フランスで生まれたこのイベントは、東京では2005年から年1回開催され、2020年からコロナ禍で中止されていました。
4年ぶりの開催。
テーマは、ベートーベン。
有楽町の国際フォーラムで有料イベントが開催され、
期間中は有楽町、東京駅周辺、大手町~丸の内の様々な室内外で無料のイベントが開催されるクラシックの一大イベントです。
有楽町国際フォーラムの中庭には、ランチやドリンクの車の出店が。
最終公演は、5月6日の21時開演の第9まで、3日間にわたって、沢山のプログラムが開催されていました。
今年、田園を聞いていて、涙がこぼれるようでした。
それまで、音楽は宮廷音楽家に代表されるような宮廷や貴族といったパトロンのための演奏が主体でした。
でも、ベートーベンは、雇用者のための音楽ではなく、自分の感情、自然や人々を描きました。
悲壮や熱情といった、激しい感情の一方で、悲壮の第2楽章のような優しさ、慈しみのような感情も表現しています。
社交家だったベートーベンは、難聴が重度になり、それを悟られまいと人との距離を取り始め、自殺を考えたこともあったようです。
ハイリゲンシュタットの遺書を残していますが、色々なものを読むほどに、自殺のためのものではなく、今でいうACP(将来に備えた万一の健康障害や死に直面した時の自分の意志)のような印象を受けます。この遺書を残して亡くなるまで、25年以上あり、その間、この遺書は大切に保管されていたのだそうです。
この遺書が1802年、交響曲第6番田園は1808年、この5年後頃(40歳頃)全聾になったと思われています。1824年第9番初演は亡くなる3年前だったようです。
この遺書が1802年、交響曲第6番田園は1808年、この5年後頃(40歳頃)全聾になったと思われています。1824年第9番初演は亡くなる3年前だったようです。
交響曲第6番田園は、
第1楽章「田舎に到着したときの晴れやかな気分」
第2楽章「小川のほとりの情景」
第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」
第4楽章「雷雨、嵐」
第5楽章「牧歌 嵐のあとの喜ばしい感謝に満ちた気分」
第2楽章「小川のほとりの情景」
第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」
第4楽章「雷雨、嵐」
第5楽章「牧歌 嵐のあとの喜ばしい感謝に満ちた気分」
という表題が各楽章についています。
第3楽章から第5楽章までは途切れず、演奏仕切るという構成も特徴的です。
第4楽章で、バケツをひっくり返したような嵐、雷雨の後、
第5楽章では、羊飼いの歌が、嵐の後に、恵み深く神に感謝するような気持ちで続きます。
会場では、
東京交響楽団 (オーケストラ)
三ツ橋敬子 (指揮者) さんの
素晴らしい演奏で、
最後の音の高まりを
素晴らしい演奏で、
最後の音の高まりを
聞きながら、
ああ・・
コロナの大変な時期を一山超えた今の感謝の気持ちそのものだなあと感じずにはいられませんでした。
同時に思い出していたのが、
同時に思い出していたのが、
夏井いつきさんの俳句でした。
青き踏めマスクを鳩として放て
春の草を、さあ、踏み出よう。
踏み出すのよ皆!
踏み出すのよ皆!
マスクをパアッと投げ上げながら。
まるで真白な鳩のように。
まるで真白な鳩のように。
って、そんな風に読み取っていましたが、まさに、田園の嵐の後の第5章がこの俳句のようでした。
そして、最終日の最後の演奏が、第9でした。
歓喜の曲を聴きながら、
この曲をエンディングに持ってきたいからこそのベートーベンだったのではないかと思いました。
コロナは、終わったわけではありません。
次のワクチンも私自身接種することを予定しています。
でも、一区切りです。
今までの疲れをねぎらいながら、また、明日を踏み出そう・・
人生への、そして会場に一緒に出合わせた人々お互いの、スタンディングオベーションのひと時でした。
タイミング良くベートーベン「田園」の記事を拝読する事が出来ました。
ラ・フォル・ジュルネも参加され充実した時間だった事が良く伝わりました。
遠距離介護で両親同時の介護の経験した中で、緩和ケアを上手く組み入れる事もケア専門医も地方にはいませんでした。。。
治療スタート時期に主治医と緩和ケア医がチーム医療出来る様になってほしいです!
まだまだ日本は遅れていると思います。どうぞ目標に向けて頑張って頂ければと、応援とフォローをさせて頂きました!
温かなコメント、感謝です!
介護のご経験をここにシェアしてくださり、ありがとうございます。
社会のニーズにこたえること・・本当に大切なことと思います。
応援を胸に力にかえていきたいと思います。