ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道聖地の入口へ4

2014年05月21日 21時41分22秒 | ウォーキング

汐見峠を下っていくと、
この日は商品は並んでいなかったけど、
ミカンの無人販売所があったりして、



さすがに和歌山ですねえ。

県道18号との交差点も越え
小さな案内の春日神社を目指して直進します。



川沿いの広い道をしばらく行きますと、



左に「春日神社」の看板が出てきますが、



曲がるのはここではありません。

資料の地図では右に松代橋があり
曲がるところには
石標や案内板があるはずですから、
曲がりたい気持ちを抑えて
もう少し直進しますと・・・ありました。

これが松代王子を経由して
春日神社にいたる道の分岐です。



曲がってみましょう。

すると、すぐに山道になり、
足下には「タツナミソウ」が咲いています。



かつてはどこにでもあった花なんでしょうが、
最近はめっきりと見なくなりました。

そんな自然を愛でながら
山道を歩き続けると
中腹のところにひっそりとあったのが、
「松代王子跡」です。





日方川の松代橋のところにあったので、この名前です。

写真の祠の中にある王子名が刻まれたこの石は



紀州藩の藩命で建てられたそうですが、
御幸の頃は先ほどの分岐近くの
古道沿いの民家の屋敷内にあったそうです。

こんな山の中じゃ、
遥拝するにも休憩するにもさびしすぎますもんね。

さびしい山道をさらに登って行きますと、
「春日山城跡」があります。



春日神社の敷地内にあった支城です。

その春日神社には、



熊野古道そのものが
拝殿に掲げられています。



それは大きな扁額で、
昔、日方川に架かっていた
橋(幅1.5m、長さ5m)だったそうです。

伝承では、土車に乗った小栗判官が
車通行禁止になっていたこの橋にさしかかった時に、
照手姫が春日神社に
土車での通行の許可を願い出て
許されたということになっています。

まさに、この板の上を
大勢の熊野詣の人が歩いたんですねえ。

古道の名残を色濃くとどめる神社をあとにして、



南下をしていくと、
途中こんな橋を渡ります。



先ほどの板橋が似合いそうな川に架かっています。

名前は「かいなん橋」とでも読むのでしょうか。

それを過ぎると、左右から交差する道が、
やけにまっすぐです。



それもそのはず、この道はもともと
「野上電気鉄道」の軌道敷だったのです。

こんな感じで走っていたそうです。



電車に手を振るdoironの姿。

1994年に廃止となったこの電車の軌道敷が
今も遊歩道や公園になって残っています。

ちょうど、「春日前」の駅のところには、



あずまやがあって



絶好の休憩場所になっていました。

時刻もそろそろお昼です。

たしかこの軌道敷の先のコンビニで、
以前にルネの練習会で走った時に
昼食を食べた記憶があります。

ルネの長Oクンが計画してくれた案では、
ここがちょうどお昼になるはずです。
という走る前の彼の説明時の言葉通りに
そのコンビニに着いた時に、
ちょうどお昼のサイレンが鳴り、
彼のち密な計画に驚いた憶えがあります。

当時の練習の様子を、
勉強し始めたばかりのイラストレーターで
地図と共に描いたこともありましたが
あのチラシはもう残ってないのでしょうかね。

もし今、描いたらもっと凝ったものになるのでしょうが、
残念ながらそこまでやる時間がありません。

ただ、いつかはこの渾身の街道歩きを
何らかの形にはしたいなあ
と思っているところではありますがね。

それにしてもあの時の練習会で
初めて熊野古道や王子のことを知ったdoiron。

今は一人、もしくは少人数で
濃密な歩行をしていますが、
あの練習会は今の街道歩きの
原点ともいえる練習会だったと思っています。

そんなことを色々考えながらやってきた
現代の王子ともいえるこの公園、
地域の人がチャリンコなどで
頻繁に通る道に面しており、
周りの人の目がたくさんありますが、
それでも気にせずお弁当を広げましょう。

続く。


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