岩手の大槌町から家族が帰ってきました。
街の中には死臭がし、
瓦礫の間から亡くなった方の手首が見えているところもあったと
悲しそうに話していました。
でも・・
それでも、生きていく・・
その力強さに
圧倒され、最初は押しつぶされそうになったとも。
ある時、比較的高齢の方に、
「一杯頑張っていらっしゃるのだから
無理をしないでください」
そう言葉をかけたら、
涙を流しながら感謝の言葉を頂いた・・
これを契機に自分らしく動けるようになったと言っていました。
家がある人は、家が流された人に申し訳ないと感じて、
辛いと言えなかったり、
食料や水を我慢したり、
我儘な人だと言われないかとひっそりと心を圧したり・・
そうした格差を生じているなんて
心が届ききっていませんでした。
時には、力を抜いて、
時には、大声をだして叫けんでみよう。
辛いときには、辛いと言ってよいと思う。
涙も一杯流してほしい・・
これからは、がんばろうは時々お休みして、
大きく、深呼吸をしてみよう
目を閉じて、春を感じてみよう。
大切な人を亡くした子供達のサポートを
学んだことがありました。
今の私のコミュニケーション力を大きく変えてくれたきっかけでもありました。
言葉、行動、態度、沈黙・・
すべてに神経を傾けて、リフラクションしていきます。
リフラクションとは、繰り返しです。
絵を描きながら、運動しながら、子供達の振る舞いを繰り返したり、
言葉を繰り返します。
繰り返すと言っても、オウム返しとか、ミラーイメージとは異なります。
あなたは、こんな風に動きながら、こんな風に感じているのかしら・・
私はあなたが感じていることを一緒に感じてみたいと思うの・・
そんなメッセージを送りながら、リフラクションし、まねっこします。
ちっちゃな子たちでも、赤ちゃんでも、青年でも
心が繋がった感覚になります。
経験ありますよね。
赤ちゃんが、ニコっとしたら、
「あら~、ニコってしてくれたわね~」
あ~、う~ってお話したら
「あ~、う~ なの?なんのことかしら?知りたいわ」
何て、無意識に赤ちゃんの行動を、言語化してリフラクトしていることを。
少年達とであれば、ドッチボールをしながら、
今の投げたボールを真似てみるよ~なんて言いながらリフラクトすることもあります。
「そんなの、一緒にやれかっよ」
って言われたら、
「一緒にやれっかよって?あら~どうして?」
って。
リフラクトして、その後に、
開かれた質問(5W1Hで始まる質問)を続けてみます。
こんな風に、コミュニケートしていくと、
ポツリ、ポツリと心の奥のことを話してくれることもあります。
そこから一緒に考えていくことができますし、
ひたすら共に時間を過ごしていると、
自ら解決の道筋を見つけてくれることもあります。
この時のトレーニングに
ちょうど、阪神大震災の後、
レインボーハウスを造ったあしなが育英会の方が
参加されていました。
この時のことを書いた記事があります。
次回は、これまた再掲になりますが、
ご紹介させてください。
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ありがとうございましたm(__)m。
岩手、お疲れ様でした。
ご家族がいらした…とのこと。
実は昨日偶然、幼稚園の同級のお母様とお話した時、ご主人様のご出身が陸前高田市で、御親族が3名津波でお亡くなりになったと、伺ったばかりでした。不幸中の幸いはお3方ともご遺体がお有りだったとのことでした。
私の知り合いで、音楽仲間にジャズを演奏する自衛隊員がいらして、彼も今、あの現場の前線で活動中とのこと。
文章では表現出来ない状況だからメールは勘弁して欲しい…ともらったそうです。
「がんばろう日本」。
もう、やめましょう。
と言いたいです。
被災地の方々、今まさに暴走しそうな原発を何とかしようと日夜奮闘していらっしゃる方々…。
これ以上、頑張らないで欲しいです。
長野の、鎌田先生の御本「がんばらない」。
あの本のタイトルを観た時、私は当時泣きたくなるくらい嬉しかった記憶があります。
先生方がずっと診ていらした癌の患者さん達の頑張り。
今回の震災で大変な思いをしていらっしゃる方々や関係者の方々。
ご無理されないで欲しい。心から思います。
皆、生きること自体、頑張っているのではないでしょうか。
生き残る、という意味は生かされている、ということなのでしょうか。
今日、いろいろあったことも含めて、考えています。
この言葉の背景に、どれほどの状況が横たわっているのか・・ 胸が苦しくなります。
>生き残る、という意味は生かされている、ということなのでしょうか。
重みのある言葉です。
津波に巻き込まれなかったという現場のことだけではなく、離れたところにいながら、今、ここに生き残っている自分の意味を見出す作業が喪に服す作業でもあるのかもしれません。
心にしみわたる言葉の数々、本当にありがとうございました。
被災地でも、交通アクセスが太い被災地にはマスメディアが入って報道していますが、大槌町のことはほとんど報道には乗らず、今週ちらっとテレビに映ったのを見ると震災直後と変わらない瓦礫の山だったので、かなり置き去りにされているのだろうと心配していました。
先生の御家族のことばを見て、やはりそうなのだと思いました。情報がない分、私たちも想像力を働かせて準備をしていますが、想像を越えた状況が続いていることがわかりました。私たちのチームは仮診療所に詰めるようなのですが、避難所におられる方々や、自宅で不自由な生活を続けておられる方々に今何が必要か、これから何が必要かを考えるのに、少しでも力を出せればいいなと思っています。
チームで共有させていただきます。ありがとうございました。
大学を再開するにあたり、学生の心のケアについての配慮が書かれていました。
「苦しみがなければ成長しない」「この苦労は将来必ず役に立つ」「命があっただけ幸せ」等の発言は不適切であり、できるだけ学生の話を聞いてあげて欲しい旨のことが書かれていました。
最近、応援医師の心のケアの問題のページを読み、心のケアって何だろう?と思うことがあります。適切にアドバイスしたり、励ましたりすることではなく、話を聞いてあげることが心のケアなのではないかと思うようになりました。
子供は、親に話をすることで、心が落ち着くという話を聞いたことがありますが、「支援」とか、「心のケア」とか、難しい言葉で固めなくても、「聞いてあげること」「話かけてあげること」が大事なのかも知れません。
1か月後の新大槌病院の開院を目指して、現地の方々をはじめ、がんばっていらっしゃるようです。
AMDA(http://amda.or.jp/)をはじめ、医療支援チームが継続的な支援を行っていますが、先生方が入られると、またさらに大きな力になりますね!!
