設定当初は買上の団体列車として運転されていましたが、後に時刻表にも掲載されるようになり余席があればみどりの窓口で購入出来るようになりました。ここは今も人気の高い撮影地ですが周囲はいろいろ変化している様です。特に線路の反対側にある道路は当時はなかった様な(あぜ道みたいな道はありました)気がします。 85,01,27 三つ峠 ハイランドスケート号
今年、いよい”北斗星”と”トワイライトエクスプレス”が廃止になると日本の鉄道で夜行列車と名乗るのは”サンライズ”と”カシオペア”それに”はまなす”の3本だけになってしまいます。しかし、30年前だと何処にでも夜行列車は存在しました。中には片道夜行で片道は昼行運行と言う列車もありました。その中で思い出深いのが千葉―河口湖間を冬の週末だけ運転されていた”ハイランドスケート号”です。この列車は深夜に千葉を発車して時間調整をしながら夜明け時刻に河口湖に到着し、河口湖の富士急ハイランドでスケートをして、午後に現地を発車して夜に千葉に到着すると言う列車でした。当時、この列車に充当されたのが幕張電車区の165系で先頭車は全車白熱灯で良い被写体になったものです。
ターゲットの”ハイランドスケート号”は午後の運転でしたのでゆっくり出撃したと思われます。なぜなら往路途中で撮影しているこの写真はちょうど昼前の光線だからです。当時の富士急行は釣掛駆動の電車が淘汰されたばかりの時期で小田急からやってきた元特急車の2320型は富士急でまクイーン的存在でした。この電車は小田急の塗装よりこの富士急の塗装の方がかっこよかったと今でも思っています。 85,01,27 富士急行大月
当時のネガを見ると中央線でも”ハイランドスケート号”を撮影していますが陽の短い季節しか運転されていないので暗い写真しか残されていません。当時もそれが不満だったのでしょうか?当時としては珍しく電車撮影だけのためにわざわざ富士急の三つ峠まで出掛けています。すでに、この歳になると自動車(サニー)を所有していましたが自分の運転テクニックの未熟さとあいまって凍結した道路でのタイヤコンディションが当時は非常に悪く遠回りを覚悟して列車で横浜線ー中央線経由で出掛けています。
当時、大月駅構内にはセメントサイロが構内の片側にあった記憶があります。この動車はその入換機だと思われます。 85,01,27 大月
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