ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩33 城北菖蒲園

2016年06月10日 22時11分20秒 | ウォーキング

ワンドのあたりの
独特な光景を眺めながら



歩いていきますと、
城北大橋の下を
くぐりそうになります。



でもここで、
ちょっと寄り道です。



川のふちにある

「城北公園」

に寄って行きましょう。

明治の淀川大改修の折、
その川底を利用して
作られた公園です。



堤防を下って入っていきますと、
なにか大勢のお客さんがいます。

だいたいdoironよりは
年上の人たちです。

テントも張られており
出店も出ているので



何かあるのかと思いましたが、
べつにイベントがあるために
人が集まっているのではありません。

実はこの公園の中にはちょっと有名な

「菖蒲園」

があります。
そこがちょうど今、
花の時期に合わせて
期間限定で開かれており、
そのお客さんが
いっぱいおられるのです。

ま、今がちょうどその満開の時期ですので、
人気のようです。

それにしても花を見るために
こんなにたくさんの人が
やってくるなんて、
日本は平和な国ですねえ。

ここには咲いている菖蒲は
約250品種で1万本以上の
花が咲いています。

持っている資料は古いので
入場値段が上がっているのかなあ
と思いましたが15年前と同じく
200円の入園料でした。

まず入り口でこんな看板が立っています。



まあ、三脚は見学人の邪魔になるから
と言われたらそうかなと思いますけど、
一脚までダメなのはどういうことでしょうねえ。



入っていきますと、
おお~咲いています。



結構な量ですねえ。



これは見事と思っていますと、
なんとここは



「大阪みどりの百選」

でした。
それにしても菖蒲の写真はむつかしいなあ。
花の色に露出を合わせると
暗くなるしなあ。

そういう意味で三脚等が
望まれるのかなあ。

写真を撮ってる人たちも
大勢おられるようでした。



さあ、菖蒲の鑑賞が終わったら、
休憩している人もたくさんおられるので
doironもここで昼食にしましょう。

池の横の石に腰かけて
湯を沸かし始めると、



周りがなにかにぎやかになってきました。

スズメです。





ごはんなんかを食べてると
えさをあげたりする人が
多いのでしょうか、
それを目当てにいっぱい
集まってきました。

手を伸ばしたら取れそうなくらいです。

数を数えたら全部で22匹が
集まっています。

う~ん、周りをちょろちょろ
歩くのはいいけど、
頭の上の木にとまって
フンを落としたりしないようにね~。

今日のご飯はこれです。



写真をぱちりと写しながら、
突然おにぎりにたかってこないか
ひや~としましたね。

doironはエサはあげないからね。

さあみんなで飛んでいきなさい。

右向け右。
前へスズメ!

この日は平日です。
それでも大勢の、
ほんとに大勢の高齢の人々が
各所でのんびり座っています。



あ~あ、そんなの見たら
今の若い人たちは大変。

こんなたくさんの高齢者を
支えていかなければ
ならないんですねえ。

頑張ってくださいね~。

さて食事が終わったら
ふたたび歩き始めましょう。

あ、公園内には
「タヌキやアライグマに
えさを与えないでください」
と書かれています。



へ~そんな生き物もいるんですねえ。

そして「猫を捨てないで」とも
書かれています。



ふと横を見ると、
この公園内には



「公園内猫適正管理サポーター」

がいるんですねえ。

猫の持ち主にしてみたら、
安心できるかも・・・と
そんな気にならないか、
ちょっと心配してしまいます。

そしてもう一つ公園の中の
張り紙を見たら



「城北公園仙人塚慰霊法要」

の案内が張られています。

持ってきている資料の地図にも、
ここに「仙人つか」の案内があります。

これは見に行っておかねばなりませんね。

公園の中を横切って、
堤防の上に戻っていったところに、
それはありました、



と続きます。


淀川完歩32 城北ワンド 

2016年06月09日 21時08分17秒 | ウォーキング

え~っと、いよいよ熊野まで
あと数回に近づいたなかで、
はやくそちらに行きたい
のですがなかなか
家庭の事情があって
遠出はむつかしい状態です。

で、そこでとりあえずは
淀川完歩にかかりましょう
ということで、
先日の大川歩きの次に
本命の淀川本流へと向かいました。

前回は豊里大橋まで歩いていましたので、
今回はその続きです。
電車でとことこと出かけます。

天王寺から地下鉄谷町線に乗って、
太子橋今市へと向かいます。
豊里大橋の近くなのに
なんで太子橋なんでしょうか。

実はここの「太子」は
「聖徳太子」を表します。

四天王寺を立てる予定地に
していたというところから
ついた名前なんだそうです。

この黄色のテントが目印ですねえ。



ここが京阪本通1の交差点です。



あまり土地勘のないところに
行って交差点を見ると、
あるあるじゃないけど
「あれっ、ここってよく道路交通情報に
出てた名前じゃなかったっけ」
と思ってしまいますねえ。

