正午に長谷寺・法起院への参詣を終えて、当初はこれで帰路につく予定にしていましたが、来る道すがら、
「石上神宮」への標識が目に入り、時間的余裕があれば参詣しようと決めました。
桜井市の長谷寺から天理市の石上神宮までは距離にしてほぼ15km。その道の途中には、
遠くからでも目立つ三輪明神の大鳥居が見え、崇神天皇御陵などの大型古墳があり、近代の街の中に
古代の息吹があちこちに残っている感じのする地域である。
やがて道は天理市に入り、天理大学や天理教教会本部の前に出る。ここに天理教のおやさとやかた(宿泊所)が
あって、小学生の夏休みに2度ほど来た(天理教では帰ってきたと言う)思い出がよみがえった!
石上神宮はその天理教教会本部の近くにある。無料の駐車場から参道へは田んぼのあぜ道を通り、
森林の囲む境内へ。
石上神宮は古事記と日本書紀にも記された神宮で、その創建は伊勢の神宮並みに日本最古とされる。
主祭神は「布都御霊大神(ふつのみたまのおおかみ)」といい、人神ではなく神剣に宿る神霊である。
その由緒から古代には大和朝廷の武器庫となり、軍事を司った物部氏の氏神となった。
中世には興福寺との勢力争いや織田軍の侵略(ここでも織田・・・)で衰微したが、明治初年に
改めて神宮号が勅許され現在に至るとされる。
境内の建物はさほど多くない。鳥居をすぎて社務所の前をすぎるとやがて楼門が見えてくる。
楼門は鎌倉後期の文保二年(1318)の建立で、重要文化財。
桧皮葺きが美しい拝殿は鎌倉時代の建立で国宝に指定されている。
楼門を出て石段をのぼったところに摂社である「出雲建雄神社」があり、国宝建造物であるが、
今回はいい写真がないので掲載はなし・・・。
社務所前の休憩ベンチに多数の鶏がいた! 神の使い→神鶏とされてるそうだけど、もともとは
誰かが捨てていったものが増えていったそうな・・・。人が近づいても全然逃げん。
そういえば伊勢の神宮の内宮にも鶏が放し飼いになってて、神鶏とされていたなあ。
石上神宮に着くまではけっこう雨がはげしく降っていたけど、到着と同時にしばし止み、神宮を
あとにしたらしばらくして再び降雨・・・。今回は天候に感謝!
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あって、小学生の夏休みに2度ほど来た(天理教では帰ってきたと言う)思い出がよみがえった!
石上神宮はその天理教教会本部の近くにある。無料の駐車場から参道へは田んぼのあぜ道を通り、
森林の囲む境内へ。
石上神宮は古事記と日本書紀にも記された神宮で、その創建は伊勢の神宮並みに日本最古とされる。
主祭神は「布都御霊大神(ふつのみたまのおおかみ)」といい、人神ではなく神剣に宿る神霊である。
その由緒から古代には大和朝廷の武器庫となり、軍事を司った物部氏の氏神となった。
中世には興福寺との勢力争いや織田軍の侵略(ここでも織田・・・)で衰微したが、明治初年に
改めて神宮号が勅許され現在に至るとされる。
境内の建物はさほど多くない。鳥居をすぎて社務所の前をすぎるとやがて楼門が見えてくる。
楼門は鎌倉後期の文保二年(1318)の建立で、重要文化財。
桧皮葺きが美しい拝殿は鎌倉時代の建立で国宝に指定されている。
楼門を出て石段をのぼったところに摂社である「出雲建雄神社」があり、国宝建造物であるが、
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誰かが捨てていったものが増えていったそうな・・・。人が近づいても全然逃げん。
そういえば伊勢の神宮の内宮にも鶏が放し飼いになってて、神鶏とされていたなあ。
石上神宮に着くまではけっこう雨がはげしく降っていたけど、到着と同時にしばし止み、神宮を
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