大槌高校に400名以上の方々が避難されていたそうですが、その半分の方が最近、他の避難所に移られたそうです。コミュニティーの分断が起こっていないか、気になります。
支援者が5日間隔位で、入れ替わっていくことが、小さな喪失感を招くことがあるようで、忘れ去られてしまうのではないかと小さな子供たちが話してくれたと家族が言っていました。
輪をつなごうプロジェクト(?)として、日本地図に、支援者が自分の出身地に手形を残してくるというものを提案したようです。
もし、まだ残っていたら、ぜひ、先生の手形を残してきてくださるありがたいです。
医療機関からではなく、学校現場からだったような記憶があります。
このブログを始めたころ、一度取り上げたことがあって、その当時は、心のケアを行っていますと学校が言うときは、心理士等の専門職を配置したことを指していました。
内容や質的なことには触れられていませんでした。
心のケアという言葉は、心理支援に適切な行為という意味として単に話を聞くこととはことなることを指そうとしているのでしょうが、ご指摘の通り、質的な行為を示す言葉のほうが素直な気持ちで受け取れるなあと思いました。
>支援者が5日間隔位で、入れ替わっていくことが、小さな喪失感を招くことがあるようで、忘れ去られてしまうのではないかと小さな子供たちが話してくれたと家族が言っていました。
ここは私も気になっています。短期間の係わりだと最初から決まっているので、しっかり、深く、係われば係わるほど、別れの喪失感も強くなってしまいます。かといって大槌町に永住するつもりで行くことは、現状ではできませんし。
巨大な絶望的なたくさんの別れを否応なく経験させられてきた人たちに、さらなる別れの辛さをもたらしたくはないけれど、だからといって意図的に浅い付き合いを心掛けるのも申し訳ないと、どのようなポジションを取るのがいいのか、チームの打ち合わせ会でも話題になりました。「行って申し送りを聞いてみないとわからない」というのが、とりあえずの結論でした。
手形、あったら私も残してきます。ただ、出身は東京なんですが、小学校時代を過ごしたのは長野県で、どっちに押してこようかとちょっと悩んでます。
どうぞ、お体に気をつけて、活動してきてください。先生にどれほどの方が勇気づけられることでしょう。
ささやかながら、エールを送り続けさせていただきたいと思っています。
この診療所では、かなり早めから心のケアチームが入っていたり、プライバシーが守れるように背の高いオフホワイトのパーティションが張られていたり、医療や介護がある程度以上必要で避難所生活が難しい人は早めに内陸に移動したりしたためか、避難所に残っている人たちには、それほどしんどくない「日常」があるように思いました。
避難所の人たちは病人ではないので、当初は毎日医師と保健師で続けていた回診も、保健師さんだけで、用があったら声をかけてもらったり、気になる人に声をかけたりする程度にしています。そういう意味では医師の出番は多くないです。
ただ、医者の出番がある時は、それなりに仕事があります。私が当直の時には比較的若い持病がある人が来て、調子が悪そうな顔をしていると「若いくせに」のような言われ方をすることがあると話しておられ、1時間ほど話を聞いて、そのあと仮診療所(元は保健室)のベッドで明け方まで休んでいっていただきました。
生活環境に配慮されている(と思う)ここでもそうなのですから、いまだに雑魚寝をしている避難所などでは、みんなストレスを抱え込んでいるんじゃないかなあ、やりたいことを考えるのもやめてしまっているんじゃないかなあと思ったりします。
山を下ると、人の正解の気配が全くない錆びた色の街を、自衛隊の重機が片付けています。この中にも、まだご遺体はあるでしょう。この先大槌町がどのようになるのか、全く想像がつきません。
一番支援が遅れていそうに感じていた大槌町でも、全体としては需要に追いついてきているし、県立大槌病院や開業医の「続いていく診療」が動き始めているのは、大きな安心につながっていると思います。とまあ、こんなところです。現地の片隅からでした。