そんな交差点から
北向いて淀川のほうへと歩いていきます。



前回は橋の左側の側道を
降りてきましたから、
今回も橋をくぐってそれを登っていきます。



はい。



登りきったところが河口まで
13.8キロの豊里大橋南詰めです。

前回、前々回は土曜日だったので
たくさん人がいましたが、
この日はウィークデイなのですいています。

こんな広いグランドで
スカイダイビングの練習をしていましたね。



まちがってブワーっと
飛んで行ったり
しないのでしょうかねえ。

そして前方には「大阪工業大学」の
学舎が見えています。



この辺りは周りの景色に応じて、
下を歩いたり堤防上を歩いたりと
うろうろしつつ進んでいきます。

そして、ここにきてやっと出てきました。
城北大橋をバックに淀川らしい景色、
「わんど」の登場です。



これは、河川の地形的な呼び名で、
漢字では「湾処」と書かれたりします。

川の本流とはつながってますが、
河川構造物に囲まれた
池のような構造になっているところです。



漢字も書かれたりしますが、
実際には語源ははっきりしない
ところがあって、
アイヌ語の「沼、池」を表す
「わんど」とか、
オランダの大型治水工事である
「ワンドラ」からきている
などの説があります。

川の流れや形で独自の環境を
もつ物が多く、
淀川の生物相を豊富にしている
ところなのです。

この日も大勢の人たちが
魚釣りをしていました。



どれどれ~と近づいていき、
「何を釣ってはるんですか」
と男の人に聞いたら
「ふなやで~これくらいのなあ。
今日は連れてないけど」と
言って笑ってはりました。

水面を見てみると、
かなりの数の魚がいましたね。

これは何かなあ。

ブラックバスかなあ。



小さな魚たちも多量に浮かんでおりました。

ワンドとワンドの間には、
こんな堤防があったりもし、
よく見るとあちこちに



こんなお手製の釣り場が
作られています。





こういうのには
持ち主がいたりも
するんでしょうねえ。

集まる人の多さ、
河川の状況などから見たら
さぞやいろんな人たちの
思いの詰まった場所なんやなあ
と実感しましたね。

このワンドに生息する動物で
有名なのが

「イタセンパラ」だ。



日本のワンドはこの淀川水系のほかは
濃尾平野と富山平野の
三か所にしかいない。

この魚は川に生息する
二枚貝に産卵するなどのことや
ブラックバス、ブルーギルなどに
捕食されてその数は
激減しているそうだ。

もはやこのワンドでの繁殖は
絶望的に無理だろうといわれ、
最近はもっと上流の
木津川当たりでの
繁殖をさせてはどうか
という説も強くあるらしい。



確かに、このあたりのワンドの様子は、
そういう希少動物の成長には
ごみの散乱など



つらいものがあるように思えるなあ
と続く。


庭に新たな収穫が

2016年06月08日 20時39分35秒 | 生活

今年の春はいつもの年と違って
庭の植物のうち、

「グミ」

がたくさん実をつけた。



これは絵にも描けそうやなあ。

昨年植えたときに
実はつかなかったのに、
今年はかなりたくさんの量の実がなり
これは食べるのがたのしみだなあと
実が色づくのをまっていた。

木にはとげがありそれを
「グイ」といい「ミ」がなることで
「グイミ」といわれ、
そこから「グミ」という名になった
といわれている植物なのだ。

そのグミが先日、
ついに色づき始め収穫の時を迎えたのだった。



まずは試しに1個を手に取り、
食べてみた。

「うひゃ~」!

こ、これはたまらずすっぱい。

顔がくちゃくちゃになるほどだ。
もう前からやけど・・・
さらにしわくちゃにしてくれる。
これがねえ、逆にしわが伸びる
のだったらいいのにねえ。
化粧品会社に飛ぶように売れるかも。

でも、もしかしたら
手に取った1個が
特別変異の強烈スッパ変性グミ
だったかもしれないので、
試しにもう1個とってみた。

洗って口に入れると、
まあ、これは2個目なので
すっぱさにも慣れてはおり、
1個目ほどではなかったのだが
やはり、慣れていないと酸っぱい。

だからさあ、このまま果実で食べるのは
ミセスも無理だと思ったのだろう、
あきらめてグミジャムを
作ってみることにした。

イチゴジャムと同じように炊き、
砂糖を加えて入れる。

すると、こんなジャムになったのだ。



これはできたものの1部。
まずはこれをヨーグルトにまぶしてみた。



むむ~、まだ若干酸っぱいが
「なま」ほどでは全然ない。

それに程よいグミの味がついて
いいではないか。

これは正解でした。

こんな形で来年の実も
楽しむことにしよう。

来年なったらもっと実が
つくかもしれないしね。

それにこのグミは、
挿し木、取り木、接ぎ木などでも
簡単に増えるらしいから、
若干、御坊の無人実家の庭に
突き刺しておこうかなあ。
と考えている。

もしかしたらこの実家も
売れなければdoironの
創作の場に変えていくかも
しれないので、
その時のためにフキノトウ、
ムカゴ、カキのほかにも
楽しみを増やしておいてやるかねえ。

