ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

疏水はまず山科へ3

2020年01月06日 20時55分21秒 | ウォーキング

この琵琶湖疏水の設計管理をしたという
田邉氏は工大をでたばかりの若い技術者です。
でもねえその工大というのは昔の名前で、
今でいう東京大学の工学部の事なんです。

「この竪坑は作るのに苦労しましたが、
出来たときはこの疏水のトンネルの
救世主だった」そうだと、語っていたそうです。

明治の初めの頃に、
京都の発展も願って作られた
この疏水もまだまだちゃんと
動いているんですね。

そんな竪坑のところから、
竹林の横を抜け、



猫が乱舞する山中のおうち?



も過ぎてゆくと、
普門寺のところに出てゆきます。



もう山の中ではないですよ、
周りに民家もある街の中に入りました。



このあたりに来て、
前を歩く散歩の高齢者と話をしました。

「先ほど小さな祠のお地蔵さんに
おまいりしてはったけど、あそこは何ですか」
と聞いてみたのです。

というのもここの手前の寂光寺には
摩崖仏もあるという情報もあったので、



あれがそうじゃないかなあ
と思ったりしたのです。

するとその人は、
「わしはこの辺をプラプラ歩いているだけで、
地蔵さんがあったら全部
お参りしているだけ。
なので、あれが何かなんて
わかりませんよ」といってはりました。

そうかあと近づいてみましたが、
どうも摩崖仏ではなさそうですな。

その高齢者は、この先の道案内を
詳しくやって消えていきはりましたよ。
もしかしたら北国街道の妖怪
だったかもしれません。

さらにその先を高齢者の言葉を
思い出しつつ歩いてゆくと、
おお出ました。

ここが琵琶湖疏水のトンネル出口です。





紅葉はとてもきれいですねえ。
いろいろ観察したり、





触れて見たりしながら



紅葉にはとっても高揚しました。

それにしてもこの琵琶湖疏水の
紅葉観察ツアーとかはないのかねえ。
これもまたいいものやと思うのですが、
ちょっと寒いかなあ。

ではこの辺で昼食にしましょう。

今日はお弁当です。
湯も沸かせるように道具も持ってきたので、
あったかい味噌汁を入れていきます。
景色にばかりに気持ちが行って、
思わず写真をすっかり忘れて、
満喫してしまいました。

川の対岸を歩くこの地方の生活者たちが
「楽しそうにやってるなあ」
というような視線を送ってきますよ。

そうです楽しいのです。

時間も昼飯の頃ですから、
スーツを着たサラリーマンも
座り込んで弁当を食べたりも
していましたよ。

さあおなかもいっぱいになったので
散策を続けましょう。

下流の方に行くにつれ人も
増えてきましたねえ。
このあたりでだいたい
前回歩いたあたりまで来ましたので、
疏水歩きもつながりましたねえ。

ではぼちぼち電車の駅の方に
歩いていきましょう。



疏水はこの辺りはまだ山の
中腹あたりを通っています。
京都まで流していくので、
まだまだ標高を稼いでおかないと
いけませんね。

山を下りるようにしてたどり着いたのが
「四宮」駅です。



ここはなぜ四宮なのか。

実はこの近くの徳林庵の
北側に仁明天皇の第4皇子
「人康親王」の山荘があったことが
『四ノ宮』の地名の由来
と言われているのですねえ。

さすがに京都に関連する疏水ですから、
地域地域で歴史に関することが
多いですねえ。
そこから電車に揺られて、
浜大津まで行き、
乗り換えて三井寺まで行って
歩き旅は終わりです。

それにしても琵琶湖疏水って
大変な作業だったんでしょうねえ。

京都の事はお寺や歴史的な
出来事で学んだりするのですが、
この琵琶湖疏水は京都の底辺を
支えるすごい事業なんだなあ
と歩いてみて実感しますねえ。

さて次は、哲学の道に続く部分を
歩きましょうかねえ。
とりあえず今回はこれで終了です。



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