ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

丹後方面カニ歩きツアー10

2020年01月21日 20時56分00秒 | ウォーキング

道の駅でいろいろとお土産を買い、
出発していきます。

次に立ち寄ったのが、
若狭三方縄文博物館です。



施設が大きいのと三方五湖に
接しているために広い公園風ですね。
縄文館の中には入りませんでしたが、
公園内をウロウロと散策しました。




湖が静かで気持ちよかったなあ。
ここは鳥浜貝塚の遺跡発掘の調査や
年縞といって三方五湖のひとつ
水月湖の底にたまった
沈殿物の形とかを取り上げている
施設だそうですが、
むつかしそうですねえ。

スルーということで意見が一致しました。

ではまたまた車を走らせていきましょう。
で、途中こんな表示がありました。
この道は「鯖街道」なんだそうです。



小浜藩から京都へ物資を運ぶ道で、
特にサバが多かったから
こんな名前になっています。
ここを走るウルトラマラソンが
ありましたねえ。
将来走るんやろなあと思っていたのですが、
それより先に引退になりましたなあ。

そして琵琶湖の北側あたりは
結構山に雪が積もってますねえ。
じつはこの日はこの辺に昨春に
新しくできた箱館山テラスに
行く予定をしていたのですが、
ちょっと今日の装備では
あの雪山に登っていくことはできません。
あきらめることにしました。

昨晩ビールを飲みながら、
今日の活動をいろいろと
検討していたのですが、
もうひとつ名所として
メタセコイア並木があるとのことでしたので、
じゃそちらに向かおうということになりました。

それにしても滋賀県はいいですねえ。
田舎はとっても静かで
のんびりしていてねえ。

以前、琵琶湖駅伝に出たときに、
最終地点まで応援で回ったのですが、
車でかなりウロウロしたものの、
意外に幹線以外の道路は
かなり複雑でした。
そうして地元以外の人たちの侵入を
さりげなく拒んでいるような感じで、
静かな雰囲気を保っている気がしましたね。
ナビに導かれて走っていくと、
おお遠くに並木道が見えてきましたよ。



ここがそのメタセコイア並木です。



こうして端っこの方は
観光客も少なくまるで絵本の中に
来たようなとっても異次元的な感じです。

長さ2.4kmにわたって
メタセコイア500本が植えられ、
読売新聞社の
「新・日本の街路樹100景」に
選ばれています。

中ほどまで行くと、
でかい駐車場も整備されており、
食堂やお土産屋さんなんかも
整備されています。
ただまあその辺まで行くと
皆さん道路に出てきていて
写真を撮ったりしていますから



運転にはかなり注意が必要です。

ここまで来たのですから、
こちらも駐車場に車をとめて
見に行ってみましょう。



いやあなかなかのものですねえ。
ここでマラソン大会とか
あったら面白そうですねえ。
あるかもですね。

何枚か写真をとり、
施設の方にも入ってみましたら、



おお~なんとここではあの
フルタのメタセコイアチョコが
大もてでしたね。
いやあほんとにいいものを見ましたね。
また季節を変えて行ってみたら
いいかもしれませんね。

さて次は先ほどの箱館山テラスが
雪だったので、それじゃ琵琶湖テラスに
行ってみようと向かったのですが、
なぜかこの日は琵琶湖テラスも
休みということです。
ロープウェイが動いていないなら
ダメですねえ。

残念。

この琵琶湖のテラス関係には
なかなか縁がないモノです。

そのあと風車村の方へと移動です。



ここでトライアスロンに出たんだよ
とかいいながら、
立派な食堂でランチです。



おいしいカレーをいただきました。



このあたりも結構整備されて
気持ちよさそうでしたが、
利用料がねえ、ちょっと
庶民ウォーカーには高かったかなあ。

今回の旅はこれで終わりです。
この後高速道路に乗って
大阪まで一直線。

丹後からカニのように横に移動し、
琵琶湖周辺も訪ねた楽しい旅行でした。

天橋立も十分歩けたし、
カニ三昧だったし、
こんな旅行もまたまたあれば
ぜひとも参加してみたい
と思ったdoironなのでした。

おしまい

 


丹後方面カニ歩きツアー9

2020年01月20日 21時18分48秒 | ウォーキング

泊ったのは、三方五湖の
すぐ横にある町営の宿泊所。
まずは温泉に行きましょう。

結構気温も低いので
温泉も気持ちよかったなあ。
ゴシゴシと今年2019年の疲れのアカを
ごっそりと落としてゆきます。

え~貧乏のアカも落ちますように。
放浪癖のアカも落ちますようにって、
これはまあ別にいいかな。
ま何よりも病気のアカが落ちますように。

え~っとこの温泉の効能は
「神経痛、筋肉痛、関節痛、
五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、
うちみ、くじき、慢性消火器病、
痔疾、冷え症、病後回復期、
疲労回復、健康増進、きりきず、
やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、
慢性婦人病」とこうなっていますよ。

