が
設置した台場の跡で、
海に向かって斜めに切られた地形が
今も残っているそうです。
doironがすんでいる市にも
台場跡というところがあるそうです。
また確認にいかないとなあ。
その台場跡の先が「津港」です。
この港は不思議な形をしていますねえ。
川が左に膨らんで池のようになって、
外海と少し隔てられています。
港内には漁船が結構止まっていますねえ。
港に沿って左の大きく
曲がっていきましょう。
あ、前方にウイークリーマンションがあるよ。
そういえば昔、
退職したらウイークリーマンション
なんか借りて1週間ずつ
別のところに住んでみつつ
観光したらいいよなあ
なんて言ってたなあ。
最近はそういう物件は少ないかなあ。
外国人の旅行者が多くて
宿不足になってる状態やもんなあ。
そんなのがあれば
東京オリンピックの時には
止まりこんで応援とか
いいのになあって思いますね。
この津港は1859年に開港したところです。
昔はもう少し南側が港で
「安濃の松原」といわれる
砂州の奇麗なところだったそうです。
さらに今の津港をグリンと
回っていきますと集落の中に
入っていきます。
今は港町というところですが、
旧町名は「贄崎町」です。
なぜ贄崎かというと、
贄というのは伊勢神宮に捧げる
魚介類を表し、ここがそういう
魚介をとる港だったところから
ついた名前なんだそうです。
歴史あって古い家が
結構多かったですねえ。
ちょっと現実から離れたような
感じのするこじんまりした漁村でした。
そこを通り過ぎたところに、
真っ白な灯台がありました。
これが贄崎灯台ですねえ。
続く