DT200Aの庫 (goo-blg)

惜別 489系・キハ52系


 この日は岩手開発鉄道で撮影をしていました。列車待ちの時間に携帯電話でwebの485系掲示板を見ていると、全く根拠もないものの489系”はくたか”代走が走る予感がしてきました。何か感じるのです。これを虫の知らせとでも言うのでしょうか…背を押されるようにレンタカーを水沢江刺駅へ返却し、東北新幹線に飛び乗りました。そして仙台を過ぎた辺りで金沢駅で489系”はくたか”を見たと言う書き込みを見て、予感が現実になり心がときめくのを感じます。大宮駅では同時刻発着の東北新幹線と上越新幹線の乗換えがありましたが、これも上越新幹線が少し遅れてくる気がして東北新幹線から飛び降り階段を駆け降り・駆け上がりました。そしてここでも予感が的中して2分遅れた上越新幹線が待っていました。飛び乗った上越新幹線車内では489系”はくたか”代走の列車が石打-越後湯沢間の雪崩のため抑止後、行き先地を長岡に変更して運行中という事をwebで知り、越後湯沢で降り予定を急遽長岡に変更。そして乗車した上越新幹線が長岡駅に到着し、在来線ホームに下りると、程なく489系”はくたか”代走がやって来ました。突発的に運転される489系”はくたか”代走の上に長岡発着とレアな写真が撮れて東北の小さな街からやってきた甲斐があったと言うものです。このすがた  10,01,18 長岡  9020M(迂回1020M) Canon EOS-1v(RDP-Ⅲ) 

 いよいよ03月13日ダイヤ改正まであと1日になりました。最近のダイヤ改正は必ずと言っていいほど名車が消えて行きます。今回の改正も489系とキハ52の両形式が定期運用から離脱し実質引退します。両形式とも国鉄型の名車中の名車であり、言い尽くされた言葉ではありますが引退は名残惜しく、感慨深いものがあります。
 また489系定期運用離脱は一形式の引退にとどまらず究極の機械美として称されるボンネット型の引退でもあり国鉄栄華の象徴でもあるボンネット特急電車の消滅でもありのす。中学・高校と眺め続けて来た”とき”・”ひばり”・”やまばと”・”あいづ”・”ひたち”等のボンネット特急一族の終焉でもあるわけでその寂しさもひとしおです。
 489系は70年代前半に横川-軽井沢間の輸送力アップのためにEF63と協調運転を可能としたため横軽通過8両の制限を12両に増大させ、信越線の輸送力を大幅にアップした立役者なのですが、実はこの489系デビューの”おかげ”で本州最後の昼行急行”白山”が廃止となっています。当時はまだ小海線にC56が現役で残っていて、好んで同線へ撮影に出掛けました。小海線撮影の帰りに小淵沢ではなく小諸にわざわざ出で、それも接続の悪い急行”白山”に乗って帰ったことが何度かありました。最後の昼行急行だけにその旅情はなんとも言えない趣があったことは中学生の私でも読み取れる程でした。10系客車の車窓から眺めた夕闇迫る浅間山。夜の帳の下りた横軽でのEF63との出会い。そして高崎線に入って高速で走るEF62のブロワー音等印象深い思い出が残っています。その急行”白山”を廃止に追い込んだのが489系だっただけに、私にとってデビューしてしばらくは489系には”悪役”のイメージが強かった事を思い出します。
 489系のボンネットスタイルのルーツを遡れば1958年(昭和33年)にデビューしたモハ20系(後の151系)に辿り着きます。その後、181系・485系とマイナーチェンジはされているものの基本的フォルムを変える事なく今なお遜色なく「究極の機械美」と称されるそのスタイルで我々を魅了するのは造形が本当に素晴らしい証だと思っています。言い換えると、50年前の国鉄設計陣の質がいかに高かった故だと言って差し支えないと思います。
 一方。キハ52はモハ20と同じく58(昭和33)年,キハ20系の出力アップ版,非電化のローカル線普通列車用として登場しています。けして大所帯ではないキハ52がつい最近まで米坂線や磐越西線でも活躍していたのはキハ52が2エンジンで大馬力あり、また車体が長く定員が多く使い勝手の良い車両だった故と思われます。置換えの激しい気動車界で50数年のあまり国鉄・JRと第一線に活躍してこれたのは、キハ52が名車であった証だと思うのは私だけでしょうか?
 ただ正直言って10年前ではキハ52が何処で走っているかは漠然としか知りませんでした。それが盛岡のキハ52が国鉄色になったのを皮切りに糸魚川や新津のキハ52が国鉄色になったことで私にとってキハ52はいつしか身近な存在となった言って過言ではありません。特に大糸線は自宅から深夜なら3時間程度で沿線に到達できるので、とてもありがたい存在になっていました。天気の良い休みの日には運用さえ良ければ大糸線へ撮影に行くという時期もあったくらいです。
 当初の予定では糸魚川のキハ52は北陸新幹線開業まで温存する予定だったと聞いております。ただ予想以上に老朽化が進み、ここ数年は老兵であるキハ52のやりくりは綱渡り状態だった様です。昨年は車両故障により列車が運休となりバス代行になったことさえありました。冷静に考えてやはりこの時期の引退は潮時と言ってもいいと思います。そんな老朽化が取り沙汰されていたキハ52ですが、実は私は同じ生まれでもあります。自分の老いを感じる今日この頃、同い年のキハ52の全面撤退は489系定期運用撤退以上にセンチメンタルになってしまいます。


 国鉄色復活の翌年(05年)のゴールデンウイークでは糸魚川地域鉄道部主催で撮影会が開催され臨時列車が運転されました。臨時列車に乗車した参加者は中土駅から観光バスで先回りして自分の乗っていた列車を撮影出来るという粋な計らいがなされました。道路で撮影している人達は撮影会参加者です。この写真を撮影している足場は国道の路側帯ですが、現在はスノーシェルター化されて撮影出来なくなっています。
 大糸線では国鉄色を復活させただけではなく、我々をいろいろ楽しませてくれただけに、キハ52の定期運用撤退・引退は自分のライフワークのひとつをがぽっかりと穴が開いた虚脱感にかられます。  05,04,30 中土 9133D

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