う~ん、金欠病にも効けばいいのになあ。
あれ?脳梗塞や心筋梗塞はないですねえ。

「あなたの凝り固まった脳や、
心臓の激しい疲れも回復」
なんてあればねえ。

ま、でも疲労回復、健康増進に
期待しましょうか。

温泉の御本尊様によく
お願いしておきましょう。

今日もいろんなお寺や神社に
お参りしたから、合わせて
ご利益も満載になるでしょう。

そして入浴後はいよいよ
この度の本命であります、
カニとのご対面です。



ズワイガニ様、エチゼンガニ様、
マツバガニ様、タイザガニ様が待ってるよー。
あ、これはみんな同じカニの別称ですがね。
そしてテーブルに置かれてあったのが、これ。



一杯のカニと左にカニすき、
そして右にはカニのご飯。
あ、こういうときのカニの数え方は
「杯」ですね。
中に水が注げるような形ということで、
あの大好きなイカもそんな数え方です。
そしてなんとなんと右下の方には、
蒸しアワビです。
あ、アワビもまた食卓の上では
「杯」で数えられたりしますね。
ウヒャー、もうありがたい御本尊が
並んでおるわけです。
ではちゃんとお参りしましょう。
ろうそく代わりにビールで乾杯!
時折お酒も混ぜていきますよ。
ありがたやありがたや。
みんな言葉も少なくお参りしています。
カニをつまんでいるだけ
という節もありますがね。

カニ足をたらふく食べた後は、
体を広げて、カニミソと
混じるようにまたまたお酒を
注いでゆきます。

う・ま・い。

そしてもううれしすぎて
写真を忘れましたが、
このあともうまるで秘仏の仏さんの
御開帳のように、焼きノドグロも
ついてきます。
そんなごちそうの境内で、
われらは今日の歩きを反省しつつ、
そしてまた次の歩き候補をあげて
ゆきつつ、超盛り上がって
ゆくのでした。

食後はまたまた温泉へ、
そして部屋でイカのおつまみを
つまみながらもまたまた宴会。
いやあもうありがたいんだか
なんなんだかよくわかりませんね。
にぎやかな宴会もいつの間にやら
静かになって、三方五湖の夜は
静かに馥郁と過ぎていくわけです。

さて朝食です。
メンバーは「朝食にカニの味噌汁とかは
もういいよなあ」とか言っております。

で、出てきましたのがこれ。



あ~そんなにまだまだ
かにこってりじゃなくてよかったです。
焼きサバがうまかったですね。

おなか一杯になったら、
三方五湖の周りを少し散歩です。
このあたりは塩分濃度が少ないのかなあ。
あまり潮の香りはしなかったですねえ。
この湖の周りにも
歩きコースとかあるのかなあ
なんて言いながら歩きまわります。

さあ、では歩き旅も二日目に入ります。
車に乗って、琵琶湖の方へと
向かって行くことにしました。
小浜の方から敦賀の方へ
カニ歩きのように移動していきます。

あ、道の駅がありましたねえ。
お土産を見ていきましょう。
思っていたカレイはありませんでしたが、
おおきなタラの実があったので
お土産にひとつです。

あ、こんなポテトがありますよ。
あぶりへしこ風味やて。



どんなんなんでしょうねえ。

続く


丹後方面カニ歩きツアー8

2020年01月19日 21時15分19秒 | ウォーキング

フェリーはこんな感じと
写真を撮ろうと思ったら
ブレブレです。



双胴船ですね。
席に座って12分で対岸に到着です。
え~3.6キロを12分ですから、
まあ全力で走って同じくらいですかねえ。
景色もきれいですが、
あまり変わりないので
あっという間に到着って感じですね。

では次は西国三十三所の
松尾寺に行く予定ですが、
参加者が伊根の町が見たい
というので、一旦車で
寄っていくことにしました。
もうここではdoironも
運転ではありませんので
助手席でのんびりです。
阿蘇海をぐるりんと回っていきます。
国道178に入り、のんびりやね。
先ほど行った籠神社の横を
抜けて進んでいきますと、
道は海沿いの小さな
狭い道へと入っていきます。

目指すのは道の駅「舟屋の里伊根」ですが、
道沿いにはこんな休憩所的な
ところがあります。



ここからだと、舟屋の家々が
近くに見えますねえ。



写真はこんな感じになります。



そこからさらに奥へと進んでいきますと、
道の駅に到着です。



遠くに海沿いの家が一杯並んでいます。
入り江になっているんですねえ。



特徴ある舟屋の町。



なんか地域の人たちの故郷愛の
強そうなところですねえ。

さあでは、また丹後半島を
カニのように横歩きの感じで
東の方へと移動していきましょう。
先ほどの道をまた戻って行きます。

途中ねえ、お土産に天橋立付近で
よく売っているカレイの干物を
買いたかったけど、
次の松尾寺に行くには
天橋立に行く前に
高速道路に入っていきます。

乗り口は「与謝天橋立」です。

ここから綾部宮津道路を通り、
綾部からは舞鶴若狭自動車道に
入っていきます。

結構、有料道路が発達してますねえ。
国会議員の力のおかげですかねえ。
スムーズに進んでいきます。

実は、納経帳を書いてもらうのには、
やはり四時前くらいには
到着しないといけませんね。
駐車場からどれくらい
歩くのかもわからないしね。
すこし時間を気にしながら、
高速から下りた下の道を
なぜか枯葉で埋もれている中を
かき分けながら登っていきますと、
その駐車場に着きます。