そんな新たな収穫に
ウヒッと喜んでいる
doironなのであった。


大川はいい川ね

2016年06月07日 20時13分34秒 | ウォーキング

下流で雨がふりだしたので
帰ろうかと思いましたが
やっぱり歩くのは
doironのアモーレです。
雨がやんできたので
また途中ででんしゃをおりて
目的の河川敷道をアモーレしましょう。

え?お前の場合は
「おきざり」やろって?
ああ、そうかもしれません。

ということで、次はJR桜ノ宮駅から



大川の上流部分に入りました。

以前、大阪市内の大川歩きを
したときはここから
下流に向かって歩いたのですが、
今回は上流に向かって
さかのぼっていきます。

下り一方の自分の人生とは反対ですやん。

最上流にある淀川の毛馬閘門までの
河川敷を往復しましょう。

まずは駅を降りて
少し下流の源八橋を降りていきます。



その昔、この河原で源八さんが
焼き芋を売ってたところからついた名前・・・

では決してありません。

対岸の北区の町名から来た名前で、
川の中州に「源発」という
名前の砂州があったことから
ついた名前だそうです。

そしてその源八はここに開かれていた
渡しの名前にもなっていたそうです。

その後、昭和11年に橋ができて
渡しがなくなったのですが
「源八」という名はその橋の名として
残っているそうです。

いまも対岸のほうには
こういう碑も残っているようです。



あの俳聖「蕪村」はこの先の
毛馬閘門当たりの生まれですが、
この源八橋についてこんなのをうたっています。



「源八をわたりてうめのあるじかな」。

さあその橋の下からスタートです。



河川敷には歩きやすい道がついています。
そういえば昔、淀川を走るマラソンで
この辺りを走ったことがありますねえ。

今はこんな看板もたっています。



あ、このあたりが
大阪市の水道発祥の地なんですねえ。



で、そのうちに上流に見えてきたのが
「都島橋」です。



仁徳天皇の高津宮、
孝徳天皇の長柄豊碕宮が
当地の近くにあったことによる命名なんです。

今も地下鉄の駅名にもなっていますねえ。

この橋もくぐっていきましょう。
若干うっすら曇っている空の下、
この橋の下で休憩している人も
おられました。



でもdoironは負けずに歩いていきます。

雨が降ろうが槍が降ろうが、
だれを相手にするんかわかりませんが
頑張ります。

あ、槍だったら休憩しているかな。

そしてまた前方に変わった形の橋が
見えてきました。



まるでUFOのような橋です。

そうです。
それもそのはず、この橋は
車の通れない歩行者用の橋で、
まるでどこかへ飛び去って
行きそうなUFO見たいな姿から
「飛翔橋」と名付けられた橋です。

と、こう書いたらまた嘘やろ~
と言われそうですが、
ここはそれマジで本当の話です。

結構たくさんの人がわたっているのを見ました。

なおも気持ちのいい道を進んでいきますと、
右には「毛馬桜ノ宮公園」があり、



そこからさきに工業用水取水口のある
横の川をまたぐように掛けられてある
「春風橋」を超えていきます。



ジョギングしていた人の顔が
ここの上り坂で苦痛に歪んでいた
のを思い出します。

自分もあんな風に走っていたのかなあ
って振り返ってしまいますね。

そして毛馬橋も超えて、
ようやく毛馬の閘門のところに
たどり着きました。



ここは大川に流れる水量を
調整する役目と同時に、
淀川と大川の水位差により
困難となる船舶の通過を
スムーズにさせるための設備を含んでいます。

その先で、ついに淀川と合流です。



たぶん次回の淀川歩きでは
ここを通るでしょう。

この合流点のところには
蕪村の生誕碑があります。



へえ~彼の生誕地は
川のそばだったんですねえ。
いやあ、ほかにも節ありですけど・・・
蕪村が弟子に送った手紙に
毛馬生まれであると書かれています。

ここで読んだ一句が

「春風や堤長ごうして家遠し」

うんうんわかりますよ。

わかるけどねdoironは
早く帰らなければならないんです。

義母さんのこともあるしね。

この地には近々上流から
訪れる予定ですので長居せず
淀川の写真を撮り、
すぐに引き返し
同じ道を桜島に向けて
とっとと帰ったのでした。

この時の距離は、
往復で約5.2キロを
一時間5分で歩いて
帰ったのでした。



ああ、ウルトラで歩いた時のペースですねえ。

これでまあ大阪市内部分を
流れる淀川はすべて歩きました。

あと残りはこの辺を通って
今の本流である淀川を
下っていくのみです。

その川下りは、この後で。


安治川をあっちから 4

2016年06月06日 20時42分26秒 | ウォーキング

通路の真ん中には
警備のおじさんが立っています。



うわー、こんなところで
時間中立っているなら
大変な仕事やなあ。

みんなそう思うんでしょうか。

おじさんにはとても親切に
「こんにちは~」とか
「ごくろうさん」とかいって
通り過ぎていきます。
もちろんdoironも愛想よく
「こんにちは~」と挨拶します。

トンネルの全長は約81m。

