ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

龍田古道を歩いてきた4

2021年03月07日 21時08分01秒 | ウォーキング

この金山媛(かなやまひめ)神社は、
日本最古の金属の守護神
といわれています。

祭神は鉄がとれるところに生まれたとか、
金ぴかの金属を身に着けていた
というそんな話があったのかなあと思うでしょ。
でもちょっと違うようですね。

金山媛は伊邪那美命が
火之加具土神を生んで大火傷をした後に
生まれた神です。
伊邪那美命が火傷で吐しゃしたときに、
その吐しゃ物の中から生まれた神です。

吐しゃ物が、鉱石を火で溶かした様に
似ていることから、
金属の神様であったようです。
吐しゃ物から生まれるってすごいですねえ、
と思ってはいけませんよ。
神様の中には糞から生まれた神様や
尿からうまれた神様もいましたからね。

この道のずっと下部には
「金山彦神社」もあります。

ここには第3弾の龍田古道歩きの
時くらいに行く予定をしています。



近づいていくと、長い階段があります。



それを登りきると、こんな社殿がありますので、



お祈りしてゆきましょう。



百度石も存在感を放ってました。
さあでは元の道に戻って
坂道を登ってゆきましょう。



道が大きく右に曲がったあたりから、



雁多尾畑の住宅街が始まります。
この雁多尾畑は「かりんどおばた」と読みます。

難読地名ですねえ。

このあたり雁が多く飛んでいたから
こんな名前になったという説もありますが、
やはりここにある松谷光徳寺に
雁林堂というお堂があったことから、
この辺がこの名前になった
という説が有力ですねえ。

道を歩いていると、またまたおばさんが
話しかけてきます。

「歩いてるんやねえ。どこまで行くの?」
と聞いてきたので
「光徳寺に行こうと思って」というと、
「ああ、それならここを入ったところやで。
有名なところやから行っといで」。

雁多尾畑の名前になっている
由来のところって知ってるかなあ。
それにしてもこの辺りは
ほんとにいろんな人が
話しかけてくれますねえ。
ほんわかと楽しいです。

ここが光徳寺。



瓦の紋が勧修寺笹に雀という紋。



竹のように元気で子孫繁栄を
祈っているわけですねえ。



ここは円融法皇が建立させた勅願寺。
こんな石碑もありました。



立派なビャクシンも生え、
鐘楼なども古い18世紀の建物だそうです。



坂道の途中にお寺はそびえていました。

ここは何度か焼き討ちなどで荒廃しましたが、
天皇の勅願で再興したといわれるお寺です。

そんな寺を出て、あの山であった人の
お家をでかいなあと見届けて、
それではもう少し道を登ってゆきましょう。



それにしても、こんなきつい傾斜の
山道をよくもまあサポートカーで
上がったりできるものですねえ。



あれ?この家の扉は不思議ですよ。
毎日飛び降りる勇気が必要です。
ナニコレ、ですねえ。

途中、日当たりの良い公園があったので、



買ってあったおにぎりを食べましょう。
湯を沸かして味噌汁も入れてね。
楽しい時間です。



これはおみこしを置く台ですね。
その下に書いてあるのが、
この辺は「地下地区」と書かれてあります。

こんな山の上なのに「地下」とはねえ。

村はずれの公園で軽く食事をし、
さあそれではもう少し登ってゆきましょう。
このあたりの雁多尾畑の村中は、
狭い道が続いているので大型車は入れません。
ここから先は入れないから
大型車は引き返せ!
という警告が地面に印刷されています。



村中で往生する車とかが
あったんでしょうねえ。

その先に広い公園がありました。
その公園の名前も



「竜田古道の里山公園」と言います。

ここでトイレを借りてゆきましょう。
広い山裾の公園ですが、



中には駐車場もありますし、
桜が結構植わっています。
さほど竜田古道と結びつかない施設ですが、
セミナーとかもあるし、
この日も若い人たちが集まって
何かイベントの用意を
しているようでしたね。

ここは花見には最適かもね。

続く

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