時間は3時45分くらいでした。
まあこれで何とかなるでしょう。
本殿も近いようですしね。



山門の仁王像は何と写真でした。
解体修理をした後は
宝物殿に置かれているそうで、
こんな措置がとられています。



ありがたいんだか、どうなんだか。
そして本尊の方へと行きます。



ここは西国三十三所の29番札所です。
三十三所のうちで、ここだけが
唯一馬頭観音が本尊となっています。
なので牛馬畜産や車馬交通、
競馬関係者の信仰を集めていますねえ。
最近競馬でおいしい思いをしていないので
しっかりとお参りしておきましょう。
ただし本尊は秘仏です。

でもまあお参りはいつもと
変わりありません。
いつものお参りに
競馬のことも付け加えておきます。

そして、本尊から少し離れたところに
ある納経所までせっせと歩いていき、
記帳をお願いします。
いやあ何とか間に合いましたね。
300円で記帳してもらって、
よしよしです。
23寺目ですね。
順調にここまで来ましたねえ。
このまま頑張っていくと、
今年中には全部集まるかもですね。

さあ、初日の旅はすべて終わりました。
これから今日のカニの宿へと
向かって行きます。

今日の宿は、三方五湖の周りにある旅館です。
目的地をナビにいれ、あと少しです。
運転頑張ってくださいよ。

下道を通り、小浜の駅のところも
過ぎてゆきます。



このあたりは小浜マラソンで
来たことがありますし、
以前この辺りの原発を
見て回る旅でも通ったことがあると思います。
それにしても日が暮れるのは
早いですねえ。
あと少しでカニの宿が待ってるぞ。

ナビの到着時間の残りとかも
見たらもうかなり近いようです。
割と大きな宿ですから、
三方五湖の湖面にうつっているようでしたね。
そしてついに午後5時前に
カニ宿へと到着となったのでありました。

続く


丹後方面カニ歩きツアー7

2020年01月18日 20時34分58秒 | ウォーキング

願い事がかなうことから
成り相う寺ということでついた名前。
高野山真言宗のお寺で
見どころも結構多いですねえ。
バス停のところにも見どころの表が
張られていましたね。



まず山門の仁王像は運慶の作
といわれています。
運慶とはねえ、
あの東大寺の金剛力士とか、



興福寺の無著なんかの作者で有名ですね。



まあ当時としては超メジャーな
仏師ですねえ。

これがその仁王像です。





あまりこういう仁王像って
印象に残らないけど、
さすがに運慶作と聞くと
じっくり見てしまいます。

そこから、鐘がぶら下がっている
お堂の前に出ます。
これが「撞かずの鐘」といわれています。



鐘を新たに作るからと、
寄進を求めたのですが、
それにこたえられない女性が
赤く燃えたぎる銅の中に
自分の子どもを投げ入れたんだそうです。
それゆえこの鐘は鳴らすと
こどもの泣き声に聞こえるので、
だれも撞かずにこういう名前に
なっているそうです。
恐ろしい話ですねえ。



さあて本殿が見えてきました。
このあたりは標高も高いので、
あちらこちらに雪が残っていますねえ。



本殿横のここにあるのが
「一願一言の地蔵さん」です。



願いを一言でお願いすれば
かなうそうです。
え~っと長~い一言を考えてから
お参りしましょう。
説明書きの文書の最後には
「安楽ポックリの往生もかなえられる」
と書いてあります。
doironも安楽ポックリでしたが、
あの時はかなえられませんでしたね。

やはり願いは「健康長寿」が
いいようですな。

さあてでは本殿におまいりしましょう。
ここの本尊は、足を削って
僧に食わせた聖観世音菩薩で、
別名身代わり観音と
いわれています。
ろうそくを灯し、線香をたき、
納め札を入れ、お賽銭をあげて
お参りします。

もうすっかり馴染みのお参りです。

そしてその後はご記帳です。
この納経も22寺たまりましたねえ。
あとはまだまだ遠い所が
残っています。
早く集めたいのですが、
全部回ってしまうのも寂しくて、
少しずつしっかりと
お寺周りをしていきましょう。

さあ、これでこの寺は終わり
と思ってはいけませんよ。
ここにはまだまだ見どころがありますよ。
まずこの寺の重要見どころのひとつ、
左甚五郎作の「真向の龍」です。
それが本殿の上部にあるこれです。