とちゅうこんな看板を見たときには



「ウヒャー、なんと長いんだ」
と思いましたが、
これは駅までの距離でした。

このトンネルは九条と
西九条をつないでいるのですね。

もともと埋め立ての「九条」を
真ん中で二つに割るように
作られたのがこの「安治川」。

西側が「西九条」なんですね~。

さて、地下道を歩いて
北側の出入り口につきました。

ここはまあ階段で上がることにしましょう。

何段ぐらいあるかなと
最初考えていたのですが、



歩行者とすれちがったところで
混乱してしまいました。

でもまあ90段以上は
あったと思われます。

ここには注意書きが張られてあり、
それを見ていたら、
原付バイクは通れないようですね。



排ガス物はやはりあかんのですかねえ。

重量もあるしね。

こうして安治川を渡しで渡って、
トンネルでまた元の右岸に戻った
doironなのでありました。

北側に出たところで
川沿いの道がついていますので、
これを歩いていきましょう。



結構手入れの行き届いた公園ですねえ。



どうもボランティアが
管理しているようです。



この頃はいろんな場所で
こういうボランティア活動が
活発化していますねえ。

アドプトロードやアドプトリバー
なんて言う表示をよく見かけますしね。

アドプト山とかもあるのかなあ。

さあてこの辺は
大阪市中央卸売市場の周辺です。



道路にあまり車はありませんね。
ちょこっと横手の路地をのぞくと
隅っこに地蔵さんがおられます。



ああ、そうかあ、
この景色には見覚えがある。
二年前の夏に「福島な野田」
というテーマで歩いた歩行コースだ。

さて卸売市場の入口のほうにやってきた。



このあたりで堂島川と
土佐堀川が一本になって
安治川となる地点だ。

堂島川に架かる橋が「船津橋」、



土佐堀川にかかる橋は「端建蔵橋」だ。



「ふなつばし」はわかりますよねえ。
でも「端建蔵橋」はよみにくい。

この橋は「はててぐらばし」と読みます。

堂島川と土佐堀川の間の
中の島には江戸時代から
各藩の蔵が立っていました。

その蔵が端っこのほうまで
たっていたので
「端建蔵」の名前が残ったそうです。

この橋は宮本輝の「泥の河」の
舞台でもあるし、
かつて有名だった新聞記者
「北尾」氏が「近代大阪」の中でも
取り上げています。

北尾氏の写真にはこの橋から
見た大阪の風景が移っているが、
あんな煙突が何本もたってる
ような景色はもうない。



今、橋の上から見た景色は、
下流側のけしきはこんな感じです。

と、この時です。

さっきからパラッと
降り始めていた雨が
きつくなってきました。

もうカメラを出していたら
差し支えそうな雨です。

地図を見たら
かつてはこの近くを歩いていますし、
いったんはJRの駅に戻り
食事をすることにしましょう。

といっても買い込んであった
おにぎりですけどね。

野田駅にどんどん近づいていき、
その駅の高架下の目立たないところで、
おにぎりを2ついただきました。



それにしても今日は夕方まで
雨は降らないと予測していたのになあ。
結局は、こんなコースで



おおむね10キロを歩きました。

さあて、ではどうしようか。

あと大川部分で歩いて
ブログしていないのは
桜ノ宮から毛馬の閘門までくらいですね。

だったらJRで野田から桜島まで移動し、
雨の様子を見ながら
判断しようということにしました。

幸い雨はひどくならなかったので、
桜ノ宮でおり



ふたたび
歩き始めることにしたので、

別テーマであと1話続きます。


安治川をあっちから 3

2016年06月05日 21時50分59秒 | ウォーキング

前方に大きなビルが見えてきました。



これが、弁天町駅ですね。
このあたりで道は左折していきます。

その左折時の道の突き当りが、
「弁天ふ頭」です。



今でこそフェリー乗り場は
南港のほうに移っていますが、
昔は全部ここでした。

九州へ向かうフェリーなんかも
出てましたしね。
何度か訪れたこともあります。

船の上から紙テープを流して、
悲しい別れや勇ましい旅立ちも
たくさんあった場所ですねえ。



そんな陸交通と海交通の境目
というこのふ頭が、
なんともう今は廃屋寸前です。
うう~、悲しいことですね。

涙をこらえながら進んでいきましょう。

あ、ここはご自由に
御参りくださいだって、



思わず手を合わしてしまいます。

JRの線路下をくぐり、
河川のほうに近づいていきますと、



おお~久しぶりに川面が見えてきました。



そしてすぐ上流のところにある
「安治川橋」もしっかり見えてきました。

この橋の歴史は長いんです。



安治川の上流部には
木の橋が架けられていましたが、
海を行く大型の船は背が高すぎてくぐられず、
貿易は主にここから先で行われていました。

その後、石で立派な橋が架けられ
船も通れるようになりました。

しかし、明治18年の大洪水で
上流から流されてきた橋や
その部材でいっぱいになり
流れを止めてしまったので、
これはいかんとその時に
安治川はダイナマイトで
爆破解体されたそうです。

