今日の昼過ぎ、3泊4日の東京から帰ってきました。
今回の目的は僕の東京での心の拠り所である浅草寺のご開帳です。
金曜日の夜に浅草のホテルに到着。すでに10時を過ぎていましたので
翌朝、午前6時過ぎに浅草寺へ向かいました。まだ本堂の開扉前ですが
すでに数十人が扉前に・・・。ほとんどが地元の人で開扉とともに
お参りして、とっとと帰ります。犬の散歩がてらお参りする人もいます。
とっとと帰る人とは別に内陣に入る人は朝座(朝の法要)に参列する人です。
僕も東京に居る時は必ず参列しますが、普段は10人ちょいなのに
ご開帳中ということもあってか20人~30人ぐらいはいたと思います。
さて、浅草寺ご本尊。実はご本尊は絶対秘仏で今回のご開帳でもそのお姿は
拝観できません。ご開帳は「お前立ち」です。
しかしこの「お前立ち」も年に1回、年末にほんの数分だけ「お身拭い」の時に
拝観できるだけで、今回は1ヶ月間にわたってご開帳ということなのです。
内陣に入るといつもは閉じられて「卍」紋の幕が垂れている宮殿の扉が開かれ
さらにその中のお厨子の扉も開かれて「聖観音さま」のお姿を拝することが
できました。伝えでは平安初期の慈覚大師が彫ったといわれる観音像は
身の丈はそんなに大きくありません。腰をくねらせた立像で彫りは深くない
感じでした。右手にお手綱が結ばれて内陣から外陣へと、そして堂外の塔婆を
伝って参拝者が触れることができます。
今回は1日~3日の朝座と1日の大般若転読会、1日・2日の閉扉前の法要の
計6回参列しました。朝方と夕方では堂内の明るさや雰囲気も異なります。
そして今朝の朝座のあと、浅草観音さまともお別れということで何度も拝礼してから
堂外に出てお手綱を握った時になんともいえない感情が湧きあがってきて
ちょっとウルウルしちゃいました。
雷門前の告知板
宝蔵門にも記念開帳の文字が・・・。アンバランスな配置ですが・・・。
3本の開帳塔婆。ご本尊お前立の右手から繋がるお手綱は五色の布となって垂れ下がります。
昼は行列ができていました。
閉扉直後の午後5時過ぎ。月と一番星と五重塔のとても美しい情景。
今回の目的は僕の東京での心の拠り所である浅草寺のご開帳です。
金曜日の夜に浅草のホテルに到着。すでに10時を過ぎていましたので
翌朝、午前6時過ぎに浅草寺へ向かいました。まだ本堂の開扉前ですが
すでに数十人が扉前に・・・。ほとんどが地元の人で開扉とともに
お参りして、とっとと帰ります。犬の散歩がてらお参りする人もいます。
とっとと帰る人とは別に内陣に入る人は朝座(朝の法要)に参列する人です。
僕も東京に居る時は必ず参列しますが、普段は10人ちょいなのに
ご開帳中ということもあってか20人~30人ぐらいはいたと思います。
さて、浅草寺ご本尊。実はご本尊は絶対秘仏で今回のご開帳でもそのお姿は
拝観できません。ご開帳は「お前立ち」です。
しかしこの「お前立ち」も年に1回、年末にほんの数分だけ「お身拭い」の時に
拝観できるだけで、今回は1ヶ月間にわたってご開帳ということなのです。
内陣に入るといつもは閉じられて「卍」紋の幕が垂れている宮殿の扉が開かれ
さらにその中のお厨子の扉も開かれて「聖観音さま」のお姿を拝することが
できました。伝えでは平安初期の慈覚大師が彫ったといわれる観音像は
身の丈はそんなに大きくありません。腰をくねらせた立像で彫りは深くない
感じでした。右手にお手綱が結ばれて内陣から外陣へと、そして堂外の塔婆を
伝って参拝者が触れることができます。
今回は1日~3日の朝座と1日の大般若転読会、1日・2日の閉扉前の法要の
計6回参列しました。朝方と夕方では堂内の明るさや雰囲気も異なります。
そして今朝の朝座のあと、浅草観音さまともお別れということで何度も拝礼してから
堂外に出てお手綱を握った時になんともいえない感情が湧きあがってきて
ちょっとウルウルしちゃいました。
雷門前の告知板
宝蔵門にも記念開帳の文字が・・・。アンバランスな配置ですが・・・。
3本の開帳塔婆。ご本尊お前立の右手から繋がるお手綱は五色の布となって垂れ下がります。
昼は行列ができていました。
閉扉直後の午後5時過ぎ。月と一番星と五重塔のとても美しい情景。
・・・我輩も行ってみようかな?
上野に住んでたときも含めて浅草って
行ったことがないんですよね。
いつでも行ける距離だとなかなか行かないものです。
ええーっ!上野に住んでいたのに浅草に
行ったことないんですか? なんとももったいない!
ぜひ行って見てください。行くなら今月16日までに!
でもそんなもんかもしれませんね。僕も京都市に
住んでいて、近くに金閣寺やら大徳寺やら名所旧跡が
あったのに1回も行っていませんでしたから。