見事に龍が彫られています。
この龍は、見る位置を変えても
いつもこちらを向いている
ように見えるところから、
そんな名前になっているんですね。

そしてここが、五重塔ですね。



その先にある展望台からは、
天気によっては能登半島まで
見えるんだそうです。

残念ながらこの日は雨交じりの
天気でしたので諦めました。

こうして第28番札所の成相寺の
参拝は終わりです。
バスに揺られ、ケーブルに運ばれて
ケーブル駅の府中まで降りてきました。

さあ、では船に揺られて
車のとこに帰ろうとしたのですが、
まずフェリーの時間を確認すると
ちょうど出たところでした。
なのでまあここで昼食にしましょうか。

先ほどケーブルに向かっているときから
実はあたりを付けておいたのです。
この場所で売られている
アサリどんぶりを食べようと、
食堂に入りました。



まあもうここからは運転を
お願いしまして、さっそくに
ビールを注文しましたで。

のどの渇きとビールを飲みたい
気持ちの橋掛けですなあ。
食事後はもう少しフェリーまで
時間がありますので、
籠神社の方にも参っておきましょう。



国道178をわたるとすぐに籠神社です。
ここは豊受大神と天照大神を
祀っていたという「元伊勢」の
ひとつですね。
なので鳥居もこんな伊勢鳥居。



中に入っていくと
さざれ石なども置かれていました。



ここもお参りして、
さあではフェリーの方へと
向かいましょう。

続く。

 


丹後方面カニ歩きツアー6

2020年01月17日 21時31分42秒 | ウォーキング

天橋立も縦走し終わり、
これからは又覗きで有名な
傘松公園を通り、
西国三十三所の第28番札所である
成相寺を目指す旅となります。

橋立の松並木を出て
阿蘇海に沿ってしばらく歩くと、
フェリー乗り場のところに出ます。
帰りはもしかしたら、
この船に乗り文珠様の方へと
返っていくかもしれないので、
時刻表を確認しておきましょう。

え~っと、まあまあ頻度は
一時間に一本程度はあるようですね。
じゃあ、まあ利用しましょうかね。
なんて話していると、
愛想のいいお姉さんがいろいろと
説明をしに来てくれます。

ここから成相寺の方へ行くには、
船の切符を買っておくと、
お得な制度もありますよとのことで、
ここで船やケーブルなどの
切符を買うことにしました。

帰りは成相寺から歩いて
下るかなあとか思っていたのですが、
意外に天橋立の歩きの感触が
こってり残っているので、
もうここはリフトしちゃおう
ということにしました。

国道178をわたり
籠(こも)神社を横目で見ながら



リフトの駅の方に向かいます。
おお、ここはなんと府中駅です。



なんかJRの和泉府中を
連想させて懐かしい感じです。



ところが、なんと駅の外側に
乗客の行列です。
ウヒャー、こんな12月の寒い時期に
こんなに観光客が来るというのも、
さすがに日本三景天橋立です。
ツアーなんかも来ているのかなあ
とかいいながらも、
もう切符も買ってあるので
待つことにしましょう。

しばらくしたらリフトが降りてきました。
二両編成の大きな奴ですから、
意外に乗客が入ってゆきます。
何組かの乗客を残して、
何とか中に入ることができました。



このケーブルに乗るのは4分ほどです。
後ろに天橋立を見ながら



どんどん上がってゆき、
傘松公園に到着です。

ウワー結構な観光客が居ますねえ。
駅の横の展望台には、
こんなはみ出た観光台なんかもありますよ。
写真を一枚ゲットです。



その横に成相寺へ行く
バス停がありますよ。



こちらはあまり多くの人で
にぎわっているわけではありません。
あまり若い人達も行かないだろうしね。
バス停にはこんな飾りもありましたよ。



そういえば、天橋立にも
こういう飾りがありました。



ハートが好きなんですねえ。
「陸と陸をつないでいるのが天橋立なら、
僕と君の心もつながっているよねえ」
なあんてことを言っちゃたりなんかして。

ここから山を歩いていくのも
いいのかもしれませんが、
まあ初めてのところだし、
まだまだこれから行くところもあるから、
しばらく時間があるけど
バスを待つことにしました。

天気ももう一つのようですしねえ。
後で考えたら歩いて行っても
よかったのですが、
こんな風に急に木の葉が
舞うような天気になってきたし、



雨までパラパラしてきたので、
それでよかったようです。

こんな場所で又覗きを
したりしながら待ちました。





そうしているうちにバスがやってきます。
さあでは成相寺へと向かいましょう。

すると、バスが結構
うんうんいうくらいの急坂を
登っていきます。
ああ歩かなくてよかったです。
前から車が来たら
すれ違ないような道を走っていきますが、
まあこちらへは自家用車は
入ってこれないので安心です。

時には紅葉が、時には激しい雨が
我々を迎え入れてくれます。

バスで6~7分登ったところで
寺に到着します。
でも考えたら、普通乗用車で
近くまで上がってこられる
道があるので、
意外に人は多いですねえ。

この寺は成相山成相寺。



昔雪深いこの山で
僧が餓死寸前になった時に
鹿を見つけ、またを削いで
食べたら元気になったという。
ところがその後本尊の足が
切り取られていたところから、
観音さんが助けてくれたんだ
とわかり、本尊を治す=成合から
ついた名前だそうです。