そう、あの枚方大橋の南詰めの
あたりにあった
明治18年のあの洪水碑の
年の出来事ですね。

いやあすさまじい歴史を
背負った橋だったんですねえ。

その後橋は何度か付け替えられ
今の形になっていますが、
もう人が歩いて渡れるようには
なっていません。

ではどうしたか。

渡し舟を出せば、
こんなに狭い部分の船の
運航の邪魔になりますよねえ。

で、作られたのが

「安治川隧道」です。

この川の下にトンネルを掘り
そこを人や自転車に
通ってもらおうというものです。

まあ、こういう動きは
大きな橋のところでは
たまにありますが、
ここのトンネルは
「沈埋工法」で作られた
日本最古のものです。

あらかじめ鋼鉄のパイプを
すでに作っておき、
それを川底を浚渫して
溝を掘ったところにおいて、
うえからまた土をかけていく
という工法が「沈埋工法」です。

しかもこのトンネル、
最初は自動車用も含めて複数ありました。



でも今は自動車用は閉鎖され、
歩行者用しか使われていません。

その安治川トンネルとは
どういうところなのか
行ってみましょう。

弁天ふ頭から
ずっと歩きとおしてたどり着いた、
ここが安治川トンネル
南側の入り口です。



ここには歩行者用にエレベーターか
もしくは階段がありますね。

この二つのどちらかで
下の階段まで降りていきます。

自転車の人はエレベータですね。

そして建物の下流側には
自動車のエレベーターも残っていますが、
こちらは閉鎖中です。

トンネルの深さは14mといいますが、
まず最初はエレベーターで
降りてみましょう。

エレベーターに乗ると、
うわっ大変。

自転車軍団でいっぱいに
なってしまいました。

乗れずに「次にしよう」と
あきらめる子供もいましたね。

歩くだけなら階段を行ったほうが
よかったかなあ。

スタンドが何回かひっかりながらも
ようやくしまったエレベーターが
下っていきます。

むむ、結構思っていたより
深い感じがしました。

まあ、川の底ですから
深いほうが安心かもしれませんね。

底にエレベーターがついたら、
そこから全員ドワーッと出ていき、
空いたエレベーターには
もう次の反対側の客が
待っていて乗り込んでいきます。



なんかもう普通に自然に
客が移動していきますね。

通路はこんな感じです。



もともと鉄パイプですから快適です。

冬は暖かく夏は涼しいそうです。
さあ、ではわたっていきましょう、

と続く。


安治川をあっちから 2

2016年06月04日 20時49分05秒 | ウォーキング

ここの渡し舟は
明治38年に開設されました。

大阪港の繁栄を企図した
大阪市が港湾振興策の一環として
始めたもので、
昭和15年までは市の港湾部が
所管していましたが、
今は経営は土木部(現建設局)に移され、
現在にいたっています。

