ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ぶらチャリ30 高師浜へ

2020年05月13日 20時49分11秒 | スポーツ全般

緊急事態宣言が出て、
二日が過ぎました。
ああこのまま世の中どんなふうに
変わっていくのだろうと思うと、
もうなんか気持ちが不安に
なりつつありますね。

そしてそんな気持ちが、
知らず知らずたまってきて、
最近は夜に見る夢が何となく
あと味の悪い夢になったりします。
そんなことないですか?

でもそれでも負けないぞっと、
気持ちを整えて、この日までの
二日間に田舎の街歩き、
山歩きを無事に人と接することなく
無事に終えられたのは、
なかなか上出来な感触でしたね。

でもまだまだ1ヵ月、
延長があれば二か月以上
こんな時期が続くでしょう。
なので、もう少し別の遊び方に
ついても検証しておく必要が
あるやろね。

そこで、次に考えたのがぶらチャリです。

ロードバイクを引っ張り出して、
乗り回します。
とはいえ、もうペダルに足は固定しないし、
さほどスピードも出さないので、
サドルの高さも低い目です。

それに変速のためのワイヤーも
伸びているし、ブレーキの作動も
ちょっとだけあやふやな部分も
残っています。

なので、このままトライアスロンに
出て山の下りでぶっ飛ばせといわれても、
それはちょっとできない状態です。

そんな調整のきっちりできていない
バイクですから、まあさほど
スピードは出さないです。

最大30km/時ぐらいの速さで
下りをたらたら漕ぐくらいなので、
たいして危険なことはありません。

ヘルメットもかぶらずに、
ちょっと固い目の帽子を被って
漕ぎだしていくことにしましょう。

今日の目的地は、
何度も通いなれた浜寺公園。
マスクもかけていきます。

先ずはねえ、近くを通るときには
いつも様子見に伺っている
「エイ」跡地の状況確認。



あきませんねえ。
何か店が始まらんかなあと思っても
そんな様子はありません。
許しをもらって「エイ跡地」の
石像を立てたいくらいです。

そこから紀州街道の方へと
向かっていきましょう。



高石の村中を通り、
高石臨港線を越えて
海岸通りに入っていきます。

この道をしばらく走ると、
右手に南海高師浜線の
高師浜駅が見えてきますので、
寄っていきましょう。



これが高師浜駅です。

駅が二つだけの高師浜線の終点です。
前に広場がありいろんな
案内が立っています。



まずこのあたりは、
日露戦争の頃にロシア人の
俘虜収容所だったそうです。
その頃のロシア人の墓が89基、
泉大津にも残っています。

あ、漢字では「俘虜(ふりょ)」と
書くのですが「捕虜」と同じ意味です。

それにしても最高28000人もの
俘虜が住んでいたそうで、
当時の高石の人口が3500人だったことから、
地域にとってはすごい出来事だったんですね。

このあたり今でこそ整然と
道路区画が出来ていて、
感じのいい町なんですが、
それもみなこの収容所の
名残なんだそうです。

そしてもう一つ案内が、
なんとこの高師浜線が
創業100年を迎えたそうです。



最近のテレビの放送を見ていると、
車のSUZUKIも生誕100周年でしたね。
日本の近代技術の発達とともに、
この駅も生き残ってきたんですね。
すごい歴史です。

あとここにはこの近辺の
昔の写真なんかも使った
案内パネルもありましたね。



そうかあこのあたりには
洋館が立ち並ぶキャラバシ園と
いわれていたんですねえ。



そういえばではこの駅の一つ手前は
「伽羅橋駅」でしたねえ。
ではそちらにもいってみましょう。

線路に沿って進んでいきますと、
レールは旧国道26号線を
越えていきます。

そういえば古い記憶の中に、
26号線に踏切があったのを
思い出します。

その国道から東に入ったところに
伽羅橋の駅があります。



それにしてもこの伽羅橋とは
特徴的な名前ですね。
これにも古い歴史があるのです。

続く



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