ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

町石道下見ブラブラ1

2020年03月02日 21時03分27秒 | ウォーキング

気候が良くなったら、
ここに行こうと考えている
ところがあります。

それは紀の川から高野山へと
登ってゆく「町石道」です。

これまで、このブログでは
泉州マラソン、甲子園マラソン、
大阪マラソンと歩いてきました。

泉州は、道路に距離表示や
いろんな案内がペンキで
描かれてあったのが特徴でしたねえ。

甲子園マラソンは、
川を中心とした自然の姿がよかったです。

大阪マラソンは、これまでの
歩きなんかとコラボして
楽しかったなあ。

とまあそんなわけで
マラソンコースを歩くのは、
自分の思い出とも重なったりして
いいものでした。

で、今回行こうと思っているところも、
春先の大会として
とても印象に残っている
コースだからです。

冬場のマラソン大会で
できてきた体をそのままに、
あらたなトライアスロンシーズンに
向けてさらに練習が
ハードになり始めているときですから、
バイクに合わせてランが
少し落ちていく直前の、
もしかしたら一年間で
一番ランの体が出来ていた季節
なのかもしれません。

3回出場し、3回目の時には
総合3位となった大会です。
うれしかったなあ。
なので自分にとっては
とても記念深い大会なのです。

それを、当時のことも思い出しつつ
今の体で登ってみようと
思っていたのです。
今ならこのコースを全部歩いたら
どれくらいかかるかなあ。
きっと何回かに分けないと
負担が大きいだろうから、
そうしたいのだが、
このコースには抜け道
というのがあまりない。

途中でバスとかはないのかなあ。
電車に乗るにはどうしたらいいのかなあ、
とかやはり事前の調査が必要である。

体の様子を見てエスケープできる
体制を持っておかないと不安なのだ。
なので、このコースを歩く前に
事前にいくつか調査に
いくことにしたのだ。

まず地図を見てみよう。
このコースは南海本線なんかが
大きな地図を2種類
出しているし、





九度山町なんかも出している。



まずこのコースの状況は
走った経験から、登り始めと
中間点の少し先と終わる直前の
坂道がとてもきびしい。

登り始めで息を上げ、
途中の山道と最後の激坂のほかは
なだらかな山道だという記憶がある。

なので、まず最初は山道を
登り切ったあたりで
エスケープがないか探してみよう。

するとまず目につくのが、
コースの右手にある
「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」
という世界遺産の神社だ。



そういえば、レースを走っていたときに、
この神社の方へ降りていく分岐点を
何本か見たことがあるなあ。

ここもまた一つのエスケイプ道に
なるよなあと思い、
まずここへ出かけてみることにした。

このあたりは、和泉山脈の
鍋谷トンネルを通ったりして
簡単にいけるようになった。



道の駅くしがきの里をこえて、
笠田のところから
どんどんと山の方に入っていきます。
途中案内もあったし、
ナビも入れているので
笠田からは15分くらいで、
丹生都比売神社に到着します。

でもさあ「丹生」って
変な名前ですねえ。

まあだいたい神様に関する字って
昔から複雑な文字が多いよねえ。
おかげで神様の勉強を
するときなんかは、
読み方をよく間違えたまま
読んだりしていることが多い。

ではここの丹生都比売神社って
どういうところなんでしょう。

高野山は弘法大師が
築いたところなんですが、
彼が高野につながったのは、
もともとこの地方の地主神である
この神社の丹生明神と
その子である狩場明神のせいだ
といわれています。

丹生、というのは今でいう
水銀の事。
その水銀がとれるという地域で
活躍していた神様です。

町石道の入り口にあたる
慈尊院に空海が作った
丹生官省符神社も、
その丹生明神と狩場明神を
まつったお寺なんだそうです。

二つとも空海が来る前の
この地域の神様と
空海の接点のような
神社なわけですな。
ここがレースの
スタート地点である
慈尊院の最初の町石です。



続く

 



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