続く

 


丹後方面カニ歩きツアー5

2020年01月16日 21時17分12秒 | ウォーキング

さあまだまだ命名された松は続きますよ。
これは「阿蘇の松」と名付けられています。
天橋立の西側に立つ名松ですね。



そしてこれが見事に二つに割れて
その後寄り添っていますねえ。
なので「夫婦松」。



ふーん、こんな松って名称札まで
つけて名付ける必要があるのかなあ
って思いますよねえ。
それにこれは「なかよしの松」って、
どないやねんって感じです。



そしてこれは「羽衣の松」。



これはねえ、何となくここにあったと
名付けるのもわかるんですよ。

以前ランニングクラブのカニツアーで
来た時に取材をした
「売布神社」にも天女の伝説や
浦島の伝説なんかもありましたからねえ。
丹後半島あたりには
ちょっと特殊な神様の伝説があるのですから、
ここの松も天女が羽衣をかけた松
というのは、ちょっとこの辺りの
そういう伝説を思い浮かばせる
命名なんですね。

そしてこれは「雪舟の松」です。



この天橋立の絵を描いた
雪舟の名前を付けられています。
なぜ、ここに雪舟が?
という疑問がわけば、
あの国宝である絵にたどり着くわけですね。



そしてこれが「小袖の松」。



これは木の姿から名づけられましたね。
松の枝が程よく垂れ下がり、
小袖をかけているような松だから
こういう名前にしたそうです。

まあこの辺はいろいろと
名付けた松であるというのが
よくわかりますねえ。

これは大きな松ですねえと思ったら
「見返りの松」と名付けられていました。
でもその先にあったといわれる
「双龍の松」も大きかった
といわれていますが、
なんと台風で倒されてしまったんですね。


ここにはその松の木も
置かれてありました。

そしてここにはその台風の
案内がありましたよ。



平成16年の台風23号。
この台風が天橋立の松247本の
命を奪い去ってしまったそうです。
まあ管理している人たちには
惨状だったようです。

この年の台風はdoironも覚えています。
でもさあ、保存しておこう
という気持ちはわかるんですよ。
だったらこんな保存でいいのかなあ。
もうちょっとなにか保存方法は
ないのかなあって思ってしまいますね。
痛ましさは出てますけどねえ。
でも長期保存を考えたら
これでは無理ですねえ。
予算的な措置とかむつかしいんでしょうねえ。

かわいそうにとdoiron
思わず手を合わせておきました。

そしてそのすぐ横で、
「里帰りの松」と称して
数々の名松の再生に向けて、
切り落とした枝を
育成しているところがありました。



近辺の人々の天橋立を
愛する気持ちがよくわかります。
そしてここまで来ると、
もう向こう岸が近づいてきました。

こんなもうすぐ始まる
大河ドラマの旗もまた立っています。



なんかこんな取り組みを見ただけでも、
早く見たいなあって気になりますね。

そして、これが最後の名前のある松です。
このあたりは船越といわれていたので
「船越の松」といわれています。



さあということで、
名松を数々と揃えてきた松並木も
ようやく終わりです。



いやあ、ここの松なんかを
写真で思い出しながら
描くのは大変でしたねえ。
さすがに日本三景の一つといわれた
天橋立のことはありましたね。

数々の名称や、地域の人たちの
熱い想いがいっぱい詰まっていました。

そんな並木を出たところに
こんな碑があります。



全国健称マラソン発祥之地と
書かれています。
60歳以上の方を対象に
行われるマラソン大会で、
天橋立を往復する大会として
行われたそうです。

その後も日本全国に会員が増え、
各地で大会が順次開催される
ようになったそうですが、
10回ごとの節目の大会は、
この天橋立で行われるそうです。

いやあ、今だったら60歳以上でも
すごい早い人もいるんでしょうねえ。



その後阿蘇海の横を歩いて、



お土産街に入ったら、
天橋立の縦走歩きは終わりとなります。

でも続く

 


丹後方面カニ歩きツアー4

2020年01月15日 21時27分12秒 | ウォーキング

この天橋立神社があるところは
「濃松」といわれている地域です。
いやあ、そのまんまの地名ですねえ。

そしてその神社は磯清水が



近くにある所から
「磯清水神社」と
いわれていたこともあるようです。

まあ天橋立に来たんですから
しっかりお参りもしておきましょう。
この神社の横には大きな
砲台が置かれています。



大正時代に、海軍の思想の普及のために
ここに置かれたそうです。
物は大したことはないんでしょうが、
昔の軍の姿勢がうかがえるものとしては
貴重なんですね。

さあ、ここから命名された松が続きますよ。

これが、「晶子の松」。



橋立を詠んだ与謝野晶子に
ちなんでつけられた松ですね。

松というのは常緑高木。

でもこの松は葉っぱが
結構枯れていますねえ。
松くい虫?だったら
もっと手当されているよねえ。
あまりにも寒いから?
そんなこともないでしょう。
ちょっとこの枯れ具合は心配ですねえ。
やっぱりこんなけたくさんの
松があるのだから、
管理は大変なんでしょうねえ。

