令和2(2020)年3月5日 催行
午前9時45分 JR高槻駅構内 北ブリッジに12名集合。既存会員6名・新会員6名のバランスのとれたメンバーで、高槻駅北側の空中通路経由、弁天跨線橋へ。なぜここに弁天と名のつくところなの?? 旧弁天踏切・弁天駐車場・弁天公園等々・・・。じつは 高槻病院の用地内に 弁天さんを祀っていた祠があったそうな。 弁天公園に高槻市名誉市民の高崎達之助翁ゆかりの「荘川桜」が立派に成長する姿を確認。
古曾部村内のいにしえ遺跡散策開始、まず「花ノ井・不老水」。何れもこんこんと清水が湧き出て、お茶を入れると美味しいただろう光景を瞼に浮かべつつ、寛永年間から明治末期までの「古曾部焼き」窯跡を訪ねる。五十嵐家の門前に「古曾部焼窯跡」碑があるのみ。能因法師が和歌の原稿を埋めたと伝える「文塚」・そして 郷社「日吉神社」へ。ここでは、慶長19年再建の神明造り檜皮葺きを確認。境内から京都方面の遠望し いにしえの眺望を想像してもらう。
名水の井戸
江戸時代後期から明治時代末期。古曾部焼の窯跡。
伝能因法師は平安時代中期の歌人。伊勢姫の作風を慕いつつ歌道に励んだとか。
〈日吉神社にて〉
総本山は比叡山のふもとにある日吉大社。
大山ぐい命、天照大神、住吉大神 三柱の神様をお祀りしています。
今回は 時々時雨に合うがなんとか傘を差さずにここまで来たが、古刹「伊勢寺」では夕立の如く降り注ぎ、本堂の軒先で雨宿り。これも仏の導きか・・・。
しばしの休息後 山内の伊勢廟・和田惟正の墓を参拝ス。
〈伊勢寺にて〉
伊勢姫の死後創始された。三六歌仙の一人で伊勢守・藤原継蔭の娘。
小倉百人一首で有名な和歌。「難波潟 短き蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや」 の作者。
つらい恋慕の情を歌った和歌です。
その後 「天神遺跡」にてランチタイム、ベンチ等は雨に濡れて立食スタイル・・・。
いつ また本降りがくるかひやひやしながら、天神坂を下りて 「上宮天満宮」は道路際から遥拝し、今の弐の鳥居を眺め、今回のハイキングのメインを訪ねる。
途中 竹林の小径は 参加者全員のお気に入りとなる。
やっと 「乾性寺(けんしょうじ)」に到着。薄日が差し込み 綺麗な紅梅を鑑賞。
丁度 見ごろで 「良かった」と一言。 三代藩主 永井近江守直種公が 母君の菩提にお手植えされたと言い伝えのある紅梅である。
よって 樹齢約300年といわれる。直種公は延宝8年(1680)から元禄8年迄15年間藩主を務めた。現在 京都東山泉涌寺悲田院に葬られている。
ここを最後に 出発地点に戻り、チャレンジジングGRの今後の活動予定報告。
併せて 4月1日予定の「ポンポン山ハイキング」を審議・賛成多数で催行することに
決定する。
先ずは 参加者全員元気に解散出来たことに感謝。ありがとうございました。
令和2年3月5日 午後11時半。宮島記