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幕末の見方ーオランダ軍医ポンぺから

2018-12-01 19:06:15 | 日記
幕末の起点としてほとんどが1853年のペリー来航をあげ、それは突然にやってきて開国をせまり日本国中が大騒ぎになったとほとんどがそう見ています。ペリー来航当時はたして幕府はどうだったのでしょうか。幕末から明治維新を振り返る時、尊王攘夷運動はじまる幕末の志士の偉人伝が多く語られ下級武士の革命で近代国家の始まりと明治維新を美化する傾向が多いです。このような流れの中で幕末の見方を考える一つの方法として幕末当時に日本に滞在した外国人の日記は貴重な資料です。オランダ海軍士官カッテンデーゲの「長崎海軍伝習所の日々」やイギリス人外交官アーネストサトウの「一外交官の見た明治維新」と私が注目しているのはオランダ海軍軍医のポンぺ・メールデルフォルトの「日本滞在見聞記」です。見聞記は1857年から1863年までのことを書いていますが、当時の世界の情勢や日本各地の状況など、またポンぺは医者として日本で長崎大学医学部の前身である医学伝習所に関わり幕末から明治にかけて医療界で活躍した松本良順や長与専斎を育てています。日本各地にも医師として回っています。そのポンぺの「日本滞在見聞記」にはペリー来航じの幕末日本の状況について書き、当時のオランダ政府と幕府との交渉も書いています。その中でペリー来航の計画はアメリカでは来航の2年前の1851年に計画されていてオランダでは知っていて、このことは幕府には伝えてありオランダ政府は世界情勢から開国を迫っていたということです。幕府の対応や幕末の幕府政権の移り変わりなども記されています。
「日本滞在見聞記」はかなり厚い立派な書物で図書館から借りて読んでいますが、幕末の歴史の見方を見直す貴重な資料となっています。
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