そしてその近くには
「御手植えの松」というのが
二本あります。



一本は明治40年に
当時皇太子だった大正天皇が
植えられた松です。



そしてもうひとつが
大正5年に昭和天皇が
皇太子の時に植えた松なんだそうだ。

結構天皇家もここへきているんですねえ。

この辺にはいろいろと松がありますよ。
これは「小女郎の松」です。



これはこのあたりの
物語に関連します。

昔々、天橋立にはきれいな女性に
化けるという狐が居ました。
その狐が船の食べ物を荒らしたそうで、
それを知った船の持ち主が怒って、
狐を殺そうとしたら
いつの間にか狐が大根と
入れ替わっていたという
話があります。
そんな天橋立小女郎の通った道なんかが
近くにあるということで、
こんな名前が付いたんですねえ。

もう道の右や左をウロウロと
探索しながら歩いていきます。



阿蘇海には鳥がいっぱいいますねえ。
この海が静かで魚の産卵場所でも
あるそうですから
小さな魚がいるのかもしれませんね。
阿蘇海の名前の由来は
昨日書きましたねえ。
ではこの辺りの市名である
宮津の由来はどうでしょう。

これはねえ、宮津市役所の
横にある和貴宮神社なんですねえ。
昔はこのあたりまで海だったそうで、
海のすぐそばに小さい宮があるから、
宮津という名前になったんですねえ。
ぜひ行ってみようと思っていましたが、
忘れてしまいました。
また次の機会に行きましょう。

こんな天橋立の植物を
紹介する案内も立っていましたねえ。



でもここには記載のない
アキノキリンソウが咲いていましたよ。



そしてここには案内の無い
石像があります。



屋根もつけられているんですねえ。
前掛けや花も添えられています。
天橋立のほぼ中間点で
くるのも大変なのに
大切にされているんですねえ。

雪の時でもこうして
祀られているんでしょうねえ。

このあたりには「御上陸の碑」があります。



明治40年に後の大正天皇が
上陸されたという碑です。
先ほどの御手植えの松を
植えられたときでしょうねえ。

ほぼ半分まで来たというのに
まだまだ見どころが続いていきます。



これは「千貫松」。
いまはいろいろと手立てがされていますが、
さぞや立派な松だったんでしょうねえ。

解説には千貫目の値打ちの
あった木と書かれています。



おっ、ここには芭蕉の句碑がありますよ。

「一声の江に 横たふや ほととぎす」
一声碑と呼ばれています。

でもねえ芭蕉がここに来たという
記録はないそうです。
でも宮津の人たちは芭蕉を
リスペクトして隅田川の光景を
うたったこの歌を、
天橋立にだぶらせて
ここに句碑を築いたそうです。
いやあなんか面白いエピソードですねえ。

続く


丹後方面カニ歩きツアー3

2020年01月14日 21時05分39秒 | ウォーキング

知恵の松の横には、


歌碑が立っています。
与謝野寛、晶子夫婦の歌碑です。

寛の父が加悦町といって
丹後半島内部の町の出身だったので、
二人はよくこちら方面に来たそうです。
そんな時にもこの天橋立に泊り、
歌を詠んだりしたそうで
その記念に地元の人たちが
ここに歌碑を築いたそうです。

「小雨はれ みどりとあけの 虹ながる
 与謝の細江の 朝のさざ波」寛

与謝というのはこの人の
名前より土地の名称をあげています。
「与謝郡」というのは今もある地名です。

「人おして 回旋橋の ひらく時 
くろ雲うごく 天橋立」晶子 

当時小天橋の回転は人が押して
動かしていたことが
この歌からもわかりますね。



そしてその歌碑の近くには、
昭和25年のジェーン台風の
復興に向けて天皇陛下から
お言葉をいただいたことに対する
恩賜の碑があります。

終戦後、国民に向けて出された言葉は
それはそれはありがたい
ものだったんでしょうねえ。

そしてその横の松の根元には
ごみが置かれていますが、
あれ案内が立っていますよ。



「雲井の松」

と書かれています。
写真を撮っていたら、
掃除をしている人が、
「ごめんね」と謝ってはりました。

いやいやいいんですよ。
皆さんのご努力に比べたら、
こっちはおっさんの戯れですからね。

それにしても雲にそびえるように
立つ松なので「雲井の松」ですかあ。
う~ん、こんな感じで
松に名前を付けたとしたら
このあとどれくらい名物の
松が続くのでしょうかって
感じですねえ。
頑張って歩いていきましょう。

