ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

連れもて歩こら、紀州街道3

2013年05月01日 21時36分19秒 | ウォーキング

イベントが続きましたので
街道話が途切れがちでした。

少し説明いたしますと、
この「連れもて歩こら」シリーズは
早春の一日、doironがてくてくと
紀州街道 泉大津~泉佐野間を歩いた
4月25日に連載の始まった感動の記録です。
シリーズ1と2をあらかじめ復習の上
お読みいただくと幸いでござりまする。

では、前回の続きとなりますが
紀州街道の街道筋を少し離れて
岸和田城に寄り道をしたそのことを少し書きます。



こなから坂をのぼっていくと
市役所などの官庁があり、
その右手に見えてくるのが岸和田城です。



先日の新聞では、このお堀にの水を抜いたら
すごい量の不法投棄があったと出ておりました。
そんな人の神経がわからんね。

そして城の近くには
我が母校もあります。
今から40年くらい昔、
doironはこのお城の周りで
高校生活を送ってました。

当時の頭の中は、
クラブと遊びと友達と女の子のことばかりという
青春時代がdoironにもありました。
(今もあまり変わっていない?)

なので、岸和田城がどんな理由でそこにあるのか、
なぜ地名が「岸和田なのか」なあんて
ほとんど興味もなかったわけで、
今になってそれを語るのは
何となく変な感じです。

岸和田城が千亀利城といわれるのは、
後に知ったのですが
それさえも、
千の亀が甲羅干しをしているような城だったんだろう
としか思っていませんでした。



白鷺城とよばれる姫路城とは
えらいイメージが違うんだなと思ってました。

ところが「ちきり」が機織に使う
中央がくびれた木製の部品のことで
それに城の敷地の形が似ていたからだ
なんてことを知ったのも、
実はつい最近のことでした。

城の中で思い出があるのは、
ほとんど人のこない天守閣の裏手で
山の友達とお湯を沸かして
味噌汁を作ったりしたことかな。

二の丸公園には、
猿山のオリがあったことも覚えているけど、
それも今は、こんな時計台みたいな
オブジェに替わっていました。



当然、隅っこにある句碑など
知る由もない若者でしたな。





そうそう、城の南側にある五風荘という、
当時歴史のにおいを
やたらぷんぷん放っていたところも、
今は「が○こ寿司」になっていました。

そして母校の正門前にある、
こんな弁天さんも、



いつもおじさんやおばさんが
座っていたのが記憶にはあるものの、
それが何だったのか、
今回初めてじっくり見たようなものです。



またお城の石垣は山岳部が
ザイルでぶら下がって
掃除をしていたっけなあ。

文化祭の演劇が全く観客に受けず、
終わってから友達と
お堀に「ちくしょう」といいながら
石を投げたこともありましたねえ。
青春してました。

城の周りは一周1kmくらいあったでしょうか、
その周回のマラソンで
一度ダントツ1位になったことがあります。
みんなきっと真剣に走っていなかったんでしょう。
でもそれは
その後、マラソンにのめりこんでいくdoironの
原体験ともいうべき出来事でした。

そうそう、そういえば、今の泉州国際マラソンの前身である
「千亀利マラソン」でもこの城の周回が
コースの一部になっていました。

今も持ってる録画ビデオに
ここを走るdoironの雄姿
ばっちりうつっておりますです。

そして、城の北側にある岸城神社も思い出の地です。






ここでの思い出はちょっとここに書くのは
恥ずかしいので控えさせていただきます。

とまあ、そんな具合に、
ここを訪れるといつも昔のことがよみがえってきます。

それにしても
当時、ニキビ面で歩いていた道を、
将来おでこを光らせながら歩くなんて
想像もしていませんでしたな。

街道歩きの寄り道で
懐かしい思い出に浸った30分間でした。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
久々に。 (濱ちゃん)
2013-05-02 08:11:42
doironさん!久々に書き込みします。
普段から見ている風景ですが、実は写真に写ってるものはほとんどうちの会社が施工したものです~。
お城、時計台、岸城神社、それにdaironさんやkaisanの出身高の校舎、果ては同窓会館も我が社です!

地元密着企業・・・どうぞ宜しく~♪
返信する
すごい! (doiron)
2013-05-02 21:50:40
御無沙汰してます。
今年は萩は休みかな?
それにしても頑張ってますねえ。
地元密着企業ですか・・・
いい仕事してますねえ~
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