走っていたころは、周りの景色は
あまり気にもしなかったけど、
歩きだしてどんどん周りの景色に
興味を持ちだしたら、
旅の中でもいろんなことが気になります。
「この犬は寒そうやなあ」
とか
「この鳥居は前に事件があったんやろなあ」
とかね。
しょうもないことなんですけど、
そんないろんな積み重ねが
歩きを微妙に面白くしていくんです。
おっ、前の方に踏切が見えてきました。
ここでまた和歌山線を渡るんですねえ。
踏切名もちょっと変わった
「穴伏」の踏切です。
各地にありそうな名前ですが、
地名としては珍しく検索したら
ここがトップに出てきます。
いわれはよくわかりませんが、
なんかとんでもないことが
隠れているような名前ですねえ。
その踏切をこえて街の中に入ると、
ああまた大和街道の道標が出てきます。
ここでは華岡青洲の里を指示していますが、
そこには前に行ったことがありますねえ。
取材風にインタビューもしましたし、
食堂で自慢のバイキングも食べましたねえ、
なので今回はパスです。
村はずれの地蔵を超えていくと、
また前に和歌山線が見えてきます。
ここにあるのが穴伏川にかかる妹背橋です。
左に見えるのが背の山で
右に見えるのが妹山。
この辺りは万葉集でも何首か歌に
歌われたところです。
「これやこの 大和にしては 我が恋ふる
紀路にありといふ 名に負う背の山」。
この辺りの景色を眺めながら、
昔の人もいろいろと思いを
巡らせたのですねえ。
そういう背の山と妹山が迫っている
この地域に妹背橋がかかっています。
むかしの資料にはこの妹背橋を
渡ったところから左折して
川沿いを進んでいくと、
「龍之渡井」という水路橋がある
と書かれています。
でもねえ、この辺りは道路の開発が
進んでおり道とかが大きく変わっています。
doironも資料に沿って川沿いの
あぜ道を進んでいったのですが、
ちょっと進めなくなってしまいました。
パスするかと思ったのですが、
この水路橋はぜひ見たかったので、
仕方なく妹背橋をもとのようにわたりなおして、
右折して鍋谷峠の方に
登っていく山道を、
えっちらおっちら歩いていく
ことにしたのです。
穴伏川の途中にある橋なので、
どこかで出会うでしょう。
もしそうでなかったら、
これはちょっと意外な遠回りやぞ
と心配し始めたころに、
その橋が見えてきました。
ではその水路橋とは何なのか。
この地方は背後に和泉山脈を備えて、
そこから流れてくる水を
田畑に使っています。
しかし、その水路が短くて
急なことなどから水不足が頻発するので、
対策としてため池なんかも
多く作っていました。
でもそれでも水不足は深刻なので、
いっそ紀の川から水を引いてきて
それを流す水路を作ろうと計画したのです。
高野口あたりに取水口を作り
そこで取水した水を、
緩やかな傾斜をつけた水路に
ながしてそこから水を得ようという計画を、
「大畑才蔵」
というひとの努力で江戸時代に実現させました。
その水路が高野口から
岩出までの約30キロにわたって
続いており、な、なんと今も
使われているのです。
名前は「小田井用水路」といいます。
紀の川と並行して水路をつなげた
わけですから、谷のあたりは
大変難渋したそうですが、
そこにこういった水路橋が作られ、
見事実現したそうです。
この辺りにはこの渡井のほかにも
いくつか渡井があったり、
サイホン式の水路があったりで
これらはすべて、国の有形文化財に
選定されているそうです。
そしてしかもこの用水路はまた
「国の疎水百選」にも選ばれており、
この辺りの地域のなかで
とても大切な役割を果たしている
わけなんですねえ。
続く
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