勝海舟は幕臣でありながら日常は町火消しの新門の辰五郎や浅草の茶屋の女将など庶民の付き合いが多かったようです。奉行になっても武士を随えず女中さんにお手伝いを頼んでいたようです。幕府が長州征伐に失敗して幕府の使いで単身、長州と交渉した時も地元の老婆に身の回りの世話をしてもらっています。孤独といえば孤独ですが、常に庶民の中にあって庶民の目で物事を決め実行していったのでしょう。西郷隆盛との談判のすえ江戸無血開城を果たした勝海舟の心の中には常に江戸庶民のことがあったのではないでしょうか。どの時代にも人は地位、役職などにつくと、その地位、役職に負けてしまうことがあります。そんな時、庶民の目をもって小さな一人一人の心を大切にすることが、大きな幸せを生むのではないでしょうか。
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