笑顔の江川

薬害エイズを考える山の手の会のご案内
薬害被害者、がん患者の支援活動
尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

勝海舟と田中正造

2011-04-01 18:53:57 | 日記
明治31年6月29日に田中正造は勝海舟宅を訪問し勝海舟に会います。そのとき勝海舟は田中正造に百年後、地獄か極楽で総理大臣という証文を書きます。
勝海舟と田中正造の年齢の差は18歳で田中正造が年下ですが、二人とも幕末から明治維新、明治期を生きました。田中正造は天保12年(1841年)下野国(現在の栃木県)に生まれ農民の出で若くして名主に選ばれますが、明治に入ると東北の江刺県の官史となりますが上役暗殺の嫌疑をかけられ投獄され、明治7年嫌疑がはれると栃木県に帰り自由民権運動に参加します。栃木新聞編集長から栃木県会議員になり国会開設運動にも参加して第1回衆議院選挙で栃木選出の国会議員になります。そのころ地元の渡良瀬川流域では大洪水があり足尾鉱山から鉱毒が流れ出し甚大な被害を受けます。田中正造はこの足尾鉱毒事件を以後一生涯の問題として取り組みます。足尾鉱山は、当時の明治政府にとっては国策推進の上で重要な鉱山であり古河市兵衛が経営していましたが、陸奥宗光の息子が養子に入ったり、後に総理大臣になる原敬が役員になるなど政府とかなりの関係が有りました。この足を鉱毒事件に勝海舟も大きな関心を示します。国民の命が救えない政府の姿勢に対する怒りを二人は共有したのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする