三舟と言えば、勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟。世間では江戸城無血開城と言われるでしょう。確かに三舟が協力して徳川慶喜の恭順謹慎のもとに新政府軍と交渉して総攻撃を回避した役割は大きいでしょう。しかしこの一場面ではこの三舟の良さはわかりません。幕末三舟という呼び方もします。確かに三舟は幕臣でその地位は明治に入ると無くなりました。むしろ私はこの三舟の明治の生き方こそ人間らしい素晴らしい生き方だと思いたいのです。明治の三舟はそれぞれに生き方が違います。勝海舟は明治政府から出仕の要請に断りながらも一時は参議兼海軍卿になりその後退くと論客として政府に辛口の論評を繰り返しました。山岡鉄舟は公への出仕を幕末の将軍から明治の天皇へ変えました。高橋泥舟は、徳川慶喜への恭順謹慎を提言した身として明治に入り明治政府からの出仕要請を一切断り隠遁生活を送りました。夫々の哲学をしっかりと持ち時代が変わろうとも生き方・姿勢は変わりませんでした。世間の風評にとらわれず、やはり人間は各々の哲学・生き方でしょう。
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