こうして様々な出来事を産んだ
「浮洲岩」は天下の名石として
「藤戸石」と名付けられ、
京にまで運ばれて足利義光は
金閣寺に設置しました。
そしてその後足利義政が
銀閣寺に移して置かれてあったのですが、
ついにそれに目を付けたのが
織田信長です。
天下を取るだろうといわれていた彼は、
その石を二条御所に運び
設置したようです。
天下を取る人はこの石に
関心を持ったようですね。
そして最後は豊臣秀吉が
醍醐寺三宝院に持ち込んで、
今の位置に据えたようです。
俵屋宗達もこの石を眺めたんでしょうねえ。
三宝院の庭のすべての景色の中で
圧倒的なオーラを放つ石でした。
いやあ、これを眺められた
というだけでここまで来た
甲斐がありましたねえ。
そしてこの石ですが、
もともと浮洲岩という名であった場所も、
今はちゃんと残っています。
岡山の藤戸にいつか見に
行かないといけませんね。
見事な庭を眺めた後は、
次に入館料800円の中に
含まれる霊宝館へと
回っていきましょう。
もしかしたら、万が一宗達の
絵画なんかも見れるかもねえ
と期待しつつ入っていきました。
中に入ると、いやあきれいに
整備されていますねえ。
写真は禁止とありましたが、
庭はいいのかなあ。
でもまあ遠慮して枝垂れ桜周辺で
水を撒いているのを
撮影しておきました。
なんといっても醍醐の花見を
催したところです。
じつはわが町のだんじりにも
この醍醐の花見シーンが刻まれています。
だから桜の木なんかは
きっちり守られているんでしょうねえ。
なにせ秀吉はこの花見に向けて
700本もの桜をこの寺に
植樹したそうです。
あちこちに桜や枝垂れ桜もあります。
桜の花の時期に来てみるのも
いいかもしれませんね。
この時霊宝館で入れたのは
仏像殿だけでした。
まあ結構見どころもあったのですが、
残念ながら宗達の絵なんかは
オープンされていませんでしたねえ。
聞けば、春とか秋の特別展示の
ようなときに見れたりするようです。
まあ、見たいのは宗達の
「舞楽図屏風」だけですけどね。
さあ、では伽藍エリアの方に
回っていきましょう。
伽藍エリアは醍醐寺の山の方にあります。
入り口のところで案内を見てみますと、
伽藍エリアに入ってその中の
参道をずっと登っていきますと、
上醍醐寺の方に出ていくようです。
では頑張って歩いていきましょう。
仁王門のところで切符の最後の
半ピラを切ってわたし、
杉の幼木が乱立する森の間の
静かな道を登っていきます。
前から歩いてくる人たちは
みんな上醍醐寺の帰り
なんでしょうかねえ。
まず最初に到着するのが
「金堂」です。
ここは秀吉が和歌山から
移築したもので、国宝になっています。
おや前の庭のところに
提灯が置かれていますねえ。
お盆の名残なんでしょうねえ。
実はこの金堂の前の庭では
ある大きなイベントが行われます。
そのことについては
あとで紹介しますねえ。
まあここでは本尊の薬師如来、
日光月光菩薩を拝んでいきましょう。
「おんころころせんだりまとうぎそわか」
と薬師如来の真言をあげておきます。
そしてその金堂の前にあるのが、
五重の塔です。
951年に完成した京都最古の
木造建築でこれも国宝になっています。
ああ、この前でカメラをうまく固定して
写真を撮っておきましょう。
う~んdoironのポーズが
左右逆だとよかったのですが、
他の参拝客の迷惑になりますから
遠慮しておきましょう。
でもねえ、お盆なのでもっと
大勢の客が来てるかと思ったのですが、
外国人も含めてさほど多くは
なかったですね。
そしてその先の日月門を
くぐろうとした時です。
この先にある観音堂が
「西国三十三カ所の納経書」
なんだそうです。
え~ここのお寺の納経書は
上醍醐寺ではなかったですか。
それがこの醍醐寺にあるって
どういうこと?と思ったら
事情があったのです。
続く
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