保育園が足りないと言われている一方で、今年、住民の反対で保育園が13施設が開園できないと朝日新聞の記事があった。私のマンションの前にも、百五十メートルくらいに保育園が1つ、横には数十メートル離れたところに、中高一貫校が1つ、公立中学校が1つあり、運動会が近づくと、その練習やらで、子どもたちの声が聞かれる。確かに、気にすれば、「うるさい」との見方もできなくもない。しかし、これらは私がここに越してくる前からあったもの。いわば承知の上で越してきたわけだ。後から越してきて文句を言うのは筋違いと私などは思ってしまう。しかし、世の中には色々な人がいるもので、そう思わない人も、今では少なくないようだ。中には、お寺の鐘の音がうるさいとの苦情が殺到し、鐘を鳴らすのをやめたお寺もあるという。まあ、寺の前に家があり、梵鐘がなり響いたら、一言言いたくなる気持ちも分からないではないのだが、梵鐘が気になり、困るのであれば、自ら他に引越し、梵鐘が爽やかな音に聞こえるあたりまで移動したらどうなのだろうと私的には思う。文句を言われると、それに反発し、正当な反証ができないでいると、どんどんこうした声はエスカレートしてしまうし、また、こうしたことが高じてくると、世の中はいったいどうなってしまうのだろうかと不安にならざるを得ない。
一方、町内会では毎年のように、お囃子の練習やイベントでバンドの演奏やらうるさいことこの上ない。これらに正面きって苦情を言える人はあまりいないのだろう。強いものには巻かれろ!苦情を受け付けるところには苦情が殺到する。これってエゴの極みのような気がする。そんなに物を言いたいのならば、デモにでも参加し、悪い政治家の駆除に精力を傾けて欲しいものだ。
子どもたちの声を苦情と感じ、それを公然と苦情を言う人ってどんな人たちなのだろうか?確かに、がやがや騒いでいたり、泣き声が鳴り止まなかったりで、「うるさいなぁ」と思う時もある。しかし、それは子どもたちが元気だという証拠、決して、うるさいと文句を言うのことには躊躇する。やはり我慢しなければならないときってあるような気がするし、わがままにも程があるような気もする。
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