昭和12年12月1日午後9時ごろ、
渡船が突風にあおられて転覆、
軍需工場帰りの乗客53人の
犠牲者を出す事故があったそうです。

利用者は昭和42年には
1日平均1700人の利用者が
あったそうですが、
平成20年には700人の利用者だった
といわれています。

まあ、これだけ交通機関が発達した土地で、
健気に頑張っていることですな。

ここから見る景色はなかなかのもので、
天保山大橋やその麓の
天保山公園、



正面は天保山公園の観覧車、



海のほうにはATCなどがそびえています。



で、時刻表の時刻どおりになりましたら、
対岸の岸を出発した渡船が
こっちを向いてやってきます。



見ると、お~結構たくさん
載っているじゃないですか。

20人くらいでしょうか。
中でも変わっていたのが、
ママちゃりに乗った白人の
外国人さんが何人かいます。

USJの影響なんですかねえ。

もちろん、結構年配のご夫婦や、
ロードバイクに乗ってる若者、
doironのような退職者なんかも
いましたねえ。

ゾロゾロとみんなが降りたら、
こちらの4人もすぐに
乗船し船はすぐに出発します。



この日は波も静かでした。



そしてあっという間の2~3分で
もう終点です。



一日36~37往復の
この渡船の経費は
どんなものでしょう。

なんか費用対効果を期待したら、
いつまで続くかわかりませんねえ。

渡船がついたのは、
ああ~覚えています。



ここは日本一低い山、
天保山の三角点の下あたり
ですねえ。



もともとこの渡しが渡った安治川は
淀川の本来の河口でした。
そこを天保年間に浚渫し、
川をさらえて土砂で作ったのが
天保山なんですねえ。



いまは桜なんかもきれいな
公園になっています。





あ、そしたらさっきまでいた
対岸の「桜島」は
なぜ桜島なんでしょうか。

調べてみましたら、
今の安治川口の近くにある
春日出南の桜堤と
当地の埋立て権者である
「島徳蔵」の姓を
合成したからだったそうです。

じゃあ、「安治川」はなんで?
というのも調べてみましたが、
こちらは記載がなかったですねえ。

よく洪水を起こした淀川の流れを整理して、
安全な治水の川となったから
なんですかねえ。

まあ、そんな安治川を渡しでわたり、
この天保山の三角地点から
またウォーキングが始まるのです。

公園内を横切って道路に出ていきましょう。



最初は広くてちょっと寂しい道を、
遠くに港大橋を眺めながら
歩き始めます。



そして港通りの大きな交差点を
左折し橋を渡たります。





おっ、JAFってこんなとこに
あったんですねえ。



で、また港晴2の交差点に出たら



左折して、安治川に沿って進んでいきます。



といっても、安治川沿いは
工場に覆われていて近づけませんので、
殺風景な歩道を進んでいくのです。



左前方には大阪市の
中央体育館が見えてきますが、
まだまだその道を直進していきます。



道が直進過ぎて、
寂しすぎて、
神社仏閣なんかもないし
ブログネタが全然たまりません。

それにしてもここらは
大きな工場や作業所が
たくさん並んでいますねえ。



あまり近づきすぎると、
でっかい作業トラックに
轢かれそうです。

いやあそれにしても
自分がもうメインで
働いてないから言うんやないけど、
世間をこうして歩いてみてたら
世の中ってホントにいろんな人が
いろんな場でお仕事されて
いるんですねえ。

生きていくのってほんまに大変ですなあっ
と思いつつ続きます。


安治川をあっちから 1

2016年06月03日 20時45分55秒 | ウォーキング

一緒に住んでいた義母さんが、
入院してしまったので
これまでよりは気持ちに余裕ができた。

かといって遠方に歩きに行くのは、
差支えがあるので、
今回は近くの大阪市内を歩くことにした。

細かい地下鉄、JR、各種私鉄の
各駅があるので、
その気になればとっとと
交通機関に飛び乗って帰れる
というものである。

で、目的地はというと、
淀川のシリーズに関連して、
毛馬の閘門のところから
大阪市内に流れ込んでくる
淀川の支流「大川」の
まだ歩いていなかった部分を
歩くことにしたのでした。

といっても本来はこれが
淀川の本流だったんやけどね。

まずは河口のほうへと向かおう。

目的地は安治川の先頭となる
「桜島」である。

まずはJR環状線「西九条」の
駅に降り立ちます。



そうなんです。
桜島はJRゆめ咲線の
「ユニバーサルシティ駅」の先の駅です。



ということは西九条から
USJへ行こうとする人々と
同じ満員の電車に乗り、
行かねばなりません。

西九条で待ってると、
外面飾りつけを激しく施した
電車がやってきました。



おお~これがUSJに行くやつか
とおもったら
これは普通の環状線です。

で、次にゆめ咲線に入ってきた電車は
壁面にハリーポッターが
書かれてあったり、
スパイダーマンが飛び交っているような
電車・・・ではなく
普通の電車でした。



その電車に大勢の若者たちが
乗っていきます。

あれ?でも何かいかつい
おにいさんも載ってますよ。
ああ~桜島の工場で
力仕事をやっている人かもしれません。

doironが立ってたドアのところからは、
途中「安治川口」駅では
一人の乗降客もいませんでした。

そして、
ユニバーサルシティ駅に着いたら、
ドバーと乗客が降りていきました。

でもまだ結構乗っています。
朝の通勤時に松の浜の駅に
やってくる各駅停車くらいには
乗客もいるようです。
でもこの先は工場ばかりのような
桜島なのになんでかなと
ちょっと不思議でしたね。