ここには「萬籟」の句碑があります。
荒木萬籟、江戸時代の俳人です。



そしてここには、
ちょっと変わった形の石が
ありますねえ。



父の仇を追ってやってきた
岩見重太郎が刀の切れ味を
試すために切った
といわれる石だそうです。



いやあこんな石を切るなんて
まるでライトセーバーですねえ。
ではフォースと共に
進んでいきましょう。

ここにある細い松は、
きれいな女性にたとえられて



「式部の松」といわれています。
あの和泉式部をイメージしたそうです。



そしてこれが「蕪村の松」の案内です。

与謝野蕪村が松の絵を
描いたことから定められているそうですが、
どうも近くに松がなく、
倒れた幹があったので、
多分台風か何かで
折れてしまったのかもしれません。

そしてここが岩見重太郎の
仇討の場です。



三人に対して仇討をしたとか。
いやあすごいです。
まるで橋立ウォーズですねえ。

そしてこの先には磯清水という
井戸があります。



両側が海にはさまれているのですが、
この井戸には真水がわくんだそうです。
すごいねえ、どうなっているんでしょうねえ。



でもこれだけ松が生えているのですから、
真水も必ずあるんですよねえ。



ちなみに天橋立の東側の海は
普通の海なんですが、
西側は天橋立の小さな水路だけで
つながる内海なんだそうです。
なので塩の濃度は通常の海よりは
三分の二程度だそうです。



この内海は「阿蘇海」といわれています。
その由来は何なのかと
いろいろ言われているそうですが、
天橋立の砂地や陸地に
囲まれていることから
外国語(何語かわかりませんが)の
アソから来ているという説があります。

「あ~そうかい」

かなり以前、ここへカニツアーで
来た時に、ここの海から
水蒸気がもくもく湧き上がっている
のを見た記憶があります。
ただ「海」というのではなく、
天橋立によって多くの部分が
閉ざされた内海の活動は
なんだか神秘的な感じもしますねえ。

その磯清水の井戸の近くには
「天橋立神社」があります。



先ほど行った知恩寺にあった神社を
ここに移したものである
との説があります。
ちょっと最初に見た図面の中からは
確認できませんけどね。

続く


丹後方面カニ歩きツアー2

2020年01月13日 21時11分25秒 | ウォーキング

まずは天橋立文殊様におまいりです。



この天橋立は、ここで龍神が
暴れていたために、
天神7代と地神2代が
9代かけて天橋立を築き、
文珠菩薩を招いて
それを鎮めようとしたそうだ。

なのでこの地域の事は、
昔は「九世戸」と呼んでいたそうだ。



へ~でもこの天橋立を
龍神としてとらえたんではなくて、
龍神がいてこれができた
という話なんですか。
まあ言い伝えはいろんな形で残っています。

この九世戸を雪舟が描いた図がこれです。



国宝なんですね。
とても大きい絵で
畳一枚分くらいあるそうです。

今日歩くのはこの図の左側の
森の中にある文珠様のいる
日本三文殊のひとつ知恩寺から
天橋立をすべて歩いて渡り、
右側の山の上にある
成相寺までのコースとなります。

まずは文殊様をお参りに行きましょう。



ここは「九世戸の文珠様」とか言われています。
本尊の文珠菩薩は秘仏とされていますが、
正月三が日、1月10日、7月24日
の年5回開帳されます。
この時はまだ建物の中の方に
ひっそりとおられます。

「どうか無事に歩けて、
今夜のカニがおいしく
食べられますように」。

おがんだ後は、触ると知恵と
知識が備わるという力石を触り、

 


石造の地蔵菩薩も眺め、



こんな1700年頃の絵にも
描かれている「知恵の輪」と
いわれる灯篭を眺めたりしながら、



門をくぐって天橋立本体の方に向かいます。



この日は地元の有志の人たちによる
天橋立の掃除が行われていました。
こどもも含んだ様々な年代の
人々がわんさかおられます。
ああこうしていつも大事に
されているんですねえ。

船の運航を考えて、
グルリンと回って動く橋を渡って、
天橋立の松林の中に入ってゆきます。



前回ここに来た時には、
グルリンと動いているときに
ネコが走って入ってゆきました。
あのまま橋が途切れたらどうなるんやろと、
頭の中でいろいろ考えましたが、
なんとか橋がつながっているときに
渡り切ってしまいましたねえ。

そんな記憶がよみがえってきます。
その橋をわたれば、次に
大天橋が待ってますが、
その間の狭いエリアにも
様々な見どころがあります。

天橋立の石票の近くに、



日本三景のひとつである
と書かれた石が建っています。



そんな呼ばれ方を意識して、
それぞれの地の松が
植えられています。

これが丹後の黒松、



これが陸前の赤松、



これが安芸の黒松です。



あ、こんな旗も立っていますよ。



今年のNHKの大河物語は
この辺が関連するんですかねえ。
麒麟が来る、を楽しみにしています。

そして橋の手前にあるのが、
ここが日本の道100選に
なっているという顕彰碑です。



最近歩いたんでは、
関宿や竹富島の道が
100選のひとつですねえ。
近くでは堺のフェニックス通りや
御堂筋があります。

その横には「九世戸の松」と
いうのが生えているという
案内もあるのですが、



どれがいったいその松なのか
よくわかりません。
なにせ3.6キロほどの
天橋立には5000本から
8000本の松が生えているそうです。

浜寺公園が5500本ほどといいますから、
同じような感じですね。
どこまでを松というのかで
評価が変わってくるようです。

それでもすごい数で
あることには変わりありません。
もしかして、こんなペースで
頻繁に名前のついてる松が続いたら、
ちょっと抑えきるのも
むつかしいほどですねえ。
大して何もなさそうなところですが、
もしかしたら松の探索で
歩くのも忙しいほどで、
歩き人にはそれは恐ろしい所だ
というような印象が漂います。

