地下道から上に上がって
周りを見回してみますと、
大体地図の中の
自分のいる位置がわかりました。
ここを左に曲がってしばらく歩くと、
中央通りの方に出ていきます。
選んであるコースは今度は
ここから南下して
いくようになっています。
静かな田舎道を南下していきますと
左にこんな石が立っていました。
沢城址
先ほどの公園になっていた
神戸城に移るまでの間
ここに神戸氏が城を
築いていたそうです。
田んぼの中のぽつんとしたところに
こんな石が立っていましたよ。
ここからいろいろと
発掘されたそうですが、
特徴のあるのが
「むめ、かく」と書かれた
土器が発掘されたそうです。
これはどういう意味なのか
分かりませんが、ネットで
調べたらかろうじて
「女性の名前ではないか」
という説がありましたねえ。
「むめ」さんと「かく」さんが
お皿に使っていたのかもねえ。
そしてその先の道を
左折して進んでいきます。
田んぼの中の一本道で、
進む方がこれで、
後ろを向くとこんな感じで
ほんとにまっすぐ。
人口20万の都市といっても
田舎部分は道がめちゃまっすぐです。
田んぼの中の道を鈴鹿おろしに
吹かれながらおじさんは
歩いていきます。
周りに全く人もいないので、
はたから見たら頭のおかしい
おっさんちゃうかと
思われたかもしれませんね。
こんな田んぼ地帯を抜けたら
ちょっと広い道に出ます。
するとその道を、
かなりのエンジン音を響かせながら、
ホンダのスポーツカーが
走っていきましたよ。
さすがに鈴鹿の町ですねえ。
田舎道でもあんなにすごい車が
走っていくのですからねえ。
沖縄だったら牛車が走っていく
みたいな感じなのかもしれません。
そんな道をこえてまだ進んでいきます。
向こうに森が見えてますよねえ。
あれが次の目的地である
「阿自賀神社」のようです。
で、ふと思ったのですが、
この辺は医者の案内看板が
多いですねえ。
周りを見渡したらいろんな
医者の案内看板が
あちこちに立っていますねえ。
田舎にはこんな景色が
多いんでしょうねえ。
そしてようやく阿自賀神社の方に
やってきました。
中に入るとこんなにおおきな
スダジイがあります。
ああかなり大きいですねえ。
幹周5.5m、高さ15mといわれています。
いやあこれも立派な祭神ですねえ。
それにしてもこの神社、
名前が変わっていますねえ。
「あじか」神社というそうです。
で、あちこち調べてみましたが
由来はどこにも出てきません。
唯一、名前のいわれは全く不明
という項目に出会ったりしました。
そうかあわからないのかあ。
この神社のある地名は「安塚町」です。
なんか地名と関係あるのかなあ
と考えてしまいましたが、
わかりません。
鈴鹿市内には、もう一か所同じ名前の
神社があります。
そこの地名も「須賀町」と
何となく関連ありそうな、
そうでないような。
かなり調べてみましたが
結局わかりませんでした。
まあ、そういえば、doironが
氏子代表をやっている神社も
創建のいわれは不明です。
曽根氏の氏神ということくらいで、
なぜ曽根氏なのか、
そしてdoironはその曽根氏の
子孫なのか、わかりません。
これからいろんな資料に
出会ったりして
少しずつ分かってくるかも
しれませんが、地域の氏神という
それだけでもなんか神と人の関係を
ぼやっと表すものにすぎないしねえ。
阿自賀神社も何となく
地域の人々との関係の中で、
大事に育てられてきているとまあ、
そんな具合に見ておきましょう。
歩く経路から言うと裏口から
入ったようです。
表はこんな感じで結構整備されています。
大きな池もあります。
地域の人たちの気持ちで
支えられているんですねえ。
「え~、同じ式台の曽根神社の
doironです。しっかり頑張りましょう」
と声をかけときました。
続く