で、終点の「桜島」です。



さあ、今日の歩きはここからです。
素早くナビをセットしスタートです。

駅の北側はUSJです。
駅を降りて歩いていくと、
USJの裏のところに
なんと従業員の出入り口があり、
多くの人がそこに消えていきました。



さっきのいかついおっちゃんも
ここから中に入っていきました。

はは~なるほどそうか。
あのおっちゃんは先に
ジュラシックの化粧を
身に着けてやってきた
特注のキャラクターだったんですね。

え?そんなことはないやろ~って?
いやあそれはわかりませんよー。

でもまあ、ここまで電車が混む
理由がよくわかりました。

で、ほとんど人もいなくなった
コンビニで、
お昼ご飯を買い外に出てくると、
すぐ近くに奇妙なジェットコースターが
走っていきました。



むむ~、怖そうなジェットコースターですが
やっぱりあの、はげしい叫び声が
一番怖かったかも知れません。

さて、ではこっから
doironは桜島を大阪市内に向かって
安治川沿いを戻っていこう
と計画しているわけではありません。

こっから海の向こうに見えている
天保山にわたり、
そこを歩いていくつもりです。

では、橋を渡るのかといいますと、
そんな歩行者橋はありません。

実は、ここには料金無料の
渡し船があるのです。



その名も「天保山渡船」って
そのままの名前ですやん。

駅を降りたところから、
道に道標が出ていました。



デザインから見てUSJの
協力で作られたんでしょう。



そして資料も見ながら
大きなトラックがひた走る
工場のそばをぬけて行きますと、



突き当りの岸壁に
天保山の観覧車をバックにして
渡船場の看板が見えてきました。



この庶民の魚釣り場
みたいな堤防の向こうに
渡船場がありました。



でお、船が止まっているわけではありません。
待合室には誰もいないし、
出向した後だったんでしょうか。



待合室の時刻表をよく見てみますと、
基本00分と30分に天保山を出発し、
こちらについたら客を乗せて
直ぐに出るそうです。

なるほど、天保さん側に本部があって
折り返し運転をされているようです。

到着時間から見たら
10分ほど時間があるなあ、
と思っていたら
客が3人ほど現れましたとさ。

続く


ポンポン歩いた 3

2016年06月02日 21時15分41秒 | ウォーキング

虫よけを兼ねて持ってきた
ポールを振り回すこともなく
快適に歩いていると、
もう山頂が近いようです。



本当にずいぶん快適に上ってきました。

この登山道は「東海自然歩道」
の一つだそうです。
箕面の駅前のこの碑から
続いてきているのですね。

なかなか気持ちの良い道路でした。
たまにはこういう道を
選んで歩くのもいいかもしれませんね。

そうしていよいよ



標高678.9メートルの
ポンポン山の山頂に到着です。



え~と三角点はと言いますと、
おお~これです。



山頂札の前の石の中に
埋もれるように立っていました。



ここは二等三角点のようですねえ。

そして山頂札の前で記念撮影です。



で、ここで気になるのは、
はたして「ポンポン山」の名前が
正しいかどうかですね。

でもねえ登山者がたくさんいる中で
「ポンポン」と地面を踏みつけるのには
恥ずかしくて、抵抗が・・・

いやあ、まったくありませんねえ。

踏んでみましたが、
若干地面が軟いような気がするだけで、
さすがに「ポンポン」などという
音は聞こえてきませんでしたね。

でもまあこの山頂は明るくて、
「ポンポン山」という雰囲気に
ぴったりの山かもしれません。

眺望の方はといいますと、
東側、南側の景色は





ところどころ見渡せます。

写真への写りは悪いのですが、
地元のほうに流れる淀川も
くっきり見えていましたね。

この辺りは、背割り提以降
つい先日歩いたあたりのコースでしたね。

さあて、ではここで昼食です。



今回は皆さんが持参の
おにぎりを持ってくるように
言ってあったのと、
doironが沸かしたお湯で
味噌汁をいただきました。

塩分補給にいいかもね。

食べている間にも人が
たくさん上ってきます。

見ていると、山に来たというよりも、
若干動きやすそうなだけの
服装の人も多いですね。

ちょっと気軽ですけど、
何があるかわかりませんよ。

この辺りはクマのほか



野生の日本シカもいるそうですし、



意外に奥深いかもですよ。

そしてこの時思ったのですが、
なぜか若い人たちは
大集団で登ってきたりします。

あっという間に混雑したりして、
なかなか人気の山のようです。

そうそう、この山には
トレイルランナーの人たちも
たくさんいました。

今まで行った山の中で
一番多かったかもしれません。

確かに道は広く、
きれいに整備されているし、
人が多い分安心感が高いのかもしれません。

さあて、食事も終えて
では続きを歩き始めることにしましょう。

食べた分、背中のリュックは
軽くなりましたが、
体は重くなりますなあ。

次に目指すのが、
島本町最高峰の

「釈迦岳」です。

標高は631mと
ポンポン山より低いので
まあ、あとは下り基本となるわけです。
頑張っていきましょう。

上ってきた登山道を
ちょっと戻ったところで



東向きにすすむ分岐があるので、
そこを釈迦岳のほうへ向かいます。