そんな恐怖を抱きながら、
大天橋をこえて進んでいきましょう。
まず右側に何か案内のある
松が見えてきます。

これが、三人寄れば文殊の知恵から
来ている「知恵の松」です。



足元から3本になっています。

続く


丹後方面カニ歩きツアー1

2020年01月12日 21時02分32秒 | ウォーキング

さてまだ昨年12月の歩きですが、
ぼちぼちと書いていきましょう。

書くときは当時のことを
頭に描きながらと写真を見ながら
両面で進めていきます。

このカニツアーも
とても楽しかったので、
書くことはまたまた旅を思い出しつつ、
幸せな時間を持つことになるわけですから、
とてもお得なんです。
ブロガーの特権ですね。

旅を主宰している歩く会の人たちは、
常に楽しい企画をいろいろと
考えてはります。
まあブログの事は
まだ了解をいただいていないので、
素性は明かさずに進めていきましょう。

doironの印象を中心に
ストーリーを進めていきます。
そうそうカニツアーの中には
いくつかの歩きや西国三十三ヵ所巡りも
組み込んでいますので、
それらを順次進めていきます。

このツアーにはdoironの車も出動して、
まず最初に向かうのが日本三景天橋立です。

これまでは福知山の方なんかを通って、
京都縦貫道で向かって行ったのですが、
今回は第二京阪から京都南部で
縦貫道に入り、そこから
直進していくルートで行きました。

分岐点あたりはややこしかったのですが、
まあナビがありますから何とかなります。



朝が早かったので道はがらすきです。
そもそもこの縦貫道が込んでいる姿は
見たことがないですねえ。
doironの自動車でも
久しぶりの遠出です。

雲海が広がる景色の中を
快調に進んでいきます。



ん?後ろからすごいスピードで
車がやってきますよ。
すぐに追いついてきます。
あれは外車かなあと思って
追い抜きざまに見てみると、
トヨタの車じゃないですか。
デモ見たことの無い形ですねえ。
ああ、そうか、あの水素で走る
新しい車「MIRAI」ですねえ。

写真、写真と言ってる間に
あっという間に前方に消えていきました。
何とかブレブレで撮影できたのが
この写真でした。



すごいですね。
水素だけで走るって、
もうあんな車が市販されて
実際走っているんですねえ。

あの車は700万円以上するそうで、
国の補助金を入れても
500万円はかかるでしょう。
いやあ、車の未来って
この先どうなっていくんやろうね。

とまあそんな話をしながら、
サービスエリア京丹波にはいりました。

まだまだ朝もやがきれいですねえ。
ここで朝食をとることにしましょう。
で、その朝食でdoironからの
差し入れがひとつあることは
事前に言ってありました。
それは先日の山科で採取した
冬イチゴで作ったジャムです。



なので持ち込んできたパンに
それを付けて、ここで買った
コーヒーでモーニングですね。

山科のジャムは種があるけれど
何となくごつごつして
おいしいのです。
まあ歩きの旅だと、
こういう特典を自然から
いただけることになるんだねえ
と感心しながらいただきましたよ。

このあたりは、あの竹田城
なんかも近いところですねえ。
だから朝もやというか
雲海もその日はちょうど
しっかりと出ていましたが、



太陽が登って地面に熱を
送り続けるようになると、
朝もやと共に消えていきます。
きれいだったなあ~

さあ、目的地まであと少しです。
頑張って進んでいきましょう。
高速道路を降りたら、
そこから天橋立まで
ぐいぐいと進んでいきます。

このあたりで時刻は午前9時。
いやあ皆さん朝は早起きで
午前6時のスタートですから、
旅はまだまだたくさんの時間があります。

この天橋立に来たのは、
現役時は、あの東北の大震災の
その日でした。
宿でカニをくわえながら、
大津波のあのニュースを見ましたねえ。
そして退職後はランニングチームの
カニツアーとミセスとの旅行でしたね。

結構意外とここには来ているものです。
橋立の根元の少し西側にある
大きな駐車場に車をとめて、
歩く会のツアーがここから
始まっていきます。

まずは、天橋立駅周辺に歩いていき、
そこから橋立のお寺、
橋立そのもの散策、
そして橋立の向こう側にある
西国三十三か所の
成相寺への参拝が目的となります。

続く