ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

生駒おろしの中を2

2019年01月20日 21時19分48秒 | ウォーキング

四條畷神社の急な傾斜を
どんどん上がっていきます。
なんか神社やお寺って
いつも高いところにありますねえ。



下々の人々を見下ろすような
位置づけなんでしょうか。
津波とか天変地異に強かったから
残っているというのもあるのかなあ。
もともと海岸線沿いなんかにあった
神社が周りの湿地が地面となり
そこに残っているのが
今となっては高い位置
というのもあるかもしれませんね。

いろんな理由の中で、
今は高台に残っている社寺が
多いのでしょうねえ。

階段を登り切ったところに、
屋根だけが残っている
建物がありました。
手水台ですね。



doiron家の屋根瓦が落ちたあの台風で、
この神社の大木が倒れて
この手水鉢に被害を及ぼしました。
できるだけ修理などして
再建しようというのですが、
費用がすごくかかるそうですので、
皆さんのご協力をお願いした
というものでした。

保険は入ってなかったのかなあ。
doironが氏子代表をやっている神社は
火災保険は入っていたのですが、
樹木が倒れたなどの経費は
保険では出ませんでした。



全部で100万円程度の
費用が掛かったそうです。

おかげで、今年のバスで参る
氏子の伊勢詣では自粛
ということになりましたねえ。

工事はおかげさんで年内で
方が付いたようですが、
この四条畷神社も早く
再建してほしいですねえ。

中には父である正成公との
正行の別れのシーンの
石像がありますねえ。



そしてこの神社は、
なにわ七幸めぐりの社寺の
ひとつですねえ。



ちょっと範囲が広すぎて
歩いて回るのは大変です。
車で回るとなると、doironの場合は
「大念仏寺」と「太融寺」は
回っていないようです。
機会を見つけていきましょう。

本殿でしっかりお参りして、
さあでは元のコースの方に
戻っていきましょう。
生駒おろしに押されながら
階段を降り、坂道を下っていったら



東高野街道と出合いますので、
そこを左折していきましょう。



しばらく歩くと「大東市」に
入っていきます。



これが大東市のマンふたですね。



野崎観音に参る人々の陸上と
水上の交流の姿が描かれています。

しばらく交通量の多い道の
端っこを歩いていると、
地車小屋があります。
この辺りはどんな地車なんでしょう。



左の山の方に「北條神社」の
看板が出てきますので
訪ねてみましょう。



山に向かって、またまた登っていきます。
時々吹く生駒おろしが冷たいなあ。



もともとこの神社は
京都の北野神社の御神木で
本尊を刻んだもので、
それが流れ着いた川岸にあったそうです。

それが度重なる水害で
今の位置に写されてきたそうで、
急な山道をハアハアと
のぼっていたところにあるのです。



そもそもこの四条畷神社や
北條神社の裏山は「飯盛山」といい、
山頂一帯には三好長慶の
居城であった飯盛山城の跡があります。

現在でもその曲輪跡が
多くのこっており
ハイキングコースとして
親しまれています。
しかも、その山頂には先ほどから言ってた
楠木正行の銅像が立っているようです。

この辺り、昨秋に雨のために
行きそびれたドジ旅で
近くを通るんだったように思いますが、
もしかしたら行けてたかも
しれませんねえ。

ここまで登ってくると、
遠くの大阪市内がよく見えています。
昔だったら大阪城が
見えていたかもしれませんね。



しっかりお参りをして、



さあまた下のコースへと
下っていきましょう。

山手あたりには高齢者施設が
ありますねえ。
遠くの眺めを見ながら
余生を送っているのやねえ。

ではまた東高野街道に戻りました。

町内の掲示板には、
歩きコースの地図なんかも
入れられていますので
いただいていきましょう。



そしてこの街道は、
この辺りから車のビュンビュン走る国道から
一本山側に入った静かな道になっていきます。



じんわり曲がりくねったりして
昔の街道らしい道の
景色になっていきます。



続く