このあたりから、
途中善峯寺や小塩山のほうに
分かれる分岐点をいくつか通りますが、
釈迦岳を迷わず目指しましょう。



まあ、山に登るときは
目的地以外の場所も
ある程度頭に入れておいたほうが
道標も間違いなく
選べるってなもんですな。

「釈迦岳」は水無瀬川の最上流地点で、
お釈迦様が守っていた山
ということでついた名前です。

ここがその山頂。



三等三角点が埋まっていました。



ここから結構な急角度の下りが
続いていきます。



途中こんな巨大な
サルノコシカケを見かけましたな。



でもこんな急な下りだったら、
コースを時計回りにしてよかったかもです。
いきなり急角度を登っていたら
ばてているかもしれませんしね。

そしてようやく登り口の道路に出、





予定のバススタートまで
15分余りのいいタイミングで
再び川久保に出ました。



歩いた距離は、
12.9キロとまあまあの距離。
ただ家とかがないので
地図には何も乗っていません。

でもまあ初心者の皆さんもさほど汗もかかず、
快適な山道で喜んでくれたようです。

ポンポンと山を歩いた帰りは、
阪急高槻駅前で手ごろな
居酒屋さんを見つけ、
ビールで乾杯しすぎて
おなかをポンポンならして帰った
「ポンポン山歩行」終わりです。


ポンポン歩いた 2

2016年06月01日 20時58分55秒 | ウォーキング

それなりに道を上がっていきますと、
まず最初に本山寺のほうに出ていきます。

役小角が草創したお寺で、
彼が制作した日本最初の
毘沙門天が祭られているそうです。



またこの辺りは天王山の戦いの近地ですから、
いわれの中に当時の出来事や
出演者がいろいろと入っています。

興味のある人は学んでちょうだい。

ここがその本山寺の参詣者用駐車場です。



山登りの人は止めないでしょうね~。

途中、道をグングン上りながら、



役行者の衣掛の松があったりします。



この場所は南部の葛城山や
大峰山を遥拝する場所
であったそうです。



そしてここには、
復興の後「良慧」が融通念仏を修した
草案である「櫓塚」の石碑の跡
なんかもありました。



またさらに「勘定掛」と言われる
十二筋のしめ縄が飾られています。

う~ん、病後初めての山行き
ということでこんないろいろと
癒されるものをじっくり
眺めていきましょう。

こんな水かけ不動と
伝教大師を眺めながら、



急な階段をとことこと
上ったところが本堂ですね。



お参りをして、
本堂の右側から「ポンポン山」への



登山道が続いていきます。



でもまあ北摂の山に行こう
という人たちなら
まずはこの山なんでしょう。



ここは大阪緑の百選です。

通る人たちも多いので
きれいに整備されています。



そういえば、前の職場の先輩で
僕らよりも5年くらい早く
退職したひとが高槻に住み、
このあたりの山の整備を
半分ボランティア仕事で
やっていると聞きました。

でもねえ、熊注意ですよ、



さぞかし危険な目にも
合ってるんじゃないでしょうか。

先日、山でタケノコ彫りを
しているひとが
クマに襲われて亡くなってますねえ。

でもねえ、そのとき何人かが
クマに襲われたみたいですけど、
一人の人が
「大きな声を出しながら、
クマの頭をげんこつでポカン
とやったら逃げていきました」
なんて言ってたなあ。

クマに襲われたら
まあそんなこともあるんですねえ。

でも合わないのが一番。

この日一緒に行った人たちは
おしゃべりな人が多かったので、
多分クマ錫いらず
だったかもしれませんな。

山にいるのは熊だけでもなく
このように木をタオルで多い、
ラップをかけてある姿は、
キクイムシなどの害虫駆除ですかねえ。



あ、そういえば
ラップの中には変な虫が
入っていました。



これはキクイムシですかねえ。

う~ん、そのあたりの生き物は
よくわかりません。

でもこういう木がこの辺りには
とても多かったです。



まあ、回答は

「ああ、そのタオルには薬がまぶして会って、
しかも幹から飛び出してきた幼虫が
外界に出ないように遮断しているんでしょう」
などとジダンがしてくれるでしょうよ。



てくてくと登っていくと、
そこにあったのが「天狗杉」です。



日本の巨大な幹が伸びており、
その木の枝々は
北摂を駆け巡る天狗の休憩所
であるといわれています。

一方、地図を見てみますと
そこには「夫婦杉」とも
書かれています。

ネットで確認してみたら
同じ木のようですね。

まあ、木の生えている形から見たら

「夫婦杉」、

木の様子から見て

「天狗杉」といったところでしょうか。

登山道とは反対側に
お社がたてられていました。



もしdoironが37年前にこのコースで
ポンポン山に行ってたとしたら、
この木も見てるんでしょうねえ。

全然記憶にありませんなあ。

その後も杉林の中の道を、
こんな竜の背のような道を通ったり、



階段なんかを踏み越えながら



進んでいきます。

このあたりの道、
とても尺取り虫やこばえが
多く発生すると言われている
土地なのですが、
今年は発生がまだまだ
確認できません。



前に人が歩いている
というのもあるかもしれませんが、
まあ快適に心地よく
汗を流すことのできる
いいコースだと感心しながら、続く。