羽曳野市役所の前には
こんなお土産屋さんもありました。
百舌鳥・古市古墳群の
お土産屋さんができていましたねえ。
この古墳群が世界遺産に
登録されただけで、
堺市の経済効果は400億円
と新聞に書いてありました。
まあこの羽曳野、藤井寺の方にも
その効果は及ぶのでしょう。
お土産屋さんもきっと大繁盛だぜ~、
とか考えつつ、
さあ次の古墳を目指しましょう。
次に目指す大きな古墳は応神天皇陵です。
応神天皇は日本の第15代天皇です。
仁徳天皇の父親にあたるわけですね。
この応神天皇陵というのが
仁徳陵に続いて日本で
第2位の広さであるという。
で、この応神天皇について
少し調べてみると、
どうもいろんな資料を見るにつけ、
何となく存在さえも
否定されているところもあるようだす。
仁徳と応神は同一人物
という説なんかもあり、
どうもこの辺りを突き詰めていくと、
古墳そのものも見直されるような感じだ。
まあでもここでは宮内庁のいうとおりに
話を進めていきましょう。
応神天皇陵に向かいつつも
周りの古墳から確認していきましょう。
ここは外環の道路に
一旦出てきたところにある
「はざみ山古墳」。
この古墳の周りには堀があるのですが、
後円部分だけ埋まってしまっています。
なので堀の形が和ばさみに似ているので、
こんな名前になっています。
そういえば古墳の名前は
いろいろあって面白いよ。
百舌鳥古墳群では「どんちゃ山古墳」、
古市でも「サンド山古墳」とか
「ボケ山古墳」とかがあるが、
ほとんど名前の由来がわかっていない。
でもこのはざみ山は
はっきりしているようだ。
そんな古墳を見ながら
ぐるっと回っていくと、
応神天皇陵前交差点に出てきます。
ここがその天皇陵です。
古市で最大の天皇陵なので、
写真を撮ってもなかなか全体の
雰囲気がよくわかりませんねえ。
古墳の取材はむつかしいですなあ。
まあここは古市最大の古墳ですから、
航空写真なんかで
紹介するときにはたいてい
写っているから確認しましょう。
この古墳の周りの道を
反時計回りに歩いていきます。
この応神古墳で注目すべきなのは、
墳丘に生えている樹木などの植物だ。
たいていの古墳は後に
自治体などで樹木が植えられたり
しているのだが、
ここはもう全く自然に生えている
樹木なんだそうだ。
照葉樹林が多くを占めているのだが、
これだけ広い照葉樹林は珍しい。
今では社寺林などで
残っているそうだ。
まあだから古市のこの辺りも、
何も開発せずに放置して置いたら
こんな感じの森になるということやね。
なぜここにこんな樹木が
残ったかというと、
この後登場する誉田八幡宮との
関係に寄るのだそうです。
それはまた誉田八幡宮の
ところで書いていきましょう。
応神天皇陵の周りを歩いていて
ふと右を向くと大きな森が
見えています。
向こうから見ると、
こんな地域で
ちょっと有名なハンバーグの
お店の裏のあたりです。
この森が、「東山古墳」です。
この古墳は5世紀初頭の方墳です。
この辺りの発掘口調査では、
農機具などの鉄の製品が
よく出ているところから、
ここは農業を管理していた
えらい人が眠る古墳じゃないか
といわれています。
応神天皇の政治の中の
農林水産大臣の墓なのかもしれない
といわれているそうです。
ではさらに応神天皇陵を
回っていきましょう。
まわりが田んぼの田舎道を
歩いていきますと、途中から
まちなかへと入っていく
コースになっています。
静かなところで保育所なんかも
ありますねえ。
そしてその先に現れたのが
「誉田八幡宮」です。
この八幡宮の社殿はもともと
応神天皇陵の中にあった
といわれています。
なので、森が荒らされなかったから
天皇陵に照葉樹林の森が
残っているわけですねえ。
続く