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ある外来で・・
主治医から後1~2年と言われ、この後の過ごし方や緩和ケアのことを知りたくて受診しました。
と、患者さん。
がん治療医の主治医が書きながら説明された用紙を持参されていました。
わかりやすい絵でがん性腹膜炎を説明され、
起こる症状や予後について読みやすい字で書かれていました。
そこに、Best supportive careとも書かれていました。
高齢の患者さんには、ちょっとわからなかったようです。
私の外来までは、車で1時間近くかかることもわかりました。
最期はさっと死んでしまいたいから、
在宅療養とか考えていませんとおっしゃる一方で
このまま逝ってしまったら、残った人たちに渡せないで迷惑をかけるとも言われ、
30年近く前からある保険適応とならなかったワクチンを受けたいという希望も含まれていました。
幾つかの矛盾・・
違うな・・・・
心の中で、そう感じました。
患者さんが本当に私に求めていらっしゃるのは
これからの緩和ケアを主体とした過ごし方のヒントではない。
何か納得がいかないことがあって、
答えを探そうとされているけれど、
今だその答えが見つからず、彷徨われている・・
何だろう。それは・・
もしかすると、私の役割は、
何らかの視点変換かもしれない・・
そう感じました。
話の端々に、治らないから何もしないというわけにはいかないという意思がありました。
そして、言われました。
後、一年か二年かと言われたんです。
本当にそれだけしか生きられないのでしょうか。
四捨五入すると90歳になろうとされるお年でした。
この話はご存知かもしれませんが・・
人生には三つの坂があると言われます。
何だと思いますか?
死ですか
いいえ。一つは上り坂
ああ・・(ほっとした顔で)、下り坂。
もう一つは・・ ?
もう一つは、まさか・・という坂。
これは、小泉元首相が言われてよく知られるようになった言葉ですが、
緩和ケアの中では語り継がれている言葉なのです。
人生には、まさかという坂があります。
がん以外のことも沢山あります。
交通事故や天災や他の病気だってあります。
がんだけではなく、健康であることについて考えてみましょう。
私も、1年後100%生きているとは言い切れないのです。
急に顔が晴れやかになられ、
そして、堰を切ったように話し出されました。
そうですね。
主治医から、後1、2年と言われて、そんな大切なことを簡単に言われてしまったことに腹を立てていました。
でも、そうですよね。
ああ・・何か、ふっきれた。
もう一度、考えてみます。
家族とどう過ごしていくか。
1.2年ではなく、一日いちにちで。
先生に会えてよかった。
本当にありがとう。
がん性腹膜炎に至っていて、
治癒は難しいから、自宅でゆっくりとしてはどうかという主治医の話に、
何とか治療を・・という気持ちになってしまったようでした。
がんが治るか治らないか・・ではなく、
人生全体に目を向けられるような視点変換が必要だったことが
この30分ほどの対話の中で見いだされ、
患者さん自身もそれに気づいてくれました。
晴れ晴れと外来を後にされる姿は、
何とも言えない清々しさで、
人生の大先輩とともに
共同作業を終えたような
感動で満ちていました。
はじめてコメントさせていただきます。
子育てしながら緩和ケアに携わっている薬剤師です。
このお話の患者さんは、先生の外来に来るべくして来られた方なのでしょうね。
そういう出会い(偶然?チャンス?その方が呼び込んだ運?...いい言葉が見つかりませんが)って、きっとこの方がこれまでに培ってきた人生の中で「車で1時間かけても行くべきだ!」と何かを感じたからなのではないかと思いました(勝手な解釈かもしれませんが)。
この方も私も先生も、今日もよかったと思える1日1日を過ごしていきたいですね。
“3つの坂”の話は、恥ずかしながら知りませんでした。
でも、すごくいいなと思ったので、私も覚えておこうと思います。
最近、「いろいろな本を読んでみる」ことがマイブームになっており、知らないことを知ったり、興味深い内容に出会えたりすると、とても楽しい気持ちになれます。
ありがとうございました。
後押しして下さるメッセージ、本当にありがとうございました。
三つの坂の話、な~んだ知ってるよ・・ではなく、新鮮だと言っていただけて、これまた嬉しかったです。よい話です。
そして、そこに実感をもたらせてくれるのが、昨年の地震と津波でした。大切にしたい話でもあります。
出会いは少なからず偶然の結果ですよね。それは必然だったかも知れませんし、運命や宿命かもしれません。
今日一日の自分の言動を振り返りながら、素敵なお話しで癒されました。ありがとうございました。
患者さんの言動に「この方の真意は?」という様な感覚や視点は、本当に大切だと思います。
時に、患者さんがご自身の真意を自覚なさっていない場合、共に時間をかけて手を携えるようなケアは、より患者さんの力になると思いました。
医療者の言動で、きっと患者さんが安楽を得られた時、おそらく患者さんの表情がぱっと明るく目が輝く様な瞬間は、私の安楽な瞬間でもありました。
「まさか」という思い、患者としても、とりあえずクリアしてしまうと、ピアサポートにも歪みが出るような気持ちでいます。
温かい気づきをありがとうございます。
後に私の移植の主治医になる医師の初診時、将来を見据えた生き方と死を意識した過ごし方のバランスがわからないと言うと、「(考えるのは)どっちもです。」と一言だけ言われた記憶が蘇りました。
手を携えてくれる言葉には感じられなかったのが悲嘆だったのだと思い直しています。
先生は緩和ケア医師でありながら、心理学にも造詣の深いカウンセラーでもある、と、以前から思っていましたが、本当に敬服の至りです。
お医者様と患者の距離感が近くなった昨今。
どこの科でも「傾聴」がポイントになっていると感じます。
お医者様側はそう考え易いとして、患者側も、だと、個人的には思っています。
自分の主訴をどのように話して、的確にお医者様に解っていただくか、「傾聴」していただくか。
これは、患者側の義務だと思っています。
まだまだ、得手勝手な患者が多く、また、なかなか主訴を表現しない、出来ない患者がほとんどだと思います(自省を込めて)。
先生が、記事の患者さんとの対話で「違う」とお感じになったこと。
スゴイの一言でした。
ありがとうございます。
先生のようなお医者様が緩和ケア以外でも、増えますことを、切に祈ります。
この記事を振り返りに使ってくださり、一緒に時を過ごせたような感覚になりました。この患者さんが繋いでくれたような優しい嬉しさを感じました。ありがとうございました。
ALLさん
医療者でもあり、患者さんの立場でもあるALLさんから素晴らしい話と言っていただき、また、格別の嬉しさがあります。本当にありがとう。
KAYAUさん
お見事って言っていただけると、医者冥利につきます。外科手術の達人は手術件数でわかりやすいのですが、こうした対話などは計ることはとても難しいものです。そこに価値を見出してくださったこと、心から感謝です。