ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

丹後方面カニ歩きツアー3

2020年01月14日 21時05分39秒 | ウォーキング

知恵の松の横には、


歌碑が立っています。
与謝野寛、晶子夫婦の歌碑です。

寛の父が加悦町といって
丹後半島内部の町の出身だったので、
二人はよくこちら方面に来たそうです。
そんな時にもこの天橋立に泊り、
歌を詠んだりしたそうで
その記念に地元の人たちが
ここに歌碑を築いたそうです。

「小雨はれ みどりとあけの 虹ながる
 与謝の細江の 朝のさざ波」寛

与謝というのはこの人の
名前より土地の名称をあげています。
「与謝郡」というのは今もある地名です。

「人おして 回旋橋の ひらく時 
くろ雲うごく 天橋立」晶子 

当時小天橋の回転は人が押して
動かしていたことが
この歌からもわかりますね。



そしてその歌碑の近くには、
昭和25年のジェーン台風の
復興に向けて天皇陛下から
お言葉をいただいたことに対する
恩賜の碑があります。

終戦後、国民に向けて出された言葉は
それはそれはありがたい
ものだったんでしょうねえ。

そしてその横の松の根元には
ごみが置かれていますが、
あれ案内が立っていますよ。



「雲井の松」

と書かれています。
写真を撮っていたら、
掃除をしている人が、
「ごめんね」と謝ってはりました。

いやいやいいんですよ。
皆さんのご努力に比べたら、
こっちはおっさんの戯れですからね。

それにしても雲にそびえるように
立つ松なので「雲井の松」ですかあ。
う~ん、こんな感じで
松に名前を付けたとしたら
このあとどれくらい名物の
松が続くのでしょうかって
感じですねえ。
頑張って歩いていきましょう。

ここには「萬籟」の句碑があります。
荒木萬籟、江戸時代の俳人です。



そしてここには、
ちょっと変わった形の石が
ありますねえ。



父の仇を追ってやってきた
岩見重太郎が刀の切れ味を
試すために切った
といわれる石だそうです。



いやあこんな石を切るなんて
まるでライトセーバーですねえ。
ではフォースと共に
進んでいきましょう。

ここにある細い松は、
きれいな女性にたとえられて



「式部の松」といわれています。
あの和泉式部をイメージしたそうです。



そしてこれが「蕪村の松」の案内です。

与謝野蕪村が松の絵を
描いたことから定められているそうですが、
どうも近くに松がなく、
倒れた幹があったので、
多分台風か何かで
折れてしまったのかもしれません。

そしてここが岩見重太郎の
仇討の場です。



三人に対して仇討をしたとか。
いやあすごいです。
まるで橋立ウォーズですねえ。

そしてこの先には磯清水という
井戸があります。



両側が海にはさまれているのですが、
この井戸には真水がわくんだそうです。
すごいねえ、どうなっているんでしょうねえ。



でもこれだけ松が生えているのですから、
真水も必ずあるんですよねえ。



ちなみに天橋立の東側の海は
普通の海なんですが、
西側は天橋立の小さな水路だけで
つながる内海なんだそうです。
なので塩の濃度は通常の海よりは
三分の二程度だそうです。



この内海は「阿蘇海」といわれています。
その由来は何なのかと
いろいろ言われているそうですが、
天橋立の砂地や陸地に
囲まれていることから
外国語(何語かわかりませんが)の
アソから来ているという説があります。

「あ~そうかい」

かなり以前、ここへカニツアーで
来た時に、ここの海から
水蒸気がもくもく湧き上がっている
のを見た記憶があります。
ただ「海」というのではなく、
天橋立によって多くの部分が
閉ざされた内海の活動は
なんだか神秘的な感じもしますねえ。

その磯清水の井戸の近くには
「天橋立神社」があります。



先ほど行った知恩寺にあった神社を
ここに移したものである
との説があります。
ちょっと最初に見た図面の中からは
確認できませんけどね。

続く



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